HyperLolia:InnocentHeart
−旅立ち−
002:Beginning



あの惨事から一日経ち、エアリーの葬儀は粛々と行われた。
…とは言っても、ヴィエント家の娘たちの状態には目も当てられないものがあり、
葬儀の準備や指揮のほとんどは、近隣に住むロリアの友人フリーテが最大限の努力をしたと言っても良い。

フリーテにとって親と呼べる存在は既にこの世に無く、
彼女にとってもエアリーは母親のような存在であり、その悲しみの深さは人一倍だったと言える。
それでも気丈に立ち振る舞いながら葬儀の準備を進められたのは
幼い頃から悲しみの渦中で生き続けて来たが故の強さと、ロリア達を思いやる優しさ故の事であった。

(今は、私よりもっと辛い人がいるのだから…)

そう思いながら、フリーテは休む暇も取らずに働き続けた。
ただし、弔問客の中にミアンシア・V・バウアーを見つけても話し掛けなかったのは忙しさの為ではなく、
単に彼女の皮肉屋ぶりに中てられたく無かったからである。
別にミアンを忌み嫌っているという訳ではないが、自分達がいわゆる「噛み合わない」性格であることを熟知していたので
このような場で余計な事に心を乱したくないと、無意識に思っての行動だった。

しかし、葬儀に際してヴィエント家としての意向・問い合わせには彼女では対応できず、
それらに終始忙しく従事したのは帰省したばかりの四女、アイネリアであった。

そして…凶報は、エアリーの死のみに止まらなかった事で
ヴィエント家は今まさに、いつ晴れるともしれない闇の中にあったと言っても過言では無かった。




その日の夕方。
一年ぶりの帰郷をしたアイネは、突然の惨劇にまず言葉を失った。
そして、ぽつりぽつりとロリアの口から語られる、事のあらましを聞き終わるに至って
自失呆然のままのファルに近づくと、いきなり…震える手で、彼女を殴り飛ばした。

「何よ!ちょっとばかし剣が使えるからって!誰も守れないんじゃ意味ないじゃない!!」
「………」
「そんなにリーンお姉ちゃんになりたかったの?!」

アイネの言葉は、まさしく直球と言えた。
状況のみを見ればファルの取った行動は理に適い、道義に沿っていた。

『ケガ人を守る為に、剣を抜き立ちはだかった…が、力及ばなかった』

伝聞だけに拠れば、人は皆「仕方が無い」と…。
これは悲劇で、ファルでさえ犠牲者だと口を揃えて慰めの言葉とするだろうし、実際そうだった。
だが、アイネやロリアは違う。

(ファルは自らの剣技、自分の持つ力に酔ってはいなかっただろうか?)
(自分の力を試したかったばかりに、母を、あの不幸な冒険者達を犠牲にしたのではないのか?)

ロリアですらそんな風に思わないでもなかったのだが、さすがに口には出来なかった。
しかし、心に思ったことを何の躊躇も無くぶつける所がアイネの長所であり、短所でもあった。
ただし…その言葉がそのまま「ファルが母を殺した」と同義だというところまでは
思慮が行き届かないのは十四歳の娘らしい部分、なのだった。
この場合は感情に任せて、短所が出たと言うべきだろう。

アイネはそのまま、憤りを必死に抑えるようにして自室へと駆けていってしまった。
妹に殴られ、崩れ落ちたままのファルにロリアが駆け寄る。

「ファルお姉ちゃん…大丈夫?」
「…ん…」
「アイネったら…あんな酷いこと言って…」
「ううん…あの娘の言ったことは、合ってるわ」

ファルは自嘲気味に、少しだけ笑った。

「私はリーン姉さんのように、やれると思ってた。
 戦った事の無い相手を前に…勝利する事ばかり思い描いて、過程を無視して…」
「お姉ちゃんは間違ってないよ」
「最初に思ったわ…あなたと母さんを連れて、逃げたほうがいいんじゃないかって。
 それは間違いなく、私の判断だった。私は、私の実力に見合った判断を、真っ先に下せていたのに…!」
「………」
「あの冒険者達の慌てぶりを見て、私は判断力を鈍らせてしまった。
 私はこんなふうに負けない、勝つ力を持っている…私なら勝てると、錯覚してしまったのよ!」
「でも!あの時三人で逃げてたら、あの人たちは助からなかったよ!」
「…結果が同じならっ!!」

ファルの叫びに、ロリアは身体を強張らせた。

「逃げてれば良かったのよ…私は…母さんを…あの人たちを、殺して…しまっ…た…」
「…お姉ちゃん…」

顔を伏せ、静かに嗚咽を漏らすファルを、ロリアは精一杯抱きしめた。
いつも優しく、穏やかで優雅な姉を、こんなに小さく感じるのは初めてだった。

「お願いだから、そんな事言わないで…。
 いやだよ、お姉ちゃんがそんな風に思うの、お母さんだって悲しむよ…」

窓に星の瞬きが照り返し始めた薄暗い部屋の中で、
二人は何時抜け出せるとも知れない…深すぎる悲しみの最中にあった。




…それから二時間後。
フリーテがヴィエント家を訪れ、事後処理を行った憲兵隊から聞いてきた話をファルとロリアに話していた。

あの冒険者達は、つい一ヶ月ほど前に初心者訓練場を出た者たちであり、
問い合わせたところ、三人共身寄りの無い戦災孤児達であった…との事だった。
十五歳になった所で例のアーチャー少年の幼年支援金が終了したらしく、
それなら…と三人揃って冒険者の道を志し始めたばかりだったらしい。

(どんな夢を、どんな将来を、希望を持っていたのだろう…)
(生きていれば…何が出来たのだろう…!)

ロリアはほんの数瞬でも交差した他人の人生が、
もう二度と戻らないものだ…という現実に、胸が張り裂けんばかりの思いだった。

「…この話は、もう止めましょう」

ファルの方を見て、フリーテは語るのを止めた。
それを…彼らが目の前で散っていく様を直に見ていたファルにしてみれば、
今、彼女が話す内容を聞かされること自体が拷問のような苦しみに違いないからだ。
事実、ファルは顔面蒼白で唇を噛み、激しい心の呵責に耐えているように見えて、
フリーテはもう少し早く気づくべきだったと後悔する。

と、その時…ドアがゆっくり開いて、アイネが自室から戻ってきた。
泣きはらしたのであろう目は真っ赤に染まり、鼻まですすっている酷い有様だったが
本人は気にした風もなく、まるで寝起きのように欠伸などしながら入ってきた。
そして、ゆっくりとファルの目の前へと歩みだす。

「…アイネ?!」

先刻の事を思い出し、ロリアは慌てて椅子から立ち上がる。
だが、アイネは別段先ほどのように激昂している様子も無く、
むしろ何か申し訳なさそうな、恥ずかしそうな表情すら浮かべていた。

「ファルお姉ちゃん…さっきはごめん、言い過ぎたよ」

彼女の口から出たのはそんな言葉だったので、ロリアはほっと胸を撫で下ろした。
ファルは少しだけ顔をあげて、気にしないで…という風に首を振った。

「アイネ…」

ロリアの声に、ふぅっ、とひとつ大きなため息をついた。
そして。

「…ロリアお姉ちゃん、お腹すいちゃったよ」

唐突な台詞に、ロリアは目を丸くする。
言われてみれば、彼女自身も朝食からこっち何も口にしていなかった。

(正直、食欲なんて無いけれど)

ただ、作るにしても食べるにしても、手を動かすことで少しでも気分を紛らわせられたら、と思った。
そして…平時の自分を保ってみせる事で、この悲しみを和らげようとしている、
アイネという妹の気遣いに応えなければ…と思うのだった。

「…そうだね、すぐ用意するね。
 ふーちゃんも食べていくでしょう?」
「はい、お手伝いします」

二人が椅子から立ち上がると同時に、ファルも席を立った。

「…ロリア、私のぶんはいいわ」
「ファルお姉ちゃん…」
「少しだけ、一人で休ませて欲しいの…ごめんなさい」
「ううん…一応、すぐ食べられるように用意だけはしておくね?」
「うん…ありがとう…」

ファルはふらふらと、生気の無い人形のように歩き、部屋を後にした。
ロリアはそんな姉の様子が心配だったが…心身共にもっとも疲労しているのは彼女に違いなく、
今はとにかく休むことが必要だと思い、そっと見送った。




今夜は、家族で久しぶりの楽しい晩餐が行われるはずだった…。
そう思うと、また涙が出てしまいそうなので、アイネはぐっと堪えながらとにかく口を動かす。
食事といっても、ロリアもフリーテも食欲の沸く余地は無く、
アイネも味を堪能するというよりは、とにかく空腹を満たすためだけに専心していた。

「…これからどうするんですか、ろりあん」

『ろりあん』とは、幼い頃にロリアがフリーテだけに呼ぶことを許した愛称である。
ロリアが彼女を『ふーちゃん』と呼ぶように、お互い唯一無二の呼称で呼び合うことを
友情の証であると、認め合っていた。

「葬儀は明日、行わないとだめだよね…」
「…そうですね、先ほど自治委員会の方が憲兵隊から引き取られました。
 聖堂に安置されたら、連絡してくれるって言ってましたけど…」

フリーテが意図的に『遺体』という言葉を避けたため、会話はどうしても抽象的になってしまっていた。

「うん…」
「遺族の意向があれば聖堂の安置室を借りたまま、葬儀の日は先送りにできます。
 けど、それも無限という訳ではないです」
「そうだよね…」
「経験上言わせて頂くと…早くやった方が、良いです。
 遅らせて良い事なんて、何一つありませんから…」

かつて両親を、義父を失った経験のあるフリーテの言葉は、ロリアやアイネを納得させる重みがあった。

「そうだね…明日、にしようか。
 ふーちゃん、悪いけど…手伝ってくれるかな?」
「…今更、他人行儀ですよ」

フリーテの控えめな微笑が、今のロリアには何よりも嬉しかった。

「…それと、お父さんにも知らせないと」
「そうですね…そちらは守備隊にお願いして、軍の方に手紙を回して貰いましょうか」
「それしかないね…本当は、今すぐに戻ってきて欲しいけど」

父が軍大佐・中隊長という責任ある立場なのはともかく、
今の任地がグラストヘイム方面では、至急帰ってくるなどという事は到底無理な話である。
ロリアもそれを判っていて、希望を言ってみただけだった。

「…リーンお姉ちゃんには?」
「…そう、ね…」

アイネの問いに曖昧にしか答えられないのは、ここ一年長女・リーンネートの消息が知れないからである。
ミッドガルドではない別大陸に居るであろう姉に、どうやってこの事を伝えればいいのか。

(それに、リーンお姉ちゃんだって、もしかしたら…)

と…ロリアは首を振って、自らの考えを吹き飛ばそうとした。
気持ちが沈んでいると、何もかも悪い方へ考えてしまいそうな自分が嫌になりそうになる。

「リーンお姉ちゃんの事は、ファルお姉ちゃんと一緒に相談しましょう」
「…ん、そうだね」

アイネが頷いた時。
突然、玄関に鈍いノックの音が響いた。

「…あ、聖堂の方かもしれませんね。私が出てみます」

フリーテが機先を制して立ち上がり、早々と玄関に向かっていった。
ロリアは彼女の気配りに感謝しつつ、ため息をつき…天井を見上げた。

(やる事がいっぱいある…泣くのも落ち込むのも後でいいから…頑張らないと)

悲壮なほど気丈に自分自身を鼓舞しなければ、このまま悲しみの中に埋没してしまいそうで。
そんな自分や姉妹達を、母は決して喜ばないと判っているからこそ、今精一杯強がらねば…と思うのだった。

「…ちょっと、ろりあん…いいかな?私じゃ話が、よく…」

と、玄関の方から困り顔のフリーテと、その後ろから見覚えの無い男性が現れる。
男性は見たところ二十代前半といったところで、王国軍の軍服を乱れなく着ていた。
ロリアとアイネを確認すると、直立不動の姿勢からさっ、と敬礼をする。

ヴィエント大佐のご息女でございますね。
 自分は王国軍第二突撃装甲騎兵大隊、第五中隊所属、ラッド・キュベル伍長でありますッ!
 隊では大佐にお世話になっていましたッ」
「…はい」

つられてお辞儀し、返事するロリア。
アイネは黙って、横目で訝しげに見ているだけだった。

「あの…この度は、なんと申して良いやら…御悔み申し上げます」
「いえ…ありがとう、ございます…」

手短にはフリーテから聞いていたラッドであったが、
ロリアの沈痛な面持ちを見るだけで、その悲しみがいか程のものかすぐに察する事が出来た。
と同時に…これはいかにも『時期が悪すぎる』…と、自らに課せられた任務を恨むのだった。

「…それで、キュベルさんの御用は何でしょう?
 姉のファルは休んでいるので、私がお話を受け賜りますが」
「………」

そう言って自分を見詰める少女…ロリアの瞳に、ラッドは躊躇いを隠せなかった。

(この伝令任務を受けたのが、一週間前。
 その時はヴィエント家がこんな事になっているなんて、誰も思わなかったのは当然だし、
 もし判っていたら連絡を一週間でも二週間でも遅らせるくらいの配慮はあっただろう。
 ここで自分が言わずに帰る事も出来るが、それは命令違反、任務放棄になる…。
 しかし、いずれは彼女らの耳に入るべき事ではあるし…。
 …第一、自分はもうここに来てしまっているのだ…!)

そして、話していいものかどうか…迷いに迷っていたが、意を決して口を開いた。

「実は…二週間ほど前になるのですが、我々はグラストヘイム方面B集団の一陣として
 魔族の駆逐作戦に従事しておりました」
「…はい」
「その戦いの最中…。
 大佐は、敵と交戦中…その…崩れた城砦跡に出来た、クレバスに転落して…」
「…えっ…?」
「…現在行方不明で、も、もちろん捜索中ではあるのですが、
 不測の事態を考慮しまして、今回特例で準遺族年金の給付が…」

…ばたん。
ロリアは突然気絶し、その場で倒れた。
彼女が今日、自分自身を維持しつづけた気力も、この突然すぎる衝撃には耐え切れなかった。

「ろ、ろりあん!」
「お、お姉ちゃんッ?!」

倒れたロリアに駆け寄るアイネとフリーテ。
ラッドはやはり、今の自分の選択は間違っていたのではないか…と天を仰いだ。
重苦しい家の中にまたひとつ暗い影が圧し掛かり、ロリアはそれに潰されるままに、意識を失った。




ファルは心身共に疲労の極致にあり、ロリアが倒れた今、
ヴィエント家の代表として葬儀の席に座ることが出来るのはアイネだけであった。
フリーテとアイネが頑張った…というよりは、二人がやらねばならない、という状態でもあった訳である。

ロリアとファルが立ち直って、何とか葬儀の場に姿を見せたのはその日の午後遅くで、
何とか最後の埋葬に立ち会うことが出来た。

アイネはもしかしたら、ファルはこのまま葬儀の終わりまで顔を出さないんじゃないか…と思い、
その場合は自分が引きずってでも立ち会わせるつもりだった。
しかし、ファルはきちんと喪服を纏い、いつもの彼女らしい整然とした態度でその場に臨んだ。
その直前に、父・ラスターの件を聞き息を呑んだが、さすがにロリアのように倒れはしなかった。
冷静に表情を正してラッドに会う様子を見て、流石だな…とアイネは思ったものである。

ロリアは立ち直った風に振舞ってはいたものの、会話の端々と表情にはいつもの快活さは伺えず、
埋葬の瞬間には、いの一番に号泣してしまい、周囲の悲痛な心情を象徴しているとも言えた。
アイネはそんな姉の様子を見ながら、一人ごちた。

「これじゃ私が泣けないじゃない…」

…ロリアの泣き声に掻き消され、その台詞を聞いたものは誰も居なかったが。

そして、惨劇から二日目の夜。
ヴィエント家の三人の娘とフリーテは、静寂に包まれた晩餐の中に居た。

「…私は、ね」

沈黙を破ったのは、アイネだった。

「あのお父さんが穴に落っこちて死んだなんて、絶対信じないからね」
「アイネ…」
「私も、そう思う。
 父さんは、そんなつまらない事で簡単に倒れる人じゃないわ」

アイネの発言はもちろん、半分でまかせ・半分は根拠の無い確信だが、ファルのそれは少々違っていた。
葬儀の最中、事情について聞いた時のラッド伍長の話し振りが気になったのである。

「彼は父さんが事故に遭った、その現場に居たと言ってたわ。
 でも、それにしては状況説明の内容が客観的過ぎるのが気になったの」
「たしかにあの人、『よく知りません、判りません』の連発だったね」
「それに、戦死扱いなら現地の兵士でなく、憲兵が報告に来るはず。
 そうではないなら、準遺族年金がこんなに早く降りるというのも不可解だし…。
 少なくとも、彼はひとつ嘘をついていると思う。
 彼はその現場に居なかったか、それとも父さんの事故自体が嘘か…。
 …ともあれ、父さんは何かの事態に巻き込まれたのかもしれないわ」

あの父のことだ…自分からその「事態」に飛び込んでいったのではないか、とファルは思う。
準遺族年金を降りるように工作したのは、私たちの生活を保障しようとしているのではないか。
しかし…これは少々都合の良い様に考えすぎか、とも思うのだった。

「…これから、大変だね…」

ロリアがぽつりと口にした一言は、ひどく抽象的ではあったが、
今後のヴィエント家を暗示する言葉だったと言える。

娘三人が生活していくのに、準遺族年金の額は恐らく足りないという事は無いのだが…問題はアイネの学費である。
ファルもロリアも、経済難を理由にアイネを中退させる気など毛頭無かった。
だが…今後は軍人の家族という事で、色々優遇されてきた生活補助も無くなるに違いない。
そうなればファルは冒険者、あるいは仕官して剣を振るう必要があるかもしれないし、
ロリアですら働く口を見つける必要があるかもしれない。
エアリーという大黒柱の基で、言うなれば箱入りに育てられてきた娘たちには
これから今までと同じ日常生活を営むということ自体に、不安を感じずにはいられなかった。

…だから、という訳では無かったのだが。
ファルは葬儀の終わりと共に、ある一つの決心を固めていた。

「ロリア、アイネ…フリーテちゃんも、聞いて」
「ファルお姉ちゃん?」

三人を交互に見つめるファルの瞳は…穏やかだが、強い決意に満ちていた。

「私、旅に…ミッドガルドの外へ、旅に出ようと思うの」



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