HyperLolia:InnocentHeart
−決意−
003:Decision



エアリーの葬儀から一週間後。
ロリア達は夕暮れに染まるアルベルタの港に居た。
ただ静かにさざめく波の音とカモメの寂しげな泣き声は、まるで彼女たちの心を映し出しているかのようだった。
大陸間連絡船と呼ばれる巨大な船は、ほぼ三ヶ月に一回の割合でここアルベルタに寄港する。
その目的は希少な商品の輸入・輸出であったが、王国が現在のような魔物対策に追われてからは
主にアルベルタ商人組合が全権委任されて取引を行っていた。
元々、王国自体が大陸外文化との接触に消極的な事も大きく働いている。

「大きい船ですね」
「だよねぇ」

アイネフリーテが船を見上げる。
以前、リーンネートの旅立ちの時にアイネは船を見ていたが、フリーテは初めてだった。
そんな二人に向かって、甲板に居た水夫がにこやかに手を振った。
アイネとフリーテは顔を見合わせてから、手を振り返す。
言葉が通じない相手でも、そんな仕草や笑顔は共通だった。
…しかし、この船が何処からきたのか、何処へ行くのか、それは彼女らには想像も出来ない事である。

この船に乗って外世界からやって来る人間は非常にまれなのだが、
ここから旅立とうとするミッドガルド人は後を絶たなかった。
それはミッドガルドの人間が、開拓・冒険精神旺盛だからこそであると言われていたが。

(私たちの住む世界は、そんなに居心地が悪いかな…)

ロリアはそう思いながら、かつてリーンが旅立った日のことを思い出す。
…あの時はリーンが旅立つ事に、誰もが反対していた。
優れた剣士である姉を部下にしたいと言う軍幹部や騎士団長は多かったし、
凛々しく美しかったその姿に、思慕の情を抱いていた男性の数も相当なものだった。
ロリアはもちろん、ファルやアイネだって口ではともかく心中は穏やかではなかった。
誰もがありとあらゆる手段を講じて、リーンを引きとめようとしていたのに、
それでも…旅立ってしまったのは何故なのだろう?

(今、考えても仕方の無い事だけど…)

そして…今、同じように旅立とうとしているファルを、もはや自分は引き止める術を知らない。
姉妹の絆…十六年間、一緒に生きてきたというのは疑い様の無い現実である。
そこから溢れる感傷を押し込めて、ただ旅立ちを見送ろうとしている。
決意の時から何日も経ったのに…もう誰も、止めることが出来ないと判っているから、
だからこそ…この、二度と会えなくなるかも知れない別れに、ロリアは激しく心を痛めていた。




「私、旅に…ミッドガルドの外へ、旅に出ようと思うの」

強い決意に満ちたファルの言葉に、動揺しなかった者は居なかった。

「お姉ちゃん、旅に出るって…!」
「ファルセンティアさん、本気なんですか!?」

アイネとフリーテが、驚きのあまり声を上げる。
ロリアは逆に、声が出なかった。

「うん、本気よ」
「何で、こんな時期に…」
「今回の事件が無くても…元々、旅立つ気でいたのよ。
 何なら先週買った、船のチケットを見せてもいいわ」
「………」
「それに…旅立たなければならない理由が、もう一つ増えたわ」
「…え?」
「…リーン姉さんに、母さんの事を知らせなければいけない」
「そ、そんな事言ったって!
 別大陸って言っても、何処に居るのかも判らないのに…!」
「だから、なおさら会いに行かなくちゃならないのよ」
「…お姉ちゃん」
「大丈夫よ。ロリア、私が割と筆まめだって知っているでしょう?
 不精なリーン姉さんに代わって、必ず手紙を出すわ」

アイネが神学校の寄宿舎に放り込まれて一年。
家の中に姉妹は二人になって、ロリアとファルが最も密接に過ごしていた日々とも言えた。
ファルは夜、一緒に紅茶を飲んでいるときに、空を見ながら良く言ったものだ。
『いつか姉さんを追いかけて、私も旅に出たい』…と。
ロリアには何時か、このような日が来るのではないか…という覚悟はあった。
その時は引き止めずに、笑顔で送ってあげたい…とも思っていた。
しかし…それがよりにもよって、こんな家の中が慌しい時に言い出すとは予想外だった。
そして、それ以上にロリアは感じた違和感を拭えなかった。

(ファルお姉ちゃんが旅立ちを画策していたのは、本当なんだと思う。
 でも…旅の目的、旅に対する気持ちは…どうなんだろう?
 母さんの一件で、お姉ちゃんは旅にもっと別の意味を持たせようとはしてないだろうか…)

認めたくないがゆえに自ら思考をぼやかしてしまう為、ロリアの心中は漠然としたものになる。

「いきなりな話で、悪いとは思ってるわ。
 でも…ロリア、アイネ。できれば、許して欲しいの」
「そ、そんな事言っても…」

普段はどんな問いかけにも、竹を割ったように答えるアイネが明らかに動揺していた。

「それに…準遺族年金の額だって、たかが知れてるわ。
 私一人減れば、それだけ生活も楽になるはずだし」
「ちょ、お姉ちゃん!それが理由なら、私許さないよッ!?
 私はいつ学校辞めたっていいんだから!」
「…私が旅に出た後、あなたたちが生活する上での利点を言っただけ。
 何事もプラス思考で考えたいでしょ、アイネ」
「で、でも…!」
「それに…学校辞めるなんて、私やロリアが許しても父さんが許さないわよ」
「だって…父さんは…」
「あのくらいで倒れるわけ無い、って最初に言ったのはアイネでしょ?」
「う、うん…」

理詰めで話をすると簡単に追い込まれるアイネの性質を、ファルは良く知っていた。
さすがのアイネも、この姉相手では迫力で押し切るようなパワーを出せない。
…ロリアは、二人の話し中、ずっとファルの顔を見ていた。

(旅立ちをする人間の表情が…こんなに、悲壮感に包まれているものだろうか)

リーンが旅立った時の事を思い出す。
記憶の中の姉は、微笑を浮かべていた。
断ち切りがたい故郷の事に後ろ髪引かれながらも…自分の前に広がる未知なる世界の前に凛々しく立つ姿は、
ロリアの瞳に強く、力に溢れる姿として映えたものだ。
だが、今のファルは…焦燥感にも似た、不必要に大きな気負いに支配されているような。
そんな危なっかしさを、ロリアはどうしても拭い去る事が出来なかった。

「…ロリアは賛成してくれるかしら」
「………」

ロリアは言おうか、言うまいか…一瞬、躊躇いつつも、
今言わなければ後悔すると思い立ち、姉を見据えながらその口を開いた。

「…ファルお姉ちゃん、死ぬ気でしょ。
 だったら、私は絶対に許すことが出来ないよ」
「…え?」
「お、お姉ちゃん!?」
「ろりあん!?」

その唐突な言葉に、ファルはもちろん、アイネやフリーテも驚きを隠せなかった。

「…何、言っているのよ。
 リーン姉さんを探す事と、私自身の剣の修行のための旅なのよ。
 それは、危険はあるだろうけど…はなから倒れる気で行く冒険者なんて、居ないわよ」
「…じゃあ、言い方を変えるね。
 死ぬなら、私やアイネが気づかない場所で死のう…と思ってる。そうでしょ」
「ちょっと!ロリアお姉ちゃん、変だよ!何を言ってるのッ!?」

たまらずアイネが椅子から立ち上がり、ロリアに詰め寄った。
だが、ロリアは黙って姉を見詰め、ファルは微笑で妹の視線を否定した。

しかし、ファルの心中は激しい動揺でかき乱されていた。
この、普段は愛嬌だけが取り柄のような妹のどこに、こうまで人の心を見抜く力があるのだろうか…と。
彼女の決意は、それ即ち、自分の死すら厭わない覚悟であるがゆえに、
このミッドガルドで自分の凶報を知らされた時の…妹達の嘆きの深さを、まったく配慮に入れなかった訳ではない。
もちろんそれが、別大陸を目指す第一の理由では無かったが、後押しするひとつの要因になっていた事は確かな事実である。

そして、真なる理由は…あの狼の群れとの戦いに、ファルは勝利した事にある。
自分は間違いなく、全ての狼を剣で討ち果たした。
多少の出血はあったものの、防御も完璧にこなし、ほぼ無傷でいることが出来た。
これは完全勝利と言っても過言ではない…はずなのに。

…その先にあるものが、守るべきものの亡骸、それも一人は最愛の母であった瞬間に、
ファルにとって勝利という事の定義は崩壊した。

(戦って、勝ち抜いて、その先に残るものがこんなに苦しい現実でしかないのなら、
 いっそあの狼達と、共倒れになっていれば良かったんだ…!)

勝利を祝うものは誰も居ないこの現実の前に、そんな風にすら思わないでもなかった。
ただ、自分の未熟さと繰り返される後悔の濁流に押し流されそうになるだけだった。
そう…今までの自分は、自分の決めた「戦い」の枠の中で、まるでごっこ遊びをしているようだった…と。
ファルは、気付いてしまった。

「…ロリア、勘違いしないで」
「ファルお姉ちゃん…」
「私は、母さんを殺してしまった。
 大見得をきっておきながら、誰一人守ることが出来なかった…これは、事実よ」
「お、お姉ちゃんッ!?」
「そんな、そんな事無いですよ!あれは仕方の無い事で…」
「大声出さないの、アイネ。
 …フリーテちゃんの言うとおり、確かに仕方が無い…って考え方もあるかもしれないわ。
 でも、私にはそう思うことは出来ない…何故だか判る?」
「………」

穏やかなファルの問いに、ロリアは黙って首を振った。

「私が剣士…戦う側の、人間だからよ」
「戦う…側」
「…今までは漠然と、そうだって思ってた。
 でもね、勝つとか負けるとか…そんな事に拘ってたんじゃ、ダメだって…。
 一人で剣を振って…勝とう、勝とうって思ってた自分は、まるで子供の遊びをしているようだった」
「………」
「私は、大きな…大きすぎる、四人もの犠牲を強いて、ようやく理解することが出来た。
 戦うために、戦わなくてはいけない時に、勝利を欲する以前に最も大事にしなければならない事を」
「…大事に、する事?」
「命を守ること…よ。
 戦う人間は、戦えない人間を守らなくてはならない…それは自然の摂理よ。
 力のある人間には、その力に見合った役割と義務が存在するんだわ」
「お姉ちゃん…」
「私はリーン姉さんには劣るけど…ソードマンとして帯剣を常とする生活をしていた。
 力を持ちながら、自分の役割に気付かずに…覚悟も出来ていなかった」
「…覚悟?」
「いつ戦いで命を落とすかもしれない、という覚悟…よ。
 戦いは常に侭ならない…技術や知識だけで推し量れるような、そんな生易しいものじゃないって」
「!」

ロリアはファルの言葉に、全身がぶるっと震えた。
悲壮感などでは無かった。
自分の姉は、剣士として、戦う側の人間として…覚悟を決めたのだ。
あの一日が、ファルを変えてしまったのだと。
剣が得意な、それでも普段は優しい、昔のままの姉は…もう居ない。
今、目の前に居るファルセンティア・G・ヴィエントは、戦いこそを生業とする剣士なのだ。
平凡な一般人である自分には、到底踏み込めないであろう境地に達していたのだ…と。
と、同時に自分の感じていた不安は、戦えない人間であるからこそ見えてしまった、
ファルの壮絶な覚悟に対する恐怖であったと…不安なのは、ただ自分自身だったのだと、ロリアは気付いた。

「…ごめんなさい。
 お姉ちゃんの気持ちも考えず、言いたい事言っちゃって…」
「謝る必要は無いわ。私も、自分の決心を再確認出来たから」
「でも…それだったら別に、ミッドガルドを出る必要はないんじゃないんですか?」

フリーテの問いに、ファルは静かに頷く。

「そうね…」
「そ、そうだよ!そんな、もう二度と会えなくなるかもしれないような…。
 見たことも聞いたこともないような所に、わざわざ行く必要ないよッ!」
「でもね、アイネ…。
 例えば、目の前で見知らぬ人が魔物に襲われているのに気づいた時。
 同時に貴方達が、走って一時間の場所で同じような危機に遭っている…としたら?
 私はどうしたらいいと思う?」
「え?そ、それは…ぁ…」

答えに窮するアイネ。
ロリアもフリーテも、答えられずに黙りこくってしまった。

「そ、そんなの悩んじゃうよ」
「そう、それがダメなの。
 少しでも悩む事で判断を遅らせたり鈍らせたりすれば、それが致命傷になるわ。
 でもこの場合…私なら、きっと貴方達を助けに走ってしまう。目の前の人を犠牲にしても、ね」
「それは…」
「この地に生まれた私にとって、ミッドガルドという名の『故郷』には、大切な人が多すぎる…。
 そして、それを全部守ろうとしたら…結局、自分の決めた戦いの枠からはみ出す事が出来なくなる。
 今思うと…リーン姉さんも、それに気付いていたのかもしれないわ」
「だから、別の大陸へ行くんですか?
 …それはそれで、何の解決にもならないような気がします」
「フリーテちゃんの言うパラドックスは判るわ。
 その別世界で、大切なものが出来たとき…同じように枠組みを作ろうとする自分が居るんじゃないか、って。
 でも、元よりこの葛藤に答えが出る旅だとは思っていないの。
 ただ…何の負い目も、憂いも無い自分を、純粋に戦う…という場所に置きつづける事によって
 何かこう、自分自身を突破するような強さが身に付いたらって…そんな、淡すぎる期待の旅…なのよ。
 その為にも、まずは私とミッドガルドの柵を切り離す必要があるの。一時的にでも…ね」

ファルの話し様を見聞きしながら、ロリアは思っていた。

(お姉ちゃんは、いつからこんなに…。
 本当の剣士であるかのような、そんな話し方をするようになったんだろう?)

たった一日、しかし重過ぎる惨劇が…姉を自分たちとは違う世界の人間にしてしまった。
それは自分達…戦えない側の人間、にとっては寂しい事なのかもしれないが、
ファルにとっては、剣士としての生き方に開眼した…人生の分岐点の瞬間であるのかもしれない。
だとしたら…たかだか平凡な『妹』である自分に、それを引き止める事など出来ようか。
ロリアは既に自分が引き止めることの出来ない立場にあることに、今更ながら気づく。

そして…ふと、思い出す。
他の誰が反対しても自分は、自分だけは、ファルの旅立ちの時は…笑顔で送ろうと、決めていたことを。

「…ファルお姉ちゃん」
「うん?」
「必ず…何年経ってもいいから、必ずミッドガルドに帰ってきて。
 リーンお姉ちゃんも一緒に、帰ってくると約束するなら…私は、賛成するよ」
「ロリア…」

ファルは強く頷いた。
その瞳には、いつのまにか…ロリアがかつてリーンに見たような、強い光が溢れていた。

「帰ってくるわ、必ず」

何の保証もない約束でも、信じる事に意味がある事を…この場にいた四人は知っていた。
それ故に決定的になった姉妹の別れに、締め付けられるような心を隠したまま…ロリアは微笑で頷くのだった。




ボーーーーーーーーーッ。
長い汽笛がアルベルタの港に響き渡る。

「わわっ!」

アイネが顔を顰めながら耳を塞ぐのを見て、ついロリアは笑顔を零した。
汽笛が鳴り止むと同時に、がちゃりと音がして、三人は振り向く。

「お待たせ」

そこには完全武装で、旅立ちを迎えたファルセンティアが立っていた。
フルプレートを着込み、盾を背に、腰には姉譲りのサーベルがぶら下がっていた。
軽装で剣を振る姿は珍しくも無かったが、かくも戦いに赴く…といったファルの出で立ちは皆初めてで、
その凛々しさに自然と目を奪われてしまっていた。

「…これで、ミッドガルドともさよならね」

寂しげな笑みを浮かべながら、アルベルタの街の方を見る。

(アルベルタ自体、そんなに何度も訪れていたわけじゃないのにね…。
 それでも郷愁を覚えそうになるのは、自分が生粋のミッドガルド人だからかしら。
 それとも、単に別れに際して…未練が後ろ髪引いているのかもしれないわね)

ファルはやや自嘲気味に微笑み、最後のミッドガルドを一望してから妹たちの方へ向き直る。
ロリアが、アイネが、フリーテが…皆、笑顔で旅立ちを送ろうとしていた。
その気持ちの嬉しさに彼女は不覚にも目頭が熱くなり、我慢を強いられる事になってしまった。

「フリーテちゃん。
 これからもロリアやアイネと仲良くして、助けてあげてね」
「はい!任せてください!」

フリーテはそう言われた事に、嬉しそうに頷いた。

「フリーテちゃんは二人よりもしっかりしているから、そう言ってくれると心強いわ」
「そんな事ないよー!私だって、しっかりしてるよ」
「アイネ、貴方はちゃんと勉強しないとダメよ?
 遊ばせるために学校に通わせているんじゃないんですからね!」
「…ファルお姉ちゃん、最後までお説教くさいのはナシだよー」

肩を竦めるアイネに、思わず他の三人が笑う。

「…ロリア」

静かに名前を呼ぶ姉の声に、ロリアはゆっくりと頷いた。

「いつまでも、ロリアらしい…優しい心を忘れないで。
 きっといつか…貴方のことを必要とする、大切な人が現れるから…うん、そんな気がするわ」
「た、大切な人って!?」
「私の予感は、良く当たるのよ。知ってるでしょ?」
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん…私まだ、十六歳だよ」
「もう十六歳、でしょ?あーあ、お化けみたいな胸しちゃって…」
「そ、それは関係ないでしょー!」

赤くなったロリアを囲んで、三人が笑う。
笑顔に包まれたまま、まるで明日も、明後日も…ずっと続くかのような、何気ない会話。
それは三人が選んだ、もう二度と会う事が出来ないかもしれない…ファルとの別れの瞬間だった。
そして、ファルも感謝した。
涙の無い別れに、未練を掻き消すような笑顔に、それを選んだ三人に。

「それじゃ…」
「お元気で!」
「手紙、絶対書いて送ってよッ!」
「お姉ちゃん…身体に、気をつけてね」
「…ありがとう、みんな。行って来るね」

接舷された階段を少しずつ登り、ファルは船上の人になる。
黒く大きな船体が地平線になり、夕暮れとの境界で彼女は滲むようなオレンジ色に溶けて見えた。
長い髪が潮風に揺れてきらきらと輝き、その眩しさがロリアの視界を直撃する。
…その痛さを感じる以前から、ロリアは涙を止めることが出来ずに居た。

(姿が見えなくなるまで、泣かないって決めてたのに…!)

唇を噛んで必死に堪えるが、ファルの姿を見上げるだけで精一杯だった。
ボーーーーーーーーーッ。
再び汽笛が響き渡り、出航の時を迎える。

「ファルお姉ちゃーーーん!!」

アイネが汽笛に負けない大声で、叫んだ。
船が一瞬、ぐらりと揺れて…ゆっくり、ゆっくりとその船体を動かす。
ロリア達には計り知れない、未知の世界へと、姉を連れていくために。

「お姉ちゃん!ファルお姉ちゃーーーんッ!!」

アイネは船を追うように駆け出して、何度も、何度も姉の名を呼んだ。
ファルの表情はもう、はっきりとは判らなかったが…手を上げて、少しだけこちらに向かって振った。
それに向かってフリーテは、丁寧に一礼を返したが…ロリアは相変わらず、動けないままでいた。
船は次第に加速し…ついには港を出て、長い煙を吐きながら大海原へと飛び出していく。
桟橋の端まで走りきったアイネは、そのままその場に止まり…座り込んだ。
…ファルの姿は向きを変えた船体に隠れて、もう見えない。

「…うわ…うわぁーん…」

風に乗って、アイネの泣き声が小さく聞こえた瞬間、ロリアもついに堪えきれなくなった。

「お姉ちゃん…私…。
 私、これからどうやって生きていけばいいの…判らないよ…どうすればいいの…?」
「ろりあん…」

…つまるところ、ロリアがファルにここに居て欲しい思う本質は、この程度の自分勝手でしか無かった。
父、母、姉…自分が頼り、甘える事の出来る存在を全て失って、どうすればいいのか判らない。
ただ、そんな考えが子供じみてて、矮小な希望で、勝手な願いだと…。
ファルの決意などに到底及ばぬものだと、ロリアは理解していたからこそ、口に出せなかった。
しかしそれが今、現実の不安となって…堪えきれないままについ、言葉に出てしまった。

(これからの、生活…)

フリーテは小さく、今にも水平線に消えそうな船と、星の瞬き始めた空を見上げた。
エアリーの死、消息不明のラスター、ファルの旅立ち…。
突然訪れた激しい環境の変化に、ロリアは、アイネは、自分は…今まで通りの生き方でいられるのだろうか?
これは、ファルだけの旅立ちではなく、未知なる明日に向けての自分達全員の旅立ちではないのかと。
漠然とした予感に、フリーテは眩暈さえ覚えそうだった。
だが…。

(ファルセンティアさん、心配しないで下さい。
 ろりあんは、私が…守るから)

フリーテ自身、同じ誓いを何度したのかすら忘れた決意を、改めて心に刻んでいた。
そして、この時のロリアはまだ…現実とその先に希望を見出すより、悲観に暮れて涙するだけの小さく、弱い少女だった。


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