HyperLolia:InnocentHeart
−弓使い−
006:The Archer


初心者訓練場で行われる「訓練」は、それまで平凡に毎日を過ごしていた少年・少女達にとっては
過酷なものであったと言えるだろう。
だが、それは自分自身の命を脅かすもの達との戦いに必要な技術と知識であり、
ここで躓いていてはその後、激しい世界で生き抜いていくことなど出来ない。
事実、挫折した者が中途な覚悟で武器を手にし、冒険者を「気取る」事も多々あったが、
そういう者は大抵、悲惨な末路を遂げているのだった。

冒険者になろうという人間は概ね貧しく、幼く、何の力も無い少年少女なのだが、
それでも過去訓練生の70%以上が冒険者として輩出されているというのは、ある意味驚異的な数字である。
これはこの訓練機関が優れていると言うよりは、この世界での冒険者の位置付け、
そして改善されない王国の福利厚生政策の影響があった。

王国認可の冒険者は、正式にその身分が国王の名のもとに保障される。
これは年齢、性別、技量、出身などを問わず平等に承認されるものである。
また、冒険者として勲功を上げた時の賞金なども設定されているし、
能力を認められれば騎士団や親衛隊への編入も有り得るのである。
…それはそのまま、社会的弱者が成り上がるチャンスとも言えた。

そして、福利厚生政策の行き届かなさも冒険者増加の一途を辿る原因のひとつである。
例えば…魔物との戦いで親を無くした子への援助金は、数年で打ち切られる。
王国の財政が厳しいこともあり、近年さらに減額・期間短縮の動きがあるほどなのだが、
子供の実年齢に対する援助期間の幅の配慮などは設けられていない。
また、支払い対象もその子ではなく、国によって定められた代理扶養者へ渡される。
この制度が曲者で、普通は親族が受けるのだが、それすら居ない場合「家が隣である」などという
曖昧かつ勝手な理由で、ほぼ強制的に赤の他人に扶養責任が委託されてしまうのである。
助け合いと言えば美しいが、当然このような制度に従順な者が多いわけでもなく、
即座に孤児院へ投げ込んでしまったり、援助金だけをせしめて虐待に近い扱いをする、
「保護者」を自称する狡猾な大人が増える一方なのであった。

このような環境に追われた子供達は「援助の切れ目が縁の切れ目」であり、未熟で生活力の無い彼らは
夜盗、追いはぎ、物品荒し…犯罪者になる事でしか、生きていくことが出来なくなる。
それすら出来ない少年少女たちは、必然的に人身売買の道に踏み込む道しか残されていない。
そして、真人間としての自覚を忘れなかった者から、のたれ死んでいく世界。
…そこから抜け出す為のほぼ唯一の選択肢が、冒険者なのである。
近年、冒険者への登録年齢が満十四歳に引き下げられたのも、そういう世相を鑑みた施策ではあるが、
子供が命を賭けなくてはならない職に挑むのを、世間的に異議無く認めてしまっている事実こそが
この王国そのものの歪みを端的に現していると言える。

今日を生き抜き、ただ生の為に戦い、明日も生き続けようとする無言の主張。
そんな執念じみた気迫こそが、この訓練所の厳しいカリキュラムを耐えていく原動力であり、
逞しい冒険者へと成長する一歩となっていることは間違いない。


ロリアフリーテ、そしてミアンは過酷な訓練の日々を送ることになった。
冒険者としての基礎知識の習得から野外での生活法、短剣を使用した戦闘術などを
一通り終える頃には三週間が過ぎ去っていた。

それは全て定められたカリキュラムに沿っており、着いていけないものはそのまま置いていかれる。
訓練の厳しさ・複雑さに一緒にここへ来たフェイヨンの青年も、何人かは夜逃げした。
この孤島からどうやって逃げ出すのだろう、とロリア達は思ったものだが
噂では南の岬に小船が用意してあって、誰もが逃げることが出来るようになっているという。

「ここまで来て逃げるなんてね…情けないというか、何というか」

ミアンは思わせぶりな微笑みで、ロリアを見ながらそう言ったものである。

事実、ロリアは落第すれすれの所を、綱渡り状態で今日まで来ている…という感じだった。
訓練・夕食後、消灯までの短い時間にフリーテから訓練内容の復習を受けていたことで
要領の悪さをなんとかフォローし続けていた。
フリーテ自身もロリアと復習する事がそのまま訓練の理解度を増すことになり、
今では訓練生の中でもトップクラスの成績を収められるほどに「冒険者」らしくなってきた。
ミアンはただソツなく訓練をこなしながら、そんな二人を見ているだけだった。

そして、教育課程は最後に学科試験を行い終了。
この試験は内容のおさらい程度で、これで落第になるような難しいものではなかった。
それ以上に、ここまで着いてこれている…という事実、そのものの方が大きいのである。
さらに、一週間の戦闘訓練と職業に関するレクチャーが行われ、「訓練」の全行程が終了した。
最後に残されたのは実戦形式の戦闘試験。
これを切り抜ければ、晴れて冒険者を名乗る事が出来るのだ。

ロリアにしてみれば、ここまで来れた事だけでも上出来と言える。
自分一人で挑戦していたら、途中で挫折したかもしれない。
フリーテの励ましに支えられて、ミアンの意地悪い言葉に発奮して。
リーンファルがあまりにも簡単に「冒険者」の資格を獲得していたから、殊更に思う。
あの二人は、本当に凄かったのだ…と。

この日の早朝、ロリアと共に集められた冒険者候補生たちは、十八名。
そして、この訓練場の広大な「中庭」に設定された、南北に長い戦闘フィールドを切り抜ける事。
それが最終戦闘試験の内容だった。

直線距離だけなら、半日もかからず徒歩で踏破できるほどの広さ。
だが、この中には特殊に育てられ、攻撃性の高められたモンスター「ファブル」が大量に放たれている。
ファブルは今、外界で冒険者を生業にしている者たちにとってはほとんど雑魚扱いな程度のモンスターだが、
戦闘経験に浅い彼ら訓練生にとっては、未だ恐るるに値する存在である。
合格判定は簡単、日没までに北側の試験場門に到達すれば良し。
戦闘フィールド内で、どのような行動をしたかについては特に問われない。
ただ、示せば良いのである…冒険者としての自らの資質を、その結果として。

また、日没までに到達できなかった場合、あるいはモンスターとの戦闘により
続行不可能な状態となった時は今回の試験は不合格となるが、
翌日から毎日、以降合格するまで試験に再挑戦し続ける事が出来た。
傷ついた者でも、試験官を兼ねたプリーストの魔法によりその日のうちに全快できる。
ただし…これは既に遊びや訓練ではなく、実戦を兼ねた試験であるため、
モンスターとの戦闘内容によっては、魔法では治らないような重度の怪我や障害…。
あるいは、命を落とす可能性すら無いとは言い切れなかった。
その事全てに了承し、万一の時の遺体の送り先を書き込む書類を渡された時には、
ロリアはもちろん、フリーテやミアンも表情が強張ったのだった。


そして、開始された最終戦闘試験。

一日目。
フィールドの半分も進まないところで、ロリアがファブルの大群に囲まれた。
フリーテがこれを蹴散らすも、ロリアのダメージは大きく、回復を待つ間に日没で終了―。
ミアンは自分に襲い掛かる敵を捌きながら、遠巻きにその様子を見ていただけだった。
三人とも、不合格に終わる。

二日目。
好調に進むも途中で瀕死の訓練生に出会い、援護する為に戦闘状態に。
三人とも痛手を負いながらも、さらに前進するが間に合わず。
一緒に連れ帰った名も知らぬ訓練生はそのまま修練場職員に運ばれ、戻ってくる事は無かった。

三日目。
この、何度でも再挑戦できる…というシステムは、一見挑戦者に優しいように見えるが、
その実「毎日死闘を繰り広げさせられる」という厳しさがあった。
ずっと同じ場所で、まる一日戦い続ける…この状態から切り抜けるには、
「合格」するか、「諦める」か、どちらかしかない。
それも、早く結果を出さないと、いつか命すら落としかねない…。
ロリアはこの繰り返しの日々から逃れられない自分を思うと、背筋が寒くなるのだった。

そして、気付いていた。
もうフリーテもミアンも、独力で試験をパスできるだけの力がある事を。
そして…ミアンの真意はともかく、少なくともフリーテは自分を助けようとするが為だけに、
ここに留まり続けているという事を。

「ふーちゃん」
「…はい?」

だから、この三日目の試験の前に、ロリアは言った。

「今日は、別々の道を進んで行こ」
「…えっ?」
「ふーちゃんがずっと私の事助けてくれてたの、判ってたし、嬉しかった」
「………」
「でもね、こんな所で立ち止まってちゃいけないと思う。
 ふーちゃんは、既に冒険者としての力があるんだから」
「でも…!」
「私も…私も、誰かが助けてくれるって、甘えてちゃいけないの。
 こんな所で、甘えてちゃダメだから…!」
「ろりあん…」
「判ってくれるよね、ふーちゃん。
 今日は私に構わず、駆け抜けていいからね?」

フリーテは、力強いロリアの言葉に頷くしかなかった。
(ろりあんは、強くなりましたね…)
いくら母の死や、運命じみたアミュレットの存在を引き合いに出されても、
フリーテにとっては、闇雲に現状の変化を促したいロリアの言い訳にしか思えなかった。
だから、そんな根拠の無い理由で、ロリアが冒険者になるのは反対だったのだ。
一緒にフェイヨンを出てから一ヶ月、まだ町娘の面影が色濃く残る笑顔なのに、
こんなにも健気に、勇気を奮い立たせる言葉を口に出来る。
それは言葉だけの、強がりかもしれない。
しかし…たとえ強がりでも、押し通さなければならない瞬間があるだろう。
あての無い冒険の旅へ、ミッドガルドを出ると話した時のファルセンティアの瞳を思い出す。
今、目の当たりにするロリアの瞳には同じ、強い輝きがあった。
フリーテは今こそ、彼女が本当の冒険者として覚醒できるか否かの分岐点かもしれない…と思った。
自分の力で決断を下す瞬間には…他者の心遣いなど、邪魔以外の何者でもない。

「…無理はしないでくださいね」

フリーテは穏やかな笑顔で、そう言った。
どんなに不器用で時間がかかっても、冒険者になってここを出る日を待ち続けよう。
そして、自分は一足先に冒険者になって、より強くなって彼女を迎えよう―。
それもまたロリアの、そして自分の為になる事に違いないと、フリーテは思う。
…その様子を見ていたミアンは、肩をすくめて呟いた。

「あらあら、せっかくの盾を手放しちゃって本当に大丈夫なの?」
「私は、私の力で試験を切り抜けたいし、そうしなければいけないと思うから…。
 ミアンも、私の事助けようとしなくていいよ」
「私は一度もあなたを助けようなんて、思ったことないわよ」
「…そうだったね」

ミアンの不敵な笑みに、ロリアも負けじと笑顔で返した。
そして、戦場への門が開かれる。


この日のロリアの戦い振りは、今までにないくらい勇壮だったと言える。
それは、傍らにフリーテを欠いた事に対する反動でもあっただろうし、
冒険者になる…という事へ、今まさに本気で挑むべくして生まれた気迫でもあっただろう。

…だが、やはり力及ばなかった。
試験時間があと2、3時間あれば…あるいは突破できていたかもしれない。
しかし、ファブルの群れを素早く突破するには、まだ戦闘技術が未熟に過ぎた。
試験場宿舎に戻され、傷の治療を受けた後、ロリアは試験官にフリーテの事を聞いた。
…彼女は無事に試験をクリアし、剣士となるべくイズルードの剣士ギルドへ向かったと。

(さすがだな、ふーちゃん…)

そして、試験官からロリア宛ての、フリーテが書いた短い手紙を受け取った。
『冒険者ロリアを、イズルードの宿で待ちます。剣士フリーテより』
彼女らしい几帳面な字で、それだけ記してあった。

「随分な決心ねぇ、まだ剣士にもなってないってのに」

その手紙を背後から覗き見たミアンが、可笑しそうに笑いながら呟いた。

「ふーちゃんはなれるよ、強い剣士に」
「そうね…ま、そうとでも信じないと、冒険者なんてやってられないものね」

ミアンは今日も、まるでロリアに合わせるかのように試験に落第した。
その気になれば、いつでもクリアできるだけの実力を示しながら…である。
ロリアはそんな彼女の行動に、疑問を抱かざるを得なかった。

「ミアン、何故あなたは…私に付き合ってくれているの?」
「…そう見える?」
「うん。一人でももう、充分に突破できる力がミアンにはあると思う」
「あなたとの友情の為…というのはどうかしら」
「…嘘ばっかり」

ロリアはにこりと微笑んだ。
こういう時…いや、いつでもミアンは、本当の事を口にしてはくれないのだ。

「…そうね、悪いけど明日にはココを出ることにさせてもらうわ」
「うん、ミアンなら出来るよ」
「私は冒険者になって、早くやらなければならない事があるの」
「………」
「あなたも…ここで何もかも終わり、なんてみっともない事にならないでよ」

そう言うと、ミアンは小さく手を振って、自分の宿舎へ歩いていった。
(ミアンの、やらなければならない事か…)
親や兄弟を殺された親族たちは、「無能な将軍」の娘にも辛く当たった。
だが、ミアンこそ…一番悲しかったのではないか。
信頼し、敬愛しきっていたはずの父親に裏切られ、誰にも擁護してもらえず。
その後、かつての見る影もなく凋落していくばかりの父の姿を見せ付けられ、
名誉のかけらすら賭けられない、つまらない戦いで戦死して…。

およそ誰にもその死を、そして自分の境遇を悲しまれることもないまま、生きなければならなかった。
思うがままにその悲しみを吐露すれば、きっと同情は多く集められたに違いないのだ。
少なくともミアンが、失脚してからのミアンの父が、こんなに虐げられなけらばならない
理由など無かったのだ。

…だが、彼女は黙して、心の内を誰にも語らなかった。
むしろ、敵愾心で自分を覆って、人々を遠ざけた。
当時の友人たちは、そんなミアンに眉をひそめて離れていったが…。
ロリアは知っていた。
ミアンが父の墓参りをする度に、あの戦いでの戦没者たち全員の墓も見舞っていたことを。
父親の罪を背負った上で、自分に遺族の憤りを向けさせて…守ったのだ。
死後も尚、墜ちていきかねない父親の名誉を。
同い年の少女がそんな発想をする事に、それに気付いた当時のロリアでも驚いたものである。
そして、同時に…それほどまでに父を敬愛していたという事も、知ったのだ。

『…強いて言えば、名誉かしらね。
 高名な冒険者の世間に対する発言力は、そこらの富豪や諸侯の比じゃないもの。
 私は冒険者として名を上げて、お父様を切り捨てた事なかれ主義の王国軍を糾弾する。
 そして、お父様の名誉を取り戻すのよ!』

ロリアは、ミアンから冒険者に誘われた時の言葉を思い出した。
…父親の名誉を取り戻す為に。
それは、目的の是非はともかく…戦わなければならない理由として、非常に具体的だと思った。
では、自分はどうだろう?

『ふーちゃん…私、冒険者に挑戦してみようと思う。
 ミアンが言ってた、資格だけじゃなくて…本当の職業冒険者として、もっと世界を見て周って、
 そして、出来ることなら、私の力で助けられる人を全部助けたい。
 私が防ぐことの出来る悲劇なら、全部防ぎたい…今は本気で、そう思うの』

大雑把で、大仰で…まるで夢みたいな、漠然とした理想論。
あの時フリーテと話した時は、それはまるで自分の使命のように感じたが…。
今の自分が、口に出して許されるような事だったのだろうか。
それは…真に力のある、勇者のみが口にできるような言葉ではなかったのか。

「…私は、何の為に戦うつもりなんだろう」

胸元から、アミュレットを取り出す。
宿舎の小さな明かりに照らされて、蒼い光が震えるように揺れた。

…四日目の戦闘試験が、始まる。


「…?」

ロリアが意識を取り戻したとき、真っ先に目に映ったのは
ただ深く、大きく広がる空の蒼だった。

(あれ、私、どうしたんだろう…)

空ろに開いた目に、眩しい影が揺れた。
絹のように輝く金髪を掻き上げながら、蒼い二つの瞳が彼女を覗き込む。

「…目、覚めた?」

労わるでも軽蔑するでもない…ただ、つまらないものを見るかのような視線で
まっすぐ見下ろされたまま、その声は発せられた。

「み…ミアン…?」
「ふん、意識は戻ったようね」
「…わたし…っ、痛っ」

ロリアは身体を起そうとして、腕に走った鈍痛に顔を顰める。

「馬鹿ね。回復するまで寝てなさい」

ミアンは、肩を竦めながら彼女から離れた。
そして、木陰に腰を下ろし…もう一度ロリアを見ながらため息をついた。
(そっか、ここは…)
ロリアは痛みと共に、今、自分が何をしているのかを思い出した。

「まったく、あなたって人は学習能力ってものが無いのかしら」
「…で、でも、だんだんコツは掴め…痛っ」
「2回も3回もマグロみたいにゴロゴロ転がって、見てるほうが呆れるわよ」
「…はは…私、冒険者に向いてないのかも」

ロリアはゆっくりと上半身を起す。
冒険者ノービスクラス試験用に支給された服のあちこちが、破れていた。
あの緑色のイモ虫が、食いちぎった跡。
(これが手や足だったら…)
想像するだけで、思わず生唾を飲むような薄ら寒さに襲われる。

「…そうね、はっきり言って冒険者の才能は無いんでしょうね」
「あは…やっぱり、ミアンもそう思う?」

無理やり苦笑いしながら、ロリアは自分の弱さに涙が出そうだった。

自分なりに色々と策を講じ、考えてやっているつもりだった。
だが、あの敵…ファブルと対峙すると、手に持ったナイフが動かない。
生き物を殺すのが嫌だ、なんて理由ではない。
今までの、自分の平凡な生活の中に居た生き物とは何もかもが違いすぎるのだ。
大きさ、凶暴性、それが集団で襲ってくるという恐怖。
打ち立てたナイフの音、緑の血の匂い…。
自分が、今までとまったく違う世界に入り込んでいるような感覚。
そのまま抜け出せない、恐ろしい世界に自ら飛び込もうとしているのではないかと、
根拠の無い恐怖が躊躇を誘っていたのだった。

「しかしまぁ、想像以上の素質の無さね。
 剣の天才、リーンネートの妹とは思えないわ」
「…リーンお姉ちゃんは、私なんかとは全然違うから」
「そりゃそうよ。リーンネート並みの天才がホイホイ居たら、
 このミッドガルドの魔物なんて全部駆逐されてるわよ」
「………」
「私たちがいまさら、冒険者になんてなる必要が無いくらいに、ね」

そのミアンの言葉に、ロリアは唐突に思い出した。
(…私が、冒険者になる理由…)
きっかけは、半年前の…事件だった。
母の死から始まり…今までの人生の中でも、もっとも目まぐるしく変化した日々。
生死不明になった父、姉の旅立ち…謎のアミュレットとの出会い。
そんな中で、決心したはずだった。
力を手に入れようと。
誰かが危機に瀕しているとき、立ち向かって戦い、後悔することのない自分になろうと。

…だが、それはかくも現実的な戦闘の最中では、脆い理想に過ぎなかった。
自分は力、意気地、勇気…何もかも持ちあわせていない、という事に気付かされる。
今だって、飛び掛ってきたファブルに覆い被されて…。
(…!?)
と…その時、まだ無事な自分の姿に気付く。

「ミアン…私の事、助けてくれたの?」
「冗談言わないでよ、たまたまターゲットがこっちに向いただけ。
 ま、あなたみたいな木偶より、私の方が襲いがいがあるって事ね」
「………」

冗談めかして言っているが、確かに自分は助けられたのだ…。
本当なら、ここで試験終了になってしまってもおかしくなかった。

「ありがとう、ミアン…」
「………」

気まずそうに微笑むロリアに、ミアンは冷ややかな視線を返した。

「あなたは…何の為に戦うの?」
「えっ?」

唐突な質問に、ロリアは目を丸くした。

「それは…私が、助けられる人を…」
「そんなくだらない理想論は、前に聞いたわ…本気でそんな事思ってるの?」
「え…」

自分でも判っていたつもりだが、改めて他人にハッキリ言われると、
その思いの漠然さが浮き彫りになるようだった。

「あなた何様?どこの勇者様?
 …それとも、弓騎士ロンテの再来とでも言うつもり?」
「そんな、そんな事はないけど…」
「戦いは現実よ。そして、そこには現実的な利がなければ命を賭けることは出来ないわ。
 あなたは理想を食べて生きていくことが出来る、とでも言うの?」
「…ミアン…」
「私は、私の為に戦うわ。そして、冒険者として名を馳せた暁には、お父様の名誉を回復する」
「………」
「…この意味が判ってるの、ロリア…?」

ミアンの瞳が、一瞬妖しく輝いた。

「…お父様の名誉を回復する。
 それには、代わりに英雄になった人物を引きずり降ろさねばならないわ」
「…!?」

ロリアは一瞬、絶句した。
ミアンの父の失態のカムフラージュとして、英雄に仕立て上げられた人物…。
それは、紛れも無くロリアの父・ラスターの事だからだ。

「…でも、あなたの父は消息不明…。
 ならば、代わりに凋落する思いを味わってもらう誰かが、必要なのよ」
「み、ミアン…?」
「…ロリアーリュ、私はずっとあなたの事が嫌いだった。
 いつも純粋で、心の豊かさを見せ付けられて、誰からも愛されていて…幸せの中心にいつも居た。
 あまつさえ、私までその中に巻き込もうとして…」
「………」
「あなたのそういう、優しすぎる所…本当に大ッ嫌い。
 だから、あなたを冒険者に誘ったのよ。
 才能も実力も、あなたの今までの生活からかけ離れた場所へ、ね…」
「ミアン…あなたは…」

ロリアは悲しかった。
ミアンが最初から、そんなふうに自分を填めようとした事にでは、無い。
冒険者は結果的に自分の意志で決めたことで…それ自体は間違っていなかったと、今でも信じている。
ただ…ミアンは虐げられていた境遇に耐え続けられたほど、強くは無かったのだ。
それは鬱積して、いつか誰かに叩き返してやろうと…ただ、その一心で我慢を重ねていたのだとしたら。
ミアンは何と悲しい時間を過ごしつづけてきたのだろう、と。
そして、何故自分はそれに気付かなかったのだろう…と、ロリアは胸が張り裂けそうだった。

「そうして、あなたが冒険者の底辺でウロウロと死に掛けている間に…。
 私は名を馳せ、あなたたち一族の欺瞞をを暴くつもりだったけど」
「私たちの…欺瞞?」
「そうよ!
 私のお父様を捨てゴマにして成り上がった、あなたの父親を私は許さない!」
「それは違うわ、ミアン!
 お父さんはそんな事望んでいなかったし、あなたのお父さんの事も弁護してたわ!」
「…結果が伴わなければ、全て同罪よ。
 そうやって…私を犯罪者の娘のように扱った、あの街の人たち…!
 それでも優しくしてくれた、あなたとフリーテ…!
 みんな、大ッ嫌いなのよ!」
「………」

ミアンは怒気を孕んで言い切ると、深く息を吐いた。

「…これだけ言いたくて、今まで貴方に付き合っていたのよ。
 こういう二人っきりの時に、ね。
 だから、今日助けたのは恩に感じなくていいわ。私の用事だったのだから」
「………」
「あなたがこのまま挫折して、惨めにフェイヨンへ帰るのも別に構わないわ。
 でも…なれるものなら、冒険者になってみなさいよ?
 そして、せいぜい実践してみると良いんだわ…あなたの理想論をね。
 私は冒険者として、あなたと同じ所から始めて、そしてあなたを圧倒したいの。
 …無力に墜ちていくあなた、そのものを見たいのよ」
「ミアン…私の思っている事は、そんなに駄目かな…?」
「あなたに誰が救えると言うの…?
 誰も救えないという事を、これから死ぬほど味わうといいんだわ!
 綺麗事を平気で並べられる、あなたのそういう所…反吐が出そう。
 さて…これ以上話すのは時間の無駄ね。私はもう行くわ、ロリア」
「ミアン!私は…!」
「でも、ま…ここで短い人生を終えてしまうのも、それはそれであなたらしいかもね。
 寂しがり屋のあなたでも母親の場所へ行けると思えば、少しは苦痛も和らぐんじゃないの?」
「…ミアンッ!!」
「さようなら…もし冒険者になれたら、また何処かで会いましょ」
「待って!ミアンッ!!」

ロリアは叫んだが、ミアンは構わずに歩き始める。
まだ、全身を被う痛みに顔をしかめながら、立ち上がる。
息を整え、唾を飲み込む。
ミアンはもう、森の向こう…薄い霧の向こうへ、消えてしまった。

「私は…」

ロリアは泣きそうだった。
ずっと友達だと思ってたのは、自分だけかもしれない事に気付かされて。
彼女の苦しみに、気付くことができなくて。
自分達が、その歪んだ憎しみの標的にされている事に。
そして…自分自身の、戦う理由を否定されて。

「わかんない…わかんないよっ!ミアンッ!!」

ロリアは声を振り絞るように、叫んだ。

「だって…だって私っ…!
 戦ったことなんてないんだもんッ!!」

その音に反応するかのように…パキッ、と茂みの奥で音がした。

「何が悪いのっ!理想でも、夢みたいな事でもっ!
 その為に戦おうとするの、何で悪いのよっ!!」

ガサガサと迫る音は、一つ…二つ、三つと増えていく。

「そうだよ、私…寂しがりだから…もう嫌なのっ!
 これ以上、好きな人が…目の前で倒れていくの、嫌なんだからぁッ!!」

ばきんッ!!
背中へ飛び掛ってきたファブルを、逆手で持ったナイフで受け止める。
切り付けられたモンスターは、緑色の体液を撒き散らしながら地面を転がる。
衝撃で後ずさったロリアは、それでも身体を崩す事無く、ナイフを順手に持ち替えた。

「もう、お母さんみたいな可愛そうな人は見たくない…。
 ファルお姉ちゃんみたいな悲しみも欲しくない…。
 私は…私が全部、守るんだから…!」

跳ね飛ばされながらも攻撃意識を途切れさせず、素早く足元へ迫る緑の甲虫!

「くッ!」

だが、ロリアは慌てもせずにそれを足で踏みつけた。
身動きできず、もがく手負いのファブル。
今、目覚めたかのような動体視力が、自分の想像以上に身体を強く、激しく動かしていた。

「だから…だから、こんな所で立ち止まってられないんだからぁッ!」

ザウッ!
節の間…少しだけ開いた柔らかい部位に、ナイフが深く突き立てられた。
噴出すように溢れた体液で、ロリアの腕が、肘まで緑色に染まった。
そのまま、ナイフを抉る!

「く…ッ!」

ビク、ビクッと、何度か痙攣して…ついにモンスターは動かなくなった。
(殺した…)
ナイフを引き抜く。
不思議と、今まで感じていた恐怖心は消えていた。
(これが…これが戦い、なんだ…)
激しい戦意に、身を焼かれるような感触。
(そうか…私は今まで、知らなかった…理解しようと、しなかったのかもしれない…)
数匹のファブルが、ゆっくりと迫るのが見えた。
昨日は襲ってくるその姿に翻弄されて、ただ気が急いて慌てるばかりだったが…。
今はその敵意が、自分に向けられていることを明確に読み取る事が出来る。
(あれは…敵なんだ、って…)
冒険者とは、戦士である。モンスターは敵で、倒さねばならない。
当然のように判っている事だと、自分でも思っていた。
だが、それは実感として伴わなかったのだ。
母の仇…世界を脅かす存在…それは、どこか遠い災厄のようでもあり、物語の悪役のようでもあった。
今、フリーテもミアンも居なくなり、一人きりになったその時。
自分を守るのは自分しか居ないという現実を叩きつけられて、初めて目が醒める思いだった。

そして、彼女が否定したロリア自身の戦う理由。
どんなに絵空事と笑われようと、自分を突き動かした理由に恥じる気持ちは何も無い。
(そうか、これが…覚悟、なんだ)
今なら、ファルの気持ちが判ると思った。
自分が信じるものの為に、生死を厭わずに押し通す力。
それは冒険者とか、戦士だから必要な力という訳ではない。
人が人として生きていくために…誰にも必要であるべき強い思い、そのものだったのだ。

「私を…通してぇッ!」

一斉に飛び掛ってくるファブル、およそ五匹。
同時にダッシュ、一閃!
的確に群れの中心、その一匹を切り払ったロリアは、包囲の網を抜けた。
駆ける!
止まっていられないという思いが、身体を突き動かす。
箱入娘の中で眠っていた、かつての英雄の血が目覚めた…と言っては過言だろうか。
しかし、その体捌きと動体視力は、昨日のロリアとさえ比べ物にならない冴えを見せていた。
だが、元より…いくら最低の成績といえども、あの過酷な訓練を乗り越えて来たのだ。
素人に毛の生えた以上の身体の動かし方は、出来て当然だった。
今、恐怖を払拭し、覚悟を知り、そして自分の戦う理由を揺るぎなく信じる事で、
冒険者…「戦う側」の人間として、覚醒したと言える。

…しかし、ロリアは泣いていた。
泣きながら、戦いながら、走りながら…ずっと考えていた。
ミアンの事を。

(ミアンは自分に本気を出させるために、あんな事を言ったんじゃないのかな…)
(あの話が本当だとしたら、自分はミアンに謝らなければいけなかったのに)
(私は本当に友達だと思っていたし、今でもそう思っているんだよ…!)

まだ、彼女の真意は判らないから…もう一度会って、話をしなければ。
少なくともロリアはそう思う事で、ミアンの言葉の棘によって傷ついた心の痛みを和らげていた。


四日目、試験終了・六分前。
試験場北ゲートで、試験官達は溜息をついた。
本日、試験をクリアしたのはミアンシアという名の少女、たった一人。
他にも十二名の挑戦者が居たが…うち七人は既に敗退。
残りの五名はいまだ、森の中で生死が知れない。
前途ある若者達が、この本来生きていくのに必要の無い戦いに挑み、その中で死んでいくのを見るのは、
試験官達にとっても苦痛に感じる時間であった。
もっと別の生きる道もあるだろうに、と思う。
だが、他に生きる道が無いからこその冒険者であるとも思う。
この寒い時代に、まっとうな生き方をしようと思えば、ここを訪れるしか無いのだから。

試験終了まで、あと三分。
消息不明の者の探索の為に、幾人かのプリーストがゲートから現れた。
そのうち一人はあの、ロリア達をフェイヨンで迎えたレクジスだった。

「申し訳ありません、親衛隊の方に嫌な役目をお願いしてしまって…」
「いや、人手不足は承知しておりますよ」

レクジスは微笑を返したが、確かにこの役目は気分の良いものでは無かった。
ふと、今日の挑戦者リストに目を落とし、そこにロリアの名を見つける。

(ヴィエントの血筋の娘…駄目だったようですね。
 英雄の血を引くからと言って、その子孫もまた英雄とは限りませんか…。
 こんな時代でなければ、平凡な町娘のまま安息に暮らしていたのかもしれませんね…)

遠くを見るように、視線を投げた。
夕暮れに染まる、試験場の森。
折りしも吹き始めた微風に、揺れる木をレクジスは見詰め続けた。

「…?」

…木が揺れていたのではない。
人が、揺れていたのだ。
それはゆっくりと、しかし力強く、こちらへ向かってくる少女。

「…ほう」
「おいっ!一人、帰ってきたぞーっ!」

レクジスが小さく声を上げた時、試験官の一人が叫んだ。
ふらり、ふらりと揺れるその姿は弱々しくも、確実にこちらへと歩みを進めてくる。
支給されたノービスクラス用戦闘服も、あちこちが切れてボロボロだった。
装備していた簡易構造の胸当てすら、身に付けていない。
そして、その右手に抜き身のナイフを携えたまま、戦いの跡を色濃く残した少女は―。

泣いていた。
子供のように泣きじゃくりながら、こちらへと歩き続けていた。
ロリアーリュ・G・ヴィエントは試験終了三十秒前に、走破を達成した。

(ふむ…英雄の血が目覚めた、と言うには…)

レクジスは、心配そうな試験官に囲まれたロリアを見る。
べそをかき、数々の質問にしゃくりあげながら答える様は、未だ歳相応の少女の顔だった。

(…これも、貴女にとって一つの通過儀礼だったのかもしれませんね。
 古い何かを捨て去り、新しい何かを獲得する為に、人は心の陣痛を乗り越えていかねばならないのだから。
 今は、泣いても誰も咎める人は居ませんが…)

痛々しいその姿から視線を外し、一人静かに微笑むレクジス。

(…貴女の本当の痛みや苦しみは、明日から始まるのでしょう。
 ともかく…千年ぶりの大厄、その渦中へと進んでいくこの世界で…。
 今は、若き冒険者の誕生を祝福しておきましょう。
 シュトラウト卿には、面白い土産話になりそうですね―)

ロリアがその姿に気付く前に、レクジスは姿を消した。
大きな扉が閉じられ、今日という日の戦闘試験が終了する。
そして、ロリアは乗り越えた…「冒険者」へ至る、当面最大の壁を。


アーチャーに、なりたいです」

この訓練場での訓練過程を終えたものは、冒険者「ノービス」クラスとして認定される。
だが、それは本当に初歩的な冒険の為の知識と技術、そして地位を手に入れただけであり、
この後実際に「外界」で生きていくためには、より強力な力が必要不可欠になる。
その為に存在するのが各地の冒険者ギルドであり、ここに所属し技術を学ぶことで、
自分なりの特化された戦闘スタイルを確立する事は、冒険者として必定の過程と言えた。

訓練場では、最後にノービス達に今後の希望職を聞き、そのギルドが所在する街へ転送してくれる。
無論、これが最終決定という訳ではなく、あくまで希望職の統計を取る為だけの質問であったし、
転送も「卒業者」に対するサービスでしかない。

ロリアは訓練場所属プリーストの魔法によって、驚くほどの短時間で回復した。
支給された新しい装備を身に纏うと、たまたま通りがかった試験官を捕まえた。
聞いた話によると、ミアンは無事試験を終了…職業は「アーチャー」を選択し、
フェイヨンへと転送されたらしい。
この時、ロリアはまだ自分が何になるか…などとはまったく考えてなかった。
ただ目前の戦闘試験に無我夢中だったのである。

ヴィエント家の血統から行けば、今は軍人とは言え、元は騎士の位を持っていたという父・ラスター、
そして剣士として冒険者資格を持っていた姉・リーンとファル。
さらにフリーテも剣士となるつもりである事を考慮すれば…自分もそうなる事が、自然であるかもしれない。
だが…自分の心の中の何かが、違う…と声を発していた。
姉から剣を借りて、構えてみたこともある。
その不恰好さと才能の無さは、傍から見てたアイネの爆笑が聞こえなくても、自分でも理解できた。
剣に才が無い…これはロリアが長らく、そう「信じている」ひとつのコンプレックスでもあり、
自分がそう思っているうちは、例え訓練を重ねても向上する余地が無いように感じられた。
何より、リーンやファルの剣技を目の当たりにしている身には、
あの域に到達する自分がまったく想像できないのも、著しく挑戦する気を失わせた。
先の戦闘試験でも、接近戦の不器用さは身に染みている。
魔法を使いこなすような、頭脳の冴えも無い事も良く判っていた。

アーチャー。
弓を使い、遠距離攻撃により敵を寄せ付けずに倒す狩人。
一通りの職を省みても、ロリアはこれしかないと思った。
弓の技術はこれからだとしても、確かに彼女の動体視力と集中力に見合った職であり、
戦闘スタイルも、不慣れな接近戦の機会を減らせるというだけで有難い。
そして…ミアンが「アーチャー」を選択したことも、考えなしの事では無いのだろう。
(私は冒険者として、あなたと同じ所から始めて、そしてあなたを圧倒したいの…)
あの時の言葉が思い出される。
ミアンはロリアが結局の所アーチャーを選ぶと判っていて、自分も選択したのではないか。
これは、彼女からの無言の挑発でもあるのだろう。
だとしたら…ロリアも、そこから逃げるという選択は有り得なかった。
ミアンと同じ職、同じ土壌から始めて…それでも、自分の理想を追求してみせる。
同じ冒険者が他人を救い、世界を少しでも良い方向へ導けるような…そんな戦いが出来る事を、証明する。
それはまた、ミアンと分かり合えるようになる為にも、示さねばならない事だと思った。

弓騎士の英雄・ロンテが所持していたかもしれないアミュレットを、今その血を引く自分が持ち、
ついには冒険者として旅立ち、今まさにアーチャーを目指そうとしている。
因果な事だとは思ったが、ロリアの心に迷いもわだかまりも無かった。
(そう…このアミュレットが、私を導いているのかもしれない)
ロリアは最終試験官の前で顔を挙げて、もう一度大きな声で言った。

「私、アーチャーになります!」


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