HyperLolia:InnocentHeart
−仮面の騎士−
008:Behind the mask


「うーん…」

地平線から離れ始めた陽射しに熱されて、にわかに湿度の高まってきた森の空気。
蒸せるような草木の匂いと、それに混じってほのかに漂う芳香。
くぅ…と、小さく鳴った自分のお腹に急かされて、ロリアはようやく身体を起した。

「あ…いたた…」

昨夜、初めてにもかかわらず飲みすぎた、あのブドウ酒のせいであろう。
軽い頭痛を覚えながら、ゆっくりと周囲を見回す。

「お目覚めかね」

と―何故か、昨夜知り合ったはずの冒険者達三人は誰もおらず…。
代わりに、仮面を付けた騎士装束の男が一人…焚き木の向こう側で腰を下ろしながら、
湯気を上げる小さな鍋をかき回していた。

「!…だっ、だ、だだ、誰ですかっ!」

見知らぬ姿に、思わず飛び跳ねて後ずさるロリア。
だが…騎士は焦る様子も無く、鍋の中身を小さな器に取り、味見をしながら何やら頷いている。
そして、もう一つ同じ器を取り出すと…そのスープを大量に盛り付け、ロリアに差し出した。

「…とりあえず、朝食にしようじゃないか。
 お腹が空いているだろう?」

仮面のせいで表情は判りにくいが、その口元は微笑を湛えていた。
さっき、小さくお腹が鳴いたのを聞かれたのかと思い、ロリアの頬がぽっと朱に染まる。

「あの、そのっ…あ、あなたは誰なんですか?
 エディさんや、サスキードさん達はどうしたんですか!?」
「それも順を追って話そう。
 私は…オリオール、とでも呼んでくれ。ご覧の通り、自由騎士だ」
「………」

ロリアはまだ訝しげに思いながらも、ゆっくりと元の場所に戻って座る。
この騎士が何者なのかは判らないが、自分に何か危害を加えようとする者なら
寝ている間にどうとでも好きなように出来たはず…と思う。
そして、少なくとも昨夜何かがあったこと、それによってエディ達が消えたこと。
事情を知っているのなら聞かねばならないだろうと、腹を決めた。

「食べたまえ、我ながら美味く出来たと思う」
「え…」

と、つい差し出された器を受け取ってしまうロリア。
その具沢山なスープは何かの肉もふんだんに入っており、ここ数日粗末な食事を強いられてきた
彼女の食欲をそそるには充分なものだった。
オリオール…と名乗った騎士は、まず自分からそれを食べて見せ、中身の安全を保障するかのように
優しく微笑んで見せた。
それを合図にするかのように、ロリアも手元のスープに口をつける。

「おいしい…!」

無意識にそう呟いてしまうくらい、最近の食生活の貧しさにはロリア自身、辟易していた。
また、彼の料理の腕も確かなものなのだろう。
ロリアは目の前に男性が居る事も忘れて、夢中でそれを口に運んだ。
オリオールはただ微笑のまま、その姿を見詰めていた。



「はぁ…ごちそうさまでした…」

満足げなロリアがおずおずと器を返す頃には、小さな鍋はからっぽになっていた。
今の今まで緊張感が薄れていたロリアは、ふと…今更ながら、目の前の騎士がまだ正体不明の
謎の人物だという事に、思い当たる。

「あ、あのっ…!」
「これも飲んでおきたまえ」

口を開きかけたロリアの方へ、袋から出された何かが放り投げられる。
慌ててキャッチしたそれは、一本のミルクだった。

「酒臭い娘がやって来たら、アーチャーギルドの者もあまり良い気はすまい。
 ミルクにはその匂いを消す効果もある」
「え…ど、どうして、私がアーチャー志望だって…?」
「…この界隈で山ほど木屑を集めているノービスクラスの冒険者と言ったら、
 アーチャー転職を目指している者しか居ないだろう。
 その収集量を見ると、もう転職試験に合格するだけは集まっているようだが」
「は、はぁ…」

言われてみれば、その通りだった。
ただ、もう合格量まで集まっているなんて事は、ロリア自身も判っている。
道が判らなくて、この森から出れずにいるだけだ。

「…それと、だ」

不意に、オリオールは何か言いづらそうにしながら、ロリアから視線を背ける。

「何か着替えを持っているなら、今のうちに着替えた方が良いな。
 その格好で人目の多いところを歩くのは、ちと周囲への刺激が強すぎるだろう」
「え?」

…と、ロリアは今頃になって、自分の服がおかしい事に気付く。
ノービス服の襟元が大きく引き裂かれて、下着に包まれた胸が今にも露になりそうだった。

「きゃぁぁっ!?な、何で!?」
「…言っておくが、私が何かした訳では無い」
「じゃ、じゃあ誰がっ…!」

言いかけて、はたと昨夜の事を思い出す。
…記憶が無くなる寸前、サスキード達が何かおかしな様子だった。

「もしかして、昨夜…?」
「それも説明する。着替えは無いのか?」
「…用意して、ないです」

ふぅ…とオリオールは溜息をつきながら、自分の大きなサックの中を探ると
一着のマフラーを取り出してロリアに投げた。

「胸当ての上からそれを羽織れば、人目にはそれと判らないだろう。
 アーチャーギルドで服を支給されるまで、我慢するのだな」
「あ、ありがとう…ございます…」

ロリアはいそいそとマフラーを羽織り、首元の止め紐を結ぶ。
そして、彼女が落ち着いた頃を見計らって、オリオールは昨夜の顛末を話し始めた。

サスキード達は、自分から『ある物』を盗んで逃走中だった事。
夜中に森の中へ逃げ込んでしまい、朝方まで休息を取ろうとしていた最中、
たまたまロリアのキャンプを見つけたであろう事。
そしてロリアへ乱暴を働こうとした寸前、徒歩で追いかけてきた自分が追いついた事。
彼らは同行していたノービスを人質に、逃げていった事…。

「そんな…悪い人たちには、見えなかったのに…」
「こんな時代だ…人を信じるのは、それだけで美徳かもしれない。
 だが、見極める目を持つことも冒険者には必要だ、という事を覚えておくのだな」
「………」

(…今の世界は魔物が人を脅かし、日々犠牲者が生まれている大変な時なのに。
 それでも人が人を謀いたり、傷つけようとするなんて…!)

受け入れ難い現実にロリアはただ俯いて、心の痛みに耐える。
オリオールはその様子を見ながらも、それ以上言葉を発しようとはしなかった。

「あ、あのっ…」

数分の後、ロリアはゆっくり顔を上げた。

「私の事、助けてくれたんですよね…ありがとうございます、騎士様」
「礼などこそばゆい。偶然の事と思ってくれて構わんよ」
「いえ、本当に…もし騎士様が来てくれなかったら、私今頃どうなってたか…」

口元に微笑を浮かべながら、オリオールはこの娘の素直さを好ましく思った。

「それより、君の事を聞きたいものだな」
「…私、ですか?」
「失礼だが、私はまだ君の名前も知らないのでな」
「あ…!」

名乗っていないことに今更気付かされて、ロリアは恥ずかしそうに頬を染めた。

「わ、私…ロリアーリュ・ヴィエントと申します。
 ロリア、と呼んで下さって構いません」
「そう呼ばせて貰うよ、ロリア」
「は、はいっ!」

一転、嬉しそうな笑顔で頷いたロリアに同じく微笑で返すオリオール。

(なるほど…冒険者になるほどの活発さは、アイネリアかと思ったが…。
 まさか彼女がロリアーリュとはな)

心の中で一人、そう呟く。
そして、ロリアは今までの自分の事を話した。
冒険者を志すことになった経緯から、今日に至るまでの事を。

(ふむ…ファルセンティアが旅立った後か…誰も知らない訳だ。
 まさかそのような形でアズライト・フォーチュンの封印を解くとは…)

「これが、そのアミュレットなんです」

ロリアが胸元から取り出した、古い護符。
藍と金の紋章、その中に蒼く輝く鉱石。

(…やはり、エンペリウムが胎動している。
 封印は解けているようだが…契約の儀式は結べなかったはずだ。
 それでも、エンペリウムは彼女をマスターと認めたのか…?)

「…それはきっと、君を守ってくれる護符だと思う。
 大切にする事だ」
「はいっ、もちろんです!」

慈しむように護符を見詰めた後、ロリアはそれを胸元へ仕舞う。
オリオールはその様子を黙って見詰めながら、今度は自分から話を切り出した。

「ところでロリア、君はこれからアーチャーギルドに向かって転職を済ませるのだろう?」
「は、はい…一応、そのつもりです」
「うむ…」

と…オリオールは一瞬、考えるような仕草を見せて。

「…どうだろう、これも何かの縁だ。
 君の冒険の旅に、しばらく私も付き合わせてくれないだろうか?」
「え…ええっ!?」

突然の申し出に、ロリアは驚きを隠せない。

「私は先達の冒険者として、知識や経験を君に教える事が出来るし、
 万一危険すぎる魔物に出会ったときは、多少は守りの盾にもなるだろう。
 もし、私の存在が必要ないと感じたのなら、いつでもそう言って貰って構わない。
 …どうだろうか?」
「え…えっと…いきなり、そんな事言われても…」

困り顔のまま、何度も首をかしげるロリア。

「…もちろん、騎士様がご一緒して下さるなら嬉しいし、心強いです。
 でも、私の連れが何て言うか…あっ、さっき話したフリーテって友達なんですけど、
 今、イズルードで待っていてくれてるはずなんです」
「では…その彼女が私の同行を拒否したら、そこで別れる事にしよう。
 それまでは付き合わせて貰って、構わないだろうか?」 
「はい…で、でも…」

と、ロリアはそれでも複雑な表情を崩さない。

「…私が不審だという君の気持ちは判るが…」
「いっ、いえっ!そんな事は思ってません!
 その覆面だって怪しいけど、その、騎士様はいい人だしっ…」

口に出してから、ロリアはしまったという顔をするが、
オリオールは可笑しそうに笑っていた。

「覆面、とはな…せめて仮面と言って欲しいものだ」
「えぅ?…ご、ごめんなさい」

思ったのと微妙に論点が違うようなオリオールの台詞だが、
ロリアは彼の楽しげな様子に、少しだけ心が楽になったような気がした。

「…私、冒険者になりたてで、弱いし、きっと騎士様の足手まといになるし…。
 後で困らせてしまうくらいだったら、今別れた方が…」
「…君は苦労性なのだな」
「え?」
「最初から強く、共に戦うものの足手まといにならず、誰も困らせない。
 そんな冒険者がこの世に存在するだろうか?」
「そ、それはそうですけど…」
「初心者は、経験者に従って学ぶことも重要だ。
 もし、その過程で失敗してしまってもそれは今後の糧になる。
 君が恐れている事は、本来恐れてはいけない事だ」
「…そう、でしょうか」
「私に迷惑をかけるとか、そういう考え方をする必要はない。
 共に冒険をする者…パーティを組む者同士なら、助け合いは必然だ。
 君が未熟だから…といっても、何かしらの事できっと私の助けになる。
 また、そういう気持ちでいる事の方が重要なのだ」

そう言われると、何か自分の考え方が恥ずかしいような気になってくる。
…ただ、ロリアは今日まで人と共闘した経験など無い。
自分が冒険者という自覚もまだ薄く、オリオールのようないかにも冒険者な風格の者と
共にある事に、違和感を感ぜずにはいられなかった。
それに、まだ不明瞭な事がある…オリオールがそう切り出してきた、動機。

「…騎士様は、それで何か得るものがあるのでしょうか」
「得るもの、とは?」
「私なんかに付き合って、その…つまらないというか、退屈したり…。
 きっと、面白くない冒険になりますよ…」
「ふむ…」

たどたどしく話すロリアに、オリオールはゆっくりと口を開いた。

「冒険というのは…何も強い敵を求めたり、日々興奮の最中にある事を言うわけではない。
 私は人との触れ合い、繋がり合いというものも一つの財産だと思っている。
 …しばらく、自由騎士として諸地方を渡り歩き、様々な人と知り合った。
 それは楽しい関係を構築もしたし、また…心に暗い影を落とす出会いもあった」

こくこく、と頷くロリア。

「色々あって、最近は一人で行動することが多かったのだが…。
 先日、プロンテラ騎士団から一通の手紙を貰った。
 一度騎士団に戻り、将来有望な若手を立派な騎士として育てるために
 監察役のようなものを務めてみないか、という話だった。
 初心者と共に行動することは、自らの冒険者としての力量を見直す事にもなる。
 この話を受ける、受けないはともかく、一度騎士団に戻ろうと旅をしていたのだが…。
 …あの盗賊どものおかげで、首都に寄る暇も無くこんな所まで来てしまったしな。
 そんな事を思っていた自分と、君という冒険者志願の娘と、
 このような場所で、こんな形で出会うのも何かの縁ではないかと思ったのだ。
 …こんな理由では、不満かね?」
「い、いえっ、不満なんてとんでもないです」

ぶんぶん、と首を振る。
と、オリオールは今思い出したかのように、言葉を付け加えた。

「…それに、君はどうも見ていて危なっかしいのでな。
 なんとなく、目を離せない気にさせられる」
「はぅっ…そんな頼りなく見えますか、私…」

笑い混じりのオリオールの言葉だが、ロリアはフリーテに言われているような気がして
人にそう思わせる自分を情けなく感じた。

「さて…とりあえず、君の友人…フリーテと言ったかな?
 彼女に会うまでは同行させて貰う、という事で良いだろうか」
「は、はい…判りました。
 よろしくお願いします、騎士様」

見ず知らずの自分に何故そこまで優しくしてくれるのか、未だロリアは判りかねていた。
だが、これも好意と思えば、無下に断れるような性格の彼女ではない。
それ以上に、やはり力も経験も足りない自分にとって、彼のような騎士が同伴してくれるのは
とても嬉しく、心強い事だった。

「騎士様、というのは少々こそばゆいな。オリオールと呼んでくれて構わんよ」
「判りました、オリオールさん」
「…それでいい。
 では、早速出掛ける準備をしようか…来い、エクセリオン

彼が短く指笛を吹くと、がさがさと木々を揺らしながら一頭のペコペコが現れた。
その手で優しく頭を撫でると、嬉しそうに首を揺らす。

「一緒に各地を旅している。名前はエクセリオンだ」

ロリアは恐る恐る、そのペコペコに近づく。
くりくりと丸い瞳がじっと自分を見詰めていて、何だか気恥ずかしい。

「よ、よろしくね、エクセリオン…」

そっと手を出して、優しく頭を撫でる。
エクセリオンはしばらく、されるがままに撫でられていた…かと思うと、
急に首を持ち上げて大きなくちばしを開くと、ロリアの頬をその巨大な下でべろん…と舐めた。

「きゃっ!」
「ははは、彼も君の事が気に入ったようだ」

かくして、二人はこのフェイヨン南西の森で出会い、行動を共にする事になった。



五時間後、二人はアーチャーギルドの待合室にいた。
さんざん道に迷ったロリアだったが、オリオールの案内で簡単に森を抜けることが出来た。
道が北と西にしかないのではなく、一旦西に向かってから南に大きく回りこむようにして行く
やや、判りにくいルートが存在していたのだ。
道が開けてからはロリアもエクセリオンに乗せて貰い、歩くよりはるかに早いスピードで
フェイヨン郊外、ここアーチャーギルドまで来ることが出来た。

試験結果は、充分合格。
今は登録書類関係が用意されるのと、支給装備が揃うのを二人して待っているところだった。
暇を持て余したという訳ではないのだが、ロリアはオリオールに話を切り出した。

「あの、オリオールさん」
「何だね?」
「ふたつ、聞きたいことがあるんですけど…いいですか?」
「構わんよ」

少し…考えるように合間を空けてから、再び口を開く。

「昨夜の事ですけど…あの、聞いた話だと、
 エディ君はサスキードさん達の人質…みたいな形で、連れ去られちゃったんですよね」
「そうなるな」
「…大丈夫でしょうか、エディ君」
「………」

(ほんの数時間しか会ったことのない人間を心配するとは…。
 もはや自分が襲われた事より、そちらの方が気掛かりとはな)

オリオールはそんなロリアに、思わず苦笑する。

「?」
「いや、失礼…彼らはあくまで、私から逃げる為だけにあの少年を盾にした。
 上手く逃げ切った後から殺すような事はしないだろう。
 また、私に顔を知られている以上、殺害した少年が見つかれば真っ先に疑われる。
 この際、私以外の追跡者を増やすような真似はすまい」
「そうですか…」
「ただし…彼らとしても、足手まといになる少年を連れたまま逃げはしないだろう。
 もし途中で解放されていたとしたら…あの夜の森で、迷っていないか心配ではあるな。
 あまり南下していないと良いのだが」
「………」

結局、今の段階ではその消息すら掴むことが出来ない。
だが、サスキード達の手でエディが殺されるような事は無い…そう聞けただけでも、
ロリアは不安の種がひとつ、薄らいだような気がした。

「…もうひとつは何だね?」
「え?えーと…その…」

先に質問を促されて、何故かロリアはしどろもどろになる。
オリオールが怪訝にその様子を見ていると、その彼を見詰めながら彼女は呟くように言った。

「…その仮面は、外さないのかなぁーって…」
「む?…これか」
「はい、その…屋内では外すのかなって思ったら、着けっぱなしだから…」
「…この仮面は、滅多な事では外さないのだ。
 私の顔には君のような少女には見せられない、醜い傷がある…。
 それを直に見られることは、私には恥ずかしく思えることなのでな。すまないな」
「あっ!いえ…すみません、何も知らずに勝手な事を言って…!」

ロリアは申し訳なさそうに弱った顔を、何度も下げて謝る。

「それより、ギルド員が呼んでいる。
 早く転職を済ませてきたまえ…友人が待っているのだろう?」
「えっ!あ、はいっ!」

いつのまにか認可の用意が終わったらしく、ギルド員がしきりにロリアの名を呼んでいる。
ちょっと行ってきます、と言い残すと慌ててそちらへ駆け出した。

(まったく…見ていて飽きない少女だな)

呆れるような溜息をつきながらも、微笑でロリアを見送るオリオール。

(とりあえず…だ。
 アズライト・フォーチュンの発動がどのような方向へ進むか、見極めねばならないな。
 …いずれ、アルビオンの連中にも気付かれる事だろう。
 奴らがどのような手を打ってくるかは、まだ予測がつかないが…。
 いずれにしても…彼女を、自力で紋章を守れるだけの戦士にしなくてはなるまい…)

オリオールは剣を抜く。
幅の広い、厚みのある両刃を湛えたブロードソード
七度の精錬を行い、特殊な魔力をも封じ込めてある業物である。
そして、その柄には…白銀の剣を模った紋章が、埋め込まれていた。

(まさか、あんな賊どもにロスト・エンブレムを盗まれるとはな…。
 アレの価値に気付くのは、高位の僧侶か親衛隊の幹部でもなければ無理となれば、
 このままどこかで朽ちてくれれば有難いが…。
 やはり、あの場で連中を斬るべきだったか…?)

いや、と首を振る。
剣を鞘に収め、静かに目を閉じた。

(それでは、奴らと同じだ…。
 …とは言え、不測の事態が重なって本来の任務から離れねばならぬ事は報告し、
 代わりに誰か別のものに奪還任務を頼まねばなるまい…)

「オリオールさーん!」

…と、思索を巡らせていたオリオールの頭の中に、能天気な声が響き渡った。
喜色満面、小走りで近づいてくるロリアの姿にはあのボロボロのノービス服が消え、
目にも鮮やかな、真新しいブルーの狩猟服に包まれていた。

「お待たせしましたっ!新しい服、どうですか?」
「うむ、大変良く似合っている。ともあれ、転職おめでとう」
「はい!ありがとうございますっ!」

喜びながら、その場でくるくる回り、ぴょんぴょん跳ねる。
胸当てに押し込まれた二つの膨らみが、窮屈そうに揺れる。
それを指摘すると、変に気にして戦闘時の動きがぎこちなくなりかねないと思い、
オリオールは敢えて黙っておくことにした。

「あっ…とと、こりゃやばい… 」

…と、急にロリアはうずくまるようにして、スカートを抑える。

「どうしたのだ?」
「あ、あはは…この服、タイトなくせに短すぎるから…。
 激しく動くと、めくれちゃったりなんかしたりして」

頬を染めながら、苦笑いのロリア。
オリオールは流石に『君のお尻が大きすぎるのだ』などと冗談も言えず、
軽い溜息をついて彼女の羞恥心を受け流すことにした。

「アーチャーとは、激しく動き回って戦うものではない。
 獲物を狙う目と、確実に当てる技量が何よりも大切なのだ。
 その服が激しく動きづらいのも、そういうアーチャーの戦闘姿勢を矯正する効果がある。
 最初は慣れないだろうが、頑張るのだな」
「は、はい!
 あ、それと…」

頷いた後、ロリアはオリオールに、先ほどまで借りていたマフラーを差し出した。

「これ、ありがとうございました」
「いや…私にはご覧のマントがあるのでね。
 君さえ良ければ、使って貰っていて構わないが」
「え?でも…」
「元より安物だ、遠慮するような代物ではない。使いたまえ」
「そうですか…それじゃ、もう暫くお借りしますねっ」

ロリアはにっこりと笑うと、再びマフラーを羽織って首元の止め紐を結ぶ。
その最中にオリオールは自分の荷物から何かを取り出すと、それをロリアの頭の上に載せた。

「わ!な、何ですか?」
「転職祝いだ。こんなものしか無くて、申し訳ないが」

ロリアは頭からそれを手に取って見る。
それは、青と白のツートーンに色分けされた、丸くて小さい帽子だった。

「わぁっ、可愛い!」
「以前、北の方で冒険した時に入手したものだ。
 私にはどうも似合わなくてな…君ならぴったりだろう」
「はい!すごく嬉しいですっ!
 ありがとう、オリオールさん!」

ロリアは嬉しそうに笑いながら、丸い帽子をキュッとかぶり直す。
手にはギルドから貰った弓と矢、腰にはナイフ。
荷物を入れたサックを背に、見た目だけは立派な冒険者だった。

「それでは、早速イズルードのふーちゃんと合流しましょう」
「…ふーちゃん…?初めて聞く名だが?」
「あ、すみません…フリーテって娘の事です。
 私はいつも、ふーちゃんって呼んでるからつい」
「ならば、先にギルドに問い合わせてみたらどうだろうか?
 彼女が最後にギルドに立ち寄った日、それにメッセージなどが残されていれば
 すぐに調べて教えてくれるはずだ。
 宿を変更したり、不測の事態に陥っている可能性もある」
「そ、それもそうですね。
 …私、初心者訓練場を出てから一回も問い合わせてなかったっけ」

ロリアは慌てて、アーチャーギルドの情報サービスカウンターへ向かう。
その間、オリオールはギルドの外に出て、エクセリオンに餌を与えつつ
自らも遅い昼食を口にするのだった。
しかし…十分も経たないうちに、ロリアは凄い剣幕でギルドから飛び出してきた。

「オ、オリオールさん!大変ですっ!!」
「ぐほっ!」

いきなり大声で声を掛けられて、飲みかけのバナナジュースを吹き出しそうになるオリオール。
エクセリオンもきょとんとした目で、ロリアを見る。

「ど、どうした…」
「ふーちゃんが、もうイズルードを出るって!
 行き違いになっちゃうかも…!!」

ロリアの手から通信記録を受け取り、ざっと目を通す。
それは毎日のようにロリアの所在を、剣士ギルドから照会している内容であり、
フリーテという少女がいかに彼女の心配をしていたかを現していた。
そして、その記録の最後。
本日付けでイズルードを出立し、ロリアと合流する為に陸路でフェイヨンへ向かう…。
そう記されていた。

「どうしようオリオールさん!陸路なんて言っても、たくさん経路があるし…!」
「…落ち着きたまえ、ロリア」

取り乱しかねないロリアの両肩に、抑えるように手を置くオリオール。

「本日出立という事は、まだイズルードに居る可能性だってある。
 また、追跡するにしてもイズルードからの方がやりやすいだろう。
 大丈夫、彼女とは合流できる。慌てる必要は無い」
「え?で、でも、どうやって…」
「私に任せたまえ…とりあえず、急ぐぞ」

樹に縛った手綱を解き、ひらりとエクセリオンに跨る。

「掴まれ、飛ばすぞ」
「はいっ!」

オリオールが伸ばした手に、力強く捕まるロリア。
座る暇も無く走り出したエクセリオンに、振り落とされないようにしながらも
ただ、フリーテがまだイズルードに居るように…と、祈るしかないのだった。



宿の窓から、海を見ていた。
ここ二週間近く、ずっと見ていた海。
西に沈む太陽の光を浴びて、オレンジ色に輝いている。

「…そろそろ、行かなくちゃ」

フリーテは自分に言い聞かせるようにそう呟き、荷物と装備一式を揃えて立ち上がった。
居心地が良くなって来た部屋を出て、階段を下りる。

「おや、嬢ちゃん。
 こんな時間に出立かい」

気のいい宿の女主人が、少し驚き顔でそう言う。

「はい。
 明日はフェイヨンの森に入るので、今夜はその手前まで進んでキャンプしようかと」
「なら、群島地帯がいいかもねぇ。
 砂漠に近いと、夜は急激に冷え込むよ」
「はい、そうするつもりです」

にこっと笑うフリーテとは対照的に、女主人は肩をすくめて溜息をついた。

「結局来なかったわねえ、あんたの待ち人…」
「…きっと、何か事情があったんだと思います。
 ただ待つだけだった、私もいけないんです」
「こんな健気な娘を待たせっぱなしにするなんて、なんて男だろうねぇ!」

女主人のセリフに、フリーテはぎょっとする。

「あ、あの、男性の方だなんて一言も言ってませんけど!」
「おや、そうだったかい?
 あんたみたいな器量良しだったら、冒険者なんてやらなくても
 立派な旦那さんを捕まえられそうだけどねえ」
「か、からかわないでください」

大声で笑う、女主人。
時に殺伐としかねない、初めての冒険者生活の中でこういう主人の居る宿に泊まれたことは
フリーテにとって、非常に幸運な事だったのだ…と思えるのだった。

「それでは、私行きますね」
「ああ、また元気な顔を見せに来ておくれ。
 旅の無事を祈ってるよ!」
「はい、ありがとうございます」

フリーテがお辞儀をしながら、手をドアノブにかけ、
今にも宿を出ようとしたその瞬間だった。

バンッ!!

「!?」

ドアが猛烈な勢いで開き、それを予測していなかったフリーテは…横薙ぎに吹っ飛ばされる。

どしゃーん!!

そのまま、積み上げられた小麦の袋の山に、頭から飛び込んだ。
まるで竜巻が舞い込んできたかのような衝撃に、女主人は目を丸くして動けない。
そして…竜巻の発生源は、そのまま女主人に近づいて、噛み付くように口を開いた。

「あのっ!ふーちゃんは!ふーちゃんはもう出てしまいましたかッ!!」
「…え?ふー…?」
「あ…剣士の、フリーテ・エルシュタインって娘が、ここに泊まってたはずです!
 今日出立するって聞いて、急いで来たんですっ!
 もう出てしまいましたか!?どこへ行くって言ってました!?」
「………」

女主人は、その勢いに飲まれたかのようにパクパクと、声にならない声を上げながら
すっ、と指を後ろの方に向けた。

「…大丈夫かね」

オリオールが、ふらふらと揺れながら盛大に小麦を撒き散らす『それ』に手を伸ばす。

「は…はひ…」

頭を抑えながら、ゆっくりと煙の中から現れた姿は…。

「ふ、ふーちゃん!?」
「…ろ…ろりあん?」

ロリアが見た、真っ白になった剣士装束の娘は、確かにフリーテだった。
フリーテが見た、青い狩猟服の娘は、確かにロリアだった。

「ふーちゃんっ!」

粉が付くのも構わずに、ロリアはフリーテに抱きつく。

「ごめんね…私、また心配掛けてたよね。
 連絡しないで、こんなに遅くなって…待たせちゃって、ごめんね…!」
「いいえ…私こそ、謝らなければなりません。
 ろりあんなら絶対、アーチャーになってここに来るって、信じてたのに…。
 私、我慢できなくなって…!」
「ううん、私が悪いの。
 実際、色々大変な目に遭いそうになって…。
 今だってね、オリオールさんが居なかったらきっと、入れ違いになってた」
「…オリオールさん?」

フリーテが顔を上げる。
仮面の騎士が口元に微笑を湛えて、二人を見下ろしていた。

「…オリオールと呼んでくれ。見たとおり、自由騎士だ」
「この方は、一体?」
「フェイヨンの森で知り合ってね。
 色々、助けて貰ったんだよ、それでね…」
「その前にだ、二人共…」

ロリアの口を制して、オリオールは首を振る。

「…幸いここは宿だ、一度シャワーでも浴びてきたらどうかね?」

言われて二人は、自分たちの姿を見回す。
フリーテが頭から突っ込んだ小麦粉で、全身真っ白粉だらけになっていた。

「うわっ、何これ!?
 ど、どうしてこんな事になってるのー!?」

ロリアの驚きの声に…フリーテも、オリオールも、女主人も揃って脱力の溜息を漏らした。



結局、フリーテが今日出立するはずだった部屋を再度借りることになり、
ロリアは久しぶりのシャワーとそれなりに豪華な夕食を堪能し、生き返ったようにご機嫌だった。
…女主人は二人の再会の様子に、潰された小麦粉の代金を請求するかどうか迷っていたが、
こちらはオリオールが内緒で弁償し、事無きを得た。

そして、ロリアは連絡を忘れたことを謝りながら、今日までの経緯を話す。
アーチャーに転職してから、なんとかここイズルードへ間に合ったのは
オリオールが代金を負担したカプラサービスのワープポータルのお陰であった。
当然、ロリアにはそんなものを利用するほど所持金が無く、
オリオールが負担するという話も必死で断ろうとしたのだが、最後は諭されるようにして
ポータルに飛び込んだ…という事だった。
フリーテは全てを聞き終わると、はぁ…と深い溜息をついた。

「大変だったんですねぇ…」
「うん…大変だったよ」
「まさか、魔物じゃなくて人間に襲われそうになるなんて…」

呟くようにそう言うと、きっと顔を上げ、凛々しい表情で頷く。

「でも、もう大丈夫です!
 これからはろりあんの事は、私が守りますから!」
「あはは…ありがとう、ふーちゃん。
 オリオールさんも居るし、少しでも旅が安全になるといいよね」
「………」

フリーテは表情を怪訝にして、ちらりとオリオールを見る。
彼は部屋の壁に寄りかかり、腕組みしながら二人の話を黙って聞いていた。

「そういえば、貴方の事…まだ何も聞いていないんですけど」

フリーテはやや棘を感じる、冷たい声でそう聞いた。
元々、初対面の人間には冷淡さを感じさせる彼女だが…。
この場合、明らかに意図的な声色だった。

「私か…自分の事を話すのは、苦手だな」
「ここまで、ろりあんを護ってくれてありがとうございました。
 これからは私が護るので、もう大丈夫です!他に用がないなら、お引取り願えませんか?」
「ちょ、ふーちゃん!いきなりどうしたの!?」
「ふむ…これはどうも、嫌われているようだな」

有体に言えば、フリーテは気に入らなかった。
ロリアの窮地を救い、傍で守るのは自分の役割だと思っていた。
自分しか出来ない、自分がやらねばならない事だと思っていた。
…だが、突然現れた、謎の仮面の騎士が、その座を侵食しようとしている。
少なくとも、侵食されているように感じる…というだけで、フリーテには耐え難い事だった。

(なるほど…そういう事か)

オリオールはこの短い時間で、ロリアとフリーテの関係を看破していた。
一見、フリーテが一方的に弱いロリアを守る…そんな間柄に見えるのだが、
実の所、その主導権はロリアにあり、本当に弱いのはロリアの存在を中心に回っている
フリーテである…という事を。

「私はオリオール…自由騎士で、冒険者だ。
 諸地方を放浪しながら、剣技の修行をしている。
 …こんな所で、どうだろうか」
「…その名前、偽名ですね。
 オリオール…むく鳥だなんて、無骨な騎士様に似合わないこと甚だしいです」
「え?偽名?そ、そうなんですか?」

ロリアだけ、驚きの顔でフリーテとオリオールを交互に見る。

「通り名、といって貰いたいな。
 最近では珍しい事でもない…いつしか、本当の名を失っていく者は大勢居る」
「…信用、できませんね。
 ろりあん、私は彼と一緒に冒険に出るのは反対です」
「ふーちゃん…」
「口で幾ら言っても、無駄だろうな。
 騎士は騎士らしく、戦場での剣で証明したいところなのだが…」
「だったら、その仮面を外して素顔を見せてくれたらどうですか。
 愛嬌のある顔でも出てくれば、少しは私も安心するかもしれませんよ?」
「………」

フリーテの声に、オリオールは緩んでいた口元をきっと締め直す。

「…ロリアにも言ったが、この仮面は人に見せられない傷を隠すためのものだ。
 悪戯に他人に見せるのは、私の羞恥心が許さない…。
 申し訳ないが、そう理解して欲しいとしか言えない」
「…だったら、その下から指名手配中の犯罪冒険者の顔が出てくる…そう私が考えても、
 何ら不思議は無いと思いませんか」
「正論だな」
「ふ、ふーちゃんっ!」

と…がたん、と椅子を押しのけてロリアが立ち上がる。
その瞳には今にも零れそうなほどの、涙が溜まっていた。

「ふーちゃん!酷いよ!何でそんなにオリオールさんの事いじめるのっ!!」
「いじめてません…ろりあんも、冷静になって下さい。
 …こんな素性の判らない人と一緒に居たら、いつ何をされるか判ったものじゃありませんよ」
「そんな事ない!オリオールさんは、私を助けてくれたんだよ!
 転職したときもお祝いしてくれて、ふーちゃんと行き違いになりそうだって、大慌ての時も
 落ち着かせてくれて、ワープの手配もしてくれて、それから、それからっ…!」
「…ろりあんは、お人好し過ぎます。
 その程度で他人を信じてたら、今の世の中渡っていけませんよっ!?」
「今の…!」

ロリアの瞳から、涙がぼろぼろと零れた。

「今の…こんな世の中だからこそ…私、人を信じたいんだもん!」
「…ロリア」
「ろりあん…!」
「だって…オリオールさん、すごく優しくしてくれて、本当に良い人なんだよ。
 見た目とか、素性が判らないからとか、そんな事で…全部否定するのって、ひどいよ!」
「彼がろりあんを、今も騙そうとし続けている…かもしれないんですよ?」
「人を信じて、百回騙されたって構わない…!
 誰かを疑って、真実が判らないままの傷を抱えて生きる方が、私は嫌っ!」

…オリオールは、はたと気付いた。
ロリアはまだ、サスキード達が暴行を働こうとした事を、真実の姿として認めていないのだ。
それは記憶に無いから、という『逃げ』の思考ではない。
歓談し、笑いあった時の彼らもまた真実であると…信じているのだ。

(この世界で冒険者として生きていくには、あまりにも純粋すぎて…危険だが、しかし…)

「…判りました」

はぁ…とフリーテは、降参の表情で深い溜息をつく。
長い付き合いだけあって、こういう時のロリアが一歩も引かないことも判っていた。

「ろりあんが望むなら…私は、別にその騎士様が同行しても構いません」
「ふーちゃん…!ありがとう!」

ぱぁっと笑顔に変わり、抱きつくロリア。
だが、フリーテの表情はまだ険しく、オリオールの仮面を睨んでいた。

「もし…彼が何らかの形で、ろりあんに危害を加えようとしたら…。
 その時は、私が守ればいいだけですしね」
「もうっ、ふーちゃん…オリオールさんは、そんな人じゃないってー」
「…それも、戦場で証明してくれるのでしょう?」
「そうさせて貰うことが、お互いの理解を深める早道だと考えるが」
「期待してます」
「ちょっとー!一緒に旅する仲間なんだからー!仲良くしようよ、ねっ!?」

オリオールは苦笑したが、フリーテはまだ不満げに頬を膨らませるだけだった。

明日から始まる、本当の『冒険者生活』。
前途多難であることをひしひしと感じながらも、ロリアは新しい世界への旅立ちに
心踊らずにはいられないのだった。


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