HyperLolia:InnocentHeart
−少女達の憂鬱−
009:Girls are melancholy


再会劇から一夜明け、ロリアフリーテオリオールの三人は今後の旅の方針について
朝食を囲みながら話し合っていた。

自分たちに必要なのは、冒険者としての慣習―生活そのものに慣れる事。
そして、もっと戦いの空気を経験し強くなる事。
これから新たな目標が見つかるとしても、今は力を蓄積しなければならない時だ…という事は
ロリアもフリーテも強く感じていたし、よく理解していた。

「それと、私から一つ提案があるのだが」
「なんですか?」

きっ、と厳しい視線をオリオールに向けるフリーテ。
同行は許可しても、まだ警戒は緩めない…そんな態度がありありと見てとれる。

「冒険商人との個人的契約…というものを知っているだろうか?」
「いいえ、初耳です」
「冒険商人と呼ばれる、商売に関する技能を持ちつつ魔物狩りを行なう者たちが居る。
 彼らは特別な店舗を構えたりせず、露店での交渉による商売が中心ではあるのだが、
 それでも一応はギルドに認可された、正規の商人ではあるのだ」
「…そういう人と契約するとは、どういう事ですか?」
「その冒険商人個人の技能にも拠るのだが、普通彼らはいわゆる『収集品』を
 我々より…そうだな、少なくとも15〜30%くらい高く売却する事が出来る。
 同じように、店舗の商品を割引価格で購入する事も出来るのだ」
「えぇっ!そんなのずるい!」

ロリアが憤慨しながら、思わず席から立ち上がる。

「ほとんどの市街の商店が加盟している商人ギルドだからこそ、の恩恵というわけだ。
 ミッドガルドの物流を、冒険商人を利用することで賄うという一面もある。
 ただし…冒険商人達自身には、それほど優れた戦闘能力を持っている者は居ない。
 ギルドの訓練でも商売に関する事がメインで、戦闘教練はほとんど行なわれていないはずだ」
「…なるほど」

フリーテが何か、閃いたかのように相槌した。

「つまり、その足りない戦闘力を私たちのような戦闘職の冒険者が補う訳ですね」
「…その通りだ、流石だな」

微笑むオリオールに、思わずフリーテは顔を背ける。

「契約を結んだ冒険商人に、我々が収集品を渡す。
 冒険商人はその技能で高く売り捌き、その割増利益から幾らかを手数料として得る。
 普通に売却するよりも収入が上がり、また装備品の購入なども安く行なえる。
 ある程度手馴れた冒険者なら、商人とのコネクションを作るのは必要不可欠とも言える」
「じゃあ、次の目的は…商人を仲間にしよう!って事ですね」
「うむ、早いうちに知り合いを作っておいた方が良いだろう。
 ただし…君達のような、なりたて冒険者では契約のなり手も少ない。
 冒険者としての力の強さは、すなわち高収入に繋がるからな」
「むぅ…じゃあ、その辺の商人さんにかたっぱしから声掛けてもダメ…?」
「そ、そんな誘い方を考えてたんですか…」

はぁ、と溜息のフリーテ。
とは言え、冒険者になったばかりの二人にはお抱え商人を作る方法など、皆目見当がつかない。
そんな二人の表情を読み取った上で、オリオールは切り出した。

「そこで、だ。
 商人ギルド本部がある、アルベルタまで遠征するというのはどうだろう?」
「アルベルタまで?」
「商人ギルドで認可を受けたばかりの、君たちと同じ…なりたて商人を誘うという手だ。
 向こうも契約冒険者を欲しがっているはずだろうし、話がまとまりやすいと思うが?」
「あ!なるほどぉ!」
「…しかし、転職したての商人では売買能力に疑問がありませんか?」
「もちろんある程度、成長を期待しなければならない面もあるだろうが…。
 こちらも新米冒険者だ、あまり贅沢は言えまい」
「それは、そうですけど」
「また、そうやって足元を見られないように…アルベルタまでは徒歩で行き、
 魔物を倒しながら戦闘経験を積むと良いと思うのだが」
「商人探しに、冒険者としての修行も兼ねて!一石二鳥ですね!」
「そんなに上手くいくでしょうか…」

オリオールの案に、これしかない!とばかりに頷いたロリアを尻目に、
フリーテはつまらなさそうな表情で呟いた。

「あれ?ふーちゃんはこの予定、良くないと思う?」
「いえ、悪くないとは思いますけど…」

正直な所を言えば、フリーテもまったく賛成な案だった。
ただ、オリオールが提案した…という一点が気に入らなくて、憮然とした顔を緩められない。
自分なりにロリアと合流してから、どういう風に旅をしようかと思い悩んでいたものを、
全部無駄にされてしまったのも面白くない理由の一つであった。

「…ろりあんがそうしたいなら、私は別に反対しませんよ」

肩をすくめながらも、フリーテはそう言った。
そして、三人の次の行動は決定されたのだった。



出立は昼過ぎと決め、それまで各自装備や薬・食料の調達に周る事になった。
オリオールも、エクセリオンペコペコ用の装備と食料を確保してくると、出掛けてしまった。
二人は宿の前で見送り、その姿が消えるのを見計らったように…。
ロリアはフリーテに顔を近づける。

「…ふーちゃん、まだオリオールさんの事何か疑ってるでしょ?」
「当然です。信頼する理由なんて、ありませんから」
「もぉ、そういうところだけ生真面目なんだからぁ…」
「ろりあんは警戒心が無さ過ぎです」

はぁ、と肩を落としてみせるロリアだが、フリーテもここは譲れないとばかりに
表情を硬くして胸を張る。

「…まぁ、あの騎士様から何かしない限り、私から剣を向けるような真似はしません」
「こ、怖いこと言わないでよー」
「ろりあんは何があっても、私が守りますしね」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、でも…」

まるで何かの確信を得たかのような、嬉しそうな顔で笑いかける。

「ふーちゃんもきっと、好きになるよ。オリオールさんの事」
「………」

ロリアの口にする『好き』は、何も今日に始まったことではない。
彼女には『好き』と『嫌い』しかなくて、およそこの世のほとんどの物が『好き』なのだ。

(…目の前に現れた、強くて頼りがいのある男性に信頼を寄せたくなる気持ちは判ります。
 でも盲目的に、そんな感情だけが突出してしまうのは危険な事ではないでしょうか…?)
 
彼はロリアが感じるように、善人なのかもしれない。だが、その素性は何も知らないに等しい。
フリーテには素性を良く知った悪人の方が、まだ付き合いやすいのではないだろうか、とさえ思える。
そして、拭えない危惧を胸に感じつつ、こうして警戒するのも自分の役目だと認識していた。

「だと、いいですけどね。それより…」

オリオールの事はともかく、フリーテは話しておかねばならない事を思い出し、言葉を続ける。

「数日前、この街の港でミアンシアさんに会いました」
「ミアンに!?」

意外な名前の登場に、ロリアが目を丸くする。

アーチャー服を着て、すっかり冒険者らしい格好でしたよ」
「そうなんだ…何か、言ってなかった?」
「………」

ミアンが自分へ向けたあの言葉を、フリーテは忘れようはずが無い。

『そう思っている以上、どんどん食い違っていくわ…あなたが剣を振るう理由と、現実とがね。
 いつか戦いの中で迷いが出た時、フリーテ…あなたは死ぬわ、ロリアのせいでね』

くだらない、いつもの嫌味…そう思っているはずなのに、まるで呪詛のように記憶から消す事ができない。
だが、ロリアを守るという一点において、迷いなど生じるはずがないとフリーテは確信している。
そして、彼女との旅はそれを証明しつづける事になるに違いないのだ。

「いいえ、特には…いつもの嫌味節だけでしたよ」
「そう…ミアン、元気でやってるといいけど…」

そんな相手ですら心配するロリアを見るにつれ、この少女の純心が曇らないように…。
自分が守らなければならないのだと、決意を硬くするフリーテだった。

「それより、買出しにいかないと…あまり時間もありません。
 私は市場の方へ食料を調達に行きますね。
 ついでに、良くしてくれた商人さんにも挨拶しておきたいですし」
「うん、判った!
 じゃ、私は道具屋さんと薬関係行ってくるね」
「はい、一時間後にまたここで」

二人は笑顔で、逆方向へと別れた。

(ミアン…)

歩き出しながら、ロリアは蒼い空に…あの日、自分を見下ろしていた彼女の姿を思い描く。
ミアンの言った事が全部本気だとしても、自分の事を嫌っていても、それでも…まだ、友達なのだ。
少なくともロリア自身はそう思っているからこそ…彼女が今、どこで何をしているのか、
気にならない訳が無かった。

(ミアン、もう一度会える時まで…あんまり無茶しないでね)

ロリアは心の中で、小さな祈りを捧げた。



ぐらり。
人間の成人なみに巨大なバッタ…ロッカと呼ばれる『魔物』。
その身体から濃緑色の体液を噴出しながら、視線の判らない目で標的を捉えている。
だが、獲物の攻撃範囲までは遠すぎる。
2本…3本と身体に刺さった矢で言う事を聞かない関節を軋ませながらも、最後の跳躍を行なおうとした時。

「…しぶといわねぇ」

ヒュンッ!
その頭頂部に4本目の矢が深く突き刺さり、振動で揺れた。

「ギィィィィ!」

一瞬、その身体から何かが弾けたかのような衝撃。
魔の虜になった生物が、その瘴気から解放される時に放たれる、取り込まれていた生命の拡散。
だが、それも断末魔を彩る過程でしか無い。
巨大な体躯を支える力を失った只の『虫』は、大きく歪んだ手や足が崩れ落ちるよりも早く絶命し、
後にはカラカラに乾いた外骨格の山が残されるばかりであった。
用心深く次弾を構えていた狩人は、警戒を解きながら矢を筒へ戻す。

「そろそろ、ここも飽きてきたわね」

帽子のつばを上げ、降り注がれる日の光の中へ現れた不敵な笑顔。
フリーテとの邂逅後、プロンテラ近郊の湖地帯を拠点に冒険者生活を送っている
ミアンシア・V・バウアー、その人であった。
彼女は自分の技量や装備をしっかり見極めた上で、計画的に冒険者としてのステップを描き、
その予定に従って日々鍛錬の時間を過ごしていた。

ミアンはフリーテのように、過去誰かに戦闘教練を受けたことは無い。
このアーチャーという職業を選んだのも、半分はロリアに対するあてつけに過ぎない。
ただ、身体能力…特に、足の速さ・動きの素早さには元々自信があった。
自信に応える身体能力があったからこそ、ノービス時代の訓練も難なくクリアする事が出来たと言える。
次弾を構えて撃つ為の速度、距離を取るためのステップ…。
最初は弓の扱いすらおぼつかなかったミアンも、馴れという時間の中で戦い方に巧みさが増してくる。
選んだ事は半分偶然とは言え、そんな彼女にアーチャーという職はぴったりとはまっているのだった。

(あの二人は…無事に会えたのかしらね)

ふと、ロリアとフリーテの事を思い出す。
ミアンが最後に見たロリアは…初心者訓練場の森でこちらを見ている、今にも泣きそうな顔。
地面に這いつくばった、およそ冒険者の逞しさなんてかけらも感じさせない…街娘の頃のままの姿。
あの時点では、このまま冒険者の道を諦めるものと思っていた。
だが…あの直後に、訓練場の森を突破し、アーチャーへの転職申請を行なったという。

(どこに、そんな力があったのかしら…)

そして、アーチャーへの道を選んだと言う事は…ミアンの挑発を正面から受け止めた、と言う事である。
同時期に冒険者を志し、同じ職業になった二人…まるで、物語のような因縁。

(復讐劇を彩る演出としては、上出来すぎるわね…。
 ふふ…それでこそ、見下ろし甲斐があるというものよ)

自然と笑みが零れ、手に力が湧き出る。
かつて自分の周囲の人間、全てに感じていたミアンの憤りは、いつしか身近な人々へと移った。
そして、それはラスターとヴィエント家という極めて抽象的な存在へ変わった。
だが、今は…それを向ける対象は、たった一人に集約されているのだった。

(ロリア…私が力のある冒険者になる、その日まで…勝手に死なないでよ)

そして、この感情こそが今のミアンを駆り立てる原動力のひとつになっていると言えた。

「きゃぁぁぁっ!!」

―と。
突然、小さな悲鳴が湖の空気を引き裂いた。
草原から連なる森の奥から、続いて軽い金属音…戦闘が行なわれているようだった。

(…どうしたものかしらね)

ミアンは他の冒険者と馴れ合って、共に戦うとか、旅をするつもりは毛頭無かった。
それは、ロリアとフリーテのような甘ったるい関係に嫌悪している…という事が大きいのだが、
元より他人に気を使うのが苦手で、一人の方が気楽という彼女の性質に拠るものである。

よって、この湖周辺で他の冒険者に会っても一言、二言の会話以上はしなかったし
誰かが苦戦していても、特に手助けをする事も無かった。
それは彼女自身も同様で、どんなに苦戦しても誰に助けを請うという選択肢は有り得ない。
こんな場所で、こんな戦いで、誰かに救いを求めていてどうするのか。
駆け出し冒険者としては稀有なくらいの戦いに対する、そして自分自身に対するプライド。
だが、それこそが激しいまでの凛々しさと、自滅しかねない脆さを兼ね備えた
ミアンシアという少女の本質なのであった。

あえて言うならば、この時の彼女は『気分が良かった』。
この数日というものロッカの大群を相手に立ち回り、自分の実力が確実に上がってきた事を感じ、
そろそろ狩場を移そうと思っていた矢先である。
自分にとっては既に温いとさえ思えるここで、悲鳴を上げるくらい苦戦している冒険者とは
どんな弱ったらしい人物なのか…。
にわかに興味を覚えたミアンは、声のした方へと森を分け入っていった。



決して警戒を怠る事無く、木々の間から降り注ぐ幻想的な光線の雨の中を進む。
時折、ガサガサとロッカが徘徊する音が聞こえるが…その姿は見えない。

(もう、逃げてしまったのかしら)

無駄足だったかな、と張っていた気を緩めかけたその時。
前方の視界に、白い足が横たわっているのが見えた。
木に隠れて上半身は見えないが、ぐったりと動かないその様子にミアンは表情を険しくする。
そして…彼女の視界を遮るように、飛び出して来た一匹の巨大なバッタ。
ギシギシと音を立てる牙に絡まっているのは、見覚えのあるノービス用戦闘服の切れ端。

「ちっ!」

舌打ちと同時に、素早く後方へ飛びのく。
接地と同時に素早く矢筒から2本の矢を引き抜くと、いっぺんに番えながら連続で放つ!
ダブルストレイフィングと呼ばれる射術。
目標の同一ポイントに連射をかける事で、ダメージの深化を狙うアーチャーならではの技。

「ギァァァッ!?」

高速で畳み掛けられた攻撃に、反応する暇も無く腹部へ直撃を受けるロッカ。
何かを搾り出したかのように、勢い良く体液が噴出する。
だが、既にその怒りを向けた方向にミアンの姿は無い。

「…こうも、足場が悪いとっ!」

木々の間を横にステップしながら、射撃ポイントを探す。
森ならではの地形…濡れた落ち葉と折り重なった枯れ木、飛び出した岩が邪魔なのだ。
倒れている冒険者の事も気になり、上手いポジションを見つけられない。
だが、ロッカはミアンを補足すると、その後ろ足で一足飛びに迫る!
木々の枝を滅茶苦茶にへし折りながら、迫る緑色の巨体。

(間に合わない!)

ミアンは咄嗟にコンポジット・ボウを投げ捨てると、傍にあった木に絡まった蔦に手をかける。
ロッカが彼女の身体を食い破ろうと、その顎を震わせながら着地する寸前。
木を蹴り上げて、ミアンの身体が宙に舞った。
ちょうど入れ替わるように、二者の位置が逆転する。
目標を失いつつも、盛大に枯葉を巻き上げて着地するしか無いロッカ。
しかし、ミアンの手には…腰の鞘からひき抜いたカッターが握られていた。

「ええぃっ!」

短刀は彼女の落下に合わせて振り下ろされ、瞳の無い右目に深々と突き刺さった。

「ギィィィ!ギャ、ギャァァ!!」

そのまま地面に着地…とはいかず、ごろごろと転がるミアン。
狂ったようにのたうち回るロッカが、森の静けさを荒々しくかき乱す。

「ふん…武器が矢だけだとでも、思った?」

起き上がり、傍に落ちていた弓を拾うと矢筒を探る…が、先の空中回転で中身がこぼれてしまい、
2本しか矢が入っていない。
それでも、今は充分である。

ダンッ!ダンッ!!

続けざまに放たれた矢が、緑の化け物の額と腹部を貫き…やがて、森は元の静けさを取り戻した。
跡形も無くバラバラになったロッカの死骸を見下ろしながら、はぁ…と溜息をつく。

「とんだ無駄足だったわね…あーあ、服も汚れちゃうし」

肩やお尻についた枯葉と泥をはたきながら、死骸を足で動かす。
その中に隠れていたカッターを拾い上げると、体液を払って鞘に戻した。
あとは矢も拾わないといけない…と、思いながら周囲を見回した時。

「あ…あのぅ…」

木の陰にへたりこんだ…ノービスの少女が、唖然とした顔でこちらを見ていた。

「あなた…生きてたの!?」
「は、はいっ…」

ちゃんと確認していなかったとはいえ、あの有様ではミアンのように思って当然である。

「ぴくりとも動かないから、もうとっくにやられてると思ったわよ」
「はいっ…その、死んだふりで…」
「あぁ…そういえば、そんな技能も教えてもらったっけ…」

強敵に遭って窮した時の緊急回避、なんて大げさに説明されて訓練を受けた覚えがある。
だが所詮『逃げ』の技術で、こと戦意旺盛なミアンにとっては、無価値な技能だったと言える。

「…そんなの実戦で使っている所、始めて見たわ」
「す、すみませんっ」
「謝る事は無いけど…ま、咄嗟に死んだふり出来るってのも、ある意味凄いのかも」

そう言いながら、ミアンは改めてノービスの少女を見る。
年の頃は自分と同じか、少し下だろうか。
幼さを感じさせる顔が、どこか…似ていないのに、ロリアを思い出させる。
あるいは、ボロボロになったノービスクラスの服が、最後に見た彼女にかぶったせいだろうか。

「あのっ、た、助けていただき、ありがとうございましたっ!」
「…別に、助けようと思ったんじゃないわよ」

ミアンは肩をすくめて彼女に背を向けると、そこら中に散らばった矢を拾い集め始める。

「いえっ…!もし、あのままロッカが居たら…いつまでも死んだふり、できないですしっ…」
「なんでもいいけど」

少女の言葉を完全に無視して、首だけ振り向くミアン。

「矢、拾うの。手伝ってよ」
「あっ、は、はいっ!」

木の陰から飛び跳ねるようにミアンの傍まで来ると、今度は地面を這うようにして矢をかき集め始める。
その様子を見ながら、彼女は小さなため息をついた。



「やっぱ、何本か折れちゃってるか…」

落ちた矢の上でロッカがのたうち回ってくれたお陰で、数十本の矢が使い物にならなくなっていた。

「す、すみません!私、その、弁償します!」
「別にいいわ。矢なんて安いんだし…」
「いえっ!何かご恩返ししないと、私の気が済みませんっ!」
「………」

真摯な瞳で見詰められて、ミアンは怪訝な顔になる。

「…あのねえ、さっきも言ったけど。
 別にあなたを助けたつもりなんて無いし、恩に着る必要も無いわ」
「そ、そんな…でも…!」

言いかけた少女の口を、人差し指でストップする。

「冒険者やってれば、たまにはこんなラッキーもあるって事で…いいじゃない?」
(そう…本当に偶然なんだから)

思わずクスッと笑うミアン。
それは、自分自身の気まぐれに対して自嘲したに過ぎないのだが、
少女には、笑いかけてくれたように感じたのかもしれない。

「わかりました…」

こくん、と頷くノービスの少女。

「その有様じゃあ、さっさと街に戻った方がいいわ。道は判るわよね?」
「は、はいっ」
「OK。それと…」

ミアンは先にロッカとの戦いで使用したカッターを腰のベルトから外すと、鞘ごと彼女に放り投げた。
慌てて手を出してキャッチする少女。

「こ、これは?」
「あなたのナイフ、あれモンでしょ」

そう言って指差した先には、岩に打ち付けられて刃が割れてしまったナイフの残骸があった。

「他に装備も無いみたいだし。
 いくらプロンテラまで1日かからなくても、武器無しは辛いわよ」
「そ、そんな、こんな高価なもの…!」
「安物よ…いいから、貰っときなさい」

少女は鞘をぎゅっと抱きしめながら、感激に満ちた表情でミアンを見た。

「何から何まで…本当に、本当にありがとうございますっ!」
「大げさ。今日はたまたま、気分が良かっただけよ」
「私、ユーニス・ティアノンと言います!
 宜しかったら、お名前を教えて頂けませんかっ?」
「宜しくないから、ダメよ」

他の冒険者と、馴れ合いたくないが故に…ミアンはいちいち名乗ろうとも思わなかった。
そして、早くこの場を離れたいとばかりにきびすを返す。

「じゃあね、早く街に戻りなさいな」
「そんな…あの!また、会えませんかっ!」
「ん…たぶん、もう会うことはないと思うわ」

最後にふっ、と笑って…ミアンは足早に森の外へと駆けていった。

「あ…」

引き止めるように伸ばしかけた手を泳がせたまま、ユーニスはその後姿を見送る。

「あ、ありがとうございましたぁっ!」

もう森の影に消えてしまったミアンには、大きな声だけしか気持ちを伝える術が無かった。

(…まったく、どうかしてるわ)

森を駆け抜けながら、ミアンは軽い自己嫌悪に陥っていた。
只でさえ、馴れ合いは勘弁だって思っていたのに…何故、あんなに親切にしてしまったのか。
しかもあんな弱々しいノービスと親交を深めたって、何の得にもなりはしないのだ。

(…私は…まったく!)

腹ただしい理由は、判っている。
あの純粋な、まっすぐな瞳は…同じなのだ。
どんなに警戒していても、見詰められると心を開いてしまいそうになる…。
張り詰めた神経までも、柔らかく解きほぐされてしまう。

…あんな瞳を持つ人間は、冒険者に似つかわしくないのだとミアンは思う。
冒険者にとって純粋さ、誠実さ…そんなものは生きていく為に邪魔なもの以外の何者でもない。
そして、それを手放せないが故に苦しむ存在は…この世の中で、ロリアだけで構わないのだ。

「ユーニス…と言ったかしら。長生きすればいいけど」

ミアンはそう短く口に出したのを最後に、彼女の事は忘れようと決めた。



「…お待たせしました」

宿の前にフリーテが戻った時には、既にオリオールが出立の準備をして待っていた。

「ろりあんは、まだですか?」
「一度、戻ってきたのだが…買い足りないものがあるからと、また店周りへ行ってしまった。
 詰める荷物にも限界があるのだがな」

オリオールは苦笑しながら、エクセリオンに備え付けられたバッグを指差す。
そこにはロリアが買ってきて投げ込んだらしい、様々な医薬品が投げ込まれていた。

「君の荷物も、最低限の装備以外はエクセリオンに積むといい。
 戦闘の度にいちいち降ろしたり、抱えたりはできないだろう」
「…じゃあ、そうさせて貰います」

フリーテは他人行儀にちょっとお辞儀すると、反対側のバッグに荷物と買ってきた食料品を入れる。
自分は盾を背中に背負い、ベルトに備え付けた小物入れにいくつかの応急処置用アイテムを入れる。
さらにその上から締めた武器のマウント用ベルトには、二振りの剣が吊るされていた。

「…その剣は、買ってきたのかね?昨夜は見なかったが」
「目敏いですね」

フリーテはその剣を、すっと素早い動作で抜く。
幅広な刀身の柄から剣先に細かいルーン文字が刻まれており、一瞬…緑色の鈍い光を放つ。

「…風の精霊剣、か」
「懇意にしていた商人さんが、安く譲って下さると言うので…。
 この機会にと、手元に置いておくことにしたんです」

フリーテは自らの装備を必要最低限に留め、収集品を売った金額を貯蓄していた。
それは、ロリアがアーチャーに転職しても着の身着のままで来るのでは…という危惧に備えてのものだったのだが、
彼女はあのフェイヨン西の森でさんざん迷った成果か、およそ現時点での装備に困らない金額を
自分で調達することが出来ていた。
その為、浮いた資金をこの精霊剣購入に回すことが出来たのだ。
…精霊剣とは言っても、質の低いブレイドに込められたもので、およそ対属性武器としては最低クラスのものだが。

「精練もままならない状態では、アルベルタまでの道中使いどころが無さそうに思えるが」
「そんな事判っています。将来的な戦闘に備えて、攻撃手段を増やす為の投資です。
 騎士様は私がお金を出した物に、何か文句がおありですか?」
「いや…」

つん、と不機嫌そうに口を尖らせながら、フリーテは剣を鞘に戻す。

(私に対する牽制か…ふふ、可愛いものだな)

風の精霊剣が、これからの旅路には不向きだというのはフリーテ自身も良く判っているのだ。
それでも、強く新しい武器を携えることで自分の戦力が高まった気になるものである。
時には危険な考え方だが、自ら戦意を高揚させる効果としては、正しい選択だとオリオールは思う。
…ただこの場合、その戦意がオリオールに向けられているのが問題といえば問題だったが。

「旅立ちの前に、改めて言っておこう。君が私について色々疑うのも、当然の事と思う。
 …だが、私は君たちを騙したり、危害を加えようなんて気はまったく無い。
 それだけは理解して欲しいものだが」
「…善意と好意だけで、駆け出し冒険者の手助けをしようなんてお人好しが存在する。
 そんな幻想を信じろ、というのが無理だって事も理解して欲しいですね」

かたくななフリーテの表情に、オリオールは苦笑いを浮かべるしかない。

「これは、ろりあんと私の旅路です。
 あなたが付いて来るのは勝手ですけど…あまり、でしゃばって欲しくないですね」
「心得ている」

痛烈に嫌悪する言葉を吐いても、オリオールは軽く受け流す。
ミアンもそうだったが…こういう『食えない』人物が、生理的に苦手なんだとフリーテは思った。

「おまたせぇー!」

と…二人の下へ、息を切らせながら駆け寄るロリア。
その手には、まるでこれから重傷患者を介抱するのかと思うほど、沢山の医薬品があった。

「また、これは…用心深いというか」
「備えあれば、憂い無しですよ!」

にこっと笑いながら、エクセリオンのバッグにぐいぐいと詰め込む。
オリオールにしてみれば、彼女らが身の危険に怯えるほど強力な魔物が徘徊するエリアを通るつもりは無かったし、
万一があっても自分の剣でなんとか切り抜けられる自信があった為に、このロリアの用意周到さは
やや怯えが過ぎるような気もしていた。

だが、フリーテにはロリアの気持ちが痛いほど判っていた。
かつて…姉一人を残し、母と三人の冒険者が見るも無残に切り刻まれた現実を、目の当たりにした経験が為させているのだ。
これは自分たちの為だけではなく、まだ遭遇したことも無い誰かを救うが為の用意なのだと。

「よし…それでは、行くとするか。
 今日はゆっくりと南下し、群島を抜けて森林地帯へ入る直前まで行った所でキャンプにする。
 それで良いだろうか?」
「はいっ!」
「了解しました」

三人は頷き、歩き始める。
これからの戦い、アルベルタまでという初めての長旅、仲間になってくれる商人…。
様々な不安と期待を募らせながらも…ロリアとフリーテは、何より一緒に居られる事が嬉しかった。

「思えば…これを見つけた時から、始まったのかもしれないね」

歩きながら、胸元からアミュレットを取り出す。
午後の日差しに煌いて、青白い光を放つ古い護符。

「なんだか、もう随分前の事のような気がします」
「そうだね…」

エアリーがこの世を去ってから、まだ二ヶ月しか経っていない。
あの時、自分達がこうやって冒険者になっているなんて、想像も出来なかった。

「アルベルタへの旅路が一息ついたら、一度アイネちゃんにも話をしないといけませんね」
「うん…でも、きっとアイネの事だから無茶苦茶言いそうな気がするよ。
 自分も仲間に入れろ、とか…」
「あはは、言いかねないですね!」

楽しげに笑いながら、イズルードの街を歩いていく。
だが、この時…この二人はもちろん、アイネを知る誰もが想像すら出来なかったに違いない。

今この瞬間、彼女が初心者訓練場で激闘を繰り広げているという事を。


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