HyperLolia:InnocentHeart
−アイネ、突撃−
010:Assault Novice


アイネへ。
 突然、こんな内容の手紙を受け取って驚いたらごめんなさい。
 しっかりお勉強していますか?
 アイネの事だから、きっと私の事を心配してくれているでしょうけど、私は大丈夫です。
 ただ、これから書く事を読まれたら、やっぱり心配させてしまうかもしれません。
 
 お母さんの事件、消息不明になったお父さん、そしてファルお姉ちゃんの旅立ち。
 突然すぎる悲しみや別れを、どうやって乗り越えればいいのか判らずに
 私はしばらく何もやる気が起きなくて、ただこれからの事を考えれば考えるほど辛く思えて、
 自分でも何をすればいいのか、どうしたらいいのか判りませんでした。
 
 でも、先日アイネとふーちゃんと三人であの護符を見つけた日から、
 私の中で渦巻いていた形にならない気持ちが少しずつはっきりとしていきました。
 これはもしかしたら、新しい旅立ちを迎えなければいけないという、合図なのではないかと。
 自分の周囲の変化から目を背けて、今までの生活を守れる日々はもう終わったのでは、と。
 そんなふうに思うようになりました。
 
 そんな折に、ミアンから「冒険者にならないか」という誘いを受けました。
 ふーちゃんは凄く反対したけど、私は目が覚めるような思いでした。
 ようやく、気付いたのです。お母さんを失ったあの日から、ずっと心に支えていた気持ちに。
 …私はあの時、皆に言われるままに逃げたくなかった。
 ファルお姉ちゃんと一緒に狼の群れ相手に立ち向かって、あの場の皆を守りたかった。
 でも、悲しいくらいに私は非力だったから…。
 もし…これから自分が、自分の大切な人たちが同じような目に遭う事があったら?
 今の私はやっぱり逃げて、助けを呼ぶしか出来ないと思います。
 
 でも、もうそういうのは嫌なのです。
 私が少しでも戦う力を持つことで、救う事の出来る悲劇がひとつでも増えるなら、
 私たちのような気持ちになる人達を、少しでも減らすことが出来るなら。
 とんでもない理想論みたいだとは自分でも判ってるけど、今は本気でそう思うのです。
 だから…どこまでできるか判らないけど、冒険者になろうと思います。
 職業冒険者になったら定住もなかなか出来ないし、あまり会う事も出来なくなりそうだけど
 一段落ついたら必ず、連絡をするので心配しないで下さい。
 あいねはお父さんの望みどおり、今はしっかり勉強に励んで下さい。
 近所にはしばらく旅行に行くことにしてあるので、家の事は隣のセントさんにお願いしてあります。
 フェイヨンにはふーちゃんも居ると思うので、長期休暇の帰郷も大丈夫だと思います。
 自分勝手な事ばかりで、本当にごめんなさい。
 でも、今はただ自分の思うように、前に進んでみたいのです。
 アイネならきっと判ってくれると、信じています。
 
 あなたの姉、ロリアより』



「…わ、判るわけないじゃんッ!!」

ロリア達が初心者訓練場で、最終試験に入る頃。
プロンテラにある聖アルティアーナ女学院の女子寮に、アイネの怒声が響き渡った。

帰郷してから暫く、休暇を過ぎても帰らず無断欠席が続いた彼女であったが
父母の不幸という理由に、学院側は寛大な態度で迎えてくれた。
そうして、また普段と変わらぬ学園生活が戻りつつあった矢先のロリアの手紙である。
母の葬式、ファルの旅立ち、そしてあの護符…。
同じような体験を経た妹が、姉と同じ事を感じない訳が無く、
また、ロリアより感情が表に出易いアイネがこの『今までどおり』の生活を送ることに
目に見える苛立ちと焦燥感を露にしているのは、学院生の誰の目にも明らかだった。

「ど、どうしたのアイネリア!?」

同級生でルームメイトのシフォンが、かの怒声に驚いて部屋に飛び込んだ時、
既にアイネは身の回りの物をバッグに詰め始めていた。

「シフォン、私の私物は適当に処分しといて!
 どうせ置いていくのは要らないモンだから、捨てちゃってもいいから!」
「あ、アイネリア?いったい、どうしたっていうの?」
「私…!」

くるりと降り向き、鼻息荒い声で高らかに宣言した。

「冒険者になるからッ!!」



アイネはつたない文章ながらも、退学届を書き上げてそれを手に学長室に飛び込んだ。
元はといえば父の意向で入学させられたのであり、望んだ現状という訳ではない。
無論、学院生活にもそれなりの楽しさは感じていたものの、父の消息も判らない今となっては
アイネが持ち前の『自分勝手』を爆発させた時、それを止められる者は誰も居なかったと言える。
…強いて言えば、ロリアだけが彼女を諌める事が出来たのであろうが、そのロリアもまた『自分勝手』に
冒険者の道を進んでしまった事で、アイネの焦燥感は頂点に達した。

(私だって、こんな所で安穏としていられない!)

ミアンの誘いがロリアにとって引き金になったように、ロリアの行動そのものがアイネを駆り立ててしまった。
とは言え、アイネにはロリアのような漠然とした目的も、ミアンのような確たる理由も無い。
ただ、美しく強い姉二人…リーンとファルの存在はやはり大きなものであったし、
特に末っ子という事で可愛がられていたアイネにとって、長姉リーンは今でも目標にする女性である。

『冒険者』…その限りない自由を彷彿させる言葉に、心踊らされたのは彼女の幼さかもしれない。
しかし、このまま箱入りに学院生活を送ってどこかの教会の神官になる…などという道は、
絶対に自分に似合わないと、随分前から確信していた。
たった十四歳だが、十四歳なりに葛藤していたこの先の道が、今大きく開いたような感触。
にわかに湧き出してきた高揚感に、アイネは逆らう事無く行動を開始したのである。

元々、ある程度地位・名誉のある軍人や王宮関係者の子供が入学し、粛々と勉学に勤しむこの学院において
自発的に退学届を提出するというのは、前代未聞の珍事であった。
アイネは成績も良いとは言えず、またトラブルメーカーとして度々周囲を騒ぎに巻き込む事もあったが、
その性格や気性は多くの生徒・教師に好かれる存在だった。
女子ソフトボール部に所属し四番打者を勤めていたりと、部活動の参加も非常に積極的である。

だが、誰もが漠然と…このような穏やかな学院生活の中に収まるような少女ではない、とも感じていた。
よって『アイネ、冒険者になる為に自主退学!』の報は驚きと共に、誰しもがどこか納得の顔で頷くのであった。
もっとも、正しくは『無期休学』であり、これは父ラスターがまだ消息不明であり了解を得ていないこと、
そしてアイネがいつでも戻って来れるようにとの、学院側の寛大さである。

…ともあれ、アイネは小さなバッグに必要最低限の物を詰めると、
学院を飛び出すようにして冒険者登録申請の為、行政府へと向かう。
一度だけ振り向いて、その校舎を見詰めると…全てを吹っ切ったかのような、清々しい顔で走り出した。



それから一週間後。
初心者訓練場に入り、ノービスクラスとして最初のレクチャーを受講し終わったアイネは
訓練場内を見物して歩いていた。

ロリアやミアンが居ないか…などとも思ったが、さすがにもう卒業してしまったのか、
それらしい人物は見受けることが出来なかった。
係員に聞いても見たが、どうやらこの講習段階ではろくに名前も覚えられないまま
ふるいに掛けられるのが方針のようで、ロリアの事などは誰も記憶に無いようだった。
次の実技試験段階に行けば判るだろうと言われ、アイネは戦意も新たにやる気を漲らせるのだった。

…と、長い廊下に並べられたベンチの一つに座っていた、同じノービス服の少女に目が止まる。
歳はアイネと同じくらいであろうか。
長い藍色の髪を後ろで括った、その毛先が不安げに揺れている。
緊張したような、どこか泣きそうな表情は…まるで、叱られて萎縮する子供のようだった。

「わっ!!」
「…きゃぁっ!?」

アイネは黙って見過ごせずに、思わずその少女を驚かしてしまっていた。
周囲の同じノービス達が、何事かとこちらを見る。

「何で、今日で世界が滅ぶぞ!みたいな顔してんのかなぁ」
「え…あ、あなたは…?」
「私?私はアイネリア・ヴィエント…アイネって呼んでよ。
 今日からここの訓練生なんだけど、あなたは?」
「あ…え、エリノア・セスティです…。
 私も今日から、訓練生なんです」
「なーんだ、同級生じゃん!よろしく!」

嬉しそうに笑って、手を差し出すアイネ。
エリノアも慌てて手を出して、そっと握手。
アイネはそれなりに学院生活が長かったせいか、こういう同級とか同期というものに
妙な親しみを感じる所があった。
…それ以前に、彼女は相手が初対面だろうが何だろうが、まったく人見知りしないのだが。

「うー、明日からどんな訓練すんだろうね。さっさと一人前の冒険者になりたいよ」
「アイネさんは、どんな職業に就くつもりなんですか?」
「私?あー、そう言えば考えて無かったかな…。
 ウチはお姉ちゃんが二人、両方とも剣士なんだ。
 だから私も剣士かなぁ…まぁ、武器の適正ってものもあるみたいだけど」

言いながら、ロリアは何の職に就いたのだろう?と…今更ながらに思う。

「私はあまり力が強くないので…アコライトになって、色んな人を癒せたらいいなって」
「あ、アコライト!?」

思わずぎょっとしてそう言ったアイネを、不思議な顔で見るエリノア。
アコライトとは、この世界では『修道士』の通称である。
元々は戒律として修道院に定住し、神に仕える者の総称であったが、近年は呼称の境界線が曖昧になっている。
アイネがもしあのまま学院に居たら、恐らく修道院入りして正規のアコライトになっていた筈である。
とは言え、そのまま神官・司祭となって主に教会や修道会勤めになっていたであろう、
学院卒のアコライトは言わばエリートで、『冒険者』のアコライトとはまったく性質が異なる。

冒険者としてのアコライトは、敢えて言うならば『退魔師』や『神官戦士』と呼ぶべき性質の職である。
近年増えつづけた魔物の被害に対して、王国が少しでも素養のある者に神聖魔法を備えさせ、
言わば、急場凌ぎに対魔物戦に強い聖職者を増員しようとしたのが『聖職冒険者』誕生の背景なのだ。
その効果は絶大で、こと不死属の魔物に対してはここ数年で冒険者達の平均戦闘力が飛躍的に向上、
またその治癒魔法や支援魔法の効果も相まって、冒険者はもちろん民間人の被害も下降線を辿っている。

しかし、その強大な奇跡の力を利己的に使用する者も後を立たず、
王国正教会の大司教や最高司祭を始め、こと高位聖職者達には『聖職冒険者』達は疎ましく見られている。
その為、冒険者上がりの彼らは聖職者の階級としては、不当な程に低い位置に抑えられていた。
信仰心や修行量、功績に関わらず僧侶(プリースト)、最高でも下位司祭にしか叙階して貰えない。
また、その構造が蔓延しているからこそ王国正教会に反する聖職者が増えつづけるという悪循環を招いている。

「アコライトねぇ…うん、いいと思うよ、あはは」
「?」

アイネはどちらかと言えば、そんな聖職冒険者を疎んじる環境で教育を受けてきた側である。
自身は神に仕えて身を捧げる、なんて事には実のところまったく興味が無かったのだが、
同時に、そのような奇跡の力はそれを自制できる人間のみが手に入れるべきだ…とは思っていた。
とは言え、今更冒険者としてアコライトになるなんて事は、学院を飛び出したアイネにとってありえない選択であり
目の前で他人にそれを目指していると言われると、何かこそばゆいものを感じるのだった。

「と、とりあえず!こうやって会ったのも何かの縁だし、お互い頑張ろう!」
「はい、頑張りましょう」

改めて握手をして、笑顔で頷きあう。
ロリアがかつて、フリーテやミアンと一緒にこの訓練場卒業を目指したように、
アイネも今、エリノアという少女と厳しい訓練の中へ飛び込もうとしていた。



「エリノアぁー…」

戦闘教練を終えて、ふらふらになったアイネが食堂の前で待っていた姿に近づく。

「あらアイネ…今日もレオ教官に随分しごかれたみたいですね?」
「あのオッサン、あったまくるよねぇ…剣は戦いの基本だー!なんつってさぁ。
 …なんか、剣って私にしっくりこないんだよねぇ」
「なるほど…では、斧とかを使ってみてはどうでしょう?」
「アレはアレで、振り回す姿がサマにならないからなぁ…あちち…」

筋肉痛の身体をさすりながら、アイネはエリノアと食堂に入る。
一日二回、無料で提供されるとは言え…ロリアの作ってくれた夕食や、寮の食事に比べれば
味も量もとても食べ盛りが満足できるものとは言えなかった。

「うほ、今日も素敵に不味い食卓であらせられますこと」
「またそんな事を言って…食事を用意して貰えることに、感謝しなくては」
「ロリアお姉ちゃんみたいな事言わないでよ…」

肩をすくめながら、貧相なウィンナーを一口で頬張る。

「そういえば、その…お姉さんでしたか、消息は判らないのですか?」
「うん…少なくともこの、講習段階は抜けたっぽいんだけど…。
 最悪、まだ実技過程のトコに居るかもしれないって。
 そんな所で会ったら、どんな顔すればいいんだろ!」

そう言いながらもアイネは嬉しそうな、楽しそうな笑顔を見せる。

「やはり、お姉さんに会えるのは嬉しいですか?」
「嬉しいって言うか、びっくりさせられると思うとね…くふふふっ!」

意地悪そうな笑みに、エリノアも釣られて笑う。

「お姉さんが好きなんですね」
「なんだか、人に心配ばっかかけるお姉ちゃんだけどね…。
 まぁ、さすがにもうこの訓練場には居ないだろうなぁ。
 一人前の冒険者になって、早く驚かせたいよ」
「そういえば、まだ聞いたことが無かったんですけど、冒険者になろうとしたのも
 お姉さんの影響なんですか?」
「あれ?話してなかったっけ?
 まぁ、そう言われればそうなのかもしれないけど…」

アイネは母の急逝から、自分が学院を飛び出すまでをかいつまんで説明した。

「そんな事が、あったのですか…」
「こら、何も不幸自慢してんじゃないんだからさ…そんな顔されると、こっちが困るよ」
「あ、ご、ごめんなさい」

そんな素振りはまったく見せないアイネも悲劇を背負ってると知り、
エリノアは神妙な面持ちになりかけたのを、苦笑いで回復しようとする。

「でも、それで学院を辞めてしまうなんて…アイネらしいですね」
「だって、腹立つじゃん!私だけ勉強してなさい、自分は冒険者になりますー、なんてさぁ!」
「それで、勢いだけで冒険者になるというのも凄いと思いますけど」
「うーん…まぁ、私自身まだ冒険者になって何をしたいのか良く判んないよ。
 リーンお姉ちゃんみたいに、剣の道を極めようなんてのも資質無さそうだしさ。
 かと言って、ロリアお姉ちゃんみたいな壮大なのもピンとこないし」
「いいじゃないですか、冒険者をしながらやりたい事を探すのも」
「そーいや、エリノアは何で冒険者になろうと思ったの?」
「私は…」

一瞬、言い澱んで…ふぅ、と息を短く吐き、口を開く。

「私の家は…いえ、私の居た村は、貧しかったんです。
 南から砂漠が押し寄せる枯れた土地で、細々と作物を作っていました。
 時には食べるのに困ることもあったけれど…父と母と、三人で仲良く暮らしていました」
「………」
「そんなある日、砂漠からあふれた魔物が村に侵入してきて…。
 それを追って、冒険者の方もたくさん現れました。
 激しい混戦になって、魔物は全部倒されましたけど…家は壊され、畑はめちゃくちゃに荒らされて、
 私たちは村を放棄しなければならなくなったんです」
「そんな…」

アイネは魔物による被害者は自分だけではない、とは頭の中では判っていたが、
こうして実体験で聞くと…やはり今の世界はどこかおかしいんじゃないかと、思わずにはいられない。

「その時に、お父さんは魔物に…。
 お母さんは怪我をして、今はプロンテラの病院に居ます。
 私にはもう帰る村も、家も無いから…冒険者になって、魔物と戦って…。
 お母さんの入院費を作るためにも、私にはこうするしかないんです」

アイネは自分がさも勇ましく、冒険者を目指す話をした事を…恥ずかしく感じた。
目の前の同い年の少女は好むと好まざると、冒険者になるしか術が無いというのに。
自分は安穏と生きてきて…しかも冒険者になろうという理由だって、曖昧で適当だ。
ロリアという家族が居て、帰る家もあり、学院だって言えばすぐに復学出来るだろう。
いつでも平凡な日常に戻れる自分は、冒険者になるという覚悟からして、きっと甘いのだと思い知らされる。
…と、そんなアイネの表情を汲み取ったのか、エリノアは笑顔でその手を握る。

「ふふっ、まだ知り合って短いけど…アイネは優しい子だから。
 きっと、そんな似合わない顔をしてしまうと思ったから…。
 本当はこんな事、あんまり話したくなかったんですよ」
「エリノア、私…」
「今の時代、誰かが特別に不幸な訳じゃないでしょう?
 明日は何が起こるか、誰にも判らない…。
 私も、あなたも…きっと、ありふれた悲劇の一つに過ぎないんじゃないでしょうか」
「そうかもしれないけど…」
「ただ、そんな悲劇に慣れてしまうような世界は…悲しすぎるから。
 お父さんが倒れた時、私は…何も出来なかったから。
 もう、あんな無力感は味わいたくない…」

(…ロリアお姉ちゃんと、同じだ)

それは漠然としながらも、人が力を欲するには…十分な理由だと思う。
では、自分は何のために力を手に入れようとして、ここに居るのだろう?
強いて言えば、それは心から流れてきた風のようなものだ。
その風に乗って、何も疑問の入る余地もなく、ただ冒険者になろうとここへ来た。
この選択自体は間違っていないと…揺ぎ無く信じられる自分が居る。
…では、その先は?

(冒険者になって…それから、私は何をしたいんだろう?)

今は、回答そのものよりも…答を出せない自分自身が酷く嫌いになれそうで、
エリノアの笑顔にも、上手く笑って返せないのがもどかしかった。



あれから、数日。
二人は最終戦闘試験に入っていた。
この訓練場の広大な『中庭』に設定された、南北に長い戦闘フィールドを切り抜ける事。
一見単純な、しかし、冒険者としての最低限の素養を要求されるこの試験。
…アイネ達は突破できないまま、五日目を迎えていた。

アイネは短剣の扱いがやや苦手だったものの、持ち前の体力や瞬発力で戦闘を無難にこなす。
しかし、極度の方向音痴がこの段階で露呈し、行き先をとことん困惑させるのだった。
エリノアは短剣戦闘に関しては、アイネ以上に優れた技術を見せたが、
体力的な面で脆く、疲労回復の為に度々足を止める事になる。
…道を間違え、その先で戦闘になり、回復に時間を取られて試験時間終了。
二人一緒に居ることで生じてしまった悪循環に、活路を見出せないままの四日間だった。

「…たぁっ!」

アイネの突き出したナイフが、ファブルの外骨格の隙間に突き刺さる。
その身体がぶるっ…と震える感覚が、柄を通して手に伝わり、顔をしかめた。
引き抜くと同時に濃緑色の体液が噴出し、アイネは一歩飛びのいて油断無くまたナイフを構える。
…が、ファブルは絶命し、既に動かなくなっていた。

「エリノア!?」
「…大丈夫です!」

振り向くと、エリノアも同じように一匹を仕留めた所だった。

「数が増えてきたね…ゴールに近づいたからだ、って思いたいけど」
「あと三時間ほどですね、急ぎましょう」
「今日こそ、絶対突破してみせる!」
「はい、がんばりま…危ないっ!」

鼻息荒くそう宣言するアイネを見ていたエリノアの微笑が、咄嗟に険しくなる!
振り向こうとしたアイネの身体が、彼女に押されて横薙ぎに倒された。
と…樹の上から襲ってきた二匹のファブルは本来の目標を外したが、
そのままエリノアへ体当たりし、彼女の細い身体は弾かれるように跳んだ。

「きゃぁッ!」
「エ、エリノア…!」

アイネはすぐさま身を起し、反撃しようとして…重さを感じない右手に目を見張る。
先ほど倒された瞬間にナイフの刀身を岩に打ち付けてしまい、刃が根元から折れて無くなっていた。

「エリノアッ!!」

返事をする余裕も無く、喉に喰らいつこうとしたファブルの横腹へナイフを突き立てるエリノア。
白い首筋が、腕が緑の体液で染められていく。
それでも足の小さな爪を引っ掛け、身体から離れようとしない。
もう一匹も左肩へ、血が滲むほど足を食い込ませ、押さえつける手を離せばすぐにも牙を立てようと、
まるで彼女の消耗を待っているかのようであった。

(武器は…!何か、武器はッ!)

アイネは周囲を見回す。
小石、木の枝、錆びた鉄片、乾燥したファブルの殻…。
求める武器にはほど遠い物に次々と目を移しながら、地面を掻き分けた手に何かが当たった。
腐った葉の間から引き抜いたそれは、巨大な鈍器…クラブと呼ばれる物であった。
以前は、ノービスクラスの初期支給装備はナイフだけではなく、クラブやソードもあったと聞く。
今では戦闘教練過程の時間短縮、経費削減の為にナイフのみになったと聞くが…。
地面に半ば埋もれるようにして打ち捨てられていたコレは、その頃使用されていた物だろう。

(上等!)

アイネは両手でそれを構えてエリノアへと向き直り、
まず、彼女の胸に圧し掛かっているファブルへと…豪快にスィングを振り下ろした。

「離れろ、このぉッ!」

学院でのソフトボール部で、彼女が四番を打っていたのはひとえに瞬発力の賜物である。
怒気を孕んだ、必殺のインパクトで打ち込まれたクラブ。
ファブルはエリノアの服を裂きながらも、バキバキと不快に潰れる音を上げながら空を舞った。
そして、そのまま樹の幹へと叩き付けられる!
ナイフで倒した時とは違う。
体液を噴出す肉塊を睨みながら、アイネはこれだ、と…心の中で大きく頷いた。
斬る、突く、払う…剣や槍ではない、この『殴る』という武器。
およそ武器らしくない『鈍器』と呼ばれるこの攻撃手段に、アイネは天性の相性を感じていた。

「エリノア!そいつを!」

アイネの声に、視線で頷くと…エリノアはナイフをファブルに突き立てる!
そして、一瞬ひるんだその甲虫を、両手で自分の身体から引き剥がした。
投げ捨てられるように地面を転がったそれを、アイネのクラブがまるで掬うような軌跡を描いて迫る!
バキッ!!
鈍い、外殻が割れる音と共に、噴出す体液。

「エリノア!?」

アイネはクラブを投げ捨て、エリノアへと駆け寄る。
相当衰弱していたが、肩や胸の傷はそう大きなものではなかった。

「ア、イネ…大丈夫…?」
「しっかりして!傷はたいした事無いから!」
「痛ッ…あ、足が…」
「足!?」

視線を移して、アイネは青くなった。
エリノアの右足…薄いブーツのかかとを突き破って、鋭い木片が深々と突き刺さっていた。
そして、その周辺は血溜まりで赤黒く染まっていたのだ。

「私…ドジ、だから…倒れる時に、踏ん…じゃって」
「エリノア、あまり喋らないで!」

戦闘による疲労に、この出血量。
医学の知識なんてほぼ皆無と言っていいアイネでも、危険な状態である事は察することが出来た。
背負ったバックパックの中から包帯を取り出すと、エリノアの足をきつく縛って止血を試みる。
薬も無い、助けが来てくれるには…このままあと三時間、試験終了を待たなければならない。
それまで、エリノアの体力、精神力が持つという保障は無い…。

(どうする…考えろ、考えろアイネリア…!)

悲痛な、そして狼狽の影を見せるアイネの頬に、そっとエリノアの手が寄せられた。

「エリノア…」
「アイネ…さ、先に…行って…私は、いいから…大丈、夫だから」
「だ、駄目だよ!今日まで、二人一緒に来たのに!ゴールまであと少しなのに!!」

エリノアは力なく首を振りながら、微笑む。

「わ、私は…この怪我、じゃ…もう冒険者は、当分無理…かも、しれま…せん」
「そんな…エリノア、私を助けようとして…私のせいだ…!」
「違う、わ…私が、ドジだったから…足元も、ちゃんと見ないで…」

出血は止まったが、その顔からはどんどん血の気が引いていく。
このまま手をこまねいていたら、助けられるものも助けられなくなる。
アイネはもう、迷ってる暇は無いと思った。

(戻るも駄目、待つも駄目なら…進むしかない!)

「エリノア!ちょっと揺れるけど、我慢して!」
「え…?」

…と、アイネは彼女を起すと、そのまま背中に負ぶう。
地面に捨てたクラブを再び拾うと、猛然と走り出した。

「あ、アイネ…私なんか、連れて…無理、です…!」
「無理なんかじゃない!!」

森を駆け抜けるアイネの足音に、反応したファブル達が次々と姿を露にする。
目の前に飛び出した一匹を、アイネはクラブのひと薙ぎで排除した。

「絶対、無理な事なんか無いんだからッ!!」
「あ…アイネ…」

昔から、末娘だからと…誰もが優しくしてくれた。
いつからだろう…それは時に、甘やかされているだけだという事に気付いたのは。
未成熟で幼い自分を、再認識させられるだけの優しさは、嫌いになった。
姉たちのように、立派で、凛々しくて、強い人間になりたかった。
だから、何でも自分で、自分だけで…自分の力だけで何かをやり遂げたくて仕方がなかった。
まだ若いから、まだ子供だからと言われて、幾つの機会を逃してきただろう?

『冒険者』…その、限りなく自由を感じさせる言葉の向こうに、
今まで向き合う事さえ出来なかった、本当の自分の強さ、弱さに出会える世界があるかもしれない。
そして、今こそが…自分の強さを試されている瞬間に、他ならない。
ようやく、アイネは己が何を冒険者に求めていたのかに…気付き始めていた。

(これはもっと沢山の、今まで知らなかった自分に会う為の…戦いの旅なんだ!)

…だから。
その初陣で、負けてる訳にはいかない。
ここで弱音を吐いて、膝を屈していたら…一生、自分を許せなくなる。

(エリノアを助ける!試験もクリアする!二人で冒険者になるッ!!)

西に沈んでいく太陽に焼かれるように、アイネの心は今まで感じた事の無い熱さに包まれていた。



試験終了、十三分前。
森の中から現れた少女は泥と血にまみれながら、ぼろぼろのクラブを手に、
その背に気を失った少女を背負いながら…それでも歩みを止める事無く、ゴールへと到達した。

そして、それと同時に昏倒した。
約三時間、走りつづけながらファブルとの戦闘を片手でこなすという重労働。
さすがのアイネでも、既に体力の限界を超えていたのだ。
もはや精神力だけで到達したとも言えるが、そんな状況で方向音痴が発動されなかった事は
アイネとエリノアにとって、本当に幸運だったと言える。

怪我の状態が思わしくないエリノアは治療室に運ばれ、
疲労で倒れたアイネはそのまま、休憩室の簡易ベッドに運ばれて寝息を立てる事になる。
そのまま、翌朝まで目を醒まさなかった彼女の頬をつついて起こしたのは…。

「…エリノア…?」
「おはようございます、アイネ」
「エリノア…良かった…!怪我、大丈夫なの!?」
「はい、アイネが頑張ってくれたお陰で…最悪の事態は、回避できたみたいです」

にこっと笑う足元は、まだ厚い包帯に包まれていた。

「ごめん…ごめんね、私のせいで、怪我を…」
「アイネのせいじゃないって、言いましたよ?」
「でも…」
「あの時、アイネなら私が声を掛けただけでも、きっと敵を捌いていたでしょう。
 …これは、私の判断で余計な事をしたせいなんです。
 だから、アイネが気に病む必要はありませんよ」

微笑みながらも、力強くそう言われると…アイネは頷くしかなかった。

「それより…お腹が空いているんじゃないありませんか?
 職業決定の為の、適正審査は十時からだそうですよ。
 その前に一緒に食堂にでも行きませんか」
「…職業…決定?」
「そうですよ。
 …アイネ、あなたが自分で完走したんですよ。おめでとうです!」

にわかに、その言葉が現実感を帯びてアイネの頭の中に響き渡る。
自分はやり遂げた…冒険者に、なるのだと。

「や、やったぁ!!やったね、エリノア!
 私たち、これで冒険者なんだ!」
「頑張りましたね、アイネ」

二人、ベッドの上ではしゃいでじゃれ合う。
だが…伏せがちに微笑んだエリノアの瞳には、悲しげな色が湛えられていた。



昨日の苦労など吹き飛ぶような、喜びに満ちた朝食。
アイネはやり遂げた、という事にようやく嬉しさを感じ始めていた。
自分の力以上のものが出せたような、軽い達成感。
エリノアを救えた事、二人で冒険者になれる事。
それは『自信』と言う名の根拠となって、これからも自分の強さになるに違いない…と、確信できた。

エリノアと二人、適正審査室へ向かう為廊下を歩いていく。
彼女はまだ状態が思わしくないのか、右足を引きずるようにして歩くので、
アイネも気持ちゆっくりと歩幅を合わせて並んでいた。

「ここまできて、まーだ私ってば職業決めてないんだよね」
「あらやだ、本当ですか?」
「うーん、何かどれも中途半端な気がして…。
 ま、このまま適正審査で合ったのにしてもいいかなって」
「アイネのことだから、きっと剣士になると思いますよ」
「そーかなー」
「ええ、頑張って下さい」

…と、審査室のある棟への渡り廊下の前で、不意にエリノアは立ち止まった。

「ん…?どしたの?」

二、三歩前へ踏み出したアイネが驚いて立ち止まり、振り返る。
エリノアは、悲しそうな…寂しそうな、何とも言えない微笑で立ち尽くしていた。

「アイネ…ここでお別れ、です」
「え?」

突然発せられた言葉の意味が判らなくて、アイネは首をかしげて笑う。

「どしたの、エリノア?あ、もしかしてトイレ?」
「………」

黙って首を振るエリノアの様子が落ち着きすぎていて、アイネの胸がざわつく。

「エリノア…?」
「もう、駄目なんです」
「だ、駄目って何がさ」
「私の足が…傷は治癒魔法で塞がって、痛みは無くなりましたけど…。
 切れてしまった腱は、もう治らないそうなんです」
「え…」
「リハビリを続ければ普通に歩くことは出来るかもしれませんが、
 魔物との戦闘に耐えるような、冒険者に必要な…素早くて激しい動きは、もう…」
「そ、そ…んな…」

アイネは膝を落として、その場に崩れた。

「わ…私のせいだっ!私が周りを良く見てなかったからっ!
 私のせいで、エリノアがっ…!!」
「アイネ!」
「…ごめんなさい…ごめんなさいっ!」

エリノアは震えるアイネを抱きしめて、目をまっすぐに合わせる。
一人の少女の将来を奪ってしまった…そんな罪悪感にアイネは、まるで叱られた子供のように泣いていた。
どんなに訓練が辛くても、絶対に見せることが無かった彼女の涙を、エリノアは初めて見た。

「アイネのせいじゃない。
 最初に、訓練場の説明で聞いたでしょう?
 実戦さながらの戦闘訓練の中では、時に命を危険に晒す場合だってある…って」
「でも…でもっ…!」
「私が特別に不幸な訳じゃない…それに、アイネが私に応急処置をしてくれて、
 走ってここまで連れてきてくれなかったら、私はもうこの世に居なかったかもしれないんです。
 アイネは、私を助けてくれたんです」
「嘘だよ、そんなの…!
 私は…そんな風に思えないよ!何て謝ればいいのか…どうやって、償えばいいのか…!」
「じゃあ、一つ私からのお願いがあります」

指で涙を拭ってくれながらそう言うエリノアに、アイネは小さく頷いた。

「…強くて、立派な冒険者になって下さい。
 そして…私が助ける事が出来たかもしれない人たちを、魔物から守ってあげてください」
「エリノア…」
「ここまで来れたのも、アイネが一緒にいてくれて、励ましてくれたお陰なんです。
 訓練場に初めて来た日、魔物と戦わなければいけないという事に、怖くて…ただ、震えるだけで…。
 そんな私に勇気をくれたのが、アイネでした」
「………」
「アイネ、あなたは他人まで奮い立たせるような…本当の勇気の持ち主だと、私は思います。
 その力で、私の分まで…冒険者として戦って下さい」
「…うん…判った…」

アイネがエリノアを、強く抱き返す。

「エリノアの分まで、強い冒険者になる。
 エリノアが助ける事が出来たかもしれない人たちを、みんな守る!…約束する!」
「…ありがとう、アイネ」

それは、駆け出し冒険者には過ぎた誓いだったかもしれない。
だが、二人にはかけがえのない…一生忘れる事の無い誓約になった。
また、エリノアの為に…という一点に相違があるものの、アイネの冒険者としての目的が
姉・ロリアに重なりつつある事を…彼女自身、数奇な運命に感じるのだった。



一人、職業審査を終えて控え室で係員と話をする。
エリノアは一応、試験は合格…そして、不慮の事故という事もあり、王国の方で何かしら職を斡旋してくれるらしい。
冒険者は挫折しても、路頭に迷うようだったら自分が何とかしようと思ってたアイネだが、
エリノアの性格がそれを承知する訳も無く、彼女のこれからに不安を感じていただけに、
その話を聞いてとりあえずの生活や、彼女の母の入院代に困ることは無さそうで、安心する事が出来た。

そして、既卒業者の事について聞いたときに、思わず驚きの声を上げてしまう。
ロリア、ミアンがアーチャーに志願、ここを卒業したのとほぼ同時に、
なんとフリーテまでもが剣士志願で卒業していたのだ。

(あの手紙の後に、合流したって事かな…まったく、皆して勝手だなぁ!)

アイネが鼻息を荒くしている所へ、最終試験官がその名を呼んだ。
いよいよ、ここを出て…志望の冒険者になる為の新たな戦いが始まるのだ。
彼女は、薄々…自分が何を選ぶのか、判っていたような、そうでなければならないような、
何か運命的な、導かれるようなものを感じながらも迷っていたのだが…。

実戦の中で知った、武器としての『鈍器』との相性。
その職を目指して、なることが出来なかったエリノアの遺志。
合流するべき姉・ロリアのパーティに欠けている要素・力になれる能力…。

全てが指し示す方向に、結局…冒険者かそうでないかの違いだけで、最初からそう決まっていたのかと
抗えない何かに少しだけ溜息をつきながら、高らかに宣言した。


「アコライトになろうと思います!」





NEXT - "011:Adventurers front"