HyperLolia:InnocentHeart
−冒険商人クアト−
013:Quatto the Merchant


…激しい戦闘の夜が明けた。
朝の柔らかい光が、黒い森を優しく照らし出す。
ロリア一行は山のように築かれた、狼の屍…その死臭から逃れるように
数キロ東の平原地帯へ、キャンプを移動していた。

その後、オリオールのみがエクセリオンを駆って戦場跡の森へと戻り、
不幸な冒険者達を埋葬し、狼達の死体も積み上げ、火を放った。
ロリアは遠く離れた平原に立つ一本の樹にもたれ、立ち上る煙を見ていた。
思い返せば、あれは何かの悪夢じゃなかったのかとさえ思う。
どうやって戦ったのか、あれだけの狼の攻撃をどう切り抜けたのか…自分の戦い方すら、良く憶えていない。

しかし、ひとたび身体を見れば、擦り傷、切り傷、それを被う包帯にバンソウコウ…。
かつて身に刻まれた事の無い程のダメージの跡が、全てが現実だと物語る。
想定外の事態とは言え、彼女自身が大量にかき集めた医薬品は、必要充分以上に役立った。

あの「さすらい狼」と狼の群れは敗れ去り、自分は生き残り…「勝利」した。
母や冒険者達の仇を討ち、姉・ファルの敗北の無念をも晴らすことが出来たはずだった。
しかし、ロリアの心にはそれに対する高揚感も、勝利の喜びも沸きだして来ない。
因縁浅からぬ、倒さねばならない敵…そんな、聞こえの良い「宿命」に簡単に囚われてしまった事。
多少は戦い上手になった、という自覚も原因のひとつだったのかもしれない。
その全てが甘い考えだったと、今更ながらに思い知らされる。

(…まだ私は、冒険者という職業や、生死を賭けた戦いから…どこか離れた所に居たんだ)

自尊心から挑んだ戦いが…最愛の友人であるフリーテを、オリオールを傷つけ、生命の危険に晒した。
…冒険者は常に、死と隣り合わせの危険の中で生きていく…。
初心者訓練場で教官の誰かが口にした言葉を、ただ頷いて聞いていた。
だが、判ってなかったのだ。
ロリアは、自分が何も判ってなかったのだと…友人を死の危険に晒して、ようやく気付かされたのだ。

「う、ううっ…ぐすっ…」

恐怖、悔しさ、憤り…自分に対する感情に、熱くなる胸を抱きしめながら、止まらない嗚咽を零しつづけた。



オリオールがキャンプ場所へ戻ると、ロリアは樹の下で小さな寝息を立てていた。
一晩、ロクに休みを取らないままに戦い続けていたのだ。
いくら冒険者として成長しているとは言え、疲労のピークはとうに超えてたはずであった。
その頬に涙の跡があるのを見て取り、オリオールは心の中で頷いた。

(今日はそれで良い…まだ戦いは始まったばかりなのだ。
 生き残れば、明日という可能性が残されるのだから…)

エクセリオンの手綱を樹に巻きつけて締めると、両脇に備えられたバッグから毛布を取り出し、
ロリアの身体にそっと重ねた。
…と、フリーテの姿が見えない事に気付く。
傷だらけの鞘や盾は、彼女の荷物と一纏めに残されていた。
彼女とロリアの水筒が無い所を見ると、少し南の森の中にある、水源へ向かったのかもしれないと思う。

オリオールは、あんな戦いの後だけに…彼女の事が少々気掛かりだった。
携帯用の飲料水ボトルと調理用鍋を手に、自分も水源を目指すことにする。
…ロリアが起きた時に、食事の支度が出来ていた方が良いだろう、と思いつつ。



それは池、というよりは巨大な水溜りのような湿原で、少量ながら岩から清水が湧き出している。
この地方を行き来するベテラン冒険者には、暗黙の給水ポイントなのだ。
木々が遠慮なく伸ばす葉と枝に遮られ、木漏れ日も細い光線にしかならないが、
周囲は魔物が徘徊する無法地帯とは思えないほど、清々しい静寂に包まれていた。

オリオールは膝丈もある雑草を掻き分けながら、水源に近づいた所で…目を見張った。
鏡のように揺れる水面に立つ、人影。
滴る水滴を宝石のように輝かせながら、憂いの表情で天を仰ぐ。
はだけた上着から零れる、白い肩が眩しい。
手にした剣と視線を隠す眼鏡だけが、生物のように…光に跳ねて、揺れていた。

「…騎士、様?」

ゆっくりとこちらを向くフリーテに、オリオールは思わず手にした鍋を落しそうになりながら、慌てて背を向ける。

「す、済まない…まさか、君が居るとは思わなかった」
「傷口を、洗っていたんです」
「そうか…大事に、な。私はまた、後程来ることにしよう」
「あ…待って下さい」

急いでここから離れようとするオリオールを、フリーテの声が呼び止める。

「背中の方、一人じゃ上手く薬を塗れないんです…お願い、できますか」
「…私より、ロリアにやって貰った方が良かろう?呼んで来るから、少々待ちたまえ」
「いえ、騎士様で…構いませんから…それに、少し、お話したい事もありますし…」
「………」

今まで、彼女がオリオールへ始終向けていたような刺々しさは、微塵も感じられない。
ゆっくりと振り向くと、フリーテが上着を押さえながら、こちらへと向かって来る所だった。
その表情は、オリオールには意外にも思えるほど、穏やかなものだった。

「すみません、お願いします…薬は、そこにありますから」

視線で水際に置いた荷物を差しながら、改めてオリオールに背を向けて座る。
ゆっくりと開かれる上着から、白く、思った以上に華奢な肩が露になる。
そして…肩口から赤黒く醜い線を刻む、袈裟斬りに残された二筋の爪痕。
存在に違和感すら憶えそうな傷が、それを中心に5、6箇所は見てとれた。
遠目には判らなかったが、肩にも爪の食い込んだ跡が生々しく残っている。

「…いつ、受けた傷なのかも判らないんです。みっともないですよね」
「剣士という職である以上、傷跡は勲章のようなものだ。
 残されるだけのものに、良いも悪いも無い…そう思いたまえ」
「私が剣士である前に、女だとしてもですか?」
「ああ…私は君が女性である前に、剣士なのだと認識している」
「…騎士様らしい、言い方ですね」

オリオールが薄々感じていた懸念は、たったこれだけの会話で露呈した。
フリーテがあの戦いで、すっかり気弱になってしまった様がありありと判る。

「痛っ…」

薬を付けた指が、傷口をなぞる度にフリーテの身体が震える。
深手ではなく、出血もそう多くはなかったが為に、逆に傷を負った事に鈍感にさせた。
早期に聖職者の回復魔法をゆっくりと用いれば、跡形もなく消えるレベルの裂傷だが、
既に応急処置には遅く、彼女の身体に一生刻み込まれるであろう事は確実だった。
と…フリーテがその右手に、剣を握り締め続けている事に気付く。

「フリーテ、何故剣を?この周囲には、もう凶暴な魔物は居ないはずだが…」
「え…いえ、判ってますけど…」

そう言いながらオリオールに向けた顔は、どこか自嘲気味に微笑んでいた。

「…怖いんです、不安なんです…剣を握っていないと…」
「………」

なりたての冒険者には、よくある症状である。
そこらを徘徊している獰猛な「魔物」と、人を狩らんとする意思を持った「魔族」は、
一般的には混同されているものの、別な存在と言っても間違いではない。
ただ、攻撃衝動に駆られて襲ってくる魔物相手の戦闘なら、まだ気は楽である。
こちらも何も考えず、戦力のぶつかり合いという簡単な構図に持ち込めるからだ。

…しかし、魔族は違う。
残忍に、狡猾に人の魂を喰らおうとし、殺戮行為そのものを楽しもうとする。
禍々しい歓喜を孕んで迫る異形の姿…その殺気に気後れした為に、絶命する冒険者は後を絶たない。

「本物の魔族相手に、気後れしたのは仕方あるまい。
 君はまだ、剣士としても冒険者としても成長過程にあるのだから…」
「…違います!」

気休めを言う自分に嫌悪感を憶えるオリオールの言葉を遮り、フリーテは声を荒げた。

「…確かに、あの狼も怖かったです。もう、殺されるものだと思っていました…!」
「………」
「でも、今は…違うんです。
 こうして、剣を握り締めていないと…私は剣士だ、戦う人間だって言い聞かせてないと…!
 逃げようとするんです…何もかも、ろりあんも置いて…平和だった、あの頃に…。
 家に帰りたい…もう、戦いたくない、って…!」

肩が震える。
泣くのを必死で我慢するのも、剣士である自分を繋ぎとめようとするが故なのだろうか…と、
オリオールは聞こえないように、小さな溜息をついた。

「ろりあんを、守るって…何があっても、私が守るって、そう決めたのに…!
 でも…守るどころか、私は逃げることしか考えられなかった!
 無様に、情けなく、地面を転がって…ただ、死にたくない、死にたくないって…それだけで!」
「…そんな自分を許せないのなら、これからの戦いで守ればいい。
 ロリアを、そして君自身の、彼女を守るという誓いそのものをな」
「…でも、私は…私に、そんな力は…!」
「フリーテ…誰かを守るというのは、口で言うほど易しくは無い。
 命には替えが無い…ならば、自分の命を賭さねばならない時もある。
 君は、ロリアの代わりに命を捨てる覚悟があるのだろうか…?」

フリーテは、ただ唇を噛み締める事しか出来なかった。
いつか、ミアンにも同じような言葉を投げかけられた事があった。
その時は…ロリアの為なら命など惜しくないと、本気で思えた。思えていたはずだった。
…だが、今は判らない。
いざとなれば、自分の保身を優先してしまいそうな…その場から逃げ出しそうな、そんな戸惑いが消えない。
そう思ってしまう自分が悔しくて、悲しくて、情けなくて、フリーテは苛まされるのだった。

「………」
「よし、薬は塗り終えた…包帯は、自分で巻けるな?…私は、一足先にキャンプへ戻ろう」

うなだれるフリーテを残し、オリオールは立ち上がる。
ボトルと鍋に手早く清水を汲み取ると、その場を立ち去ろうと足を進める。

「…騎士様、いえ…オリオール、さん」

背を向けたオリオールの名を、フリーテは初めて呼んだ。

「あの時…助けてくれて、ありがとうございました」
「気にする必要は無い…私たちは共に冒険をする仲間…だから、な」

そう言うと、オリオールは振り向かずに平原の方へと消えていく。
フリーテはじっと、その後姿を見詰め続けていた。



それから…アルベルタへの三人の旅路は、重い空気に包まれていた。

フリーテはあれから、一度も剣を抜いていない。
手は常に柄にかかっている、が…戦う事に脅え、ただ二人に飼い犬のように付き従うだけだった。
ロリアは逆に、仰々しいまでのカラ元気に溢れていた。
元々、この旅は自分たちの為のものであるという責任感、義務感…。
そんなものを感じ、一人で背負い込む事…それ自体が、あるいは間違いであるのかもしれない。
だが、この一点において、ロリアはフリーテより「覚悟」が出来ていたと言える。

しかし、自分の判断が彼女の命を危険に晒した…という事実はロリアの心に重く、
時折起こる魔物との戦闘でも、剣を抜いて前に出ようとしないフリーテを鼓舞できない。
それは、共有した恐怖を多少なりとも理解できる事と同時に、
自らの戦闘指揮…さらには「判断力」そのものが、信じられなくなっていたからである。
お互いの心が少しだけ歪んだまま、ロリアとフリーテは会話すらぎこちなくなりかねない状態だった。

そういう時、ロリアは決まって無言のままオリオールに視線を向けた。
同じパーティ、共に旅する仲間として、リーダーシップを彼に委ねたかったのである。
尤も…オリオールの口から助けるような、あるいは勇気付けるような言葉が出る事は無かった。

あれから、三日。
結果的に、極力戦闘を回避しつつ歩みを速めた一行は、アルベルタ西の街門へと辿り着いた。



前回は旅立つ姉、ファルを見送る為に訪れたアルベルタ。
ロリアには、まるでそれが遥か遠い日の事のように思えた。
あの時は自分が冒険者になる事すら、夢にも思わなかったのだから…。

数多くある港には、今日も多くの船が並ぶ。
王国が公式に運営許可をしているのは、イズルード・ファロス灯台を結ぶ定期連絡船と、
唯一ミッドガルドから外世界へと向かう、長距離航路船だけである。
財宝が眠ると囁かれている「沈没船」の漂着している離島への船は、もちろん無許可であったし、
「天津」や「崑崙」といった辺境の島国への冒険者の渡航も、王国は推奨していない。
数少ない貿易船の行き来はあるものの、実際に行くとなればそれなりの金額を積まねばならないのだ。
…これは、三十年ほど前に起きた大津波で数多くの船が沈み、王国の体質そのものが
海運業に対して臆病になってしまった事に起因する。
今では個人の海運業者へ商人ギルドが投資・支援する事で、今日の「港町」アルベルタが成り立っていた。

…そんな事情はつゆ知らず、ロリアは投錨した宿の二階部屋から船や、港の賑わいを見ていた。
と、隣の部屋を借り、荷物を置いてきたオリオールが開けっ放しの戸口から顔を出す。

「ロリア、準備は良いだろうか?」
「はいっ!商人さんを探しに行く用意、カンペキです!」
「結構な気合だ、では…」

と、部屋を飛び出しかけたロリアが足を止める。
武装すら解除しないまま、ベッドに座って俯いたままのフリーテ。
二人の会話にも、反応する様子は無かった。

「…ふーちゃん?」

ロリアの声に、はっとなって顔を上げる。

「あ…商人の勧誘、ですか…。
 すみません、私は…ここで、帰りを待ってます」
「え…」
「そうだな、ここまで長旅だったし…君はもう少し休んでいるといい」

寂しげに、何かを言いかけたロリアを制するように、オリオールがそう言った。

「すみません、二人とも」
「構わんよ…さて、行こうかロリア?」
「は、はい」

フリーテの様子が気掛かりだったが、済まさねばならない大事な用事もある。
ロリアは後ろ髪を引かれつつ、部屋を後にする。

「行ってらっしゃい」

そう呟くように言って、少しだけ微笑むフリーテ。
…ロリアは彼女の笑顔を、久しぶりに見たような気がした。



しばらく二人、街を歩いていく。
頭を切り替えたロリアは、それこそ獲物を狙うような目で行き交う商人を見ていた。

「ゴホン…ロリア、落ち着きたまえ。周囲が訝しがっている」
「え?は、はいっ」

ふぅ、と溜息のオリオール。
ロリアはそれでも、あちこちに居る商人達から目を離せないのだった。
彼女を落ち着かせ、作戦を練るためにも街の南にある広場へとオリオールは誘う。
そこで露店を出していた商人からバナナジュースを買い求めると、二人並んでベンチに座った。

「さて…実際に冒険商人に声を掛ける前に、もう少し詳しく彼らについて話しておこう」
「お願いしまーす」


(フリーテと少しでも距離を置いた事で、心の重さから多少でも解放されただろうか…?)
ジュースを手に、笑顔で頷くロリアを見ながら、オリオールは思う。

「まず、ギルドに所属している『商人』には二種類ある。
 ひとつは街に店を構え、あくまで商品取引のみを行なう…俗に言う「商人」とは、彼らの事だな。
 そして、もうひとつが冒険者として初心者訓練所を出た後、規定の試験に合格して取引許可証を得た
 冒険者にして商人…通称、冒険商人という者たちだ」
「今回の狙いは、冒険商人さんですね」
「うむ、ひとくちに冒険商人といっても様々なタイプが居るが…。
 普通の商人のように、ただ商才のみを磨き上げていく者。
 武器を手に、自ら戦闘に挑んで取引商品を「狩る」者も少なくないし、
 また、将来的に鍛治や製造のスキルを手に入れることを視野に、精進している者も居る」
「なるほど…」
「さて、どんなタイプの冒険商人でもほぼ獲得している技能がある。
 通称『オーバーチャージ』と呼ばれるそれは、商人ギルドから認められた商才をレベルで示し、
 そのレベルに従いギルド加盟取引所でのアイテムの売値を、最高で約三割ほど増やせる…というものだ」
「なんか、釈然としないシステムだなぁ…」
「だが、こういう商人ギルドの動きがあってこその冒険者でもある。
 最初に魔物絡みの収集品に目をつけ、取引の場を作ったのも彼らだからな…」
「ほぇー、そうなんですか」

話を聞きながら吸っていたストローが、ずずっと鈍い音を立てる。
いつのまにかジュースは空になっていた。

「以上の事を踏まえ…我々が求める商人の条件としては、まずは収集品の代理取引契約。
 これは相手のOCレベルによって、契約金が変わるだろうな。
 別途、パーティやギルドを組むといったオプション契約もあるが…その辺はまだ性急にする事もあるまい。
 二人、三人と付き合ってみて、それから契約を続ける商人を決めたっていいだろう」
「ふむふむ…」
「…成り立ての商人ではその成長を待つ間、足を引っ張られる。
 逆に商才レベルの高い者では、まともに取り合ってさえ貰えないか、足元を見られる。
 もっとも、そんな商人は既に固定契約を結んでいたりするのだが…」
「難しいものなんですねぇ」
「我々もそうだが、向こうだって遊びでやっている訳ではないからな。
 今後の装備、資金の動きを考えると…最低でもOCレベル5、できれば6の商人が欲しい所だな。
 この際オプション契約は無視しよう。拠点がハッキリしているか、呼び出しに随時応じてくれれば良い」
「な、なるほど…お任せします」

いまひとつ、判らないといった苦笑いで頷くロリア。
その実…商人という存在が自分たちに必要だとは判っているものの、
同じ人間を、これから一緒に冒険者としての生活を分かち合うであろう「仲間」を、
そんなレベルや数値で測って決めていいのだろうか…と、戸惑いを覚えていた。

「しっかりしたまえ、君とフリーテが契約するのだからな」
「はい…って、お、オリオールさんは?!」
「む、言ってなかっただろうか…?私は既に、個人的に契約した商人が居る」
「ええーっ!じゃ、じゃあ私とふーちゃんも、その人と契約すれば…」
「…残念ながら、今の君たちの経済力・戦闘力では評価して貰えないと思う」
「むぅぅぅ…!オリオールさん、ズルい!」
「い、いや、ズルい事は無いと思うが…」

頬を膨らませるロリアに、半ば呆れで溜息をつきそうになるオリオール。

「それは、私が無理に頼めばなんとか契約して貰えない事も無いかも知れない。
 …しかし、道中何度も言ったはずだ。これは、君たちの旅なのだ…と」
「…は、はい…」

そう言われてしまえば、ロリアには反論の言葉も無い。
オリオールが時にこんな突き放すような事を口にするのも、自分たちを一人前の冒険者にしようという
心遣いから言ってくれているのだと、頭では理解できている。
だが、それでも…旅の仲間、同志、自分にとって最初の冒険者友達…様々な言葉で表現しようとしても
上手く表現できない彼に対する感情が、どこか不満めいた溜息を零れさせる。
ロリアの冒険者生活という風景に、オリオールは確固たる存在感を築きあげていたのだ。

(それが普通だって思ってしまう事が、既に…甘えなのかな)

一緒に旅をしていても、自分たちとどこか一線を引き続けるオリオール。
彼と同じ立ち位置で旅をしたいと思う気持ちは、傲慢なのか、それとも甘えなのか…。
ロリアは、彼がこの旅をどう思っているのか…聞いてみたい衝動に、駆られた。

「あ、あの、オリオールさん」
「?…何だろうか?」
「その、ですね…」

ドッカァァァァン!!

その時。
ロリアの台詞を掻き消すように、背後から大音響の爆発が鳴り響いた。

「!?」

二人、そしてその周辺に居た者たちも何事かとそちらを見る。
古ぼけた道具屋…煤けた小さな看板に、「スノウ商会」と書かれている店。
その店の入り口、観音開きの扉は派手に壊れ、所々焦げて煙すら噴出していた。

「…な、なに!?」
「これは…火の魔法か?何故、こんな街中で…」

自然と顔つきが険しくなる二人。
辺りも騒然とした雰囲気になる。
…と、吹き飛んだ扉の破片の中で、人影が揺らめいた。

「…っ…痛…」

煤まみれの顔をしかめながら、ふらふらと立ち上がる。
その姿に、ロリアは目を見張った。
自分とそう歳も変わらなさそうな、小柄な少女だったからだ。
深い海を思わせるような蒼い髪が、酷く跳ねてしまっている。
厚手の布で仕立てられたスカートに、鮮やかな朱色のジャケット。
その右肩には、商人ギルドの認可番号の入ったワッペンが貼り付けられている。

「く…っ!」

全身を打ちつけたのであろう、痛みを必死に耐える様子がありありとわかる。
その右手には、およそ不釣合いに無骨な斧。
震える腕はただ持ち続けるだけが精一杯で、険しい視線だけを前へ…。
焼け焦げた扉から出てくる人影へ、向ける。

姿を現したのは二人の男、そして遅れて…アルケミストの少女。
ウィザードの服を着た、先頭に立つ男はニヤニヤと笑いながら周囲を見回す。
一目でそれと判る豪奢な装備をわざと強調している所に、その人物が伺える。
杖に填められた水晶にまだ魔光が鈍く残っている所を見ると、先の爆発音は彼の魔法らしかった。
その横に、黒い装束を纏った目つきの鋭い男。
腰に備えられた独特な形状の武器に、ロリアは息を呑む。

「…アサシンだ。
 表向きこそ登録冒険者の身分とは言え…こうも白昼堂々姿を出されると、驚くものだな」

ロリアの心を読んだかのように、オリオールはそう言った。
剣士騎士とは違い、隠密行動や暗殺を得意とし、独自に編み出した必殺の戦闘術を持つ。
王国を初めとする、あらゆる権力には従わない孤高の集団。
モロクの南東にある古いピラミッドを改装した、砂漠に構えた要塞と見まごうギルド本部から、
ここに新たな国家の勃興を画策しているという噂さえある。
…とかく謎が多いがゆえに、その存在自体が畏怖される職であった。

そして、その二人の後ろに控えるアルケミスト。
最近、製薬や魔物の生態研究といった分野で存在感を強くしているが、まだまだ希少な職であり、
ロリアがそれと判る人物をこうやって間近で見るのは、初めての事だった。
金髪を額際で分け、切れ長の目をした美しい少女。
スタイルにも自信があるであろう事が、その歩き様からも見て取れる。

「おい!見世物じゃねーぞッ!」

ウィザードの男が叫ぶと、何人かの傍に居た者たちが、怪訝な顔をしながらその場を離れる。
ロリア達と、同じように遠巻きに様子を見ている数人はそのまま動かなかったが、
男は一瞥しただけでそれ以上人払いを試みようとはしなかった。

「まったく、乱暴なんだからぁ…」

すっ…と二人の男の前に出てきたアルケミストの少女が、商人の前に立つ。
薄汚いものでも見るような、侮蔑の瞳。
(…あのひと…)
ロリアはその視線に、形容できない心のざわめきを覚えた。

「…っ…デ、ディータ…あ、あなた…!」

商人の少女にディータ、と呼ばれたアルケミストは可笑しそうに口を歪める。

「あなたがいけないのよぉ、クアト
 PVPでもないのに、武器を向けるなんて…悪い娘ねぇ。
 エルデの魔法、少しはお灸になったかしら?きゃははっ!」
「これでもレベル、抑えてやったんだぜ?
 足りなきゃもう二、三発かましてあげてもいーんだけどよ…。
 ま、これ以上は事故で済まなそうだからヤメとくか」

ニヤニヤと笑ったままの、エルデと呼ばれたウィザード。
そして…クアト、と呼ばれた商人は必死に息を整えながら、それでも二人を睨み続ける。

「アナタが何をどう頑張ろうと、もうスノウ商会は終わり…。
 経営オンチの老夫婦も、既にあの世で未練なんか無いでしょぉ?
 少しは現実ってモンを見なさいよねぇ…」
「…ディータ!」

それまで、痛みに耐えるばかりだったクアトが、叫んだ。

「と、父さんと、母さんを…侮辱するのは、絶対に…許さないッ!」
「別にぃ、本当の親じゃないじゃなぁい?
 アナタだってそうでしょ?死人にいつまで義理立てする気?バカじゃないのぉ?」
「…許さない、って言ったッ!」

震える手で斧を持ち直し、クアトの目に怒りの炎が走った。
それを見届けて、エルデが小さく魔法の詠唱を開始する。
その動きに気付かないまま、クアトはディータへと突撃しようと…身体を一歩前へ!

…その時。

「だめだよっ!」

クアトの腕を掴み、その動きを制する者が居た。
ロリアである。

「…ろ、ロリア!?」

一緒に様子を見ていたはずの、オリオールでさえ止められなかった程の素早さ。
ロリアがあの商人の様子を見るに見かねて、飛び出して助けに入りかねないと思い、
今まさに『関わりあうな』と、念を押そうと思った矢先であった。
ロリアはクアトを背中から抱きすくめると、諭すような声で言った。

「…こんな所で戦ったら、犯罪冒険者として指名手配されちゃうよ」
「そんなの、構わない!離してよッ!」
「それに、あそこのウィザード…もう、何かの詠唱を完了してるみたい。
 あのアルケミストを攻撃する前に、やられちゃうよ」
「え…?」

二人の視線を受け、エルデはちっ…と舌打ちする。
予想していた展開を覆されたせいか、ディータの顔からも笑顔が消え、不満そうにロリアを睨んでいた。

「アンタ、誰?これは私たち内輪の問題…余計な手出しはやめて欲しいわねぇ」
「たった一人を、三人がかりでなんて卑怯じゃない!!
 それに今…動くのを待って、魔法でカウンターしようとしていたでしょ!?」
「信じらんない…何なの、アンタ?正義の味方?それともバカ?
 貧乏臭いアーチャーごときが、調子に乗ってノコノコと何な訳?それとも…クアト、アンタの知り合い?」
「そんなの、関係ないっ…!」

負けじと睨み返すロリア。
こうして抱きかかえていると、震えているクアトが立っているのもやっとだと判る。
(こんな娘を、三人で責めるなんて…!)

「事情なんて知らないけど、こんな酷い事する必要があるの!?
 …あなた、それでも人間!?」

ロリアの叫びに、ディータとエルデはぷっと吹き出した。

「ははは…なんだコイツ?あれか、新手のコメディアンか何かかよ?」
「どうやら、ただのバカみたいね…言っておくけど、先に手を出したのはその子の方なのよ?
 ま、アナタもお望みなら…こんなご時世で綺麗事を並べるのが、どれだけ愚かしいか教えてあげましょうかぁ?」
「ば…バカにしてッ…!」

弓を宿に置いてあるロリアは、すかさず腰に装備したナイフの柄を握る。
無論、こんな武器で三人を…しかも、揃いも揃って上級職を相手にできるとは思っていない。
しかし、ここで引いてはいけない…と、心の中で繰り返す声がある。
ディータの、クアトに対する…そして、今は自分にも向けられている侮蔑の瞳。
…こんな目で人を見下す者の跳梁、好き勝手を許してはいけない!
それは直情的に噴出した怒りにも似た思いだが、その熱さは揺ぎ無く、迷い無く今の彼女を支配していた。

「ははは、バカはどっちよぉ…?そんなナイフで、三人相手に何をしようっていうの?」
「…ならば、これで人数は対等だな」

その時、ロリアとクアトを庇うように現れた影。
背中のブロードソードを、瞬時に抜刀できるよう構えたオリオールだった。

「オリオールさん!」
「今度は正義の騎士様ご登場?はぁ…何、この展開?
 アルベルタはいつからこんな偽善者の集う街になった訳ぇ?やってらんないわ」
「こいつら、なんかムカつくぜ…殺っちまうか、ディータ?」

呆れた溜息をつくディータに、エルデが低い声で聞く。
だが、彼女の耳元にアサシンの男が…何事か、ボソボソと囁いた。
それを聞き、オリオールを忌々しげに睨み付ける。

「ふん…」

ディータは不満そうに鼻を鳴らすと、一歩下がった。

「今日はもういいわ…帰るわよ、エルデ」
「え!?マジかよ」
「こんな所で派手にやる訳にはいかないでしょぉ?
 この場で白黒つけてあげようかと思ってたけど…命拾いしたわねぇ、クアト。
 ま…せいぜい孤独にしぶとく、盗蟲のように生き続けるといいわぁ。
 もう二度と会うことはないでしょうけど…あ、ドアの弁償代はこっちで持つわよ。トクベツにね」
「…で、ディータ…ふざけてっ…!」
「ここで戦って、犯罪者にもなりたくないしねぇ。
 おバカさん達もさよぉならぁ…いつまでもそんな偽善ぶってると、ソッコーで死ぬわよぉ」
「………」

そう言って、厳しく睨みつづけるロリアと視線を交錯する。

「ふん…不愉快な娘。その瞳、吐き気がするわ」

呪詛のようにそう言うと、ディータは背を向けて歩き出す。

「へっ、クアトさんよ…あの話、いつでもOKだからな。考えとけよ?」

唇を噛み締めるクアトへそう言い残し、エルデも後へ続く。
そして、名も知れないアサシンの男も、ゆっくりと最後尾へ付き従う。
一瞬だけ、ちらりとロリアの方を見ると…そのまま小さくなっていく二人に追従した。

「ま、待てッ…ディータ…!」

掴まれたロリアの中で弱々しく暴れるクアト。

「だ、だめだよ…傷の手当てもしないと…って、あれ…?」

と、急にこと切れたかのように…ぐったりと動かなくなる。
青ざめたロリアの視線を受けて、オリオールが慌ててクアトの様子を診る。

「…大丈夫、気絶しているだけのようだ。ともあれ、どこかで休ませた方が良いだろう」
「じゃ、じゃあ…早く、宿に戻りましょう!」
「そうだな…彼女は私が。剣と、彼女の荷物を頼む」

ブロードソードをロリアに渡し、クアトを背負う。
あの爆発で飛ばされていた彼女の鞄、落ちていた斧を拾うと二人は早足で歩き出した。

「…しかし、いきなり首を突っ込むとはな…もしかしたらと思っていたが、止める暇も無かった」
「す、すみません…」

どこか可笑しそうに言うオリオールに、ロリアは顔を赤くする。

「いや、君の取った行動は理解できる。
 常識的に言えば、他人の諍いになど関わるべきでは無いのだが…。
 あの状況では、君はきっと飛び出すんじゃないかと思っていたよ」
「そ、それって私に常識が無いって事ですか!?」
「ははは、そういう訳じゃないが…」
「もうっ!どういう訳なんですか!」

我慢できなくなったのか、オリオールは噴出すように笑い出した。
逆に、ロリアは恥ずかしさでぷうっと赤い頬を膨らませる。

「いや…ロリア、君のそういう性格は、私は好きだ」
「え…えっ!?」

突然飛び出した単語に、ロリアの心臓は飛び上がりそうになった。
それが、本来の意味と少々用途が違うことに気付くまで、数瞬。

「…ロリア?」
「か、からかわないでくださいっ!」

それでもドキドキする胸を押さえながら、そう応えるのが精一杯なくらい、混乱していた。
(何だろう、これ…何でこんなに、私…)
宿に着くまで、ロリアは自問自答を繰り返したが…そんな短い時間で答えの出る設問ではないと、
自分自身歯痒いほどに判っているのだった。



「いやー、迷惑かけちゃったねー…あ、ありがとー…って熱っ!」

夕方近く…ロリア達の宿に連れられ、ベッドに寝かされていたクアトが目覚めた。
フリーテから熱いコーヒーを受け取りながら、愛想笑いをする様子には、
あの街中で見た険しい表情のカケラも無かった。
破れ、焦げた服は少女二人によって脱がされ、今は毛布を纏っている。

「私、クアト…クアト・スノウ。
 見りゃ判ると思うけど、一応冒険商人やってたり…お三方も、冒険者だよね?」
「うん、私は…ロリアーリュ・ヴィエント。
 ちょっと前に冒険者になったばかりだけど、今は三人で旅をしてるの。
 こっちは私の親友で、ふーちゃ…じゃなかった、フリーテ」
「…フリーテ・エルシュタイン、です」

少し離れた壁際に寄りかかっているフリーテが、堅い表情で会釈する。

「こちらはオリオールさん。
 私たちが一人前の冒険者になる為に、旅をしながら色々教えて貰ってるんだ」
「そんな大仰なものではないが…」
「へー、すると騎士さんがこのパーティのリーダーって訳?」
「いや、あくまで私は脇役でね。リーダーはロリアだ」
「え!?」

オリオールの言葉を聞いて、目を丸くするロリア。

「わ、私がリーダーだったんですか!?」
「…君はその自覚も無しに、今日まで旅をしてきたのか?」
「聞いてませんよっ!」
「無論、言っていないが…自覚があるものと思ってたからな」

二人のやりとりを聞きながら、クアトは思わず吹き出す。

「あはははは…なんか、可笑しなパーティだねー!」
「むー!可笑しくないよ!」

頬を膨らませるロリア。
表情の和んだクアトに、オリオールは切り出す。

「ところで…君は、何故あのような諍いに巻き込まれていたのだろうか?
 一応我々も助けた手前、気にならないと言えば嘘になる…もし良ければ、話を聞かせて貰えないだろうか」
「ちょっと、オリオールさん!
 まだ起きたばかりですし、あまり不躾な質問は…」
「あ、私なら構わないよ…ありがと。
 まぁ…家庭の事情で、あんま面白い話じゃないけど…」

少しだけ、視線を落すと…クアトは静かに語り始めた。

…アルベルタに、「スノウ商会」という店があった。
主に冒険者用の道具を扱っており、商売繁盛…とは言えないまでも、経営はそれなりに順調だった。
店を営む夫婦の悩みは、後継ぎになるべき子供に恵まれない事。
約十年前、悩んだ二人は孤児を引き取ることにした。

「…それが、私。本当の両親は、どうしたのかも判らない。
 物心ついた時には、孤児院で貧しさに耐える生活の中にあった」
「………」
「商人の夫婦…父さんと母さんが迎えに来てくれた時、嬉しかった。
 本当の親に捨てられた、こんな私でも…必要としてくれる人が居るんだって。
 世の中も捨てたものじゃないって、本気で思ったよ。
 だから、二人の気持ちに応えようと思って、必死で働いた。
 商人としての一人前になる為に、勉強も頑張って…そんな時だった」

クアトがスノウ家の養女になって、一年ほど経った頃。
一人の少女を連れ、何人かの王国の兵士が店を訪れた。
聞けば…スノウ家の遠縁に当たる一家が大陸北部で魔物に襲われ、彼女だけが生き残ったのだという。
王国の規律により、ほぼ強制的に引き取ることになったが…スノウ夫妻は暖かく彼女を迎えた。
クアトにとっても、義理とは言え…姉妹が出来たことに、ささやかな喜びを感じていた。
こうして…クアト=スノウ、ディータ=スノウと同じ姓を得た二人が、共に生活する事になった。

「…という事は、あのディータって人は姉妹!?」
「うん、私が姉…義理の、だけどね。
 向こうはたぶん、冗談でも姉妹だなんて思った事ないと思うけど」
「何故、それがあんな対立をするようになったのだ?」
「…順番に話すよ」

ディータの父母、遠縁に当たる一家というのは非常に裕福な家だったらしい。
良家というプライドも高く、それゆえ港町の貧しい商人一家とは疎遠になっていた。
ディータにはジュノーにある屋敷が残されたものの、それを含めて十五歳までは
養育するスノウ夫妻の預かりとなっていた。
無論、夫妻はそれに手をつけたり、掠め取ろうなどという気は毛頭無かった。

だが…ディータは慎ましい生活を強いられる中、次第に周囲の環境への不満を募らせていく。
それはスノウ夫妻に対する不信感へと代わり、やがて反抗という形で表面化する。
商人の勉強などせず、店の金を持ち出しては不良の遊び仲間と出掛ける日々…。
クアトの忠告を無視し、好き勝手に遊び呆けたディータは…ある日、短いメモをテーブルに残して家出した。
スノウ夫妻は、自分たちの愛情が足りなかったのだと自らを責め続けた。

「私は…元々、孤児だったからね。
 どんな環境でも、自分と本当の娘のように接してくれる父さんと母さんが居れば、それだけで幸せだった。
 …でも、大きなお屋敷で我侭に生きてたディータにとっては、あまりにも違いすぎた」
「だが、遠縁でも親族に仮託できなければ、財産は全て王国の所有物になっていた所だ。
 引き取り先も、もっと過酷な場所になっていたかもしれん…感謝こそすれ、恨むのは筋が違いすぎると思うが」
「それが判るほど、当時のディータは物分りが良くなかった。ま、今もだけどね」

それから間もなく、義母が病気で倒れた。
ミッドガルドでは珍しい病気であり、治療も困難な事から、義父は持てる財産の全てを治療代に継ぎ込んだ。
看病に集中するが故に経営は滞り、またこの珍しい病気そのものが周囲へ感染の不安を生み、
理由も無くスノウ商会への客足を激減させた。

その為、クアトは少しでも収入を得るために、この時期に初心者訓練場へ向かう事になる。
冒険商人として魔物を狩り、その収集品を売る事で、経営の圧迫した店を支えつづけた。
だが…。

「…色々手を尽くしたけど、母さんは亡くなった。
 それからはもう、父さんもすっかり気弱になっちゃってね…。
 以前のように、店を開ける状態じゃなくなってた。
 私は半分冒険者として、頑張って収入を得ていたけど…その頃には借金も、すごく膨らんでてね。
 そんな中、突然父さんはジュノーに出掛けるって言い出した。
 そう…ディータの誕生日、十五歳になる一ヶ月前だった。
 彼女はきっとジュノーに戻っているから、財産権の返還を行なうと共に…借金に対する援助も頼んでみる、って」
「うぅ、何か…すごくダメそうな予感」
「うん…冷静に考えれば、無理な話だって思えたんだけどね。
 その時の私と父さんは、母さんを失った悲しみや、借金の取り立て、店の行く末…。
 色んなものに疲れていて、状況打破の為なら藁にもすがる気持ちだった」

義父がジュノーへ、なけなしのポータル代を捻出して出掛けてから、一ヵ月後。
突然、ディータが二人の男を引き連れて、店に現れた。
…義父の遺体を持って。

「…亡くなられた!?」
「うん…それが、先週の事。
 ディータの話では、ジュノーに着く寸前で魔物に襲われたようだ、って言ってたけど…。
 何か、おかしいんだ。遺体は全身が焼け爛れて、炎系の魔法を浴びたようだった。
 それに、父さんはカプラのポータルを乗り継いでジュノーへ行くと言ってた。
 魔物が居るような場所を、ウロウロする訳が無い…」
「火の魔法…まさか、彼女と一緒に居た男…?」
「…考えたく、ないよ。
 義理で、愛情も一方的なものだったかもしれないけど…それでも、父親なんだよ。
 まさか、そんな事…!」

クアトは痛みを抑えるかのように、しばし胸に当てた手を握り締める。
そして、少しだけ溜息をつくと、また口を開いた。

「…それからは、めちゃくちゃ。
 お店の借金は、当然私一人で返せるわけ無いから…ディータにも返済義務が生じたの。
 王国の戸籍上は、まだ親族だったからね。
 それを知ったディータは…」

ぎゅっと、唇を噛み締める。
ロリアが始めて街中で彼女を見たときのような、険しい表情が蘇った。

「ディータは…勝手に店の権利書を持ち出して…!
 父さんと母さんの店を…売り払ってしまった…」
「…そんな」
「私にとっては…思い出の詰まった、大切な場所だった。
 これからどんなに苦労しても、店を再建するつもりで頑張ろうと思ってたのに…!
 ディータにとっては、屈辱的な生活を強いられた嫌な場所でしか無かったかもしれないけど…。
 でも、そんな勝手が許されるわけ無い…!」
「…その、店の負債は総額で幾ら位だったのだろうか?」
「…4000万ゼニー」

途方も無い金額に、はぁ…とロリアは大きく息を吐いた。
それでも一人で返済していこうと考えてたクアトが、無謀にさえ思える。

「随分と巨額だな…」
「後で判った事だけど…ディータがジュノーで暮らしていることを、父さんは知ってたみたい。
 それで、彼女が不自由しないだけの…相当な額の、仕送りをしてたって…。
 それとか、母さんの治療代とか…利子も重なってね」
「ふむ…」

部屋の中に沈黙が走る。
クアトはどこか、諦めを感じさせる顔で…微笑みすら浮かべながら、口を開いた。

「借金はお店を売ったお金で、チャラになったけど…父さんも母さんも、居なくなってしまった。
 私の大好きだった、大切な場所も…無くなってしまった。
 もう…私には、何も無い…」
「だから、街中で私闘を演じるような…あんな、無謀な真似をしたというのかね?」
「…せめてね、店を売ったお金から、父さんと母さんが一緒に入れるようなお墓をって思って、
 ディータに相談しに言ったんだ。
 でも…ディータは、あの三人は聞く耳持たなかった…それどころか!」

ぎりっ、と歯を軋らせる。

「…私を、自分達の…ディータが入っている、あのウィザードがマスターのギルドへ誘った。
 ただし、冒険者としてじゃなくて…自分達に絶対服従する、召使い…奴隷になれって…!
 そうすれば、多少なりとも収入の分配をするから、それを貯めて墓でも何でも自分で作ればいいって…!」
「な、何それ!ひどい!」
「はは…それ聞いたら、頭に血がカーッって上っちゃって。
 ディータと、あのウィザードを一発殴らなきゃ気がすまなくなったんだけど…結果はあの通り。
 それでも…父さんを、母さんを、そして私を侮辱するディータは絶対に許せなかった。
 もう、あの場で刺し違えてもいいとさえ思ったよ…あなたが、止めなければね?」
「え?あ、その、ごめんなさい…」
「謝らないでよ、むしろ今は感謝してる。
 冷静に考えれば、バカな事しようとしてたって気付くよ…ありがとね、助けてくれて」

申し訳無さそうに頭を下げるロリアに、クアトはにっこりと笑う。
…だが、その笑顔もゆっくりと崩れ、寂しげな顔へと変わる。

「でも…どうしようかなぁ、これから…」

呟くように言ったクアトの台詞を、ロリアは聞き逃すはずも無く、
ばっ!と勢いよく胸を張ると、不必要なまでに大きな声で叫んだ。

「行こうよッ!!」

意味の通らない大声に、他の三人が怪訝な表情をする。
だが、そんな事お構いなしにクアトに寄り添うと、その手を握り締める。
まるで、素晴らしいアイディアに酔いしれるかのように、ロリアの瞳は輝いていた。

「私たちと、一緒に行こうよっ!!」
「ふぇ…?」

突然の申し出に、目を丸くするクアト。
オリオールはこうなる事を予想していたのか、苦笑しながら肩をすくめる。
フリーテは黙って、目を閉じて声だけを聞いていた。

「私たち、この街に契約商人を探しに来た所だったの!
 これはもう、運命としか言い様が無いよー!ね、いいでしょう!?」
「え、いや、あの…」
「待ちたまえ、ロリア…順番に話をしなければ、判らないだろう」

見かねたオリオールが、クアトに食らいつくロリアを引き剥がす。

「でも、でもっ!」
「我々は、利潤の為に商人の仲間を求めていたはずだ。
 非情なようだが、まったく役に立たない商人と契約しても…それは無意味だ」
「そんな!」
「済まないが、クアト君…いくつか聞かせて欲しい。構わないだろうか?」
「え?べ、別にいいけど…」

ロリアの剣幕に押されっぱなしのクアトが、たどたどしく答える。

「君が商人ギルドから承認された、オーバーチャージのレベルは?」
「えーと…先日、6になったばかり、かな」
「合格ゥ!」

ロリアがぐっ、と親指を突き出す。

「ふむ…では、君の戦闘能力についても聞いておきたい。
 メイン武器は斧のようだが、実際どの程度の実戦経験があるのだろうか?」
「武器は属性短剣も持ってるから、そっちも使ってるよ。
 収集品集めの狩りって言っても、あまりアルベルタから離れる事は出来なかったから…。
 フェイヨンの地下墓地とか、イズルードの海底洞窟なら三層まで一人で行ったけど」
「なるほどな…」
「え?それってどういうこと?」

いまだ、モンスターの生息域などに詳しくないロリアが、オリオールとクアトの顔を交互に見る。

「君より実戦経験も豊富、という事だろうな」
「おぉー!合格だね!」

また、親指を突き出して見せるロリア。

「我々はまだ、冒険者として修行の旅の過程にある。
 クアト君も自己資金に乏しいというなら、拠点を構えてもらっての取引契約は難しい。
 …移動代、合流する為の時間なども貴重なものだからな。
 つまり、もし彼女と取引契約を結ぶ場合、この旅に帯同して貰う事になる。
 どうやら、戦力的にも今の私たちには期待できそうだ」
「さっすが、オリオールさん!まとめるのが上手いっ!」

ロリアはまるで、クアトが一緒に行くことが決まったかのようにはしゃいでいる。
クアトと言えば、まだ事態が飲み込めず…どこか、ぽかんとした顔をしていた。

「…という訳で、我々としては君を、新たな旅の仲間として迎えたいという事になった。
 先の判らない旅ではあるが…もし、君さえ良ければどうだろうか?
 オーバーチャージによる収入の三割は、君の契約分として自己資金にして構わない。
 もし、我々と旅する事に不満を感じれば、途中で別れる事も自由だ。
 お互いの戦力、能力を考えれば、悪い条件では無いと思うが」
「は、はぁ…」

突然の申し出に、クアトは言葉が出なかった。
自分がアルベルタを離れて、職業冒険者と共に旅をする事など、今まで思いもしなかったからだ。
収集品集めの為に一人、冒険に出た事はあるが…誰かと一緒に行動した経験も無い。

そんな迷いの中にあるクアトの手を、ロリアは両手で握り締めると、満面の笑みで頷いた。

「一緒に行こうよ…きっと、楽しい旅になるよ!」

その無垢なまでの笑顔に、クアトは胸が熱くなる。
義母が倒れてからこっち、義父に代わってただ店の経営を回復することに必死だった。
目の周るような忙しさ、厳しさの中で…楽しいと思える事など、何も無かった。
頑張って、頑張りつづけて…最後には全て、失ってしまった。
もう、自分には何も無い、何も出来ないと思っていたのに…。

(私を、必要としてくれる人が居る…)

それは、泥濘に沈んでしまいそうだったクアトの心に差し込んだ、一条の光のような思いだった。
あるいは、同情されているだけかもしれないとも思う。
しかし…あの店の前で、ディータに打ちのめされるだけだった自分を、
事情も知らないのに、自らの危険すら省みずに飛び込んで、助けてくれたロリア…。
そして今も…自分を本気で心配してくれているその心は、疑いないと信じられる。

(彼女なら…信じられる)

握り締められた、手の暖かさ。
人の、他人のこんな暖かさを感じたのは、何時振りの事だろう…?

「あ、あの…私…」

たどたどしく口を開くクアト。
だが、涙が次から次へと溢れて…上手く喋る事ができない。

「…その…ぐすっ…わ、私でよければ…よろしく、お願いします…ううっ…」
「やったぁ!…これから、仲間だね!
 って、もう!だめだよ、泣かないで」
「…ふぇ…ご、ごめん…でも…ふぇぇ…」
「うん…これからよろしくね、クアトさん」

泣きじゃくるクアトを、ロリアは強く抱きしめる。
オリオールは、終始黙ったままで話を聞いていたフリーテへと向き直った。

「…と、いう事になったが、フリーテ。
 彼女を仲間に加える…君も賛成という事で、良いだろうか?」
「…ろりあんがそう望むなら、私が反対する理由はありません」

目を閉じたまま、どこか機械的にそう言うフリーテ。
オリオールもただ頷くだけだった。



…その夜、誰もが深い眠りにつく頃。

ロリア達、少女三人の宿泊する部屋のドアが静かに開かれた。
がちゃん…と小さな金属音が静まり返った廊下に響く。
ドアがゆっくりと閉められると、軋る床の音は階下へと消えていく。

(やはり、な…)

隣室で寝ずに居たオリオールは、腰掛けたベッドから立ち上がる。
自分の危惧していたことが、こうも早く起きるとは多少想定外だった。
とは言え…看過して良い事態とは言えない。
最低限の装備を身に付けると、その後を追うようにオリオールは部屋を後にした。






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