HyperLolia:InnocentHeart
−誓い−
014:Pledge


アルベルタ、午前三時。
こんな時間でも、波止場の周辺には幾人かの賑わいがあった。
朝一番で着く船の受け入れ準備、積み込む荷物の整理、その警備…。
不眠不休の商人達の働きが、この街の活気を支えている。

…それとは反対に、誰もが寝静まった居住区。
商人達ならではの財産に対する過剰な防衛意識、そしてアルベルタ独自の警備隊などによって
裕福な住居が多い街でありながらも、犯罪者の影はミッドガルドで一・二を争うほど薄い。
所々に備え付けられた大き目の街灯も、そんな治安に一躍買っている。

その柔らかい光に煽られ、形作った影が弧を描いた。
かちゃかちゃと軽い金属音を響かせながら、足音は広く、小奇麗な街路を北へ。
そして…西への角を曲がった所に、アルベルタの正門がある。

この街唯一の街門は、夜間は保安の為に閉じられている。
小さな副門もあるが、この時間帯の出入りは常駐する警備隊により厳しく管理されていた。
もっとも、これは閉門後にアルベルタを訪れた冒険者や商人が、街の外で一夜を過ごすのは
危険だ…という配慮から、特別に入ることを許可するための門である。
アルベルタを開門時間外に「出る」事は原則、禁止されていた。
これは主に、窃盗犯や密輸商人・密航者などが秘密裏にアルベルタを抜け出さない為である。
その為、街門前広場には宿代が無く野宿をしながら開門を待つ冒険者が、常に数人たむろっていた。

そんな街門前へ、小走りに向かっていた…一人の少女。
今にもそこへ通じる角を曲がろうとした時、目の前にゆらりと現れた影に、足を止めた。
少女はすぐに『影』の正体に気付き、はっ…と、声にもならない息を漏らす。
『影』はゆっくり近づき、街灯の光に身を曝け出した。

「…こんな時間に、散歩だろうか?」

穏やかに…まるで、偶然出会った友人への何気ない問いかけのように、オリオールは言った。

「………」

少女は全身が硬直してしまったかのように、返事もせず…動かない。

「アルベルタの海から昇る朝日の美しさは、格別だ。
 もっと南の、港側の方から見たほうが良いのだが…どうだね、一緒に」
「………」

少女の口は何かを囁くように動いたが、声にならないまま雑音になり、小さく吐き出された。
オリオールはじっと黙ったまま、その吐息が言葉を為すのを待った。
…どのくらいの時間が、過ぎた頃だろうか。
遠くにかすかに聞こえる潮騒に紛れて、搾り出すような声。

「…もしかしたら、あなたには…気付かれてるんじゃないかって、思いました…」
「私も、自分の勘が外れてて欲しいと思っていたのだが、ね…。
 もし、まだ時間があるのなら…少しだけ、話をしないか?
 君は私の事を嫌っていたようだから…無理強いはしない、が」

オリオールは、凛とした声でそう言った。
少女は、自分の行動を全て見透かされていた事に…自嘲気味に笑みを浮かべながら、小さく頷いた。

「…居住区で立ち話では、警備兵に要らぬ誤解を招くだろう。
 南に、ちょっとした公園がある…そこへ行こう」

彼女の横を通り過ぎ、歩いていくオリオール。
少女…フリーテは、その背中を見詰めながら、ゆっくり動く影に続いた。


二人は街の南側、水平線の見える公園へと入る。
昼間、ロリアとオリオールが商人を物色した場所だが…この時間では、喧騒の欠片も残っていない。
東の空が漆黒から青へと、夜明けのグラデーションを彩り始めている。
オリオールはゆっくりとベンチに座るが、フリーテはやや距離を置いて、立ち尽くしていた。

「………」
「………」

暫く、無言の二人。
しかし、その静寂を切り裂くように突きつけられた、オリオールの言葉。

「…逃げるのかね?」
「………!」

それは唐突に、そして確実に、フリーテの良心を抉った。
彼女が今回の『行動』に至るに、心の中で無意識に避けつづけてきた言葉。
認めてしまったら、自分を果てしなく嫌いになりそうな…しかし、真実であるという忌むべき言葉。

「だって…」

それでも、反論を…反論と言う名の、言い訳を探すフリーテ。

「だって、仕方がないじゃないですか。
 私…元々、冒険者になろうなんて考えたことも無かったんですよ…?
 そうしたら、案の定です…ロクに戦う事も出来ない…ダメなんです、私なんか。
 いつか、きっと…ろりあんの、皆の足手まといになるだけだから…」
「…だから、冒険者を辞めて、家に帰るとでも言うのか?
 何があっても、ロリアを守る…そう私に切った啖呵は、嘘だったのだろうか?」

フリーテは、一番突かれたくない所を突かれた。
逃げるという行為を、唯一押し留めようとする心の揺らぎがあるとすれば…。
自ら掲げたその誓いを、放棄する事…ただ一つだったから。

「わ…私だって、そう思っていましたっ!冒険者だとか、そんなの関係ない…!
 …ろりあんの傍で、常に手助けをしてあげられる…力になってあげられる…。
 今までも、これからも、ずっとそうやってろりあんと一緒に居ようって思ってました!
 でも…!」

フリーテの表情が、悲痛に歪む。

「現実は、全然違って…!判りませんっ!
 …冒険者って、何なんですか…!?
 あんなに恐ろしい、人外の化け物と…何故、戦わなくちゃならないんですか…!?
 ろりあんを守るどころか…むしろ、助けられているのは私で…!
 私は…死ぬのが怖くて、ただ逃げることしか出来なくて…っ!」
「………」

震える手を握り締め、感情的に言葉を並べるフリーテ。
オリオールの前で、そんな姿を見せるのは初めてだった。

「…座ったらどうだね?
 私は、君を責めているのではない…少し、落ち着こう」
「………」

身体から溢れそうな何かを、必死で押さえ込んでいるような…。
そんな苦しさ、切なさを孕んだ顔のまま、フリーテはゆっくりとオリオールの隣に座った。

「フリーテ、一つだけ聞かせて欲しい。
 言いたくなかったら、答えなくともいい」
「………」

返事が無いのが返事だと決め、オリオールは独り言のように語りだした。

「…君達としばらく旅を続けて、不思議に思ったことがある。
 ロリア…彼女が冒険者になり、旅をしている理由は良く知っている。
 駆け出し冒険者…いや、この時代に生きる者としては、あまりにも理想に過ぎるが…」
「…はい。
 冒険者になるって…ろりあんが言い出した時にも、必死で止めました。
 そんな綺麗事みたいなお題目を抱えて、やっていける訳が無いって…」
「それが正常な考え方だろう。
 …しかし、そんな君が何故ロリアと共に、冒険者になろうとしたのだろうか…?」
「…最初は、ミアンシアさんへの対抗心…みたいなものもあったと思います」
「ミアンシア…確か、君達の友人で一緒に冒険者に志願した娘だったな」
「ええ…。
 それに…ろりあんが遠くへ行ってしまうようで、離れてしまう事への寂しさも…ありました。
 冒険者、というものがどんなに厳しくても…彼女と一緒に居たい、守りたいと思いました。
 でも、やっぱり…やっぱり私には、冒険者なんて向いてなかったんです」
「…ふむ…」

オリオールは一瞬、次に聞こうとする言葉に躊躇いを見せる。
だが、しっかりとフリーテを見据えながら口を開いた。

「…私がずっと不思議に思っていたのは、君がロリアを『守ろう』とする態度だ。
 彼女はどこか頼りなく感じるのは事実だし、私ですら放っておけない気にさせられる。
 あるいは、そういう彼女を良く知る君ならではの、友情の顕れか…とも思った。
 だが、君は常に…時には私からでさえ、彼女を守ろうとする意識を見せる。
 まるで、彼女に忠誠を誓うかのように…」
「………」
「…私には、それを友情と形容するには何か不自然さを感ぜざるを得ない。
 君がロリアを『守ろう』とする事には、何か特別な理由があるのだろうか?」

オリオールは、これが二人のプライベートに踏み込む質問だとは重々承知している。
だが、今…自信を喪失し、全てを投げ出しかかっているフリーテに必要なのは、
『初心』ではないか、それを思い起こさせる事なのではないか…と、敢えて問うたのだった。

「…ろりあんは…」

フリーテは、少し間を置いて、口を開いた。

「…ろりあんは、私を、暗い闇の底から助けてくれたんです」
「…闇の、底?」

懐かしむような、その思い出を愛でるような…フリーテは、そんな穏やかな表情をしていた。

「…私は元々、シュバルツバルトにほど近い、山岳の小さな村で暮らしていました。
 八歳の時、魔物の群れに襲われて…もう無くなってしまいましたけど」

(肌の白さ、特徴的な青味の銀髪…どこか北部の人間の雰囲気を感じさせる、と思っていたが)
やはり…と、オリオールは心の中で相槌を打つ。

「父と母を亡くし、一人になった私は…外傷は大した事無かったものの、
 自分の体験した事に対するショックが大きすぎて…心を、病んでしまったんです。
 現実が怖くて、自分自身の中へ逃避しつづける日々。
 …その間の事は、もう良く憶えていません。
 断片的に、ループする夢を見続けているような…そんな、無為な時間だったと思います」
「ふむ…。
 魔族との戦いに巻き込まれた幼い子供の中には、そんな症状が出る事もあると聞いたが…」
「そんな私を不憫に思ってくれた、お父さん…エルシュタインさんが、私を引き取ってくれました。
 でも、軍属でしたから…あまり、ゆっくり家に居られる時間も無かったそうです。
 そんな時は、近くのヴィエント家の皆さんが私の世話をして下さいました。
 …ろりあんやアイネちゃん、リーンさんにファルさん…エアリー小母さんも、
 人形のように虚ろな私に、ずっと…何度も話し掛けたりしてくれていたそうです」
「………」
「…ろりあんは、特に熱心に…毎日のように、まだまともに話をした事も無い私を、
 まるで…ずっと昔からの、友達のように…接して…くれて…」

そんなロリアの優しさを思い出したのか…フリーテは泣き出しそうになるのを抑えるのに、
口元をぎゅっと閉じて堪える事しか出来なかった。

「…私が、長い長い夢から醒める事が出来たのは、ろりあんが呼んでくれたから。
 それまで、両親と共に…この世に居ない存在に等しかった。
 そんな私に再び動き出す時間を、未来という希望をくれたのは、ろりあんなんです…」
「なるほど、な…」

それまで黙っていたオリオールが、納得するかのようにそう呟いた。
フリーテが、あれほどまでにロリアを守ろうとした理由…。
(言わば…彼女に救われた、命を拾って貰ったが故か)
大切な友である以上に、恩人でもある…その行動原理について、オリオールは理解できた。

「…そんな大切な友人を放り出して、君は逃げる…それで、いいのかね」
「………」

フリーテの表情に、陰が戻った。
まるで責められる子供のような、いまにも泣きそうな顔で、訥々と語る。

「…ろりあんの強さは、想像以上で…私の助けなんか、要らないほどに…強かったんです。
 あの狼たちを相手に、一歩も引けを取らずに…!
 私は、ただ裁いて…逃げるのが精一杯だったのに…」
「ならば、今からでも学べばいい…戦い方を、守る方法を、生き残る戦術を。
 …我々はその為に旅をしているのでは、なかったのだろうか?」
「きっと…違います、よ。
 もう、最初の覚悟からして…私とろりあんでは、すごい差があったんです。
 私は…ダメです。あれから、ずっと…剣を抜くことすら、出来ない…。
 クアトさんっていう仲間も増えましたし、騎士様も居れば…私なんか居なくたって…!」
「…フリーテ」

オリオールはフリーテの独白を遮るように、強い口調で彼女の名を呼んだ。

「ロリアは、君が思っているほど強くない」
「え…」

その言葉に、フリーテはたじろぐ。

「そ、そんな事無いですよ…だって、あれだけの狼を相手に立ち回って、
 私が、さすらい狼に襲われている最中にも…あの時の強さ、騎士様も見たでしょう?
 まるで、人が変わったかのような…」
「そうだ…ロリアは時に、自分でも気付かないような…限界以上の戦闘力を見せる事がある。
 だが、それが意識した自己の能力ではない以上、本当の強さを証明するものではない…」
「意識しても、しなくても、強いことには変わりないですよ…!」
「そうではないのだ、フリーテ」

オリオールは、ゆっくりと首を振った。

「あの夜、私がロリアの姿を発見した時…彼女は既に満身創痍で、それ以上の戦闘は到底無理に見えた。
 だから、彼女を残し、私一人が君とさすらい狼の追跡に向かった。
 それでも…気力を振り絞り、最後には抜き身のナイフ一本で、あの狼に立ち向かおうとした…。
 彼女のあの力の源が、何だか君には判っているのかね?」
「…そ、それは」
「君だよ、フリーテ。
 君が心配で、待っていろと言ったにも関わらず、私の後を追った。
 倒れている君を見て、逆上して狼に襲い掛かった…全て、君を想って湧き上がった力なのだ」
「…あ…」

フリーテの瞳から、堪えきれずに…大粒の涙が零れた。
…そんな事は、判っていたのだ。
いつだって、ロリアは自分の事を考えてくれている事を。
自分も対等以上にロリアの事を考え、守り続けようと頑張ってきたつもりだった。
…だが、届かない。
ロリアの悠然とした優しさと強さの前に、自分の存在理由がちっぽけになっていく感触。
ただ…それに、耐えられなかったのだ。

「今…ロリアは元気そうに見えても、強がっている。
 君を危険に晒した一件で、冒険者として…戦う者として、迷いが生じている。
 彼女はいずれ、自らのロスト・エンブレムを守リ続ける為に、より強大な敵に立ち向かう事になるだろう…。
 そして、その為には多くの仲間と団結し、共闘する事も必要になる。
 …今、彼女はひとつの正念場を迎えつつあるのだ」
「でも…私は…!」
「フリーテ…君の助けが、存在が、ロリアには必要なのだ。
 …これからも彼女の傍で、守ってあげてはくれないか?」

瞬間、自ら口にした言葉で…オリオールの脳裏に蘇る光景があった。
遠い昔に同じような言葉で、自らの力を乞われた時の事を。

(あなたの助けが、必要なんです…。
 これからも私の傍で、私を守ってください…)

古い記憶が、呼び起こされる。
悲しみの残骸が、オリオールの心臓を貫き、古傷を震わせた。
蘇る喪失感に、全身の力を失いそうなるのを…精神力だけで必死に押し留める。

そして…目の前には、涙で頬を濡らした少女が居た。
あの時も、今も。

「私は…ろりあんを守るなんて、おこがましいです。
 怖くて剣を抜くことも出来ない私に…何が出来るって言うんですか…?」
「…フリーテ」

オリオールはベンチから立ち上がると、恭しくフリーテの前に膝を着いた。
かつて、同じように泣いていた少女の前でしたように。

「き、騎士様…?」
「君は、君の思うように…ロリアを守る、というその一事の為だけに剣を振ればいい」
「え…」
「私は、ロリアが…そして、君が…真に強い冒険者になる時まで、この身を張ってでも
 君たちを守りつづける事を…ここに誓約する」

そう言うと、オリオールは自らの剣を抜き…フリーテの前に差し出した。
彼女は剣士になる為の訓練の中で、その行為の『意味』を学び、知っていた。
それは、騎士が…忠誠を誓うものに対する『儀式』であると。

「や、やめて下さいオリオールさんっ!?
 騎士が、剣士にそんな事をするなんて…聞いたことがありません!」
「そんな事は無い…今日の騎士が忠誠を誓う対象は、多種多様だ。
 それに…この宣誓は、君とロリアの二人に行なうものと思って欲しい」
「で、でも!そんなの、おかしいですよ!」
「フリーテ」

オリオールは黙って、自らの剣を掲げる。

「君は…ロリアを守るのだ。
 その為に冒険者になり、剣を身に帯び、今日という日まで戦い続けてきたのではないか?
 一度や二度の敗戦で、その日々を否定してはいけない。
 それは…今までも、これからも戦い続けるロリアをも、否定する事になるのではないか?」
「オリオール、さん…」
「フリーテ…どんなに弱くても、惨めでも、情けない戦い様でも…誰も君を嘲笑などしない。
 結果、ロリアを守ることができれば…それは常に、君にとっての勝利なのだ」

オリオールにとっては、二人目の…剣を捧げる相手であった。
ロリアという少女にこれから襲い来る災厄…それを防ぐ盾としての力、
そして彼女の精神的支柱のひとつとして、現状では絶対にフリーテの存在は欠かせない。
そういう、彼女たちの将来を見据えた…打算的な考えが、まったく無かったと言えば嘘になる。

「そして…君の事は、私が守る」

だが、オリオールをこのような行動に走らせた根幹…。
見た目以上に弱く、些細な事で折れてしまいそうな…儚い華のような少女。
今ではオリオールの記憶にのみ生きる少女と、フリーテがどこか重なった時、彼は心から思ったのだ。
この少女を、全身全霊を賭けて守りたい…と。

「…オリオールさん。
 私、また…剣が振れるようになるでしょうか。
 ろりあんを守れるくらい、強くなれるでしょうか…?」
「君がそう望むのなら…必ず、なる事が出来る」
「その日まで…未熟な私を、ろりあんを…守って下さいますか?」
「この身に賭けて」

オリオールの手から、剣を受け取る。
ずしりと重い両手剣は、フリーテの扱う片手剣などとは比べ物にならない力強さがあった。

「…私の、騎士様」
「そう、私は…君の騎士だ」

フリーテが剣を返し、忠誠の儀は成った。
その手が震えているのに、オリオールは気付く。
見上げれば…フリーテはぼろぼろに涙を流し、いまにも崩れ落ちそうな程だった。

「わ、私…ごめんなさいっ…ごめんなさぁい…!」

泣きながら、フリーテはオリオールに抱き付いた。
一人、自分の弱さに負けて…逃げ出そうとした身を、恥ずかしく思う心。
それに気付くことが出来たのなら、と…オリオールは優しく、フリーテを抱きしめた。

「…泣かなくていい、フリーテ。
 君は、ここに残ったのだから…ロリアと一緒に、戦う事を選んだのだから」

ようやく姿を現した朝日の柔らかな光が、二人を包んでいく。
銀色に輝き始めた水平線の向こうから、朝一番の船が現れ…アルベルタの一日が、動き始めた。


それから三日間程、一行は冒険に関する情報収集と装備品の調達に奔走していた。
アルベルタは商人の街だけあり店舗の数も多く、首都ほどではないが、冒険商人達の露店も多い。
早速クアトの『商才』が生かされ、ロリアとフリーテの新しい装備を購入していくのだった。
フリーテは今までのメントルから、初めて本格的な鎧…アーマーを着用した。
頭部にも戦闘用のヘルメットを装備し、いよいよ見た目の『剣士』らしさも増してくる。
足元は二人とも、揃いのブーツで固めた。

ロリアは手持ちの弓を、クロスボウに持ち替えた。
通常の弓と、弩(いしゆみ)では同じようでいて微妙に勝手が違う。
これは、瞬間的な接近戦・複数目標との戦闘に順応性を見せたロリアの場合、
遠くから狙って一撃必中…より、距離を問わず強力な射撃を行なえる弩の方が
適性があるのではないか、とのオリオールのアドバイスもあっての事である。
まだ弓の使いこなしを完全に把握した自覚も無いロリアだったが、慣れるのなら早い方がいい…と、
この機会に新調したのだった。

「そー言えばそれ、戦闘スキル用のアタッチ付いてる?」

装備を買い揃えて宿に戻る途中、クアトがふと思い出したように聞く。

「え?あ、そう言えば…このままだと使えないんだっけ」

ロリアはアーチャーギルドでのレクチャーで、弩で戦闘スキルを使う際は
武器自体に若干、改造が必要だという話を聞いたのを思い出す。
自分が使う事は無い武器のそんな情報を知っているクアトは、なるほど商人らしかった。
がさがさと紙袋からクロスボウを出し、先端部を確認する。

「あちゃ、無いみたいだねー」
「えー!どうしよう…」
「近くの武器屋で確か扱っていたから、聞いてくるよ!先に戻ってて。
 あ、ちょっとコレ貸しといてね」

と、クロスボウを受け取ると…ひとつウインクをして、走っていくクアト。
後にはロリアとフリーテだけが残された。

「なんて言うか、クアトさんって行動早くって…つむじ風みたいだよね」
「ふふっ、そうですね」

可笑しげに顔を見合わせる二人。
仕方ないので、そのまま先に宿へ戻ることにする。

…あのさすらい狼との一戦以来、ロリアとフリーテとの間には、どこか気まずい空気があった。
それは、結果的に…フリーテの命を奪いかねなかった、ロリアの判断力。
そして、ロリアを守るという自分自身への誓いを裏切る事になった、フリーテの戦闘力。
二人それぞれの後味の悪さが、口に出せない重荷になっていたのだが…。

クアトを迎えた明くる日、フリーテの様子はどこか一変していた。
何かを悟ったような、振り切ったような…清々とした雰囲気すら漂わせて。
(ふーちゃん、何か良いことあったのかなぁ…?)
未だ、彼女を危険に晒した事を気に病むロリアには…そんなフリーテの様子が嬉しくもあり、
また少しだけ羨ましくもあった。

「そういえば、オリオールさんどこ行っちゃったんだろうね」

オリオールは朝から私用で、人に会って来る…昼過ぎには戻ると言って、
朝食もそこそこに出掛けてしまっていた。

「会う人って、誰だろ…専属商人さんとか、かなぁ?それとも同じ騎士団の人…?」
「たぶん、ただのお友達だと思いますよ」

どこか確信めいた物言いをするフリーテに、ロリアは少し驚く。
それもそのはず、フリーテはオリオールが誰に会っているのか…だいたい想像出来ていたからだ。

「…ふーちゃん、何か知ってるの?」

じーっ…と見詰めるロリアに、思わず視線を逸らす。

「し、知りませんよ、オリオールさんがどなたに会ってるかなんて。
 何となく、友達じゃないのかなって…思っただけです」
「ふぅ〜ん…」
「お腹、空いちゃいましたね。
 クアトさんには悪いですけど、早く宿に戻って昼食の用意して頂きましょう」

そう言うと、ずんずんと歩いていくフリーテ。
どこか訝しげに思いながらも、ロリアは全然違うことに気付き…首をかしげた。
(あれ…?ふーちゃん、いつからオリオールさんの事…『騎士様』って呼ばなくなったんだろ?)
しかしそれは、別段悪いことではない。
二人が仲良くなれば、旅はもっと楽しいものになるに違いないのだから…。
そう思いながら、ロリアは先を行くフリーテを追いかけるように、走り出した。


同じアルベルタで店を開いていた者として、それなりに意識してはいたものの…馴染みの薄い武具店。
海岸沿いの一等地という立地条件もあり、今日も冒険者で賑わっている。
クロスボウ用のオプションを買い揃え、店を出た時…クアトは一抹の寂しさに包まれた。

…かつては、自分も同じような空気に身を包んでいた。
優しい義父と、義母と…ずっとこの地で、商売をしていけるものだと思っていた。
失えば、その頃がいかに満たされていた…平和で幸福な『時代』だったのか、良く判る。

ふと、足を止める。
既に看板を下ろされ、もう潮風に煤けるだけの『スノウ商会』の前。
その店の姿は、もうここに…アルベルタに、クアトの居場所が無い事を赤裸々に物語っていた。
思い出の残骸と言うには、あまりにも空虚すぎるその有様に、胸が熱くなる。
(…泣くなっ、クアト!)
自分で自分を、心の中で叱咤する。
『スノウ商会』は終わりじゃない。
クアトがこの店を…両親の働き振りを、『スノウ商会』が輝いていた頃の思い出を忘れない限り、
心の中でいつまでも、開店し続けるのだと…言い聞かせながら。

ロリア達との冒険への旅立ちが、これからの自分にどのような影響を及ぼすのか…想像もつかない。
だが、今はこの街で悲しみに暮れているよりも…それが、たとえ不確かな未来であっても、
ただ前へ…前へと進むことが、自分自身を強くするはずだと、思いたかった。
ロリア達が商人としての自分を必要としてくれたように、悲しみに立ち止まってしまいそうな自分を
引っ張ってくれる…その一事だけでも、彼女らの存在は今のクアトにとって必要だと思えた。

そして…ディータに対する気持ちは、今は心の中に仕舞っておこう…と決めていた。
あれから彼女に会うことは無く、借金整理を済ますと早々に街を出て行ったらしい。
もっとも…今彼女に会って何かを話しても、分かり合えないだろうとクアトは思っていたし、
ディータの行動を見れば、彼女の気持ちも同じだろうと簡単に推察できた。

しかし…たとえ血が繋がっていなくても、嫌われていても、ディータはクアトにとって妹なのだ。
自分達がいがみあい続ける事は、両親も望んではいないはずだった。
時が経てば、きっと…もっと穏やかに、話し合う事ができる日も来るかもしれない。
そんな淡い期待のような祈りを、かつて自分が暮らした場所へと、捧げる。

(いつか、分かり合える日まで…お父さん、お母さん…私とディータを、見守っててね)

クアトは走り出した。
まだ見ぬ広い世界へと、優しかった両親のような…心の強さを求めて。


「…オリオール」

埠頭の端で一人、立ち尽くしていたオリオールは、不意に呼ばれた声で我に返った。
だが、視界に人の姿は無い。
それでも、気配がする方をじっと睨むと…ふと、その空間が揺らいだ。

「相変わらずだな、シルバー

何も見えない所から、忽然と姿を現したウィザード
シルバー…と呼ばれた少女は、にっこりと笑って銀髪に付けられたクリップを指差す。

「むーん…せっかく、ハイディング・クリップを入手したのに。驚きませんでしたか?」
「…その為だけに手に入れたのかね?
 まったく…まぁ、君のお金で買ったものに私が文句を言う筋合いは無いが」
「冒険者にはゆとりも大切ですよ、オリオール。
 …とは言え、この短時間で首都とココの往復は、ちょっと疲れました」

そう言いながら、シルバーは肩に背負った大きな布袋を差し出す。

「先に、頼まれていたこれを」
「すまないな」

受けとったオリオールが袋を取り払うと、真新しい皮で装飾された鞘が現れる。
その先端、柄を握りしめ…引き抜く。
天を突く剣先。
両手剣の中でも、特に屈強な騎士達に愛される…クレイモアと呼ばれる、巨大な斬魔刀。
そして今、オリオールの手にあるその刀身は、ぼんやりと碧色に発光していた。

「あなたほどの騎士が、風の精霊剣を持っていなかったなんて…」
「以前のは、レースに折られてな…自信満々に過剰精錬するなんて言うから、任せたのが失敗だった」
「その代償に、今回の発注ですか?急に言われて、予定が狂ったってぶーたれてましたよ」
「そのくらいの貸しは、前払いしてあると思うがな。
 …うむ、良い出来だ。精錬はともかく、鍛治の腕は鈍っていないようだ」

ぶん!と力強く振り下ろす。
凄まじい剣圧に、切り裂かれた大気が悲鳴を上げた。

「その言葉、伝えておきますね。
 …最近、旅ばっかりで代売にも来てくれないって、寂しがってましたよ」
「彼女がそんな、しおらしい事を言うとは思えないが…」
「あはは、ちょっと脚色してみました」

二人、笑いあう。
オリオールは『風』のクレイモアを鞘に収めると、背負うようにして身に装備した。
そして…表情を引き締める。

「では、他の件について聞こうか」
「はい…」

シルバーの瞳も一転、真剣な光を帯びた。

「まず…探索中だった、ロスト・エンブレムの件ですが…」
「うむ…」
「やはり、予想通り売却されていました。
 取引価格は二束三文だったようなので、アイテムとしての正体は割れていないみたいです。
 数日前の商船で、ファロス灯台港経由でモロクの方へ流れたらしいのですが、その先は…」
「そうか…」

悔しそうに歯軋りするオリオール。
元はといえば、自分の不注意で盗まれたものだ。

「そちらの探索は、『蒼の騎士』に引き継ぎました」
テミス、か…彼女なら、安心して任せられるな」
「…あと、あのロスト・エンブレムの詳細が判明しました。
 聖戦時代の呼称は『エクスプロージョン・エンゼルス』。
 第11混成魔導師団…『烈火の織天使』と呼ばれたティズが率いた、魔導士軍団のものですね」
「ほう…『炎の悪魔』としては、興味深いのではないか?」
「もちろんです」

にっこりと笑うシルバー。

「どういう人物に、あの紋章が応えるのか…興味は尽きませんねぇ」
「それもこれも、取り戻してからの話になるが、な…」
「むーん…あまり自分を責めちゃダメですよ、オリオール」

ぽん、と肩を叩かれて…それでも、オリオールは黙って頷く事しか出来なかった。

「…で、親衛隊…アルビオンの動きは?」
「はてさて、ここの所はすっかり大人しい感じですよ。
 何でも、シュトラウト卿が直接グラストヘイムの閉鎖領域に出張ってるらしくて」
「…奴が、自ら?定期的な探索にしては、大袈裟すぎるな」
「真意は判りませんけど…とりあえず、卿が帰還するまでは大きな動きはなさそうです。
 まだ帰途についたという情報はありませんから、少なくとも十日から二週間…。
 それまで、『アズライト・フォーチュン』の件も保留中って所でしょう」
「うむ…まだ少しは、彼女らを鍛える余裕がありそうだな」
「鍛えるのはいいですけど」

と、シルバーが肩をすくめる。

「ロリアーリュは『運命』だから、諦めてもらうしかないとして…。
 後の二人は、使い物になるんですか?
 商人はともかく、あの剣士…とても、覚悟ができている瞳には見えませんでしたけど」
「…まだ、経験が足りないのだよ。大丈夫さ、彼女達なら」

自信ありげに口元を綻ばせるオリオールに、シルバーはとりあえず意見を引っ込める。

「それと…例の、冒険者の件ですが」
エディ・メルロムか?」
「ええ…残念ながら、フェイヨン近くで遺体で発見されたようです…」
「そう、か…」

自分があの賊たちを追跡したことにより、結果としてあの少年を殺してしまったのかもしれない…。
そう思うと、オリオールの心は自分への憤りで張り裂けんばかりになる。

「…外傷は?刀傷や矢によるものは?」
「いえ、聞いた話では複数のモンスターによる裂傷、出血多量が死因のようですね」
「そうか…闇夜に一人投げ出され、混乱してしまったのかもしれないな…」

オリオールは目を瞑り、ぐっと胸を抑える。

「また一人、救うどころか…殺してしまった、な」
「仕方ありません…なんて、言いたくないですけど。
 繰り返しになりますが、自分を責めないで下さいね…オリオール?」
「ああ…」

それでも、オリオールの表情は悲痛だった。

「その後、フェイヨンの自治委員会に遺体は引き渡され、洞窟墓地の方へ埋葬されたそうです」
「いずれ、ロリアにも真実を伝えて…赴かなければならないだろうな」

それを伝えた時、ロリアがどんな気持ちになるか考えると…言い辛い事、この上なかった。
だが、いつかは伝えねばならない…と、心に刻む。

「…さて、とりあえず今回はこんな所ですかね」
「ああ…色々助かった、シルバー」
「お互い様です。
 とりあえず私は、本部に戻りますかね…報告しなければならない事が、山ほど…」

言いかけて、シルバーがあっ…と声を漏らす。

「ああ…ひとつ、大変な情報を伝え忘れてました!」
「…大変な、情報?
 この期に及んで、まだ大変な事があるとでも?」
「聞いたら、ビックリしますよ…はぁ、卿にも何て伝えればいいのやら」

…溜息混じりの、含み笑い。
オリオールは、そんな器用なシルバーの表情を見るのは始めてだった。


「…イズルード海底洞窟、ですか?」

呟きながら、頷くロリア。
その夜、宿の一室に集まった四人は今後の冒険の方針を相談していた。

「うむ…イズルードへの定期便に乗り、そのままバイラン諸島への巡回航路船へ乗り換える。
 ここは大陸の南端で、どちらにしても一度北上しなければならないしな…。
 海底洞窟第三層ならクアト君も経験者だし、私とフリーテもあそこの敵に効果的な、風属性武器を持っている。
 今の我々には、最適な修行になると思うが…どうだろうか?」
「私はいいと思うよー。
 一人で行ってた時より、楽に戦えそうだし」

にっ、と笑って真っ先に賛成意見を上げたのはクアト。

「え、ええと…銀矢と、火矢と、どっちで行けばいいのかなぁ」
「火矢は止めた方がいいな…ほとんどが水属性の敵なので、効果が薄い。
 本来なら風矢が欲しいところだが、あれは一般店舗には流通していないしな…。
 銀矢でも良いが、経済的な事を言えば普通の矢、もしくは鉄矢でも構わない」
「はいっ、なるほどぉ…」

手に入れたばかりのクロスボウを弄りながら、何度も頷くロリア。

「…で、ロリアは海底洞窟行きに賛成なのだろうか?」
「え…?あ、はい!もちろんです!
 未知との遭遇、旅の醍醐味ですからね!頑張りますっ!」

訳の判らない返事に、クアトが苦笑する。

「フリーテ、君はどうだね」

向けられた視線に、フリーテは表情を固くする。
…手にした風の精霊剣。
戦場で…これを抜いて、戦う事が出来るのか。
今はまだ、自分自身にすら不安が残る。
しかし…。

『…オリオールさん。
 私、また…剣が振れるようになるでしょうか。
 ろりあんを守れるくらい、強くなれるでしょうか…?』
『君がそう望むのなら…必ず、なる事が出来る』
『その日まで…未熟な私を、ろりあんを…守って下さいますか?』
『この身に賭けて』

信じられる言葉があり…信じられる力を持つ者が、傍に居てくれる。
誓約に賭けて、彼は間違いなく自分とロリアを守るに違いない。
ならば…もう、自分だけ逃げてはいられない。
そこまでしてくれたオリオールの気持ちに、応えなければならない…!

「…行きます」

力強くそう答えたフリーテに、オリオールも頷いた。

「次はイズルード海底洞窟に、決定っ!」
「久しぶりだなあ、あそこ…魔物の生息域、変わってなきゃいいけどなぁ」

明日は朝一番の船で、イズルードへ。
そこから航路船でバイラン諸島、海底洞窟へ…次の冒険プランが決定した。
オリオールは早々と準備を始める三人を見て、口元を緩める。

(大変なのはどこへ行くかではない…そこへ行って、何をするか…なのだが)

それでも、この三人なら…自分の期待以上に応えてくれるのではないかという、予感があった。
…時は、迫りつつある。
今は、少しでも多くの時間を彼女らの為に与えて欲しいと…祈るしか無かった。

「あ…そういえば、ろりあん」
「うん?」

唐突に何かを思い出したフリーテの声に、ロリアが振り返る。

「アイネちゃんへの連絡、忘れてません?」
「あっ!そう言えばそうだった!」
「…誰?アイネって?」
(…ふごっ!)

突然飛び出したその名前に…思わず噴きそうになったのを、慌てて堪えるオリオール。

「あ、クアトさんには話してなかったっけ…。
 アイネって、プロンテラの学校で寮生活してる私の妹なの」
「へぇ〜」
「んー…どーしよう…明日朝イチの船じゃ、時間無いし」
「仕方ないです…イズルードから連絡した方が、早いかもしれませんよ」
「うん、そうだね」

にこやかに交わされる会話を尻目に…オリオールは冷や汗をかきながら、一人廊下に出た。

「ふぅ…」

と、昼間のシルバーとの会話を思い出す。
(あの子達に伝えるかどうかは、貴方に委ねますから…)
シルバーが去り際にもたらした、驚くべき情報。
それは、ロリアの妹・アイネが勝手に学校を退学し、冒険者訓練場に入ったらしい…という話。

「シルバーめ…こんな事、伝えられる訳無いだろう」

一人ごちたオリオールの気など知らず、三人は出立の用意で大騒ぎだった。






NEXT - "015:Acolite and Magician"