HyperLolia:InnocentHeart
−一騎打ち−
016:Duel


夜のモロク、街の通りから外れた狭い路地。
がちゃがちゃと金属音を響かせながら、騒がしい影が爆走する。
赤毛の魔法使いの逃走劇に、強引に参加せんとばかりに追いかけるアイネの姿である。

メモクラムを追っていた、ステムロの私兵…黒衣の集団。
その最後尾の男が、後方から謎の騒音が近づいている事に気付いた。
訝しげに振り向こうと、首を曲げたその時。

「こんばーん!」
「うおっ!?」

驚くのも無理は無い。
濃紺の修道衣に重武装…そんな、謎すぎる容姿のアコライトが並走していたからだ。

「な、なんだ貴様!?」
「ねぇ、何なのコレ?何で、あの魔法使い追っている訳?」

興味津々、好奇心剥き出しの表情で聞いてくる。
男はたじろぎつつも、視線を凄ませた。

「ぶっ、部外者には関係ない!
 余計な手出しをするならば…死ぬぞ!?」

最後の『死ぬぞ』は、この男がいつか人に言ってみたかった台詞第二位。
もちろん、人を簡単に殺められるような度胸も技量も無い、只のシーフであるが故の事。
唐突に自らの願望叶った男は、その雰囲気に酔った…が。

「…ふーん、そゆ事言うんだー?」

アイネはまったく臆した様子も無く、むしろ笑みさえ浮かべている。

「この…バカにしているのガッッ!?」

ドガーーーーーーン!

男は台詞を言い終わる前に、目の前にぶら下がった武具店の看板に顔面を打ちつけた。
厚い鉄板で盾の形に模られており、その衝撃力は絶大に過ぎる。
ふらり…と身体を揺らした後、その場で昏倒した。

「前方不注意ぃー」

アイネは肩をすくめて、哀れな追跡者を見送った。
そして…前方に見える次の黒衣を目指して、また加速。

(どーやら、悪人を追う正義の軍団…って訳じゃなさそ)

最初の印象通りなら、手助けすべきはやはりあの魔法使い…と、アイネは思う。
腰のベルトに備え付けられたメイスを抜き、右手で力強く握り締めた。
月明かりに鈍く、鉄塊が光る。
唇を舐めつつ…不敵に微笑みながら、アイネは追跡のスピードを速めるのだった。


「…はぁ、はぁ………っ!」

ボォォォォォン!!

呟くように紡がれた呪文。
そして、翳した手の先に…炎の壁が建ち上がる。
メモクラムはファイアーウォールの魔法で追跡者を阻みつつ、モロクを南へと走り続けていた。

(お、思ったより…しつこい…!)

だが、いつまでたっても追っ手の足音は途切れない。
魔法で牽制する為にも、一度何処かで仕切り直さねば…と、焦りが募るメモクラムであった。
…しかし、問題が二つ。
ひとつは…魔法で、彼ら追跡者を傷つけたくは無い事。
いざとなれば多少は、とは思いつつ…彼らは傭兵で、雇われているだけの身だ。
ローゼンベルグ家の事情で、不必要な怪我をさせたくないとメモクラムは思う。

そして、もう一つは…。
走り続け、魔法を放ち続ける彼女の体力・精神力が、限界に近づきつつあるという事だった。
今回の屋敷からの脱出劇、仕方ないとは言え…時期尚早とは自分でも思っていたが。
こうも早く力不足を感じてしまう事に、悔しくて歯軋りする。

(…だめ、意識が集中できない…!)

再びファイアーウォールを唱えようとしたメモクラムは、軽い眩暈を覚える。
短時間にこれだけの回数の魔法を使ったのは、初めてだった。
しかも、走り続けながら…である。
心身共に疲れが出ては、満足に呪文詠唱も出来るものではない。
…とは言え、ゆっくり休む暇も無い彼女は、それでも走り続けるしかなかった。

と、その時。
耳に入る追跡者の足音に、がちゃがちゃ…と変な金属音が入り混じっている事に気付く。

(ま、まさか…新手!?)

一瞬、メモクラムは絶望的な気持ちになった。
最初の追跡者でさえ、撒けていないというのに…数が増えれば、益々逃げづらくなる。
何か、何か策を講じねば…と、気ばかりが焦る。
その間にも、謎の金属音は迫りつづける…!

ごいんっ!

「…!?」

後方から、鈍い打撃音のような音がした。
ここに至り、何か後ろの様子が変だ…と、メモクラムは気付く。
気のせいか、追跡者の足音が少なくなっているような気がする。
ただ、先の金属音だけが…がちゃがちゃと、さらに威勢良く迫って来る気配がある。

「なんだ、お前…」
ごんっ!
「ぐはっ!」

今度は至近距離で聞こえた。
一体、追跡者達に何が起きているというのか?
メモクラムは恐る恐る、振り向いた。

「…やほー!」

思わず絶句、目を丸くして唖然とするメモクラム。
メイスを担いで、金属音を響かせながら、物凄い速さで迫り…そして、並んだ姿は。
先ほど、衝突しそうになった…黒い修道衣の少女!

「あ、あなた…!?」
「何か知んないけど、追われてるー?
 良かったら冒険聖職者一人、味方に付いちゃうよん?」

もう一度振り向くと…追跡者達の姿は消えていた。

(まさか、この娘が…!?)

メモクラムは、驚きを隠せない。
いくら不意を突かれたとは言え、ステムロがそれなりの報酬を払って雇ったシーフ達だ。
五、六人は居たはずなのに…全部一人で、始末したと言うのだろうか?
にっ…と笑う無邪気な顔からは、とても想像する事が出来ない。

「よ、余計なお世話よ!
 これは…私の問題なのだから…!」

何者だが知らないが、これ以上は巻き込みたくない…。
そんな思いから、メモクラムはつい語気を強くして、そう言い放った。

「えぇー!今更、そんな事言われてもなぁ…」

ところが一緒に走っているこのアコライト、怒るどころか困りだした。

「もー、追っ手?あの人たち、何人も殴っちゃったしさぁ。
 あ、でもアレよ?気絶アーンド、軽いコブ程度にちゃんと調節バッチリよ?
 こー見えても聖職者だし、命を大事に!信じるものは救われるー!ってね…」
「そ、そういう事を言っている訳じゃ…!」

声を上げようとして、言葉を詰まらせるメモクラム。
屋敷を飛び出して以来、走り続けの疲れが一気に訪れたのだ。
このアコライトの所業か、追跡者の影も見えない事から…張っていた気も弛緩していく。
そして、ゆっくりとスピードを落とし…遂に膝をついた。

「はぁ、はぁ……っく…!」

全身の筋肉の悲鳴、吐き気、魔法を使い続けたことによる頭痛…。
追っ手が再び迫る危機がある以上、せめて身を隠さねばと思う。
…だが、足が動かない。
言うことを聞かない身体を叱咤するような思考すら、回らない。
ただ、逃げなければ…走らなければと、そればかりを繰り返す。

「だ、だいじょぶ?」

…と、勢い余って先行してしまっていたアコライトが、引き返してくる。
すっと手を差し出すが、メモクラムはそれに目もくれない。
それはアコライトを拒絶したのではなく、ただ疲労の一途からの事なのだが…。
苦しそうに息を荒げながら、それでも視線だけは強く、途切れるように言葉を吐き出す。

「…はぁ…はぁ、構わ…ない、で…!」
「………」

アコライトがはぁ、と溜息をついた。
それでいい…呆れて、どこかへ行ってしまって欲しいと思う。
父と自分…メモクラムにとって『対立する者』は、それだけで良い。
他の誰にも、干渉される必要は無い…されたくない。

「ったく…たまぁーに居るんだよね、そういう強情なのがさー」

そんな事を言いながら、アコライトはメモクラムに肩を貸す。

「ちょ…ちょっと…」
「私の田舎にも居たよ、あんたみたいなの。
 それでお姉ちゃん、随分困ってたっけなー…。
 あ、ありゃむしろ喜んでたのか。お姉ちゃん、マゾだもんなぁ」

意味不明な独り言をぶつぶつ口にしながら、メモクラムを支えて立ち上がらせる。
ふらっ、と揺れて今にも倒れこみそうな、華奢な身体。
彼女を左手で抱え込むように支えながら…アコライトは、その右手を押し当てた。
…メモクラムの、控えめな胸へと。

「………!?!?」

混乱して、言葉にならないメモクラムの思考。
アコライトは平然としたまま、そのまま何かをもごもごと呟いた。
途端、胸に押し付けられた掌から…柔らかい光が溢れる。

(これは…?神聖…魔法?)

白く輝く、温かみのある力が、メモクラムの身体を突き抜けていく。
動悸はいつのまにか収まり、全身の気だるさが水に流されるように消えていく…。
光がゆっくりと消える頃には、足にまだ疲労を残しているものの、
メモクラムは自分でも驚くほど生気を取り戻していた。

「凄い…ヒールの魔法?見たことはあるけど、使われるのは初めて…」
「ホントは、怪我とか傷に使うモノなんだけどね…。
 身体、だいぶラクになったっしょ?」
「え、ええ…」

ふぅ…と吐く溜息も、穏やかなものになる。
ニコニコと笑うアコライトを見ながら…メモクラムは戸惑った。
お礼を言わなければならないのだろうと思いつつも、言葉が出ない。
それは、このアコライトの『お節介』が経験したことの無い事だったからである。
母親、セモリナ…その二人以外の誰かに、優しく、親切に扱われた記憶が無い。
だから、理屈で判っていてもそれを即座に反映できない自分が…嫌だった。
しかし…そんな、メモクラムの感傷を余所に。

「んー…しかし、歳いくつ?同じくらいぽいけど、ちゃんと食べてんの?」
「え?」

アコライトの意味不明な台詞、そして胸の違和感。
ふと気付くと、ヒールの光は既に消え…。
押し当てられたアコライトの手が、メモクラムの控えめな胸をぺたぺたと触っていた。

「なッ―――!!」

弾け飛ぶような勢いでアコライトから飛びのき、慌てて胸を隠す。
顔が赤く火照るのが、自分でも嫌というほど判ってしまう。

「くふふ、純情ぉ」
「あ、貴方っ!?どさくさに紛れて、な、何をっ…!」
「あーん、アレだよ…何て言うか、モノノハズミ?」
「そんな理由で、人の身体を勝手に弄らないでよっ!!」
「うはっ、人聞き悪ぅー」
「大体、貴方だって私とそう変わらないじゃない!非難する資格、無いわよ!」
「あちゃあ、痛いトコロを」

おどけてガクッ、と膝を折りかけるアコライト。
だが、次の瞬間には自信満々な顔で立ち直る。

「ふふふ…しかし!もう二、三年のうちに、そりゃもぅ偉大なまでに大きくなって!
 世の殿方の羨望を一身に受ける予定なのですことよ?」
「な、なによそれ」
「これは、既に血筋が保証する決定事項なのだっ!」

馬鹿な会話をしている最中…二人が逃げてきた方向から、がらん…と何かを蹴る音がした。
瞬時に、両者の表情が険しくなる。

「とりあえず話は後!
 こんな裏路地はさっさとずらかりましょーぜ、魔女っ子さん」

言うが早いが、アコライトは自分にもヒールを使って体力を回復する。
メモクラムと一緒に、走って逃げる気満々である。

「て、手助けは感謝するけど、これ以上無関係な貴方に…って、ちょっとぉ!!」

聞く耳持たず…メモクラムの手を引いて、走り出すアコライト。
その顔は緊張感に包まれながらも、どこか楽しげだった。

「ここまで来たら、一蓮托生ぉ!逃げろ逃げろー!」
「だ、だからぁ!貴方には関係ないって、言ってるでしょー!」
「…私!」

相変わらず、アコライトは人の話を聞かない。

「私、アイネリア・ヴィエント!
 アイネって、呼んでくれていーよ!」
「………」

初対面の人間に…いや、謎の集団に追われている訳ありな人間に対して…。
なぜこうも、開けっぴろげに接する事が出来るのか。
危険だとか、面倒だとか…そういう常識的思考は、このアコライトには無いのだろうか?
少なくともメモクラムは、そんな人種に出会ったのは生まれて初めてだった。

「わ、私は…」

戸惑いと疑心がメモクラムの中で渦巻く。
このアコライトの事が、判らない…信じていいのか、それとも…。
信じられるものの限られた中で生きて来たメモクラムには、この『赤の他人』を理解する事が
とてつもない難題のように感じられる。
…それでも、今は。

「…メモクラム!
 メモクラム・アードワインドよっ!」

初めて他人に名乗る、母の姓。
ローゼンベルグと決別し、メモクラムが母の言った『幸せ』を探していく為に、
今日から名乗っていく、新しい自分の名前。

「おっけー!
 んじゃ、走るよメモクラム!」

…このたった数瞬に込められたメモクラムの感慨を、彼女は知らない。
それでも、その名乗りを笑顔で受け止めた。
今は…ローゼンベルグの鎖を断ち切り、アードワインドとして生きて行く為に。
追っ手を振り切り、モロクの外へと出ることを一番に考えなくてはいけない。
全てはそれからだと、メモクラムは思った。

そして…どこか変な、アイネリアという名のアコライト。
彼女が力強く手を握ってくれて、一緒に走ってくれる事。
たったそれだけで、メモクラムの心には不思議な勇気が湧き上がるような…高揚感があった。


…それから、三十分後。
モロクの裏路地を、南門目指して逃げていたメモクラムとアイネ。
二人は今、街の南東のはずれにある、小さな広場で追っ手に囲まれていた。
彼らが手にする松明やランタンの光が徐々に増え、二人の影をかき消していく。

「なんで、こうなるのよぉ…!」

メモクラムが小さな声で、恨み節を漏らす。

「あは、あははは…私、よく考えたらこの街初めてだしー」

一方、愛想笑いで誤魔化すアイネ。
無論、知らない街故に道に詳しくない…という事も多分にあった。
しかし、ただ南へと一方向に進む事すらままならなかったのは、手を引いたアイネの所為である。
ここに来て、また発揮されてしまった彼女の潜在能力。
…すなわち、方向音痴。

「…でも、連中どうして遠巻きにこっちを伺ってんだろ」

アイネの疑問ももっともで、二人を追い詰めつつもシーフの群れは近寄ろうとせず、
まるで自分たちを警戒するかのように、ただ囲んで逃がさないようにしている。
これには二つの理由があった。

ひとつは…勿論、メモクラムの魔法を警戒していた事。
お嬢様の手品程度どころか、逃げながらこうもファイアーウォールを駆使されるとは予想外だった。
メモクラムの戦力を過小評価していたと認めたのである。

ふたつに…彼女に加勢した、謎のアコライト。
彼女に倒された者もおり、その実力等がまったく計りきれない。
メモクラムの力を見誤っていた事もあり、積極的に手出しをする気になれなかったのである。

(もう、ダメかも…)

追っ手が増えていく様にメモクラムが内心、弱音を吐いた瞬間。
アイネはその耳元に、囁いた。

「ね…魔法使えるくらいの精神力、回復してない?
 ファイアーウォール、三枚くらい出せないかな」
「え…?ま、まだちょっと…無理かもしれない…」
「そっか。じゃ、私が時間稼ぐからさ…」
「…な、何する気?」

アイネは思いついた『作戦』を耳打ちする。
その間にも応援に来たシーフ達が増えつづけ、今ではざっと見で十三、四人は居そうだった。
…あの人数を相手に逃げるも、戦うも共に難解だと言える。
それ故のアイネの策に、メモクラムはどこか半信半疑な面持ちで頷いた。

「わ、判ったわ。魔法は言われた通りに出すけど…時間を稼ぐって、どうするつもり?」
「まーまー、何とかするから」

にっ…と笑ったアイネは一歩、追跡者達の方へ。
そして、握り締めたメイスを彼らに突き出しながら叫ぶ。

「お前等っ!か弱い魔女っ子をこんな大人数で囲むとは、どういう了見だー!
 返答如何によっては、この私が相手になるぞッ!!」

事態を悪化させかねない暴言に、唖然とするメモクラム。
それは時間稼ぎと言うより、単なる挑発じゃないか…と思う。
アイネの声を受けて、数人のシーフ達が寄り集まり、ひそひそと話しあう。
そして、その中でも取りまとめ格と思われる男が一人、彼女の前に出た。

「…貴様は何者だ。その娘と内応し、ローゼンベルグ家に火を放つ手伝いをしたのか?
 ならば、貴様もひっ捕らえて我らの主人に引き渡す必要がある」
「へ?火…って、あの火事?」

アイネは怪訝な顔をして、メモクラムの方を振り返る。
メモクラムは気まずそうに顔を俯かせ、そっぽを向いた。

「あー、えーと…良く判らないけど…でも、私は火事には関係ないかなぁ。
 むしろ、助けられたってゆーか?」
「意味不明な事を…まあいい、貴様には仲間が世話になったようだからな。
 小娘、無事に帰れるとは思うなよ」
「うわん、怖ぁーい」

凄むシーフ、おどけるアイネ。
メモクラムは事態の推移にハラハラしながらも、じっと動く事が出来ない。
…アイネの作戦に従うべく、精神力を回復する為にも。

と、その時だった。
地を蹴る独特の足音を響かせながらやって来る、ひときわ大きな影。
照明に煽られて現れたその姿に、アイネとメモクラムは驚いた。
立派なグランペコペコ…そして、白銀の鎧を纏った初老の騎士。
聖騎士―クルセイダー、というものをアイネは初めて見た。

「アコライト、魔法使い、アサシン…今度は聖騎士?
 今夜は何のパーティーかな、こりゃ」

思わずそう漏らしながら、顔が笑っている。
危機に際して、心が躍る…こういう時の度胸の良さは、この少女ならではである。
ちなみにアサシンというのは、周囲を取り囲んだシーフに対する勘違いであるが。

「待たれよ、傭兵の諸君!」

そのままシーフ達とアイネ、メモクラムの間に割り込むように駒を進め…一喝。
ペコペコから飛び降り、訝しげな視線を送る雇われ者たちを見回した。

「私はローゼンベルグ家の客として、かの屋敷に投錨していたブロディアという者だ。
 この件はステムロ殿の許可を得、私が預からせて頂く。
 双方、互いに危害を加えるような真似は控えられよ!」

聖騎士・ブロディアが客人として迎えられている事は知っていても、
まさかこんなお家騒動に出張ってくるとは思わなかったシーフ達は、困惑する。
それはメモクラムも同様であった。
ほんの少し、会話を交わしただけであったが…厳格さと優しさが滲み出るような、立派な人物だと思った。
そんな人があの父の手駒の様に動いて、自分を捕らえに来るとは信じられなかった。

…だが、現実は残酷である。
メモクラムは『絶望感』という曖昧なものが、はっきりと形になっていくのを覚えた。
これだけの数のシーフ達に加え、あの聖騎士までもが加わっては、もう逃げる術は無い…。
自分の人生にとって最大の賭けに負けてしまったのだと、身体中の力が抜けそうになる。

しかし。
この期に及んで、ぴくりとも怯まない姿。
メモクラムの絶望の前に、壁のように立ちはだかる者が眼前に居た。

「出たなっ、偉そうに!じーさんがこの連中のボスだなっ!」
「む…?貴女は何者…?」
「悪人に教える名は無いッ!
 聖教会と神に仕える騎士が、不埒な悪党を指揮するとは怪しからんッ!
 私が成敗してくれるっ!!」

鼻息荒く、勇壮に、そして勝手な言い分で…メイスをブロディアへと突き付ける。

「私が…彼らのボス、と?ふむ、成程…」

ブロディアは何か、思案したようだったが…他の誰にも、その考えは読めない。
そして、アイネの後ろで心細げにこちらを見ている、メモクラムに話し掛ける。

「…メモクラム殿。
 私は只の客で、君が今回の行動を取るに当たり…どういう経緯があったのかは知らぬ。
 しかし、良ければ聞かせてくれぬか?
 何故、このような事態を引き起こしたのか、その理由を」
「………」

メモクラムはうな垂れながらも、しっかりとした口調で話し出した。

「私は…私は、肩書きこそローゼンベルグのお嬢様でしたけど…。
 母は、あの屋敷の使用人でした。
 欲望のはけ口に弄ばれた母が産んだ、望まれない子供…それが私なんです。
 お父様はそんな私を、世間体を気にして娘にしましたけど…。
 一度も…私を娘だと思って、笑いかけてくれた事なんて一度も無かった…!」

次第に激しくなる口調に、その肩も震える。
さしものアイネも、今は緊張感の篭った瞳で彼女を見ていた。

「…あのお屋敷では、お父様が王様でした。
 私に優しくすると、お父様の機嫌を損ねるから…皆、私を無視した。
 お母様が亡くなってからは、あの屋敷で…セモリナお姉様だけが私の味方でした」

メモクラムは、毅然とした瞳でブロディアを見る。
その澄んだ輝きには、一点の曇りも無い。

「お母様は亡くなる直前に、私に言いました…幸せになれ、と…。
 でも、あのお屋敷に…ローゼンベルグ家の人間として生きている限り、
 きっと…私が幸せだって思える事なんて、見つからない!
 だからっ…!」

メモクラムは手にしたロッドを眼前に構える。
左手の指先から溢れるような魔力の粒子が迸り、それが一瞬にして炎に変わる。
彼女の意思を示すかのように、炎は熱く、激しく輝いた。

「…私は、決めたんです。
 ローゼンベルグだった私の全てを捨ててでも、ここから旅立つって…!
 それを邪魔するのならば…相手が誰であろうと、容赦はしないッ!」

炎を宿した、凛とした視線でブロディアを睨む。
不安も怯えも、ましてや後悔など微塵も見せない。

(ふむ…ステムロ殿、これは貴方の方が分が悪いですな。
 まだ幼さを残す少女に、このような決断をさせたのは…どうやら貴方自身のようだ)

メモクラムの表した意思の強さに、何者をも彼女を止める事はできまい…と悟る。
少なくとも、部外者である所の自分の出る幕ではない。
今はこの勇敢な少女に敬意を表し、道を譲りたいとさえ思った。

…それ故に、ブロディアは悩む。
傭兵たちは彼女を連れ帰れば、ボーナスの要求ぐらい出来ると思っているだろう。
誰もが食い詰め者ばかりで、ここを見過ごす程の器量は持ち合わせていない…。
また、彼女の魔法や正体不明のアコライトの手によって傷を負った者は、
一矢報いたいという気持ちを、押さえられずに居る。
それに、部外者である自分が彼女の逃走のお膳立てをする訳にはいかない。
ステムロに対する説明にも不自由するであろう…。

(この場を纏める、打開策は…)

そんな風にブロディアが悩んでいる、最中だった。

「…!?」
ガァァンッ!!

咄嗟の気配に、機敏に反応したブロディアの左腕。
使い込まれたカイトシールドに、撃ち付けられた鉄塊の衝撃が響く。
あまりに唐突な『攻撃』に、歴戦の勇士であるはずの彼でさえ、驚きを隠せなかった。

「さぁて…理由が判った所で、見逃してくれるって訳じゃないんでしょ?」

呟くようにそう言ったのは、アイネ。
振り下ろしたメイスをまた肩に戻し、不敵な面構えでブロディアと周囲のシーフ達を見回す。
中には彼女が殴りつけた者も居て、ただならぬ敵意すら向けられている。
アイネは背中と腰の荷物を外すと、それをメモクラムへと放り投げた。
そして、背にしていたバックラーの支帯を左腕へ滑り込ませる。

「聖騎士のじーさん、一騎打ちだッ!私が勝ったら、この子を黙って見逃す!
 もし、こっちが負けたら…私も含めて、好きにすればいいさっ!」
「え、ええっ!?」

突然何を言い出すのかと面食らい、驚きの声を上げるメモクラム。
大体がして、自分と同い年くらいの娘、しかもアコライトが…。
いくら高齢とは言え、十字軍でも顧問を務めるほどの勇士に敵う訳が無い。
そう考えるのが道理で、シーフ達の間からも失笑が漏れた。
だが、ブロディアは真剣な目でアイネを見詰める。

(この娘…単なる破れかぶれか?それとも何か考えがあっての事か…)

その表情からは計れないが、二人を逃がすチャンスが生じるかもしれない…と思う。
ここは成り行きに任せてみよう…と、ブロディアは静かに頷き、一騎打ちの申し出を了承した。

「くふふっ、そうこなくちゃ」

舌なめずりをするアイネ。
ブロディアはざわめくシーフ達へ向かって、高らかに声を上げる。

「傭兵の諸君!聞いての通りである!
 すぐに終らせるので、君達は手出しをしないで欲しい!」

高名なる聖騎士にそう言われては、誰も拒否する事など出来はしない。
ましてや、ブロディアがあのアコライトに負ける…などという事は有り得ない。
そう思えば結果は同じ事だし、自分たちが手を出して怪我をするよりよっぽど楽である。

シーフ達が皆、無言なのを了解と捉え、ブロディアはアイネに向き直った。

「勇敢な少女よ、王国法によりPVPエリア以外での私闘は禁じられている。
 よって、これは聖職者同士の戦闘訓練試合…という事で、了解して頂こう」
「なんでもいーよ…でも、怪我したって怒らないでよね?
 私だって、年寄りいじめるのなんか本当は趣味じゃないけど」
「ふふ、元気な娘だ」

ブロディアが、腰の鞘から剣を抜く。
炎のように波打った刀身が松明の光を浴びて、まるで血濡れのように輝いた。
フランベルジェ…その美しく、芸術的でさえある外見とは裏腹に、
波型の刃は斬り込んだ相手の肉を抉り、削ぎ落とす…残虐さすら漂わせる『武器』である。

「冒険者とは言え、まだ少女…傷を負わないうちに、早々に降参して欲しいものだ」
「…言うね、じーさんッ!」

先に突っかかったのは、アイネ。
重心を低くしたダッシュから横薙ぎに、渾身の力を込めたメイスが唸りを上げる。

ガァンッ!!

それを苦もなく、盾で受け止めるブロディア。
そして、既にその右腕…フランベルジェは振り上げられていた。

「くっ!」
ギィンッ!!

鋭い刃が、アイネの頭上で火花を散らした。
防いだバックラーに、びりびりと剣圧が響き渡る。

「でやぁっ!」
ガィンッ!

間隙を見逃さず、そのままブロディアの胴鎧を突く!
金属がぶつかり合う、鈍い衝撃。

「むっ…!」

それに弾かれるように…二歩、三歩と後退して体制を立て直すブロディア。
同時に、アイネもバックステップで距離を取った。

おおおっ、とシーフ達が歓声を上げる。
一合目の打ち合いは、アイネに軍配が上がったからだ。
こういう場面になれば元々享楽的な彼らの事、既にどちらが勝つかで賭けが成立していた。
ブロディア優勢は勿論硬いが、今の一閃でアイネの賭け金も上積みされる。

「す、すごい…!」

メモクラムも、アイネの戦闘術に目を見張った。
まさか、勝てるなんて思わない…けど、もしかしたら、何かをやってくれそうな。
期待を込めずにいられない気配が、不思議と感じられる。それを信じたくなる。
思えば…手を握られて走り出した時から、そんな不思議な少女だった。

…と、アイネがちらとメモクラムの方へ振り向く。
それは、他の誰にも見えない…真剣な表情。
先の不敵な面構えが、嘘のような厳しさに満ちていた。

(え…?)

口が小さく動き、何かの言葉を形づくる。

(ま・ほ・う…?)

当惑するメモクラムに向かってウィンクすると、改めてブロディアに向き直る。
今の動作で、メモクラムは自分がとんだ勘違いをしている事に気付いた。
…この一騎打ち自体が、時間稼ぎの策なのだ、と。
元より、アイネ自身…ブロディアに勝利しようとは思っていない、
もしくは、勝てるとさえ思っていないのかもしれない。
だが…この勝負を挑み成立させた事で、周囲のシーフ達の動きを封じた。
アイネが先に話した『作戦』を成功させるに、上手い状況が出来つつあるのだ。

(何で…何で、そこまでして…!?)

ブロディアは試合、などと言ったが…これはお遊びではないのだ。
少し間違えれば一生残るような傷、あるいはそれ以上の深手を負う可能性だってある。
見ず知らずの自分の為に、何故こうも身体を張る事が出来るのか?
メモクラムには、アイネの気持ちが判らない。
だから…そんな彼女の後姿を見ているだけで、四肢が震え、涙が出そうになる…。
そんな自分の気持ちすら、もどかしいほどに理解できない。

(…ちぇっ、このじーさん只者じゃない…!)

アイネは今の短い打ち合いで、全身に嫌な汗が噴出すのを感じる。
…傍目にはメイスの鋭いひと突きで、バランスを崩し後ずさったように見えた。
だが、その実ブロディアはアイネの突きが当たる寸前から身体を後ろへ流し、
衝撃を最小限に食い止めつつ、体制の立て直しを行なっていたのだ。
そのまま追い打ちなど試みたら、待ってましたとばかりにカウンターをを食らっただろう。
一瞬の打ち合いの中で、誘いの隙を作ってみせるブロディアの老練さは流石だが、
それを直感的に感じ、深追いを避けたアイネの勘も大した物である。

アイネはジスタスから学んだ戦術の数々を思い出しながら、攻め方を考える。
得物の長さ、鎧・盾の装甲も向こうが上。
自分は機動性と手数で攻めるしかない、と悟る。
そして…目指すべきは、あのフランベルジェを『折る』事。
長く緻密な波型を持つ刃は、それゆえ予想外の方向からの衝撃に弱いはず。
今、自分が手にしているメイスは鉄塊を少し上等にしたレベルの武器でしかないが、
それでも刀身に叩きつけて折るには、充分すぎる硬さと重さがあるはずだった。

「…攻める!」

唇を舐めたアイネは、また風のように飛び込んでいく!
ブロディアは大きなカイトシールドを前面に構え、それを受けて立つ。
右手の長剣を、身体の後ろへ隠し…前面の相手からは、剣先が見えないよう構える。
相手の攻めを受け流しながら一瞬の隙へと、見えない位置からの必殺の一撃を叩き込む。
彼が若かりし頃から用いている、数多の試合で相手を倒してきた剣術のひとつである。

「…ええぃッ!」
ガァァァンッ!!

小柄な姿からは想像もできない速さと衝撃で、繰り出されたメイス。
ブロディアの盾を軋ませるが、その身体をびくとも動かす事は出来ない。
アイネはさらに、二撃…三撃と打ち込む。
だが、必要最小限な動きで防護する巨大な盾に阻まれ続けた。

「そのような単調な攻めで―」

一瞬、盾がふらり…と揺れるように傾いた。
ザウッ!!
そこから生じた『隙間』から、飛び出してきた剣先!
メイスを振りぬき、身体のバランスを崩していたアイネ。
その一瞬を、的確に狙った。

「くっ!」

一転、防御に周るアイネ。
突き出された刃がバックラーを表層を削り、火花が走る。
身体を半回転させ、受け流しながらの回避に、ギリギリで成功する。
…だが、そのまま一度距離を取ると思ったブロディアの裏をかいた。
よじった身体をそのまま回転させ…勢いのついた右手が、唸りを上げて迫る!

ガァァァンッ!!
鉄塊がブロディアの右肩へしたたかに打ちつけられ、衝撃音が響き渡る。
だが…クルセイダーの為に作られた完全鎧である。
ましてや、肩の部分は装甲が二重になっており、その防御は厚い。
アイネは打ち砕けないと判るや、反撃を食らう前にバックステップで距離を取った。
素早く体勢を立て直し、バックラーを前面に構える。

(なんという瞬発力、そしてこの猛々しさ…!)

ブロディアはアイネの度胸、身体能力に目を見張った。
今のご時世、鈍器でこうも近接戦闘をこなす『聖職者』には、なかなかお目にかかれない。
しかし、いくら元々の身体能力が高かったとしても…その技術に疑問を感じた。

(どういう娘なのだ?不自然な程に、実戦的過ぎる…!)

対魔戦のエキスパートの中には、肉弾戦を得意とする者も少なくないが、
魔物には魔物に対する、悪魔には悪魔に対する戦い方、というものが存在する。
だが、アイネのそれは…まるで『対人間』の戦闘技術を学んだものの動きに見えた。

仮にも聖職者である所のアコライトが、人間相手の戦闘技術を突出して身に付ける―。
ブロディアが今まで出会った冒険者たちの中に、そのような者は確かに存在した。
だが、それは必要だから技術を身に付けた者…であったはず。

(ならば…この少女は一体どのような経緯で、このような技を…?)

盾を前面に構え、突っ込んで来るアイネ。
低く、飛ぶような突撃にブロディアも身構える。
その時だった。

「うりゃぁっ!!」

驚くべき事にアイネは…突進しながら、今構えていた盾を投げ飛ばした。

「何ッ!?」

ガキンッ!!
タイミングを合わせ、フランベルジェで盾を叩き落す!
だが、アイネの動きはブロディアの予想より速い。
両手で構えなおしたメイスは、既にスィングの動作に入っていた。

(しまった…けど!)

アイネはブロディアが、盾で盾を受けるもの…と思ったのだが、
この老練な聖騎士はさすがに隙が無い。
舌を巻きながらも、瞬発力の全てを注ぎ込みながら、メイスを振り上げる!
本来はフランベルジェを直撃するはずだった衝撃は、そのままカイトシールドへ。

ガキャッッ!!

「むぅっ!」

素早い攻め手に、盾を受け流す方向へ持っていけなかったブロディア。
横方向から加わった衝撃は、彼の手からそれを吹き飛ばすのに、充分だった。

「お、おおっ!?」

周囲で見ていたシーフ達が、どよめく。
弧を描きながら、カイトシールドが飛んでいく。
だが、二人にはそれを見届けているような余裕は無い。
アイネは渾身の力でメイスを振り上げたが為に、体勢を大きく崩しつつあった。
その隙を、ブロディアが見逃すはずが無い。

(可愛そうだが…傷の一つや二つは、覚悟して戴く!)

振り上げられたフランベルジェが狙うのは、アイネの足。
このアコライトから俊敏さを奪えば、戦いは成立しなくなる―。
大怪我をさせる前に、勝負を着けてしまいたい。
ブロディアは加減すら計算に入れつつ…しかし、本気の一撃をアイネに見舞った。

ギィンッ!!

「…何っ!?」

だが、フランベルジェはモロクの街路石をしたたかに打ちつけた。
手応えの無い一閃に、ブロディアは思わず声を上げる。
振り下ろした剣先、その目前にアイネは確かに居た。
マフラーとスカートを鋭い刃で切り裂かれながらも、体勢を整え直しながら!

(見切った、と言うのか!)

「貰ったッ!」

ブロディアの驚きの表情を、アイネは見逃さない。
既にメイスを振り上げながら、狙っていた瞬間の到来を感じていた。
…地面に叩きつけられたままのフランベルジェ。

(武器さえ奪えばッ…!)

その刀身目掛けて、鉄塊を打ち込んだ瞬間!

グワァァンッ!!

「え…ッ!?」

耳に響く金属音も高らかに、弾け飛んだ。
アイネの手から離れたメイスが…回転しながら、地を滑っていく!
痺れる右腕を押さえながら、慌ててバックステップでブロディアとの距離を取る。
吹き飛んだ鈍器は、シーフ達が見ているその足元へと転がっていった。
ブロディアは剣を持ち上げ、下段に構え直す。

「そう来るであろうな、自分の得物が鈍器であれば…狙いは良い。
 だが、オリデオコン鉱石で鍛えられた武器を、甘く見てはいかん。
 そこらで売っている鉄製のメイスなどでは…な」
「………」

ブロディアがゆっくりと首を振る。
既に、アイネの戦術は見透かされていたのである。
もはやバックラーもメイスも失い、誰が見てもブロディアの貫禄勝ちと言うべき結果。

(このような事態を予測出来ていたのか、どうか…?
 確かに、歳に不相応な戦闘技術に自信を持つのは判る。
 だが、一体何の目的があって一騎打ちなどと…)

ブロディアが訝しげに思った時。
アイネはちら…と視線だけをメモクラムに向けた。
今まで何度となく、バックラーの陰に隠された行動。
無防備なアイネを前に、それをブロディアが見逃す訳が無い。
視線を振られたメモクラムは、小さく首を振る。
二人の一連のコンタクトは、『一騎打ち』という表向きの空気を見ているだけでは
判らないくらいに、小さく注意深い動きだった。

咄嗟に理解するブロディア。
二人は逃げ出す算段があって、そのタイミングか何かを待っているのだ…。
そして、この『一騎打ち』自体が時間稼ぎなのだと。

(そういう、事か…ならば、もう少し付き合うとするか)

ブロディアは構えを崩さない。
アイネがまだ時間を必要とするなら、ここで降参する訳が無いからだ。
そして、彼女たちの意図に自分が気付いた事を…周囲のシーフ達に気取られない為にも、
この一騎打ちを続けねばならなかった。

「はぁ、じーさん強いねぇ…!」

そんなブロディアの気持ちも知らずに、アイネはおどけてため息をつく。

「まさか、ココまで押されるとは思わなかったよ」
「娘よ…その若さで、ここまでの技術を身に付けた研鑚の程は称えよう。
 だが、武器を失ってはもはやどうにもなるまい?
 この辺で、悪い遊びは止めておくのが良いと思うが」

無論、こんな警告でこの娘が退くとは思っていない。
が…これ以上どんな手があるのか。
それはブロディア自身、謎に思っていた。

「…ホントは、出したくなかったんだけどな」

窮地に陥ったはずなのに、そんな事を微塵も感じさせない微笑。
と、同時にアイネは自らのスカート…丁度、剣に裂かれた部分を掴み、
それを自らの手で引き破る。
濃紺の衣服の隙間から白い太腿が覗き、炎の赤い光に照り返して一層映える。
その様子に…周囲で見ていたシーフたちが、ざわっと揺れた。

勿論、十四歳の娘がかもしだす色気に、ではない。
スカートの内側に巻かれるように、隠されていた何か…にである。
黒く…鈍く光る物体が地面に落ち、まるで生き物のようにのたうっていく。
最後にひときわ大きな音を立てて落ちたのは、誰の目から見ても『鉄球』だった。
そこで、初めて全員が気付く。
黒光りした、長い…アイネの足元に塊のようにあるそれは、『鎖』なのだと。

(あ、あの娘…あんな物を隠しながら、戦っていたって言うの!?)

メモクラムは目を見張る。
自分を追って走っていた時、がちゃがちゃとやたら騒がしく音を立てていた『何か』の正体。
まさか、そんな所にまだ武器を隠していたとは、思いもよらなかった。

(何なの、このアコライト…?)

そう思ったのは、周囲を取り囲むシーフ達も同じだったに違いない。
だが…ブロディアだけは厳しい目で、その様子を見ていた。
何故なら…彼には、そのアコライトが持つ『特殊すぎる』武器に見覚えがあったからである。

(まさか…あ奴と同じ…?)

アイネは左手にその柄を握ると、ぶん!と一振り。
じゃらじゃらと音を立てながら、鎖は弧を描いて広がっていく。
最後に、先端部分を捕まえたアイネ。
その周囲には、長い鎖の輪が出来上がっていた。
これをチェイン、あるいはフレイル…と言うには、あまりにも長い鎖。
異常な雰囲気を漂わせるその武器に、シーフ達がどよめく。

「コレ、あんま狩り向きじゃなくってね。
 実際使うことなんかそうそう無いだろー…って、思ってたんだけど」

アイネは不敵な笑みを浮かべて、右手にした先端部を持ち上げた。

「もう、コレしかないから…しょーがない!
 じーさん、悪いけど怪我してもしんないからねッ!?」

ぶんっ!!

アイネの頭上、唸りを上げて回転を始める鉄球!
空気を重く切り裂く、異様な音。
それを、見た目華奢なアコライトが動かしている光景。
目の当たりにしているメモクラムにも、俄かには信じがたく思える。

(こんな所で…あ奴の技に出会うとは!)

ブロディアもまた、別の意味で驚いていた。
ミッドガルド広しと言えど、こんな技を使っていた聖職者は…近年一人しか居なかった。
この娘自身が編み出した技でなければ、教練をした人物が存在する。
なるほど…対人向き、そして実戦的になるわけだと、ブロディアは合点した。

(フフ、どこで生きているのかと思えば…酔狂が過ぎるな、ジスタスよ)

「いくぞぉッ!!」

アイネの手から離れた鉄球が、猛スピードでブロディアに迫る!

ガァンッ!!

先のメイスとは比べ物にならない衝撃音。
防いだブロディアのフランベルジュが、びりびりと震える。
軌道を失った鉄球はすぐにアイネの手元に戻され、またその頭上で弧を描き始める。

「ほほう…これは、驚いたな」
「じーさんが本当に驚くのは、これからだよ」

これでまた、勝負は判らなくなった…と、シーフ達は二人の対決に息を呑む。
その中で一人、メモクラムだけは冷静さを懸命に保とうとしながら、
魔法を発動させる為の…自らの精神力を、計算し続けていた。

「てやぁっ!!」

低い弾道でブロディアを襲う鉄球!
狙いがその足を止める事だとは、簡単に推測できる。
だが、ブロディアは見た目の年齢不相応とも言える、軽やかなステップでそれを避ける。

「どうした娘!?
 そんな単調な攻めでは、欠伸が出るぞ」
「くっ…!」

鎖を振り回している時には攻防に転じられ、隙なく見えるこの武器。
もし、これが初見ならその異様さに惑わされもするかもしれない。
だが…ブロディアは、以前に同じ得物の持ち主と手合わせした経験があった。
よって、相対する時の『隙』もよく心得ている。
…放った鎖を手元に引き戻す時、それが攻めるチャンスだと。

鎖を振り回すアイネが、ちらとメモクラムを見る。
瞬間、彼女が小さく頷いたのを…ブロディアも見逃さなかった。
二人が待っていた『何か』の機が、熟したのだと。

「勇敢な聖職者よ…次の一撃で、勝負を決しようではないか?」
「私もそー思ってたトコ。
 そろそろ、軽快な動きをするのも年寄りには辛いっしょ」

ブロディアは、彼女らが何を企んでいるかは判らない。
だが、形として自分が勝利、二人を手中に…という風に持っていければ、
周囲のシーフ達に何かしら隙が生まれると思っていた。

…とは言え、その為の状況作りも並大抵ではない。
ジスタスに比べれば荒削り、まだ半人前もいい所のこの娘だが、
あのチェインを使いこなせるだけの技量は、やはり半端なものではないのだ。
相対の仕方をひとつ間違えれば、ブロディア自身も危険が皆無ではない。
…それ以上に、彼女自身をも怪我をさせてしまうかもしれない事を、懸念するのだった。

「食らえッ!!」

アイネの叫びと共に、唸りを上げて飛ぶ鉄球!
だが…それを警戒したブロディアの動きが、一瞬固まった。
今までの、執拗なまでに足狙いの低い弾道が…一転、胸を狙うような高い位置から来たからだ。

(くっ…これまでの単調な攻めは、この一撃の為だったと言うのか!?)

それでもブロディアの反応速度は、その上を行く。
眼前に構えた剣でもって、この鉄球を払い落とし…そのまま、彼女へ向かって突進する。
刃を喉元へ突きつければ、それで勝負は終るはずだった。

「甘いぞ、娘!」

勝利を確信したブロディアがそう叫び、突進の為の一歩を踏み出した。
剣先の狙いを定め、迫る鉄球を叩き落とそうとする。
だが…その時!

「なに!?」

鉄球が、不意に…弾道を変えた。
ブロディアの眼前を、右に大きく曲がる!
そして…伸びる鎖は右手に持ったフランベルジュに触れ、小さな火花が散る。
その衝撃で、一瞬…ブロディアの右腕は、構えを解いて大きく揺れた。

「かかったッ!」

アイネが鎖を引くと同時に、鉄球は天を突くかのように曲がる。
その支点をブロディアの右腕に置いて。

「むぅッ!」

そして、そのまま…フランベルジュとブロディアの右腕に、鎖が絡み付く!
鉄球ががちん、と音を立てて止まる頃には、既にアイネは突進していた。
身軽になったせいか、メイスで戦っていた時よりさらに速い。
ブロディアが何とか鎖の絡まった右腕を動かそうとするが…。
鋼鉄の手綱を引いているのは、アイネである。

「でりゃあぁッ!!」

アイネは気迫と共に、目にも止まらぬ速さで懐へと潜り込む。
そして…合わせた両手を拳にし、鎖に絡められたブロディアの右腕、その関節部分へと叩き込む!

ガッ…ガシャーンッ!!

一瞬、誰もがその光景を信じられずに…目を見開いた。
フランベルジュを握り締め、鎖に絡まれたままの右腕が…乾いた音を響かせて地面に落ちる。
アコライトの一撃が、聖騎士の腕を切り落としたのだという錯覚に、誰もが包まれる。
それが『義手』である事に気付いていたのは、戦っていたアイネだけであったのだ。

鎖を手元に引き寄せると共に、ブロディアから離れるアイネ。
絡められた武器と右腕もそのまま、アイネの方へとたぐり寄せられる。
形勢は、完全に逆転したと言っても良かった。

「…私が義手だと、気付いておったとは」
「へへへ、だから驚くって言ったでしょ」
「だが、これで戦えなくなったと思われては困る…君と同様にな」

左手で、腰にあるダマスカスの柄を手にする。
その様子を見ながら、アイネは微笑でちっちっ…と指を振った。

「んー、お相手したいのはやまやまだけど…今夜はこ・こ・ま・で、かなっ」

ドォォォンッ!!

アイネがそう言うと同時に…背後に、巨大な炎の壁が建ち上がった。
メモクラムの放ったファイアーウォールの呪文である。
あまりに突然の事に、周囲のシーフたちは動揺を隠せない。

「…ふむ、逃げる用意が出来たという事か」
「そゆこと」

…と、アイネは猛ダッシュでシーフ達が集まる一角へと迫る。
先の戦いを見ていた者達だ。
わっ…と、まるで猛獣に怯えるかのように、アイネから距離を置く。

「ちぇ…年頃の女の子を傷つけるよ、そーゆー態度?」

肩をすくめながら、弾け飛んでいたメイスを回収する。
素早く落ちていたバックラーも拾い、メモクラムの方へ駆け寄った。
その頃には計三回の詠唱を行い、二人を囲むように炎の壁が建ち上がっていた。

「それじゃ…そろそろ、逃げるとするかっ!」
「ど、どうやって…え!?」

言われるがままにファイアーウォールで囲いをしたものの、これからどうするか判らないメモクラム。
だが、その目前…彼女を守るように立ちはだかるアイネの後ろ手に、青い宝玉が見えた。

ドォンッ!!

突如、そこに起ち上がったのは…光の柱。
四方を魔法の壁に囲まれたメモクラムは、驚きを隠せない。
その柱の発生源には、湧き出すような光の潮流がある。
数瞬の後、メモクラムは思い出した…これが神聖魔法、ワープポータルのゲートである事を。

「…早く、入ってッ!!」

アイネの叫ぶと同時に、ようやく事態に気付いたシーフ達が二人へ向かって殺到する。
だが、左右と後ろを炎の壁…目の前をポータル、そして『あの』アコライトが自ら立ちはだかり、
近寄る事さえ出来ない。
そして、彼らがたじろぐ一瞬の隙に…メモクラムの姿は、白い光の中へ消えていった。

ワープポータルは自ら移動先として決め、術を唱えた地点へとその身を運ぶ魔法である。
最近はその移動力が冒険者の横暴、ひいては犯罪に使用される事もあり、
移動先地点を規制する法が王国により発布されたばかりである。
とは言え、実際に入ってみないと判らない以上…メモクラムの行き先はもう、誰にも判らなかった。
シーフ達が騒ぐ中、一人近づいてきたブロディア。
その顔は、どこか楽しげに綻んでいた。

「…修道士の娘、なかなかやるではないか。
 差し支えなければ、名前を聞いておきたいものだ」
「女性に名前を聞く時は、先に名乗るのが紳士でしょ?」
「…っと、これは失敬。
 私はブロディア・ジクタール…王国正教会のクルセイダーだ」
「私は…アイネリア。
 今はこれだけで、勘弁して欲しいな」

アイネがここでフルネームを明かさなかったのは、この騒動がヴィエントを名乗る者へ…。
具体的に言えば、ロリアを巻き込んで迷惑をかけまいとの、彼女にしては珍しく機転の利いた配慮であった。

「じゃあね、聖騎士のじーさん。
 この決着はいつかまた!」

にっ、と笑うと…アイネは倒れるように、ポータルの光の中へ飛び込んだ。
その身体が消えていく様子に、シーフ達が慌てて押し寄せる。
だが、術者が『入る』事でワープポータルは消滅する。
彼らがアイネの立っていた場所に来た時は、既に二人は消え去り、
ファイアーウォールの残り火が地面でかすかに揺れるだけの広場だった。

(ふむ…ジスタスの技を使う、戦う修道士の娘…アイネリア、か。
 メモクラム嬢を助けてくれると良いが…)

義手を拾って付け直し、フランベルジュを鞘に戻す。
ブロディアは、自分が何とかしてあの二人を逃がそう…などと思っていた事を、傲慢に感じた。

(若者はいつも…頭の固い大人など問題としないくらいに、逞しいものだな)

結果だけを見れば…アイネはブロディアを打ち負かし、まんまと脱出にも成功した。
それは並大抵の事ではなく…そんじょそこ等の少女が、易々と出来るものではない。
あの娘は大したものだ、とブロディアは改めて思う。

そして、剣を交えたもの同士だから…という訳でもないが、
あの娘なら、メモクラムを任せても大丈夫のような…そんな気がした。

「ぶ、ブロディア殿!このような失態、お館様に何と報告するのです!!」

と…唖然としていたシーフの一人が立ち直り、鼻息を荒くしながら詰め寄って来る。

「皆に手を出すなと言ったのは私だ…全ての責任は、私にある。
 諸君が気に病む必要は無い。
 全員、撤収の用意をしたまえ…私は先に帰り、ステムロ殿に報告しよう」

その言葉を聞いて、シーフ達に安堵の空気が生じる。
ブロディアはそんな彼らの様子に瞑目しながら、バーソロミューに飛び乗った。

(さて…ステムロ殿には、何と説明すべきかな)

そう思いながらも、既に心は決まっていた。
…あの勇敢で、立派なアコライトの娘を悪人扱いさせる訳にはいかない。
戦った自分が全ての後始末を請け負う事で、彼女の勇戦に応えよう…と。


「…ここは…!?」

ワープポータルの先。
二人が空間転送を経て飛び出した先は…なんと、モロクのすぐ外だった。
慌てて通過してしまったプロンテラを除けば、アイネが旅の中で初めて辿り着いた街であり、
ポータル先としてここ以外の場所を、用意できる道理が無かった。

「ふはぁ…!」

背後にどさっ…という音がして、メモクラムは振り返る。
装備をまき散らしながら、アイネが疲れた表情で倒れ込んでいた。
メモクラムは慌てて駆け寄る。

「あ、貴方…大丈夫?怪我とか、していない!?」
「はは…な、なんとかね」

笑っては見せるが…張っていた気が、弛緩しつつある中、
アイネは先の戦闘を思い返し、遅すぎる『怖さ』を痛感していた。

「やっぱ、だ、伊達じゃないよね、クルセイダーって…。
 マジだったら、少なくとも…三回は殺されてたよ、あはは」

苦笑いしながら、震える手を隠そうともしない。
相手の強さを認められるからこそ…怖かった、強かったと思える自分も、受け入れる事が出来る。
そんな、このアコライトもやはり『強い』のだ…と、メモクラムは思った。
その手を握り締め、頭を垂れる。

「あの…私、何て言ったらいいか…本当に、ありがとう。
 見ず知らずの、私なんかの為に…!」
「や、やだな。お礼なんかこそばゆいって。
 それにあの状況、私は結構楽しんでる部分もあったし…。
 まぁ、結果オーライでいいんじゃないの」
「ふふっ…変な、修道士ね」

おどけるアイネに、思わず吹き出すメモクラム。

「名前…アイネ、だよ」
「あ…そうだった、わね」

ふぅ…と、息をつきながら身体を起こすアイネ。
モロクの街門は静かなままで、例のシーフ達が追跡に出てくる様子も無かった。
ポータルで消えた以上、行き先すら特定できずに諦めたのだろう。

「とりあえずは、作戦大成功ってトコかな」
「まさか、街のすぐ外に居るとは思わないでしょうしね…」
「あーあ…せっかく街に着いて、よーやくお風呂とベッドで過ごせると思ったのになぁ」

そんな事を言いながら、またごろんと横になるアイネ。

「…アイネは聖職冒険者、よね?ずっと旅をしてるの?」
「んー、ずっとって言うか…まぁ、なりたてなんだけどね」
「それにしちゃ、戦い慣れているように見えたけど」
「あれはねぇ…ちょっと、特訓を受けたんだよ」
「ふうん…」

メモクラムも、アイネに並んで横になる。
疲れた身体に、夜の冷えた砂漠の砂が、心地よかった。

「ねぇ…何で、私を助けてくれたの?」
「ん…」

メモクラムの素朴な、それでいて今夜ずっと蟠ったままの疑問。
聞かれたアイネは何故か、可笑しそうに笑った。

「はは…自分でも、良く判んない」
「わ、判らないって…」
「何となく、何となくだけど、そうしなけりゃならないような…そんな気がしてさ」
「何よそれ」
「あいつら、どう見ても善人には見えなかったし…。
 それに、メモクラムも泣きそーな顔してたし」
「えっ!…わ、私が!?いつっ!?」

アイネの言葉に、思わず声を荒げる。

「ほら、路地でぶつかりそうになった時」
「ああ…って、ほんのちょっと、顔を合わせただけじゃない!」
「ちょっとでも、判るよ…追い詰められて、必死な顔してた。
 メモクラムってさ、きっと自分が思ってるより…気持ち、顔に出るタイプだよ」
「む、むうっ…!」

返事に窮して、メモクラムは空を仰いだ。
そんな様子が微笑ましくて、アイネはクスクスと笑ってしまう。

そして暫し、二人共黙ったまま…満天の、美しい星空を眺めていた。
ふと、メモクラムはこの先の身の振り方に、思いを馳せる。
ようやく、あの屋敷を抜け出す事が出来た自分。
母の言っていた、自分にとっての幸福を探す為に歩き始めた自分。
だが、具体的にこれからどうするのか…となると、漠然としすぎて何も思い付けない。

(…つくづく、狭い世界で生きていたのね)

メモクラムは、自分の不甲斐なさに溜息すら出そうになった。

「ねぇ…?」

小さく掛けられた声の方に、メモクラムは顔を向ける。
倒れたままのアイネが、同じく顔だけをこちらに向けていた。

「これから、どうすんのさ?」
「………」

迷いに追い打ちをかけるようなアイネの問いかけに、メモクラムは答えられない。
あの屋敷でも、ずっと一人で生きてきたようなものだ…と思っていた。
だが、現実としてこの身一つで生きていくのは、また厳しい事なのだと今更ながらに感じる。

「行くトコ無いならさ、一緒に旅…しない?」
「…え?」

そんな、唐突で意外な誘いの言葉に…メモクラムは絶句した。

「あ、なんか目的があるならいいけどさ…。
 ほら、私も一人旅が長すぎてソロじゃつまんないなーって思ってたトコだったりするし」

ついでに言えば方向音痴で、一人で旅する自信が揺らいできた…というのもあったりしたが、
これは何となく恥ずかしいので言わなかった。

「で、でも、私は追われる身で…」
「あのくらいだったら、いい旅のスパイスっしょ。
 さっきの話で、なんとなーく事情も判ったような感じだし…。
 そんなん気にする事ないない」
「………」

メモクラムは…アイネの瞳をじっと見たまま、考える。
確かに行く当ても無い、これからどうしたらいいのかも判らない。
そして…多分、このアイネという少女は、信頼できる。
今後…万一、父の差し向けた追っ手が現れる事があっても、アイネはそれを迷惑にすら思わず、
一緒に戦ってくれるだろう…そんな、確信がある。

(でも、それでいいのだろうか)

メモクラムには、迷いがあった。
自分は屋敷を出て、一人で生きていこうと思っていたのだ。
このまま、アイネに甘えるように…身を委ねてしまっていいのだろうか、と。
姉であるセモリナだけが、愛情を交感できた…あの狭い世界の中で生きてきた事で、
メモクラムは他人からの好意を受ける、という事に酷く臆病になっていた。
自分にそんな資格は無い…誰にも、世界にすら望まれず生まれた人間なのだからと。

アイネには当然、メモクラムのそんな思いは判らない。
だからこそ…今の自分の気持ちを、ストレートにぶつける事しか出来ない。
そして、それを躊躇無く行なえる所は、アイネ最大の長所と言って良かった。

「一緒に行こうよ?メモクラムとなら、なんか楽しくなりそうだもん!」

…満面の笑みで、差し出された手。
このアイネの笑顔で…メモクラムは自分でも驚くほどあっけなく、心の蟠りが崩れるのを感じた。
『外』の世界には…こんな娘が居て、今日という日に出会い、知り合う事が出来た…。
メモクラムは十四年間の人生において、自らの境遇を『運命』だなんて思った事は無い。
しかし、今なら…その存在を信じられそうな、そんな風にさえ思えた。

「…うん…」

静かに頷き、伸ばした手でアイネの手を握る。
口を開けば、涙が零れてしまいそうで…頷く事しか出来ないメモクラムだった。

「やったぁ!…私、冒険者の友達は初めてだよ!
 エリノアは訓練生友達だし…って、待てよ?あのオッサンが第一号って事になるのかな…?
 いや、アレは何だか得体の知れない中年だったし、この際ノーカウントだっ!
 メモクラムが最初の、冒険者友達!決定っ!」

無邪気にはしゃぐアイネ。
逆に夜空へと顔を向けて、黙ったままのメモクラム。

「メモクラム?…あれ、もしかして泣いてるの?」
「ち…違う、わよっ…!砂が、目に、入ったの…!」

あんなに迷惑を掛けて、さらには旅に誘って貰えて。
その上、『友達』だなんて言われてしまっては…メモクラムには、どうすれば良いか判らない。
今まで友達など居なかった彼女には、この込み上げる嬉しさ、喜びを…どう、収めれば良いのか。
アイネは楽しげに、星空を見上げながら一人喋り続けている。

「ねぇ、メモクラムはどっか行きたい場所、あるの?
 私はねぇ、お姉ちゃんを探してるんだけど…」

メモクラムの行きたい場所、幸せを手に入れる事の出来る場所…。
それが何処かは、まだ自分でも判らない。
しかし、今この瞬間…十四年間欲してやまなかった場所に、居る。

(そう…ここからきっと、何処へでも行ける)

メモクラムは、限りなく自由だった。
二人、手を繋ぎながら…星の海に抱かれ、未来だけを見詰めていた。





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