HyperLolia:InnocentHeart
−彷徨の山脈−
019:Wondering Mountain


砂漠都市、モロク。
メモクラムの脱走劇に端を発した火事騒ぎもすっかり沈静化し、ローゼンベルグ邸は静かな佇まいを取り戻していた。

あれから後、メモクラムは行方不明なままである。
彼女を手助けしたアコライトの正体も判らず、調査は細々と続けられていたものの、
見つかる気配はまったくと言って良いほど無かった。

十字軍顧問・聖騎士ブロディアは謎のアコライトと一騎打ちし、自分が『負けた』事、
それゆえ二人を逃がしてしまった…と、自分に全面的な責任がある事を主張した。
だが、ステムロはここでこの聖騎士を責めるよりも寛大な態度で許し、
今後動きが活発になっていくであろう、十字軍の重鎮に『貸し』を作ることを選んだ。

元より、メモクラムの蒸発によるステムロの損失など何も無い。
屋敷が多少損壊した事と、彼女を引き合わせようとした豪商人の機嫌を損ねたくらいで、
彼女を捕らえようというのはステムロ個人の怒り…『してやられた』という悔しみが殆どだった。
今はそれよりも、クルセイダーとの間にパイプを作れた事を喜んでいる有様である。

有体に言って、ステムロはメモクラムが今後どうなるかなどに関心は無かった。
むしろ…中途半端に帰ってくるより、何処かで野垂れ死んでくれた方が後腐れが無くていい…とさえ思い始めていた。
ただ、心中でそう思うのは本人の勝手だが…それを平然と口にしてしまうのは、この男の悪癖である。

事あるごとにメモクラムへの呪詛を聞かされる、セモリナの心中が穏やかである訳が無く、
妹の行方への心配も重なって、最近は笑顔にすらどこか陰りが消えない程であった。


ブロディアが十字軍の任務に戻る為、退邸してから数日開けず…ローゼンベルグ邸に一人の冒険者が訪れた。
普段、『冒険者』など食い詰め者か、素性のはっきりしない無頼者と決め付け、
利用はしても決して親しく交わろうとしないステムロがその人物を客として扱ったのには、二つの大きな理由があった。

ひとつはその冒険者が高名な存在であり、展開次第ではブロディアの時の様に、
自身にとって何かしらの益を生む関係を築けるのではという、期待から。
もうひとつは、『彼女』が美しい事でも評判で…一度、間近で見てみたかったという下世話な感情である。

「突然の訪問、失礼致します。
 私はテミスと申す者で、いわゆる冒険者です…以後、お見知りおきを」

そう言って一礼した彼女の容姿は、なるほど噂に違わぬものがあり、ステムロも暫し見とれる程だった。
彫刻のように整った顔、知性の光を宿す鳶色の瞳、漣の如く流れる蒼い長髪。
長身の体躯は、ただ立っているだけでも絵になる均整を誇っていた。
『蒼の騎士』の通り名で呼ばれ、冒険者でも有数の実力者の一人として知られている者である。

「いや…お会いするのは初めてだが、噂どおり…いや、噂以上の美しさですな!
 ようこそわが屋敷に、テミス殿。歓迎しますぞ」
「ありがとうございます」

テミスは微笑を浮かべて、会釈する。

「…で、高名なる『蒼の騎士』殿が、私のような商売人に何の御用ですかな?
 貴女に似合う装飾品なら、是非とも私が直々に選ばせていただきたいものですが」

ステムロは早くも彼女に魅了されたのか…いつもの高慢な態度が、すっかりなりを潜めている。

「いえ…突然ですが、実は私の友人で古代のアイテムを収集している方がいるのです。
 最近は、かつての『聖戦』時代の物に執心中で…。
 私は旅で各地を訪れる折、その友人に頼まれて入手の手伝いをしているのですよ」
「ほう…」
「…実は私達が探していたとある物を、ステムロ様が入手されたと聞きまして。
 銀糸で作られ、中央にエンペリウムがあしらわれた古いアミュレットなのですが…」
「ああ、もしかして!」

と…テミスの言葉を遮る様に、ステムロが叫んだ。

「もしや、あれですか…炎と翼の紋様が刺繍された護符…?」
「ええ、それだと思います。
 友人が執心している物なので、もし良ければお譲り頂きたいと思いまして」
「いやはや…生憎ですが、あれは盗まれてしまいましてね」
「盗まれた…とは?」
「…先日、この屋敷で火事騒ぎがありましてね。
 まあ原因はくだらない事だったのですが、どうやらその時に私の私室に侵入し、
 盗んで行ったコソ泥がいたようなんですよ…」
「そうなのですか…」

紋章が無い事が発覚した時、真っ先に疑われたのは当然、メモクラムだった。
だが、それはセモリナの証言によって完全に否定された。
『自分は当日夜、屋敷を出る直前の彼女に会っており、そんな素振りは無かった』…と。
ステムロの自室には、他に金目の物が多量にあり、メモクラムもその価値は良く知っている。
にも関わらず、そんな古ぼけた護符だけをわざわざ選んで持ち出すのも奇妙な話だ…という事で、
犯人は雇われのシーフの誰かだろうと、そんな結論に落ち着いた。

ステムロ自身、いちいち彼らの素性や容姿を覚えている訳ではなく、
また、護符自体がそう高値で入手したものではなかったので、メモクラムの放火失踪に対する怒りが
この紛失の件を上回り、なし崩し的に『些末な窃盗事件』で話は終わろうとしていた。

しかし…にわかに、あの護符の価値に疑問符が付けられる事になる。

「実はですね…テミス殿より前に、あの護符を譲って欲しいという方が来たのですよ。
 もしかしてアレは、相当な値打ち物だったんですかね…?」
「…!
 それはどのような御方でしょうか、お聞かせ願えませんか?」
「ええと…最初に来たのは、身なりの立派な司祭様でしたね。
 大変腰の低い、柔和な方だったのを覚えてますよ。
 …次に訪れたのは、目つきの鋭い若い騎士でした。こっちは高慢な男でしてねぇ…!
 王国親衛隊の者じゃなければ、叩き出してやりたかった所ですわい」

テミスは訝しんだ。
…二人目に訪れたのが、シュトラウト卿の手の者だとは容易に判る。
むしろ、親衛隊の者だと明かしている事自体、露骨なまでの作為を感じるほどだ。
しかし…最初の司祭というのは、一体何者なのだろうか?
単に古物コレクターだという可能性もあるが、このタイミングでの来訪は不自然すぎる。
あるいは、紋章を狙う第三者が居る可能性も…否定できないのだった。

「…それは、大変でしたね。
 今、首都では聖戦時代のアイテム収集がちょっとしたブームなんですよ。
 もしかしたら、これから値が上がっていくかもしれませんね」
「なるほど、そうでしたか…要調査ですな。
 いやはや…歳を取ると都会の流行にも、とんと疎くなりまして。
 ついては、今夜わが家でお食事でもご一緒にどうですかな?
 是非、最近の世界状況などを貴女にお聞かせ願いたいものです」

にっ…と笑うステムロに、テミスは心の中で溜息をついた。
どう考えても、共に食事をして楽しくなりそうな相手ではないな…と思う。
そして、あの炎と翼の護符がここに無い以上、長居は無用だった。

「いえ…これからまた早急に旅立つため、人を待たせているのです。
 お心だけ、有難く頂いておきます」
「そうですか…それは残念、残念至極。
 モロクにお立ち寄りの際は、是非またいらっしゃって下さい。
 貴女ならいつでも歓迎いたしますぞ!」
「ありがとうございます」

ニ、三の別れの言葉を交わし、テミスはステムロの私室を後にした。
外に出た途端、思わずふーっ…と溜息をついてしまう。
ああいう手合いを相手に、貞淑な女を演じるのはつくづく疲れるものだ…と。

そのまま廊下を玄関に向けて歩いて行く時、一人の娘とすれ違った。
真っ赤な長い髪の少女は、上品さ溢れる微笑でテミスに会釈する。
ただ、どこか…その表情は憂いを帯びているような、そんな陰を感じさせる。
通りすぎ、ゆっくりと歩いて行く彼女の後姿を、テミスは理由も無く見詰めていた。


「おかえりー」

テミスがローゼンベルグ邸を出てすぐ、街路の端にそれを待ち構えている影があった。
濃紺の僧服を着た、プリーストの少女。
薄紫の柔らかい髪を揺らしながら、何故か楽しげに微笑んでいる。

「お勤めご苦労様」
「まったく、我ながら柄でも無い…まぁ、確かに話はスムーズに進んだが」
「あの手の富豪は、しとやかな美人に弱いのよん」

疲れた顔のテミスに、うんうんと笑顔で頷くプリースト。
ローゼンベルグ邸での彼女の態度は、そうした方が良い…との、彼女の作戦だった。

「で…メイナ、そっちで何か判った事は?」
「火事場泥棒らしい姿を見た人は居なかったけど…まぁ、この屋敷の雇われって、
 揃いも揃ってシーフギルド絡みらしいから、怪しいって言えば全員怪しいね」
「やはり、容疑者は特定できないか…」
「それと…ここで起きた火事、なんだけど。
 火を放ったのは、ローゼンベルグ氏の娘さんらしいよ?」
「娘…?」

一瞬、先の屋敷で見かけた少女を思い出す。

「ここには姉のセモリナ、妹のメモクラムの二人の娘が居たんだって。
 なんでも…その妹の方が、魔法で屋敷に火を放ったって話なんだけど。
 彼女はその騒ぎに乗じて、何処かへと失踪したとか…」
「…どうにも解せないな。
 暮らしぶりは裕福だし、わざわざ出奔したくなるような要素は考えられないが。
 それに、冒険者でもないはずなのに精霊魔法を使えるというのも不可解だ」
「確かに、それは私も思ったけど…メモクラムって娘は、何でも母親が違うらしいよ?
 そのへんが騒動の原因じゃないかってのが、もっぱらの噂。
 もっとも、この辺じゃ権力もある人物の話だから…噂って言っても、相当もみ消された後だけどね」
「ふむ…」

子細な事は判らないが…そのメモクラムという娘が、紋章を持ち去った可能性も捨てきれない。
とは言え、容疑者の特定ができないという一点においては何も変わらない。

(親衛隊に渡っていない、というだけで…今は良しとするしかないか。
 あとは、あの司祭が誰か、だな…)

考えを巡らせる彼女を覗き込むように、メイナと呼ばれたプリーストの顔がぐいぐいと迫る。
テミスは露骨に眉をひそめて、視線を逸らした。

「で?これからどうするの?そのメモクラムって娘を探す?もしくはモロクで調査を続けるの?」
「あのな、メイナ…協力して貰うのはモロクまでと言ったはずだ。
 聞き込みを手伝って貰った事には、感謝してる。だがな…」
「ふふふ、冒険者の血が騒いできたわっ!まったくテミスったら、最近姿を見ないと思ったら…。
 私に隠れて、こんな面白そうな調査をしてるなんてね」
「はぁ…そう言うだろうから、おまえに知られたくなかったんだが…」

テミスは呆れ顔で言い放った。
彼女と、このメイナというプリーストがどうやって知り合ったのかは、本人達以外には判らない。
ただ…二人はかなり昔からお互いを知り、気心の知れた仲ではあった。
もちろん、メイナが『面白そうな事』に首を突っ込みたがる性格を熟知しているが故に、
ここ最近は彼女に会わないようにしていたテミスなのであったが…偶然プロンテラで顔を合わせて以後、
何やかやと屁理屈をこねては、付いて来てしまっているのだ。

「さっ、何がどうなってるのか詳しく話して欲しいな」
「…今の私は、ちょっとした雇われの身だ。これは個人的な活動でも、ましてや冒険でもない。
 メイナが関わる必要も無い」
「テミスが誰かに雇われるなんて…益々、面白げな空気が漂ってきたわねー!
 いいじゃない、私こう見えてもかなーり役に立っちゃうよ?
 …それとも?高名なる『蒼の騎士』様だと、私なんか足手まといかもしれないのかなぁ〜?」
「判った、判った!そんな恨めしい声を出すな。
 言っておくが…私の仕事に付き合うのなら、それなりの働きを要求するからな」
「そうこなくっちゃ!」

してやったりの笑顔を見せるメイナに、小さくため息をつく。
偶然という悪魔が、彼女とばったり出会った時に…既にこうなるように決めていたのではないか、と。
思考が自然に諦めに入っていく自分が、少し嫌いになりそうなテミスだった。


モロクより遥か北。
ミョルニールの霊峰が連なる、険しい山岳地帯。
風の音しか聞こえない山道を、二人の冒険者がゆっくりと歩いていた。

「…ねえ」

その、マジシャンの装束を身にした少女は、先を往く背中に声を掛けた。

「あのさ…私、もしかしたらって…うすうす思ってたんだけど…」

その声に、ぴたりと足が止まった。
鎖の金属音を鳴らしながら、ゆっくりと振り向いた姿。
濃紺の修道服を着た少女は、顔に満面の笑みを広げながら言った。

「メ…じゃなかった、シリー
「な、なによ」

シリーと呼ばれたマジシャンの少女は、怪訝な顔をする。

「今まで黙ってたけど…実は私、方向音痴!てへっ」
「やっぱりかーーー!!!」

ばんっ!と、思わずシリーは手にしていた杖を地面に叩きつけた。

「数日前から、そーじゃないかと疑ってたのよっ!
 いっつも行く方向がバラバラだし、道が分かれてても全然悩まないし!
 ああっ、もうっ!最低!最悪!」
「んだよー、気付いてたならさっさとツッこめば良かったじゃーん?」
「ア…じゃなかった、テッサがあんまり自信満々に歩くから、少しは信じてたのよ!
 あー、ほんっと私がバカだったわ…」
「ばーかばーか」

テッサと呼ばれたアコライトは、頬を広げてべろべろと舌を出す。
わなわなと震えていたシリーの頭の中で、何かがぷちんと音を立てて切れた。
そして、力なく崩れ落ちる。

「ど、どしたの?」
「はあぁ………あれからもう、二週間よ…?
 ずーーーっとこの山の中をさまよい続けて、抜け出せる気配なし…!
 私、ひょっとしたらここで死んでしまうのかしら…自由になったばかりだと思ったのにぃ…」
「そんな後ろ向きな物の考え方はダメよ!ゼッタイ!
 大丈夫、断じて行なえばこれ即ち結果に結びつくものなのだー!
 ささ、私を信じて付いて来なさいってば」
「あんたに付いてきたから、こんな事態になってるのよっ!!」

シリーは怒りの視線をテッサに向けるが、彼女は相変わらず飄々として、不安の色さえ見せない。

「じゃあ、メ…じゃなかった、シリーがこれから先頭に立てばいいじゃーん」
「言われなくてもそうするわよ!」

やや不貞腐れ気味に言うテッサ。
応えて、気合を入れつつ立ち上がったシリーは杖を拾い、歩き出す。

「ア…じゃなくて、テッサもフラフラしないで、ちゃんと付いて来なさいよ!」
「どーよ、この言われ様?」

テッサは空に向かって問うが、答える声は無い。
仕方なく、シリーの後について再び山道を歩き始める。

「まったく…方向音痴なら、そうだってさっさと言って欲しかったわ」
「いやー、何とかなるかと思ってさ」
「何ともなってないじゃない!最悪よ!時間と労力の無駄遣い!」
「あはっ…そーお?それ程でもなくなーい?」
「褒めてないんだから、その嬉しそうな顔やめなさいよね…」

ギスギスした雰囲気を漂わせながら、謎の二人組は山岳の移動を続けた。

「しっかしさぁ、せっかく決めた偽名もなんか馴染まないよねー?
 そもそも人に会う事も、名乗ることも無い訳で…ま、こんな山ん中じゃ仕方ないけどさー」
「だから、誰のせいだと思ってるのよ!」

…二人の彷徨は、まだ終わりすら見えないのだった。


「ちょっと、ユーニス!」

ミアンがその名を呼び、振り返った時。
ユーニスは剣を手に、ポイズンスポアと戦っている真っ最中だった。
テッサとシリーの居る地点から、山を挟んで南東に位置するミョルニールの森林地帯。
二人は戦闘経験を積みつつ、徒歩でゲフェンに向かう冒険旅行の最中だった。

「はぁ、はぁ…ごめんなさい、いきなり現れたもので…。
 はいっ、お待たせしましたっ!」

ユーニスがようやく敵を切り伏せ、慌ててミアンの許へ飛んでくる。
この旅行が始まってから、メキメキと剣士としての実力を上げている彼女。
とは言え…二人分の装備と荷物を抱えながらの戦闘は、やはり辛さを隠せない。

「弓の弦が緩んだままよ。昨日、調整しておいてって頼んだでしょう?」
「あ、す、すみませーん!忘れてました…」
「仕方ないわね…すぐに直して。こんなんじゃ狩りにならないでしょ?」

コンポジットボウをユーニスに投げ、側の切り株に腰を下ろすミアン。
腰の水筒を外し、清水を口にする。
ユーニスもその場に荷物を下ろし、並べた後、慌てて弓の調整キットを取り出す。

最初は荷物持ち程度だったユーニスの使われ方は、次第に小間使い的にエスカレートしてきた。
元よりミアンは彼女を自分の良いように利用するつもりだったし、
ユーニスも命の恩人に報いようと、何でもかんでも二つ返事で引き受けてしまう。
やがて…遠慮の無いミアンの性格は細々とした自分でやるべき事まで、彼女に押し付けるようになった。

「そろそろこの森も飽きてきたわね…ゲフェンへの日程、繰り上げようかしら」

独り言のように呟くミアンに、ユーニスは楽しそうな笑顔で答える。

「私はここでも、楽しいですよ!空気は美味しいですし、森も綺麗ですし…」
「ま、あんたみたいなレベルの低い剣士にはいい狩場かもしれないけど。
 私はもっと刺激が欲しいのよねー」
「そ、そうですか…」

ミアンの辛辣な言葉に、苦笑いする。
それでも手は動かしたまま、弦の調整を休めない。
…と、その時。

ドォンッ!!

突然聞こえた大きな音に、二人は表情を硬くする。

「な!?なんですかっ、今の音!?」
「…魔法ね、多分ファイアーウォール。近いわよ」

狼狽するユーニスに対して、冷静に分析するミアン。
魔法の使い手なら、同じ冒険者なのだろう。
実際この山に入ってから、何度か同業者とすれ違った事もある。
とは言え、不必要に警戒を解く理由も無い…そう思ったミアンは、
腰の矢筒を外し、ナイフの鞘を抜きやすくするのだった。

ドォォォンッ!!

「…近づいてくるわね」

警戒しつつも落ち着いた表情を見せるミアンに対し、
ユーニスはやや慌てて立ち上がり、落ち着き無く周囲を見回す。
…と、森が割れて、そこから人影が飛び出した。

まず、目に入ったのは…短かめに切り揃えられた、輝く銀髪だった。
しなやかに動く肢体を隠す布は少なく、その装束でマジシャンだと瞭然である。
その背丈、身体つきからミアンよりも若い少女だという事が伺えた。
それを裏付けるような童顔に、片眼鏡を掛けた表情には…不相応なまでに沈着な穏やかさがあった。
マジシャンと言えば杖を用いるものなのだが、彼女はそれを腰に付けたまま、
片手にスティレットと呼ばれる、戦闘用の短剣を握っている。

「あれ、あの人…?」

ユーニスの呟きはミアンにも聞こえていたが、その意味を聞くタイミングは外された。
マジシャンを追う様に、森を切り裂いて二匹のホルンが現れたからだ。
いずれも胴体のあちこちが焦げ、炎がくすぶっている。
それ故、攻撃対象…マジシャンに対して、容赦ない戦意を剥き出しにしていた。

「………」

マジシャンが口元を動かし、手を翳す。

ドオンッ!!

それに合わせて、突然…何も無い、乾いた地面に炎の柱が煌々と立ち上がった。
巨大な昆虫達は、勢い良くその中へ突っ込んで行く!
バキッ、と甲殻が熱で割れる音が大きく響いた。
そこに追い討ちのように、マジシャンが手を振り上げた先に…光の弾が踊っていた。
集中した念を物質化させ、高速で撃ち込む…ソウルストライクと呼ばれる魔法。
マジシャンの手が踊るような軌跡を描き、目にも止まらぬ速さで、光弾が飛ぶ!

グワァンッ!!

炎の壁の向こう、一匹のホルンに撃ち込まれた二発の弾は、そのまま魔物の命を奪い去った。
まるで、抜け殻のように外皮だけを残して、がらがらと崩れ落ちる。
それと同時に、威力の弱まってきたファイアーウォールを突き抜け、もう一匹が飛び出した。
全身を炎で焼きながらも、意外に素早い動きでマジシャンに迫る!

「あ、危ないっ…!」

ユーニスが思わず叫んだが、マジシャンは微塵も慌てた様子は無かった。
手にしたスティレットを逆手に持ち直し、そこから動こうともしない。
ホルンの巨大な牙が彼女を挟み、切り刻むべく、襲い掛かる。
一歩前に出たユーニスは、腰の鞘からファルシオンを抜刀する。
いざとなれば、加勢するつもりなのだ。

しかし、ミアンは厳しい表情で見詰めたままだった。
そのマジシャンの様子に、勝利を確信めいた余裕すら感じたからだ。
…それは鳥の羽を思わせるような、ふわりとした跳躍。
まさに、紙一重と思わせるタイミングで牙を避け…しかし、その手は力強く伸ばされていた。

ズシュッ!

スティレットの刀身が、ホルンの頭部に深々と突き刺さる。
だが、魔物は突進を止めることが出来ない。
炎で焼けて炭化しつつある甲殻を、短剣はいとも簡単に引き裂いて行く!
魔物自身の突進によって、頭部から胴体へと巨体は真っ二つに分かれていき、濁った体液が噴出する。
そして…。

ドシャアァッ!!

駆けながら絶命したホルンはそのまま樹の幹に激突し、もう動く事はなかった。
マジシャンはその様子を見届けると、無表情に短剣を振って、付着した体液を払い飛ばす。
それを鞘に収めると、今度はミアン達の方へ近づいてくる。
改めてその姿を確認し、ユーニスの顔は緊張から喜びへと変化していく。

「…すみません、お騒がせしました」

…と、感情のこもらない声で、それだけ言ってきびすを返したマジシャン。
その背中に、ユーニスは慌てて駆け寄る。

「ま、待ってくださいっ!私、私ですよっ!」
「…?」

少し眉をひそめて、顔半分だけ振り返るマジシャン。
自分の顔を指差して、ぶんぶんと頷くユーニスの顔を見詰める。

「ほらっ、首都に近い森で…助けてもらった剣士ですっ!
 風の精霊石を手に入れるって言ってた、ユーニスですっ!」
「あぁ…」

マジシャンはぽん、と手を打つ。

「あの時の…どうやら、ご健勝で冒険者を続けていらっしゃるようですね」
「はいっ!その節は、本当にお世話になりましたっ!」
「いえ、大したお世話もしてませんが」

至極嬉しそうに、表情を綻ばせるユーニスに対し、
口調こそ親切丁寧だが…マジシャンの顔は相変わらずの無表情だった。

「…とすると、そちらのアーチャーが例の人ですか」
「はいっ!私の命の恩人、ミアンさんですっ」
「あなた、そんな事まで話してたの?」

(そういえば、誰だかに助けられたって話をしていたわね…)

ミアンは値踏みするように、彼女を見回す。
小柄で未発達な身体は、自分よりも年下…冒険者規定ギリギリの、12・3歳という所か。
意外に戦闘的な体術には目を見張るものがあった。
恐らく、シュバルツバルト共和国の首都・ジュノーゆかりの戦闘術ではないか…とミアンは思う。

ジュノーは過去『聖戦』を始め、何度も争いの焦点として戦いが繰り広げられた街だ。
浮遊都市という性格上、防戦を旨とする要塞型の戦術が自然重視され、
かつては長々距離攻撃魔法や、大型の半自動化石弓の技術などが発展したという。
そして…近接戦闘兵力として、魔導騎士なるものが投入されていた歴史があった。
一瞬の判断が命取りの接近戦で、詠唱に時間を取られる魔法を使うという矛盾。
それを克服した、一騎当千の存在が居たという…もはや伝説の中の話である。

だが、その戦闘技術のいくつかは今もジュノーに伝わっているらしい。
そして、失われた技の継承者達は『セージ』と呼ばれる、と…。

「…あなたも、この山で修行中って所かしら?」
「まぁ、そんな所です」
「すごいですよね、魔法っ!
 私なんかがホルンと戦ったら、もう傷があっちこっちに…」
「それはユーニスが弱いだけでしょ」
「あうっ…」

がくん…とヘコむユーニスだったが、気を取り直してマジシャンに向き直る。

「今度こそ、お名前教えてくれますよね。
 前はお礼もそこそこにしか出来ませんでしたし」
「………」

彼女はユーニスを見詰め、しばらく何かを考えたようだったが…。
小さな溜息を漏らしながら、口を開いた。

ラビティ、です…ラビティ・グラン・オヴェリアス。
 ご覧の通りマジシャンで冒険者ですが、普段はジュノーで魔導研究の助手やってます」
「ラビティさん、ですか…いいお名前ですねっ!
 私はユーニスです!ユーニス・ティアノン、剣士ですよっ」
「それ、前に聞きました」

なるほど…やはりジュノーの人間だったかとミアンは一人、納得する。
ユーニスは笑顔のままミアンに向き直ると、さっと手を掲げて彼女を紹介した。

「この方が、私の命の恩人で…今は一緒に冒険旅行をして貰っている、
 アーチャーでとっても強い、ミアンさんですっ!」
「…ミアンシア・ヴェリストゥール・バウアーよ」

相変わらず、自身の名を口にする事に抵抗感のあるミアンだったが、ここは仕方なく口にする。
『聖戦』の英雄の血筋を意味する、ミドルネーム。
名乗られれれば名乗る…の長い礼儀の歴史には、さすがの彼女でも抗えないものがある。
もっとも、その名の価値は千年の間に風化し、もう意味すら無くそうとしているのだが…。

「あ、ミアンさんってミドルネーム持ちな方だったんですか」
「あら、言ってなかったっけ」
「初耳ですよっ」

へぇー、と少しだけ驚きの表情で頷くユーニス。
英雄云々などと言っても、市井の反応は概ね彼女のそれと同じである。
古い、意味の無い名前…婚姻の際に捨てて行く人も多いという。
やがて、全て消えてしまう日が訪れるであろう、滅び行く呼称。

「ユーニスさんに、ミアンシアさん。覚えました」

無表情なまま、小さく頷くラビティ。

「ところで…あなた、修行の旅って一人でしてる訳?」
「ええ、まあ。あんまり群れるのは、好きじゃないので」
「そうなんですか?でも、それって寂しいですよー」
「戦闘技術の研鑽と、精霊との親和能力向上が目的の旅です。
 寂しさとかは問題じゃありません」

…と、ここでユーニスは、思わずラビティを自分達の旅に誘いたくなった。
二人が三人になれば、もっと楽しくなると疑わない心のままに。
だが、もとより彼女は頼み倒してミアンに同行しているような身分である。
そんな自分が積極的に旅に誘うわけにはいかない…と思ったのだが。

「ね、何なら…私達と一緒に行かない?
 戦闘も、旅の負担も随分軽くなると思うけど」

意外な事に、ミアンが自分からラビティを誘ったのだ。
ユーニスは驚きつつも、これに乗らない手はない…とばかりに大きく頷いた。

「そうですよっ!そうしましょう!
 三人で行けば、きっともっと楽しくなりますよっ」
「………」

だが、ラビティは暫く沈黙した後…静かに目を伏せる。

「お誘いは嬉しいのですけど、私は一人でやっていけますので」
「そりゃあ、さっきの戦いぶりを見れば判るわよ。
 だから、一緒に行けばもう少し楽に旅が出来るでしょって話。
 悪くないと思うけど?」

ミアンとて、群れるより一人旅の気ままさのほうが性に合っているタイプの人間だ。
ラビティがそう思うのも、判らないではない。
さらに言えば、こんな愛想のカケラも無い小娘と旅をしたいとさえ思わない。

だが、ここはミアンの計算が勝った。
現状の戦闘力なら、この小さい魔術師は恐らく自分と同等か…もしかしたら、それ以上だという事。
つまり、彼女を引き入れる事でさらに厳しい北方山脈への旅が見込める。
ハイリスクにはハイリターンがあり、すなわち冒険者として成り上がる近道だ。
普段の面倒はユーニスに見させ、戦闘ではお得意の魔法で活躍してもらう。
当面の攻撃力増加要員としては、満足できそうな人材と思えた。

…だが。

「こういう言い方をするのは、自分でも嫌ですけど。
 …あなたと一緒に旅をしたくありません、ミアンシアさん」

ラビティの一言で、場の空気は一瞬にして凍りついた。
ユーニスだけが、何かの聞き間違いかと思い、両者の顔を見比べている。

「冒険者にとって、共に旅をする、共に戦う…そんな仲間との信頼関係は、大事です。
 ユーニスさんを見る限り、あなたにはそういう考え方が欠けているようです。
 とても、背中を預ける気にはなれませんね」

二人の荷物は全て、ユーニスが運搬するが為にまとめられている。
ミアンの弓の調整を、ユーニスが行なっていた。
さらには…服に痛みすらないミアンに対し、ユーニスは全身傷だらけの状態だった。
ラビティが以前会ってから数週間。
いくら彼女が駆け出し剣士として未熟でも、アーチャーの援護付きでこうまでボロボロとは考え辛い。
ましてや、二人のダメージ量には差がありすぎる…。
つまり、ミアンのユーニスに対する扱い…もとい、仲間意識にどこか綻びがある事は、
ラビティには容易に想像できた。

「…ふぅん?一人旅のくせに、仲間だの信頼だので私に説教するとはね。
 良く言うじゃないの、子供のくせに」
「歳は下ですけど、冒険者としての経験はあなたより上だと思います。
 生き残るために必要なのは、年齢じゃありません」
「ペラペラと…ほんと、口達者ね」

にわかに、ミアンの声のトーンが落ちた。
ユーニスは二人の間に発生した淀んだ空気を感じ、おろおろとうろたえる。

「別に…あなたの生き方、やり方を否定している訳じゃありません。
 人を利用するのも、自分中心にモノを進めようとするのも、いいでしょう。
 …ただ、私までそれに組み込まれるのは正直、ゴメンですね」
「だから、あなたは一人旅って訳?」
「そうです…人は案外、一人で生きられますから。
 あなただって本当はそう思ってるんでしょう?」

…悲しげな目で小さくなっているユーニスの方へ、ラビティは無表情のまま向き直る。

「ユーニスさん、悪いことは言いません。
 この方と一緒に旅をしてても、あなたに何も益はありませんよ。
 早々に別れて、もっと良い仲間を探すことをお勧めします」
「そ、そんな事…!
 酷いですラビティさん、何でそんな事言うんですかっ!?」
「………」

ラビティは一瞬、考えるように瞳を閉じた。

「今は、何を言っても駄目かもしれませんね。
 でも、ミアンシアさんの事を本当に思うならば…あなたの存在は、彼女の為にもならないのです」
「よ、よく判りませんよっ…何で私が、ミアンさんと一緒じゃ駄目なんですかっ!」
「それは…本人に直接、聞いてみたらいいんじゃないですか?」

そう言うと、ラビティは二人に背を向ける。

「長話をしました…私はこの辺で、お二人ともお元気で」
「あっ…ちょっとっ…」

ユーニスの引き止める声も空しく…ラビティはすたすたと歩き出し、北の森の木々の間へと消えた。
表情を険しくしていたミアンは、どすん、と切り株に腰を下ろす。

「何なのよ、アレ…言いたい放題言ってくれてさ!あー、気分悪い!」
「………」
「ユーニスも、さっさと私の目の前から消えたら!?
 一緒に旅をしたって、いいことなんか無いわよ!」
「い、いえっ!私はミアンさんと一緒で、とっても嬉しいんです!
 これからも、ご一緒させて下さい」
「ふんっ…」

ミアンは憤って見せる事でしか、内心の嫌な気分を誤魔化せなかった。
全て見透かしているかのようなラビティの言葉ぶりに、最後は気持ち悪ささえ感じた。

(そうです…人は案外、一人で生きられますから。
 あなただって本当はそう思ってるんでしょう?)

それは、父が失脚し…世の中が全て敵になった日からの、ミアンの信条そのものだ。
望んで一人になった訳ではない。
だが、突きつけられた現実の前では、一人で生き抜くしか道は無かったのだ。

(そうよ、私は一人で生きて行ける…だから、他者など利用するしか価値がないじゃない!)

ミアンはひとつ、ふーっと溜息を吐くと…。
ユーニスに向き直り、地面に落ちたままのコンポジットボウを指差した。

「それ、早く直して。さっさとこんなトコ移動しましょ」
「あ、は、はいっ!」

嬉しそうに頷いて、弓を手に取り、調整を再開するユーニス。
ミアンはその姿をじっと見ながら、心の中で反芻していた。

(私は、一人…今までも、これからも)

そう思いながらも、何故か目の前に座っている剣士の少女が、
記憶の中にある…お人好しで、いつも微笑んでいた『彼女』を連想させ、
どうして今、あの娘を思い出すのかも判らないまま…ミアンはそれを振り払うのに苦心するのだった。


「…はぁ、はぁ…もうダメ、は、走れない…」
「ったく、マジシャンってのは体力ねーなー」

木陰に隠れて座り込み、息を切らせるシリー。
その様子に悪態をつくが、辛いのはテッサも同様だった。

ミョルニール山脈、北西の台地。
閉鎖された廃坑に連なる、開けた平原地帯で…二人は大ピンチに陥っていた。
あの後、シリーは廃坑入り口前にカプラサービスの出張所がある事を思い出した。
費用や行き先はともかく、とりあえず早急に街へ向かって体勢を立て直すべきである。
それが、シリーの主張だった。
テッサはとりあえず…フロ、メシ、ネルの三連コンボを決めたいが為に賛成した。
こうして二人は一路廃坑を目指し、北上を開始したのだったが。

「な…なんで、こんなに敵が強いのよぉぉ…!
 私が訓練所に居た頃は、ザコばっかりだって聞いてたのに…」
「それって何時の話だよー?
 今、あっちこっち魔物の生息域が変わってるらしいから、昔の知識は役に立たねっての」
「だったら先にそれ言いなさいよッ!!」
「私、こんな辺境の魔物の事なんて知らんもーん」
「くぅぅ…街に帰ったら、絶対一回殴ってやるぅ…!」
「くふふっ、生きて帰れたらネ」

おどけるテッサだが、実際笑っていられる状況ではない事は良く判っていた。
がさっ…と草を分ける音に、二人は息を潜める。
獲物を探して徘徊する影…それはプティットと呼ばれる魔物で、いわゆる『竜』の一種だ。
二人は高位の魔物として、竜族というものが存在することは知っていた。
だが、冒険者を始めてこんなに早く遭遇するとは…さすがに想像すらしていなかった。

「まったく、洒落になってないわよ…」

草陰から襲われ、やむなく交戦状態になったものの…。
二人の武器や魔法では、まったく効果的なダメージを与えられない事に、まず青ざめた。
半ば体当たりの一閃に、防御したはずのテッサも吹っ飛ばされた。
結局、シリーのファイアーウォールで防壁を張り、なんとか退路を確保しながらの逃走。
それも精神力が持たず、茂みに隠れた二人は…今や、絶体絶命と言って良かった。

「ああ…どっかの方向音痴にさんざん振り回されたあげく、こんな山の中に引き込まれて、
 最後はあんな化け物に食い殺されるのが私の人生なのね…!」
「そりゃお疲れさん」
「どういう意味よッ!」
「天国へ行ける様、祈る前に…私はもうちょっと、あがいてみるけどねっ!」

二人に気付いたプティットが、ざわざわと草を掻き分け、高速で迫り来る!
テッサとシリーも、慌てて別方向へ転がるように飛びのいた。
獲物が別れ、一瞬立ち止まった魔物だが…照準をテッサに定めた。
信じられないほどの速さで追いかけてくる姿に、逃げる事の無意味を悟り、テッサは盾を構えた。

ガシャアッ!!
「うわ…ッ!」

勢い良く回転しながら、飛んで行くバックラー。
支帯を引きちぎられるほどの強い当たりを受けた左腕が、びりびりと痺れる。
それでも何とか攻撃を避けたテッサは、シリーと距離を開けながら叫んだ。

「こいつは引き受けたッ!私に任せてさっさと逃げろッ!!」
「え…!?」

その言葉に、耳を疑うシリー。

「な、何を言ってるのよッ!一人でどうにかなる相手じゃないでしょ!?」
「二人でも、どーにもならないって!
 私が持ちこたえている間に、廃坑の近くに居る冒険者に助けを求めて来てッ!」

正論に見えるテッサの言葉だったが…プティットの襲撃から逃走した事で、
廃坑からはかなり遠ざかってしまっていた。
今から走って行ったとしても、帰ってくるまでかなりの時間が掛かる。
それまで彼女は持たないだろうし、廃坑に運良く助けてくれそうな冒険者が居るとも限らない。

「そ、そんなの…!」
「何でもいいから行ってよ!私なんか、放っておいてッ!」

シリーはその言い分に、はたと気付かされた。
テッサが方向音痴でさんざん自分を迷わせた事に、責任を感じているんだ…と。
普段は口さがなく、思慮も配慮もない物言いをするこのアコライトだが、
肝心な時に素直になれない…そんな性格を、シリーは理解し始めていた。

(こんな状況を一人で引き受けて…埋め合わせるつもり!?)

シリーは唇を噛んだ。
既に、目標を捉え直したプティットは、再びテッサに迫りつつある。
受ける彼女も、覚悟を決めたかのようにメイスを中段に構え、腰を落とし、迎撃の姿勢を取る。
一瞬の隙にカウンターを狙おうと、目を細く睨みつけるテッサ。
だが…その程度で有効打が奪えるのなら、こんな苦戦を強いられる事も無い。

「お姉ちゃんにも会えずに…死ねるかぁーーーっ!」

自らに気合を入れるように、叫ぶテッサ。
その身体の左右を駆け抜けるように…白く輝く、光弾が飛んで行く。

「え!?」

ソウル・ストライクの魔法が2発、確実にプティットの身体を捉えた!
その衝撃に、思わず立ち止まってしまった魔物。
だが、それは硬い甲皮にかすり傷すら負わせることが出来なかった。
シリーは残りの精神力を振り絞ったが…まったく効果が無い事に、思わず舌打ちする。
テッサは首だけそちらに向けて、思わず眉をひそめた。

「ばっ、バカ!逃げろって言ったじゃん!」
「あんたを置いて、一人で逃げられる訳ないでしょッ!」

隣に来ると杖を投げ捨て、腰の鞘からカッターを抜いて構えるシリー。
もう魔法を使うほどの精神力は残っていない…との意思表示、だった。

「一人より二人でしょ!」
「私らが十人居ても、たぶん無駄だってば!」
「何とかなるわよ!…って、あんたの口癖でしょ!?」

厳しかったテッサの顔が、突然吹き出して…笑顔に変わる。

「うっわ…まさか、こんなバカだとは思わなかった」
「誰かさんと一緒に居すぎたせいで、移っちゃったのよ」

二人、ピンチの最中だと言うのに…何故か笑みを浮かべて、プティットと向かい合った。
テッサはスカートからロングチェインを引きずり出す。
その長く、太い鎖の先端は空に浮かび…やがて、唸りを上げて回転を始める。

(戦って勝つのは無理かもしれない。
 いや、多分…絶対、無理なのだろう。自分達が倒してきた魔物とは、桁が違いすぎる。
 それでも、どちらかが生き残るためにどちらかを犠牲にするような、そんな真似は出来ない。
 残された時間は、少ないかもしれないけど…二人とも生き残る可能性を模索する!)

暫く、一緒に旅を続けていたせいだろうか。
それとも、この二人のものの考え方…性格が、酷似していたのだろうか。
テッサとシリーは、互いの心の内を聞いたら驚くであろう程に、同じ思考で一致していた。

その時、プティットが動いた!
だが、今度は突進しようとはしない。
敵に先の魔法のような武器があること、避けるのだけは意外と素早いこと、
そして彼女らの武器が自らに何らダメージを与えられないこと…。
それが知性なのか、本能なのか…言語を持たない魔物の口から、語られることは無い。
しかし、二人を食らうにはどうすれば良いのか、を竜は的確に把握していた。

「たかが竜のくせに、人間様を舐めるなよっ!」

ゆっくりと、舌なめずりをするように近づいてくるプティット。
テッサは威勢こそ負けてはいなかったが、頭の中は打開策の模索でいっぱいだった。

…だが、二人のピンチは意外な、まったく予期しない形で取り払われた。

ピクッ、と何かに反応したかのように、首を持ち上げ…二人とはてんで逆の方向を見る魔物。
牙の並んだ口を開き、まるで抑えきれない怒りを吹き出すかのように、息を吐く。
と、それと同時に…この戦場に現れた姿があった。
テッサ達と竜の間に割り込むように飛び込んできた、一頭のペコペコ
その鞍から飛び降りた影は、蒼く長い髪を優雅にたなびかせていた。
手には巨大で無骨な、ハルバードと呼ばれる戦闘用の斧槍。
そして。

ザシュウッッ!!

目にも留まらぬ速さで薙ぎ払われた一閃!
まるで踊るように、空気を切り裂いて回転する槍が、何度も何度もプティットを切り刻んでいく。
最後は…全力を込めた横薙ぎが、まるで叩き潰すかのように竜の胴を裂いた。

「…す、すごい…」

思わずシリーがそう漏らすまで、それこそ一分も無かっただろう。
二人が命の危険まで感じ、窮したあの魔物が…まるで紙くずの用に、事も無げに切り刻まれてしまった。
目の前で起きた事に驚きっぱなしのまま、しばし呆然とする二人。
ひゅん…と槍を回しながら、その人物が振り向いた時、背後で竜は断末魔も上げずに崩れ落ちた。

「…大丈夫か?何故、一次職の冒険者がこんな所をうろついている?」

凛とした声でそう言ったのは、蒼い長髪をなびかせた、女騎士。
テッサとシリーはあまりに突然の展開に、まだ声が出なかった。

「廃坑に行こうとして、襲われたって所じゃないかな?
 ほーら、私のお陰で若い冒険者の未来を守ることができたっ!えらいなあ、私」
「それとこれとは話が別だ…だいたい、メイナは何もしていないだろう」

ペコペコを連れて近づいてきたのは、プリーストの少女。
にこにこと楽しげな笑みを浮かべて、二人を見ている。

「…あ。
 えっと…助けていただいて、ありがとーございました!」

と、ようやく我に返ったテッサが、礼を述べる。
まだ呆気にとられているシリーの頭をわしずかみ、一緒にペコリと下げた。

「ちょ…痛いじゃない!」
「いつまでボーッとしてるんだっての。
 最悪、命を落とすところだったんだからね!
 助けてもらったんだから、しっかりお礼しなさい」
「あ、あんたに言われなくても判ってるわよ!
 …騎士様、危ないところを助けていただき、ありがとうございました」

改めて…繊細な動作で一礼し、感謝の意を表すシリー。
良家で教育された為、こういう時の礼儀作法はさすがにしっかりしていた。

「まぁ…これはご丁寧に。気にしなくてもいいよ、大した事してないしね」
「だから、おまえは何もしていないだろう」

微笑むプリーストに、憮然とする騎士。
はぁ…とひとつ溜息をついた後、改めて二人に向き直る。

「私はテミス…ご覧の通り、冒険者で自由騎士だ。こっちは連れのメイナ」
「ぞんざいな扱いねぇ…これでも聖職冒険者やってるの、よろしくね。
 そっちの子もアコライト…よね?随分変わった色の修道服だけど」
「あ?ええ、まぁ…私はア…じゃなくて、テッサ。
 こっちはメ…じゃなくて、シリー」
「マジシャンのシリーです。
 何かよく判んないけど、二人で旅してます…」

シリーの言葉に、思わず微笑むメイナ。

「テッサちゃんに、シリーちゃん…ね。
 一緒の理由がよく判んないって…何だか不思議な二人ねぇ」
「私も、何故おまえが一緒に居るのかよく判ってないがな」

呆れ顔のテミスを見て、テッサ達の表情も柔らかくなる。
凄まじい強さを持っている、実力者である事は疑いようが無い。
あの一瞬の迫力、槍捌きに気おされ…緊張感がなかなか消えなかった。
だが…こうして話をしてみれば当たり前の、普通の人間である。

「…とにかく、この近辺は一次職冒険者が徘徊して楽しい場所ではない。
 廃坑を目指しているのなら、私達が護衛しても良いが…?」
「え…あー、えーと、まぁ廃坑目指していたは、いたんだけど…」

テッサが気まずそうに口ごもる。
それを見て、シリーが意地悪く冷ややかな目で言った。

「私達、モロクから旅立ったんですけど…本当は、ゲフェンに行く予定だったんですよ。
 その前は、プロンテラだったんですけどね!
 誰かさんが方向音痴のお陰で、いつのまにかこんな山の中に…はぁ…」
「ほ、方向音痴…」
「あははははっ!それはもう、技って言ってもいいね!ね、テミス?」
「そ、そんなに笑う事ないじゃん…」

大笑いのメイナに、口を尖らせるテッサ。
テミスは何故か、悼むような視線を向けて溜息をつくばかりだった。

「…つまりだ。君達はプロンテラに行こうとしている、そういう事だな?」
「ええ…それでとりあえず、一旦どこでもいいから街に行こうって事で、
 廃坑前の出張カプラを目指してたんですけど…」
「プティットに襲われた、って事ね」
「…メイナ、確かおまえのワープポータルで、首都の近くまで行けただろう?
 彼女らを送ってあげたらどうだ」
「あ、それは名案かも。でも、ジェムはテミス持ちよ?」
「…細かい奴だな」

話の意外な流れに、シリーとテッサは思わず顔を見合わせる。

「ほんとに!?うっひゃー、超ラッキー!」
「好意は嬉しいのですが…初対面の方々に、そこまで迷惑をおかけする訳には」

ほぼ同時に出た二人の言葉は、まったく見解が違っていた。
それにお互いが驚き、改めて顔を見合わせる。

「な、何言ってるのよ!助けてもらった上、まだ迷惑かけようって言うの!?」
「だって、送ってくれるって言うんだから好意に甘えた方がいいじゃーん?
 廃坑からゲフェンに行っても、そこから首都に行ける保証も無いしさー。
 ついでに言えば、ポタ代だって出るかどうか判ったもんじゃないし…」
「そうそう、好意は受け取るが一番!」

と、二人の肩に手を載せたメイナが微笑む。

「何も遠慮する必要は無い。
 むしろ、君達のような者がこの地方で迷っている現状の方が、私的には怖いぞ。
 首都圏なら魔物もそう強くはないし…これは言わば、強制送還というものだな」
「はぁ…何か言いくるめられてる気分ですけど…」

まだ、納得できない顔のシリーだったが、テッサは喜色満面で頷いた。

「いやー、こんな僻地でも拾う神ありだねー!聖職者やってて良かったよ」
「祈った事も無いくせに、良く言うわよ」
「じゃ、早速いくからね。ちょっと離れてて」

暫し、メイナの静かな詠唱が続き…その両手から光が溢れる。
ドォォォンッ!
そして、直立する光の柱。

「はーい、首都近くの地下水道入り口前行きよ。少し東に歩けばすぐ街門だからね」
「ありがとー!」
「この御恩は、忘れません」

テッサとシリー、一緒に頭を下げる。

「気をつけて、な…縁があれば、またどこかで会おう」
「はい、テミスさんもお元気でー!」
「またお会いしましょう!」

二人、手を振りながら光の中へ飛び込んでいく。
その姿が輝く粒子の中で、見えなくなり…やがて、光そのものが完全に消失した。

「ふぅ…人助けはいいねぇ、テミス?」
「若い冒険者が無知、無謀ゆえに命を落とすことは多々ある事だ。
 今更、一人二人助けたところで気休めにもならない。
 まぁ…だからと言って、目の前で苦戦している者を放っておく訳にもいくまい」
「んもう、お堅いんだから」
「おまえが戦闘音を聞きつけなければ、こういう結果にはならなかった。
 まったく、力仕事はいつも私に押し付けられる」
「ふふん?テミスったら珍しく、ポタの世話まで自分から言っちゃってさ。
 やっぱあれかな、方向音痴仲間だと…」
「お、おいっ!それを言うなっ!」

珍しく赤面するテミスの顔を見て、メイナは楽しげに笑った。

「別に迷ってこんな僻地に来た訳ではないぞ。
 親衛隊の監視の目をくらます為だと、説明したはずだ」
「監視どころか、ひとっこ一人居ない山の中…。
 夜までに着くって言ってたけど、どうなることやら…?」
「だ…黙って乗れ、置いていくぞっ!」

テミスが手綱を引く。
今日も多くの冒険者達が彷徨するミョルニール山脈に、日没が訪れ始めていた。






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