HyperLolia:InnocentHeart
−姉妹−
022:Sister


午後のイズルードは、いつも通りの活気と賑わいの中にあった。
今朝方の『事件』など何も無かったかのように、街を行き交う商人や冒険者の群れ。
…しかし、その当事者達は重い空気の中に居た。

宿に帰還した、ロリア一行。
室内のクアトが吹っ飛ばされた穴の跡には、応急処置の布が覆われている。
この有様に加え、同行者が二名増えた事もあって、オリオールは至急空き部屋の問合せをし、
丁度、今朝キャンセルが入ったという向かいの部屋を借りた。
今は全員がそちらの部屋に集っていたが…誰も口を開こうとはせず、沈黙が場を支配していた。

原因は、ロリアとアイネの再会。
正確に言えば、アイネが冒険者になっている事に対し、ロリアが憤慨した事による。

「アイネ…あ、あなた、こんな所で何やってるのッ!?」

長い付き合いのフリーテですら意外に感じるほどの、激昂だった。
クアト拉致現場に集まった野次馬が、一斉にそちらに視線を向けるほどの怒声。
アイネはまさか、久々の再会でいきなり怒られるなどとは、思ってもいなかった。
だが、姉が怒る理由もよく理解できるが故に…この時は反論の余地も無く、俯くだけだった。

事態を察したオリオールが仲介を買って出て、ロリアを諭しつつも宿に連れて行き、
まだ軍による聴取があるアイネの付き添いと、クアトの身元引受人にはフリーテが当たった。
それから小一時間ほどして、ようやく開放されたアイネとメモクラム。
改めて聴取する必要がある場合の為に、所在を明らかにしなくてはならず…結局、ロリア達の宿を指定した。

三人が部屋に入った時、先に搬送されたクアトは意識を取り戻し、ベッドの上で身体を起していた。
アイネの治癒魔法の効果もあってか、元気そうな様子で顔を綻ばせる。
…が、テーブルの前、椅子にうなだれたロリアの姿に、誰も声を出せなかった。
ろくに装備も外さないまま、手を組んで、じっと動かない。
下に流れた髪で、表情さえ判らなかった。

アイネが勝手に冒険者になっていた事もロリアにとっては衝撃だったが、
それと同じくらいのショックを、この直前に耳にしてした。
すなわち、オリオールとフリーテがアイネの件を既に知っており、ロリアに隠していたという事である。
二人もそれ以上の詳しい事情、状況も判らなかったし、悪戯に告げてもロリアの混乱を煽るだけだ…と、
黙っていた理由を説明したが…今、それを理解しろと言われて納得できる彼女ではなかった。

オリオールに促されて、落ち着かないアイネが、ロリアの対面に座らされた。
隣の席にはフリーテも並ぶが…一様に、口を開く言葉が見つからない。
この二人には、ロリアの今の心情が想像できるだけに、尚更である。
しかし…一人、まったく空気を読まない者も居た。

「あらやだ、思ったより元気そうじゃない」

そう言いながらクアトに歩み寄り、ベッドに腰を下ろしたメモクラム。

「いやいや…おかげさまで、ね。助けてくれたんだよね…えっと…」
「シリー、って呼んで。私はほとんど何もしてないけどね。
 テ…じゃなかった、アイネが街に行くなんて言い出さなければ、間違いなく拉致られてたんだから」
「そうなんだ…さっき起きたばかりで、まだ詳しい事知らなくて。アイネちゃん、ありがとう」
「え…う、うん…」

控えめに頷くアイネ。
重苦しい空気がどこか弛緩したかのような錯覚に、一同の気持ちは心なしか軽くなったように思えた。

「ねぇ、何か食べるものなーい?
 昨日の夜から何も食べてなくてさぁ…」

溜息混じりにクアトにねだる、メモクラム。
今朝の『事件』の不明点については、後ほど担当者が聴取に伺う…との事で、
かこつけて朝食を奢られようとする計画は、ご破算になったのである。
クアトが渡したクッキーの入った紙袋を抱えて、嬉しげに頬張るメモクラム。
久々に堪能する甘み成分に、胃袋が震えながら喜ぶのを感じた。

「アイネも欲しい?あなたも、全然食べてないでしょ」
「いや…私は、今はいいや」

あ、そう…と肩をすくめつつも、それ以上勧めようとせず、サクサクと口を動かし続ける。
どこかリズミカルに響くその音だけが、静かな部屋に異質に響いた。

と、ロリアが顔を上げた。
それに気付きつつも、アイネは視線を合わせる事が出来ずに俯き加減だったが、
姉がまっすぐにこちらを見ている事は容易に感じられた。
どこか悲痛ささえ匂わせる、しかし、湧き出す感情を押さえ込むような険しい表情。
勿論、オリオールやクアトはそんなロリアを見たのは初めてだったし、
知り合って長いフリーテにとっても、記憶にそう残っていない表情だと言えた。

「…アイネ。冒険者を辞めて、今すぐ学園に戻りなさい」

一方的すぎる物言いが、不思議な迫力と共にその口から吐き出された。
提案でも意見でもない、それは『命令』である。
しかし今、そう告げる事の出来る唯一の家族として、保護者として、姉として、
精一杯の重みと誠心を込めて告げた言葉には間違いなかった。

「…そう言うと思ったよ、ロリアお姉ちゃんなら」

だが、アイネもそれを理解しつつ、簡単に従うような気はさらさらない。
リーンとファルが大陸を出て行って以降、姉と呼べる存在はロリアだけであり、
それ以来、この土地での唯一無二の姉妹として『お姉ちゃん』と呼称していたアイネであった。
しかし…この時は『ロリアお姉ちゃん』と、彼女を姉のうちの一人なんだと、ことさら強調して呼んで見せた。
それは、自分に意見できる存在がロリア一人ではないのだ…という、軽い抵抗感から出た台詞である。

「お父さんも、リーンお姉ちゃんやファルお姉ちゃんだって、
 あなたが学園で健やかに、平和に暮らして、教会にお勤めするんだって信じているのよ?
 もちろん私だって、それがあなたにとって一番良いって思ってる」
「か、勝手だよ、そんなの…」
「学園に通う事は、あなただって承諾しての事でしょう?
 それを自分から退学してだなんて…!」
「で、でも冒険聖職者なんだから…所属するのが教会か、ギルドかの違いで、
 階位もやる事も大して変わらないじゃん…」
「屁理屈言わないのッ!!」

だんッ!と、ロリアの拳がテーブルに振り下ろされた。
会話を見守っていた一行が、鋭く身体を硬直させる。
それまで、興味なさげにクッキーに夢中だったメモクラムも、ちらりと二人を見た。

「冒険者になるって事が、どれだけ危険か…全然、判ってないッ!!
 アイネだって、ファルお姉ちゃんほどの腕でも…お母さんを守れなかったって事、良く知っているでしょう!?
 あなたに何かあったら、お父さんやお母さん…お姉ちゃん達に、私は何て言えばいいのか…!」
「…じゃあ、お姉ちゃんは判ってて冒険者になったのッ!?」

言われっぱなしで、萎縮し続けるような性格のアイネではない。
険しいロリアの視線をまっすぐに見つめ返して、口調を強くする。

「自分だって、勝手に冒険者になったくせに…誰に断って、許可を得てなったのさッ!
 お母さんが死んで、お父さんも行方不明で、ファルお姉ちゃんも旅立って…。
 その上、ロリアお姉ちゃんまで冒険者になるってのに、私一人だけ今まで通りに生きろなんて…!
 そんなの、無理に決まってるッ!!」

ロリアは、かつての自分に余裕が無かった事を今更ながらに後悔した。
アイネに冒険者となる事を告げた手紙…それこそが『呼び水』になってしまったと、判っていたからだ。
彼女の性格を考えれば、こうなる事は十分に予測できたはずだった。
そこまで思い至る事が出来ていれば、知らせるのをもっと遅らせ、釘を刺すことも出来たはずだ。
配慮が行き届かなかったのは、ひとえに冒険者を始めたばかりのロリアが、自分自身の事で精一杯だった為である。
ただ、状況の変化を妹に伝えねば…という一種の義務感が気を急かし、あのような手紙を送ってしまった。
結果…ミアンがロリアを冒険者の道へと誘ったように、ロリア自身がアイネを誘ってしまったのだ。
しかし、だからこそ、である。
アイネに冒険者を辞めさせる事は、それも自分の責任であるとロリアは強く自認していた。

「…私だって、最初から危険を覚悟していた訳じゃない。
 でも、オリオールさんやふーちゃん、クアトさんと、何度も恐ろしい魔物と戦ってきた。
 もうダメかも、死ぬかもしれないって…そう思ったのも一回や二回じゃない。
 アイネ…あなたにそんな思いはさせたくないし、する必要なんて無いの!
 誰もあなたが傷つく事なんて、望んでないのよ!」
「そうやって、いつも私を子供扱いしてッ…!」
「そうよッ!子供でしょ!?私の妹でしょ!?私はあなたの姉なの!
 姉が妹を守る、安全な場所に居て欲しい、あんな戦いとは無縁であって欲しい…!
 そう思うことが当然でしょう!?」
「へぇっ!今のロリアお姉ちゃんなら、ファルお姉ちゃんより強いんだ!?
 今度は助けを呼びに行かなくても…私を守れるって、自信があるって事ッ!?」
「…ッ!!」

ぱんッ!!
ロリアの平手が、激しい音を立てながらアイネの頬を打った。
事情を知っているフリーテには当然理解できたように、これは明らかにアイネの失言だった。
暗に、ファルがエアリーを殺した…と、言っているようなものなのだから。
鋭い眼光を向けるロリアに、アイネは唇を噛む。

「…ごめん。今のは、私が、悪かった…」

アイネは熱い頬に手を当てながら、そう呟いた。
冒険者として、戦う者として…たとえ命を賭す覚悟があっても、ままならない戦いがある。
それはロリアが冒険者生活を通じて皮膚で感じ取った真実であり、現実である。
だから…ファルがあの時、少なくとも剣士として間違った選択をしていない事は理解できたし、
結果がどうあれ、その決断を、覚悟を辱めるような事を口にしてはならないと思うのだ。
アイネにもそれが判ったからこその、反省の弁だった。

「…とにかく。
 アイネ…今のあなたが、冒険者生活をまともに送っていけるとは思えない。
 今までだって、食料も満足に無い旅をしていたんでしょう?」
「………」
「装備もろくに整ってないみたいだし…。
 今の自分の姿を省みれば、どれだけ冒険者に不向きか…理解できるんじゃないの?」
「………」

アイネは反論の言葉が口から出ないのが、歯痒かった。
確かに、右往左往のめちゃくちゃな旅をしてきたのは、自認する所だった。
だが、それだけではない…自分がどんな思いで、旅を続けてきたのか。
それを伝えきらなければ、とても冒険者を諦める事なんて出来ないと思う。
しかし、それをどう口にすればいいのか…この時、アイネの思考はやや混乱していた。

「まったく、黙って聞いてりゃ…なんなのよ…!」

…その瞬間、誰もが思いもよらなかった声が、割って入った。
手についたクッキーの粉を払いながら、メモクラムは鼻息荒く、アイネの横に立つ。

「随分偉いのねぇ、お姉さんって!何でも知ってるような顔して…!」
「これは姉妹の問題なんだから、黙っててッ!」
「黙らないわよッ!!」

腰に手を当てて、怒声を張り上げるメモクラムの異様な迫力。
ロリアは眉をひそめたが、クアトは目を丸くして驚いた。
あの小さな身体のどこから、あんな覇気が出てくるんだろう…と。

「人様を、ポリンで即死みたいな扱いしてくれちゃってさ?
 実際、この子がどれだけ強いかなんて知りもしないくせに!」
「強い弱いは関係ない!私は、たった一人の妹に危険な思いをさせたくないだけ!
 それのどこが悪いって言うの…!?」
「悪いも何も…危険な思いなんか、アイネと私はとっくに経験済みよ」

ふん、と鼻を鳴らして肩を竦めて見せるメモクラム。

「そりゃ、あなた達も大口叩けるほどの冒険のひとつやふたつ、してきたんでしょうよ?
 でもね…聞きもしないで、アイネがのほほんと冒険者やってたみたいな言い方、止めてよねッ!
 それは私に対する侮蔑でもあるんだからッ!!」
「メ、メモクラム…ちょっと…!」

アイネが肘を叩くが、メモクラムの爆発は止まらない。

「だいたい、気に入らないのよッ!そこの商人を助けられたのだって、アイネが居たからこそなのよ!?
 冒険者を辞めろだ何だの前に、仲間を助けて貰った事に対する礼のひとつでもするのが先でしょッ!!」

メモクラムは自分が助力した事に一切触れずに、言い切った。
この立派な正論には、ロリアも言葉を失った。
いくら突然の再会に気が動転していたとは言え…確かに人として、冒険者として最低限の礼儀のはずだ。
それを欠いた事に、今更ながらロリアは自分を恥ずかしく思う。
しかし、うなだれた彼女に対してメモクラムの放言は追い討ちをかける。

「そんなだから、アイネがどんな思いで旅を続けてたかも判らないのよ!」
「え…」
「二言目にはお姉ちゃん、お姉ちゃんって…あなたの事ばかりよ!
 あなたを助けたい、あなたの力になりたいって!
 言わば、あなたの為に冒険者になったのよ!この、アイネって子は!」

アイネはこのメモクラムの言い様に、羞恥心がざわめいた。
最初からそれだけを思って冒険者になった訳ではない。
母を亡くして以来、心に生じた埋まらない空白に、『冒険者になる』という選択がしっくりはまった。
もしくはそう思えた、という漠然とした感情が原初の理由であったからだ。
しかし…この目的意識は初心者訓練場で、冒険者志願の少女…エリノアと出会った事で一変した。
それ以来、アイネはロリアからの手紙を何度も何度も、読み返した。

『私が少しでも戦う力を持つことで、救う事の出来る悲劇がひとつでも増えるなら、
 私たちのような気持ちになる人達を、少しでも減らすことが出来るなら。
 とんでもない理想論みたいだとは自分でも判ってるけど、今は本気でそう思うのです』

手紙にそう書いたロリアは…本気なのだろう、と。
あの姉なら、真面目な顔でこんな事を口にできるだろうと、信じる事が出来た。
だから、そんな姉を助ける事の出来る存在になりたいと、心から思った。
アイネはそういうロリアが、本当に大好きなのだから。

「…アイネから聞いたわよ、あなたが冒険者を志した理由。
 私は田舎生まれの田舎育ちで、冒険者歴も浅いけど、それでも簡単に理解できるわ。
 そんな大層な目標、ばかげてる!叶うわけ無い!どだい無理な話だ…って!」

ロリアに浴びせかけるように声を張り上げた後、メモクラムはふぅ…と一息入れる。

「でもね、アイネと旅をしてて思った。
 この子が一途に信じられる、慕っている、そういうお姉さんなら…。
 もしかしたら、理想を現実に変える術を持っているのかもしれない。
 持っていないとしても、そういう何かを感じさせてくれる人なのかもしれない。
 だから…私も、あなたに会ってみたいと思ってた。会う日を楽しみにしてた…!」

心の赴くままに言葉を吐き出し続けて、メモクラムは今更ながらに自分の心に気付いた。
最初は、らしくないアイネの様子を見かねて、つい話に割り込んだつもりだった。
だが…その実、自分を動かしたのは失望感なのだと。
アイネの真っ直ぐな思いと、自分の期待を裏切った、ロリアに対する幻滅なのだ…と。
少なくとも、自分の期待は勝手なものであったかもしれない。
それでも、アイネの心を無下に扱おうとした事は…メモクラムにとって、許し難く思えたのだ。

「それが何よ、こんなエゴイストだなんて思わなかった!
 妹一人の思いも汲む事の出来ない人が、他人を救おうなんておこがましすぎるわよッ!!」

…この一言は、旅を始めて以来もっとも重い楔となって、ロリアの胸に打ち込まれた。
正論を重ねた上での、とどめの一撃と言えた。

そう、ロリアは戦いを繰り返したと言っても…未だ、その力で他人を救った事など無い。
クアトやフリーテの危機に奮戦した、とは言えそれは冒険者仲間としての事だ。
戦う力を得よう…と思った時の自分自身への誓いは、まだ一度も履行されていないのだ。
そんな自分が、何も為していない自分が、どんな顔して『冒険者』を語れよう…?

顔を伏せたロリアを見て、それまで黙って話を聞いていたオリオールが立ち上がる。

「…シリー君、だったかな。
 もう、その辺でいいだろう…ロリアも君の言い分を、認めたようだ」
「………」

メモクラムは鼻息荒く、何かを言いかけるが…結局、口にはせずにクアトのベッドに腰掛けた。
アイネは少し顔を上げて、オリオールを見る。
仮面越しだったが、優しい目をした人だ…と思った。

「まずは、冒険者としてではなく…姉妹として、話をしたらどうだろうか?
 隣室が開いている、少し、二人きりで言葉を交わしてみるといい…フリーテ、頼めるだろうか」
「あ、はい…じゃあ、アイネちゃん、ろりあん」

フリーテに促されて、ゆっくりと席を立つ二人。
そのまま先導されるように、ドアから姿を消していく。
緊張感が途切れた部屋に、まず聞こえたのは…クアトの息継ぎのような、溜息だった。



「でも…アイネちゃん、また会えて嬉しいです」

隣室に入り、アイネを軽く抱きしめながら、フリーテはそう言った。

「私もだよ…まさか、ふーちゃんまで冒険者になってるとは思わなかったけど」
「ふふ…私自身、驚いています」

微笑を交し合う。
そして、小さく会釈をしながら、フリーテは部屋を出て行った。
ドアが閉まると、二人きりの部屋はやたら広く感じる。
隅にやや乱雑に置かれた荷物に、アイネは目を移す。
商人用のカート、その中に様々なキャンプ用品。恐らく、あの商人のものなのだろう。
隣に立て掛けてある巨大な両手剣は、あの騎士のものに違いない…。
そして、それに寄り添うように置かれたクロスボウ。
あちこちが擦れ、使い込まれた様子に、アイネは姉が幾多の戦いを経験してきたであろうと察する。

料理と掃除が大好きで、午後は庭で眠そうにしてる様が、妹の自分から見ても愛らしかった。
誰もが幸せな結婚をして、素晴らしい良妻になるのだろうと、信じて疑わなかった…。
冒険者になるという事を手紙で知った時より、こうして現実を見せられると、改めて思ってしまう。

『…お姉ちゃんは、間違った道を行こうとしているんじゃ…?』

なまじロリアの過去を良く知っているが故に、アイネはそう思わざるを得ない。
フリーテも同じように思ったであろう事も、想像に難くない。
だが、この思いはそのまま、ロリアが自分に思う事でもあるのだろうと理解できるが故に…とても口には出来なかった。

ベッドに腰掛けたロリアの横に、アイネも座る。
伏目がちに指をからめる姉の顔をなんとなく見れずに、そのまま黙っていた。

「…あの魔術師さんの、言うとおりね…」

まるで独り言のように、ロリアの呟きが零れた。

「シ…じゃなかった、メモクラムの…?」
「私、ちょっと戦いの場数を踏んだからって、偉そうな口を…。
 それも、いつも苦戦続きで…海底洞窟ではクアトさんに怪我させちゃったし、
 地下水道じゃオリオールさんに辛い思いをさせたり…。
 帰ってくれば、またクアトさんを酷い目に合わせてたりして…!
 仲間に対してもこんななのに、他人を助けようなんて…無理に決まってる…」
「あの子…メモクラムってさ、ちょっとキツい物言いするんだよ。根はいい子なんだけど。
 あれも勢い半分だから、あんま気にしない方がいいよ?」
「でも…彼女の言うとおり…」

アイネはふと、寮に入る前…フェイヨンでロリアと一緒に暮らしていた頃を、思い出す。
ロリアは責任感が強くて、顔はファルに似ていたが、性格は姉妹で一番穏やかだった。
リーンとファルはアイネが物心ついた時から剣技に夢中だったので、自然、遊び相手になるのはロリアだった。
アイネはロリアに怒られた、という記憶がほとんど無い。
むしろ、今のように…落ちこむロリアを慰めたり、元気付けようとする事の方が多かった。
それ故、終始子供扱いされた姉二人よりも、ロリアとは一番対等に向き合えている気持ちだった。

改めて、隣に座る姉を見る。
大きな胸は相変わらずだが、身体全体が前より引き締まって見える。
やや逞しくさえなったかな…と思わせる腕には、薄く、無数の擦り傷があった。
綺麗だった足にも、擦り傷の跡が生々しく残っている…。

…自分も恐らく、似たようなものなのだろうと思う。
母が生きていた頃に比べたら、きっと随分変わってしまったのだろう。
でも…変わらない気持ちがあり、変わらない関係がある。
今、隣でメモクラムにやり込められて、肩を落としているのは、紛れも無く…ロリアだった。
そんな姉の言葉だから…学園に帰れという本音も、自分の事を思ってくれてのものだと、信じられた。

「でも、お姉ちゃんが冒険者になろうとした理由…それが素敵だって思ったからこそ、
 ふーちゃんも、あの騎士さんや商人さんも一緒に居るんでしょ…?」
「それは…そうかな…そうだと、思うけど…」
「だったら、負い目に感じる事なんて何も無いじゃない。
 …私だって、お姉ちゃんのやろうとしてる事が凄いって思ったから、こうして追いかけてきたんだよ」
「…アイネ…」

ロリアは伏した瞳はそのままに、微笑む。

「うん…冒険者としては、これ以上なく嬉しいよ…。でも、やっぱり姉としては、アイネに冒険者になって欲しくない。
 お父さんが望んだ通り、学園で神官目指して勉強を続けて欲しいよ…」
「…う…」

父の事を出されると、さすがのアイネも心に動揺が走る。
自分が自主退学したなどと知ったら、年甲斐もなく号泣してしまうのではないか…。
その光景を思い描く前に、アイネはぶんぶんと頭を振って、邪念を追い払った。

「お、お姉ちゃんには悪いけど…もう、私…立ち止まるわけにはいかない…!」

ぎゅっと手を握り締めて、力強くそう言った妹に、ロリアは視線を向けた。

「エリノアと…破戒僧のオッサンとも、約束したんだ…。
 それに、クルセイダーのじーさんにも、借りがある…!
 テミスさんやメイナさんにもまた会って、きちんとお礼を言いたい…。
 ねぇ、お姉ちゃん…これってもう、私だけの旅じゃない。
 私、色んな人から力を貰えたお陰で、お姉ちゃんに会うことが出来たんだって思う…」

アイネは一人、何かを確信したかのように頷くと…姉に笑いかける。

「それに…メモクラムの面倒も見なくちゃいけないし、ね!
 あいつ箱入りらしくて、口先ほどしっかりしてないんだよねぇ」

ロリアは、心の中で…深い溜息をついた。
…自分だけの旅ではない…。
今までそう信じる事、思う事で、幾度自分を奮い立たせてきただろうか…?
その思いが冒険者の心をどんなに力づけるものか、ロリアは身に染みるほど理解している。

アイネはロリアが思うより、立派に『冒険者』していたのだ、と…気付かされる。
そして、冒険を通じた人と人との関わり合いを、自身の力になるように吸収できているのだ。
まるで才能にさえ思えるその感覚は、むしろ自分より冒険者向きなのでは無いかとさえ、思えてしまう。
この顛末を運命と呼ぶには、まだ納得し難いロリアではあったが…。

「アイネ…今日までどんな旅をしてきたのか、聞かせてくれるかな…?」
「…うんっ!」

今はまだ一人の冒険者である以前に、自分の妹でいてくれるアイネ。
その笑顔に、ロリアは嬉しさを覚えるのだった。



フリーテがロリア達を隣室に送り、戻ってくると、クアトの朗らかな笑い声が耳に飛び込んで来た。

「いやー、なかなか言うねー!気に入ったよー」

メモクラムの肩を叩きながら、クアトがうんうんと頷く。
魔術師の方はまだ眉を歪めたままで、言い足りなさそうな気配さえ漂わせていた。

「別に…思った事、言っただけよ。
 あの、ロリアっていうのがパーティーリーダーなんでしょ?
 貴方達、よく着いて行けるわね…」
「今日はちょっと、機嫌悪かったせいもありますし…。
 普段はもっと、優しくて繊細なんですよ」

にこにこと笑いながら、フリーテは腰掛ける。

「二人の様子はどうだろうか…?
 話がこじれていたりしなければ良いが」
「大丈夫ですよ、普段はとっても仲の良い姉妹なんですから」

フリーテは太鼓判を押すように頷いたが、メモクラムは肩を竦めた。

「なぁんだ、やっぱ私の口封じだった訳ね…」
「すまないな…ロリアはあれでも、精神的に脆い部分もある。
 君の口撃はいささか威力が強すぎるように思えたのでね」
「随分と過保護なリーダーねぇ…」
「それでも、彼女にリーダーとして成長して貰わねばならない理由がある」
「訳アリ、って事…?
 そう言えば、そっちの商人…えーと?」
「クアト・スノウでっす」
「…その、クアトさんとやらが襲われた理由、ってのも良く判んないんだけど。
 一応関わっちゃったし、事情があるなら聞かせて欲しいものね」

一同の視線が、オリオールに集まる。

「…そうだな。襲撃があったとなれば、もはや隠匿しておく意味もあるまい。
 ロリアにも話しておく必要があるだろうな…」
「え?ロリアも知らない話があるっての…?」

不思議そうに首を傾げる、クアト。
ある程度事情を知っているフリーテは、気まずそうに視線を落とす。
…と、その時、ドアにノックの音が響いた。

「はいっ」

その音に弾かれる様に、フリーテが立ち上がり、ドアを開ける。
姿を現したのは、王国軍の制服を着た長身の兵士であった。
なかなかの美男子と言って良く、やや癖のある金髪がよく似合っていた。

「失礼します。王国軍イズルード方面駐留、治安維持隊のクリフ・フィレット軍曹であります。
 今朝の施設破損、及び誘拐未遂事件に関して事情聴取にお伺いしました」

凛とした声が部屋に響き渡る。
クアトは関係者全員が女性であることから、このような美男子を回してくれたのかな…と思ったが、
所詮はお役所仕事、そこまで気が利かないか…と、敢えて口にするのは止めた。

「…じゃあ、アイネの話も必要になるわね。私、呼んでくるわ」

メモクラムがベッドから立ち上がり、クリフと入れ違いに廊下に出る。
対面にあるドアをノックして、暫し待つが…返事は、無い。

「アイネ?居るんでしょう?…開けるわよ?」

訝しげに思いつつ、ゆっくりとドアを開け、そっと頭を隙間に差し込む。
メモクラムの視界に、二人の姿が映る。
…ベッドの上で、寄り添って寝息を立てる姉妹。

(…あらら、静かだと思ったら)

はぁ、と息を漏らすメモクラム。
姉の手をきゅっと握り締めて眠るその顔は、今まで彼女が見たどんなアイネよりも、安らかさに包まれた表情だった。
そんな二人を見て、メモクラムはクスッと笑う。

「…良かったわね、アイネ」

ゆっくりとドアを閉じる。
ふと…決別したとばかり思っていた自分の過去の中に、あんな安らぎがあった事を思いだした。

(セモリナお姉さま…どうしているだろう…?)

しかし、すぐに頭を振って、その思いを散らす。
今の自分にはそれを確かめる術も、資格も無いのだから…と。



結局、アイネ抜きで事情聴取に応じる事になった一行であったが、
メモクラムが話せる分は既に現地で聴取済であり、事実確認に終わった。
従って、一行の形式的な素性調査の後は、気絶していて話を聞けなかったクアトが焦点となった。
ちなみにこの時、メモクラムは自分は『シリー』だと、偽名を名乗っている。

クアトは包み隠す事無く、しかし時折冗談を交えてクリフの苦笑いを誘いながら、自分が襲われてから起きた事を話した。
だが…賊の目的は何か、と聞かれたところでオリオールに視線を送る。
小さく首を振る彼を見て、察したように…判らない、とクアトは答えた。

「うーん…いわゆる物取りならば、クアト嬢を気絶させた後、拉致する必要は無いと思うんですが…。
 そもそも、室内に残されていた武具や装備はまったく手付かずなんですよね」
「私のかわゆさにメロメロ軍団だったとか!?」
「ま、まあ、その可能性も否定しきれませんが…」

被害者とは思えない満面の笑みに、やや引き気味のクリフ。

「とりあえず、賊を数名捕らえてありますし…目的も追々、判るでしょう。
 その際はまた、ご報告差し上げます。聞きたい事も出来るかもしれませんし」

そう言って立ち上がったクリフに、フリーテが連絡先として剣士ギルドを通じるよう、依願した。
…その時、何故かクリフは不思議そうな顔をする。

「あの、何か?」
「いえいえ…別に、大したことは無いのですが」

フリーテの問いかけに、決まり悪そうな微笑を浮かべる。

「皆さん、大変仲が宜しそうなのに…ギルドの結成はしていないのかな、と思いまして。
 いや、余所者が口を挟む事ではありませんでしたね」

と…そのまま、失礼しますと頭を下げて、部屋を出て行くクリフ。
クアトがニコニコ顔で手を振る中、訪問者は去って行った。

「…ギルド、ですか」

フリーテはぽつりと呟く。
冒険者達が集まり、王国の認可を受ける事で独自の『ギルド』を名乗る事が出来る。
商人ギルド等、各職業に代表される大ギルドとはその規模は比べ物にならないが、
今日では冒険者仲間の結束の証として、結成される事が多い。
とは言えその影響力は無視できるものではなく、戦力の高い冒険者の集まったギルドは『軍閥』として、
諸地方の魔族との戦局バランスを左右する事すらある。

また、王国により提供される各地方の『砦』は魔族に対する防波堤であると同時に、
実力ある冒険者集団…すなわち、『軍閥』的なギルドを駐留させる為のものでもある。
この『砦』の所有権は、定期的にギルド同士で争われ、勝ち取ったギルドには莫大な恩賞と名声が与えられる。

その他にも、独自の商用ルートを開拓しようとする冒険商人の集まったギルドや、
王国正教会とは異なる教義を広めようとする新興宗教的なギルド、
変わったところでは、演劇や漫談を行う興行目的の冒険者が集まったギルドなども存在する。

王国としては、爆発的に増えた冒険者の管理を容易にするという側面もあったが、
ギルドへの『砦』の提供や、結成目的に対する規制緩和政策などが効を奏し、
今では全体の80%以上の冒険者が、何らかのギルドに所属していた。

今までロリア達がこの事にまったく触れなかったのは、全員が何とはなしに時期尚早では…と思っていた事と、
それ以上にギルド結成に必要な『エンペリウム』の入手が、現実的ではなかったからである。

元々、魔界のものと言われるこの鉱石は、もうミッドガルド大陸での産出量は皆無と言われている。
『尽きる事のない魔力の結晶』と喩えられる事が多いが、実際にどのような物なのかは解析されていない。
ただ…多量のマナ、それも特殊な性質を持つものを含んでいる事は判明しており、
これを利用し、マナの循環係数を同一化したエンペリウムを持つ者同士が擬似的に遠距離会話を行う…。
通称『ウィス』と呼ばれる情報伝達技術が確立されている。
ギルド結成にこの鉱石が必要なのは、様々な故事に由来する側面も大きいが、
この循環係数が石ごとに違う…という性質を、個々のギルドの識別に利用している為である。

ミッドガルドに存在しない…とは言っても、魔界から流出したものに関しては別であり、
特に高位の魔族が所持している事は珍しくない。
また…聖戦終結後、魔界に帰還できずに大陸に住み着いた『オーク』達は、
死者の埋葬に際して、秘匿している家宝のエンペリウムを添えるという習慣がある。
村の地下、集団墓地内で瘴気によりアンデッド化したオークの中には、時々所持している者が居るらしい。

このように、少数ではあるが流通の途絶えないエンペリウムは現在、市場にやや余り気味であり、
少々稼ぎの良い冒険者なら、手に入れるのはそう難しい事ではなかった。
…もっともロリア達は、まだその域には届かない訳だが。

ロリアはどちらかといえば、あまりギルド結成に執心していた訳ではないが、
フリーテは剣士になりたての頃、イズルードで彼女を待っている間に、考えた事がある。
それは、遠く離れて連絡も難しい状況下にあったフリーテにとって、
ギルドを結成する事による、『ウィス』の使用効果に憧れたからであったが…。

「…今、誰か来てたの?」

その時、ロリアとアイネが長い昼寝から起き出して、部屋に顔を出した。
…先の深刻な表情はどこへやら、のんびりした様子にクアトやメモクラムは呆れの苦笑いを抑えられない。

「また、ずいぶんと長い話し合いだったわねぇ?」
「え?あ、ま、まぁね」

メモクラムの問いに、曖昧に答えるアイネ。
姉をちらっと見るが…照れたような笑顔に、まったく頼りにならない事を察した。

「ロリア、よだれ、よだれ!」
「えっ!?」

慌てて口元を抑えるロリアに、クアトとメモクラムが我慢できずに吹き出した。
ここに至ってようやく、二人して寝ていたのがとっくにバレていた事に気づかされる。

「…ひどいなぁ、もうっ…!」

膨れるロリアだったが、その表情はどこか楽しそうで、アイネもまた笑っていた。

「…どうやら、何かしらの和解を得たようだが?」
「えっ…はい、そうですね」

オリオールの問いに、ロリアは頷く。

「…冒険者であり続けなくてはならない理由として、反論できない答えを貰いました。
 私が冒険者である以上、アイネの旅を否定する事は出来ない…そんな、言葉を。
 私の妹は、私が思った以上に、冒険者でした。認めざるを得ないです」
「お姉ちゃん…」
「…そうか。君がそう判断したのなら、我々は何も言う事は無いな」

(へぇ…)

ロリアの言葉にオリオールが頷くのを見ながら、メモクラムは心の中で感嘆した。
なるほど…メモクラムが思った以上に、ロリア『も』冒険者であるのだな、と。

「…でも、姉としては冒険者反対、絶対反対ッ!」
「うわっ!そ、そんな事言ったって、学園になんか戻らないからねッ!」

じりっ…と後ずさるアイネに、また皆の笑いが起こる。

「さて…全員集まったところで、少々早いが夕食にしようと思うが、どうだろうか。
 アイネ君やメモクラム君は特に、空腹のことと思うが…」
「ナイスアイディア!さんせい、さんせーい!」

急に気付いたように腹部を押さえながら、アイネが高らかに手を挙げる。
メモクラムは育ちのせいか、空腹を誇示するようなリアクションは控えたかった為、
興味の無さそうな顔をしながらも、同じように手を挙げた。
ロリアやフリーテ、クアトも賛同したので、意見は一致した。

「…夕食の後、我々のこれからについて大事な話がある。
 心して聞けるよう、しっかり食べて欲しい」

ロリアはオリオールのその言葉に、何故か…微妙な不安感のようなものを覚えた。



「ロリア、私は君に会う前から君の事を知っていた」

夕食が終わってひと段落した後、オリオールは『大事な話』を切り出したわけだが、
いきなりのこの一言で、ほぼ全員が騒然とした。

フリーテはこの中でも事情を把握している側であったが、さすがに驚きは隠せない。
…もう少し、皆の動揺を軽減するような切り出し方が出来ないものかとも、思いつつ。
だが、その中で冷静さを保っている人物が二人居た。

一人は自他共に外様と認める所のメモクラムであったが、もう一人は意外にもロリア本人である。
とは言え、すぐに何かしらの言葉を口に出来るほど頭の中は落ち着いていた訳では無かった。
ただ頷いて、オリオールに続きを促す。

「…と言っても、君に面識があった訳ではない。
 私が知っていたのは、フェイヨンで暮らす二人の姉妹…ロリアとアイネが存在する事と、
 ヴィエント家に紋章…『アズライト・フォーチュン』が隠されている、という事だった」
「わ、私の事も…?」

目を丸くするアイネに、頷いてみせるオリオール。

「その時ゲフェンに居た私に与えられた任務は…フェイヨンに赴き、
 ヴィエント家にある紋章を確保、これを無事持ち帰る事だった」
「ま、待ってください」

と、ロリアが口を挟んだ。
その瞳には真剣な光が宿っている。

「オリオールさん、貴方はいったい…どういう人なんですか?」
「…そうだな、話を急き過ぎた。
 私の事と、今起きている事についてを先に話そう」
「お願いします」
「現在、このミッドガルド大陸に蔓延る魔物達の発生数は増大し、その性質は凶暴化してきている。
 これは、実際に戦いの旅を続けてきた君達にも理解して貰える事と思う」
「海底洞窟なんか、見違えたような厳しさだったしね…」

クアトが頷く。
ロリアやフリーテにとっても、さすらい狼や半漁人、黄金蟲…戦い抜いてこれたとは言え、
振り返る度に、あまりにも常識外れな存在だったと思わざるを得ない。

「そして…人類の天敵とも言うべき魔物達が勢力を増しつつあるという状況を、
 言わば運命として受け入れようとしている者が居る」
「以前、お話してくれた聖戦終末論と…それを信じる人たち、ですか?」
「そう…千年毎に人、魔、そして神を交えた戦いが繰り広げられ、旧い世界は滅びる…と」
「馬鹿馬鹿しい…んなもん、信じてる人なんかいるわけ?」

メモクラムが、呆れ顔で口を挟む。

「十字軍の再編を行なっている正教会などは、まことしやかに聖戦が近いと喧伝している。
 …もっとも『神』が関わるとなれば、彼らにとってはそれだけで祭事のような騒ぎだがな」
「それよ、それ!
 結局は誰も彼も、大騒ぎしたくて仕方ないって事なんじゃないの?
 『神々の地上代行者』なんか、降りてくる訳ないって…どう思う、聖職者?」
「わ、私に聞くなよー」

いきなり話を振られたアイネは、眉をひそめる。
黙って聞いていたロリアは、メモクラムの言葉が何とはなしに気になった。
人と魔と神の三者を交えた全面戦争、そんなものが繰り広げられたら。
ミッドガルド全土は確かに、血で血を洗うような狂乱の祭りのような世界になるかもしれない。
しかし、祭りにはそれを主催する者と、参加する者が必要だ。
人、魔、神…共催するものではないとすれば…誰が主催して、誰が踊らされるのだろうか…?

「だが、聖戦が実際に起きるかどうか…は、現実的な問題ではない。
 仮に起こるとしても、それは人類全体が対策を考えねばならない命題だ。
 我々冒険者が宿で語る議題としては、いささか大きすぎる」
「そりゃあ、そうね」

要するに、そんな論議をするのは時間の無駄…と、メモクラムは言いたかったのだ。
わが意を得たとばかりに微笑んで、先を促すように手を差し出す。

「今の問題は、この聖戦…千年戦争再び起こるかもしれない、という危機感。
 これを利用して、自らの欲望を叶えようとしている者達が居る事だ」
「それが王国親衛隊アルビオン…シュトラウト卿、ですか」
「…そう、だ」

フリーテがその名を口にした事に、ロリアは驚いた。
自分が知らない事を、何故彼女が知っているのか…と。
しかし…小さな疑問は突然のクアトの叫びに、心の隅に押し込められた。

「お、思い出したッ!私を襲った連中…自分たちの事、親衛隊だって言ってた!」

その言葉に、一同がどよめく。

「な、何で、事情聴取の時に言わなかったのよ?」
「それ聞いたの、吹っ飛ばされる直前でさ…今の今まで、コロッと忘れてたよ」

メモクラムの突っ込みに、屈託の無い笑顔で答える。

「…状況から見るに、賊の正体は擬態した親衛隊員。
 目標は、ロリアが所持していた『アズライト・フォーチュン』に違いない。
 クアト君が拉致されそうになったのは、取引材料として使うつもりだったのだろう。
 もしかしたら、我々が地下水道に行った事も絶好の機会を与えてしまったのかもしれない…」

と…自己確認するように話していたオリオールの視線を、何かが横切ったように見えた。
それが何かに気付く間もなく、頬に衝撃を受け、椅子から床へと転げるように倒れてしまう。
鈍い音に、その場の誰もが身体を凍りつかせた。

「…あ、あ、あなたって人はッ!!」

オリオールの対面に座っていたロリアが立ち上がり、右手を振りかざしていた。
その瞳は憤怒の色に染まり、全身を震わせ、唇をかみ締める。

(お姉ちゃんが…人を、グーで殴った…)

アイネは、姉が他人に暴力を振るう姿を始めて見た。
それだけに…ロリアがどれほどの怒りに満ちているのかと思うと、自分まで震えそうになる。

「あなたがッ…あなたのせいで、クアトさんが…死ぬかもしれなかったのにッ!!
 クアトさんの傷は、私が受けなきゃいけなかったのにッ…!あなたが、黙ってたりするからッ!!」
「…そ、そうだ。
 私の配慮の行き届かなさが…クアト君を、危険に晒した。全て、私の責任だ…弁明の言葉も無い」
「そうッ!あなたのせいだッ!!
 たった一人で残して!知っていれば、そんな事絶対させなかった…!!」

誰もが、ロリアの悲鳴にも似た叫びを強いられるように聞くだけだった。
…が、一人、彼女の振り上げられた腕を掴む者が居た。

「ろりあん、もう止めてください!落ち着いてくださいッ!」
「…何で、ふーちゃんが止めるのッ!?」

フリーテはロリアの腕に縋り付く。

「オリオールさんが全知全能の人間だとでも、思ってるんですか!?
 あの時、海底洞窟での戦いは酷いもので…帰還してからも、オリオールさんはその事で、ずっと悩んでいたんですよ!?」
「…だ、だから、どうだっていうのッ!そんなの、クアトさんを殺そうとした言い訳にならない!」
「地下水道での戦い方が変だったの、ろりあんだって知ってるはずです!
 それでも、身を挺して…私たちを黄金蟲から守ってくれた!
 オリオールさんが、望んでクアトさんに害を与えようなんて…する訳ないじゃないですかッ!?」

…ロリアの怒りは、半分はオリオールに向けられたものだ。
全てを語らなかった事で、結果的にクアトを危険に晒した事はもちろん、
それが自分のせいだと認めながらも、冷静に状況分析して語れてしまう所が、ロリアには不愉快だった。
何より…紋章の件を教えられなかった自分は、信用されていなかったのか…という落胆。
今まで冒険者仲間として、先輩として…信頼してきた自分が、裏切られたような思いだった。

同時に…オリオールを特別に思っていた、自分への怒りが湧き上がっていた。
絶対であって欲しい、最強であって欲しい、間違い無く自分を導く存在であって欲しい…!
心のどこかで、そんな人間は居ないと否定しつつも…ロリアは信じたかったのだ。

オリオールが、自分の…『自分だけ』の、絶対的な騎士であると。

理性では対等な者でありたい、仲間として認め合いたいと思っていた。そのはずだった。
だが、本心では…守られたかった。包み込んで欲しかった。優しくして欲しかった。
お姫様が騎士に守られる物語に憧れた子供時代のように、そう求め続けていたのだ。
オリオールを本当の意味で『仲間』だと思っていなかったのは、自分ではないか…!

オリオールの行動が原因で、ロリア自身が傷ついたとしても、この心理に気付く事は無かっただろう。
もう一方の…対等でありたいという欲求が満たされる事に、満足してしまう。
だが、自分以外の誰かがオリオールの為に傷つけられるという事実を、第三者として俯瞰で見てしまった事で…。
我侭で勝手な物の考え方をしている自分、そのものを見つけてしまったのだ。

そして。
自分よりも、いつのまにか…そう、いつのまにかフリーテの方が、オリオールを理解しているという事実。
形容しがたい感情が胸に渦巻いて、ロリアは不快だった。
この気持ちを不快だとしか認識できない自分も、嫌だった。

「ロ、ロリア…私は別に、誰のせいだなんて恨む気は無いよ。
 知ってれば防げたかどうかなんて、誰にも判らないんだし…。
 それに、結果的にこうやって無事助かったんだから、それでいいんじゃない…?」
「で、でもっ…私は…!」

クアトがそう言うと、ロリアは腰を落とし、ぼろぼろと大粒の涙を零した。
アイネの気持ちも理解できず、クアトを守ることもできず。
オリオールに八つ当たりまでして。
今日まで冒険者として旅をしてきて…自分は何を得たのだろうか?何が成長したのだろうか…?

(…ばかだ、私はばかだ…!)

自分自身というものに気付かされて、ロリアはひどく悲しく、情けない自分に、泣く事しか出来なかった。



ロリアが落ち着いて、改めて話を再開するまでには少々の時間を要した。
オリオールは、今話せる全てを語った。

紋章、『ロスト・エンブレム』を狙って王国騎士団アルビオンが秘密裏に暗躍している事。
それを阻止する為に、自分達のような冒険者が行動している事。
ロリアと出会った時一緒にいた賊達は、紋章を奪って逃走中だった事。
その途中で、偶然ロリアと出会った事。
紋章を持つロリアを護衛するべく、旅への同行を申し出た事。
途中、フリーテに仲間との密会を発見され、事情を話した事…。

「…今まで君やクアト君に言わなかったのは、無用な危機感を募らせたくなかったからだ。
 アルビオンの連中が、君が紋章を持っていると知って…どんな手で奪取を考えるかも判らなかった。
 同志が調査してくれていたし、君が襲われるような前兆があれば、前もって対処する手筈も付いていた。
 …正直に言えば、君と紋章さえ守れれば、我々の任務は達せられるものだ。
 クアト君が襲われる事に、警戒が薄かった事は認める」
「…随分冷たいんですね、オリオールさんの仲間って」

俯いたままのロリアが、呟くように言う。

「一体誰が、貴方達にそんな任務を命じているんですか」
「…すまないが、それは言えない。
 王国の司法に携わる、さる大物が中心となって、我々のような冒険者を集めた。
 シュトラウトの陰謀に気付いたのも、その人物だ。
 そして、それを阻止する事に同意した元軍属の理知的な方が、私に直接指示を与えている」
「…全然、答えになってませんね…。
 それに貴方の事、全然話していません。
 本当のお名前は?素性は?その仮面を外してはくれないんですか…?」
「…すまない。
 私自身の個人的な事は、この件とはまた別個だ。
 君らを信じているし、いつか語る時が来るだろうが…今はまだ、許して欲しい…すまない」

オリオールは本当に申し訳無さそうに、頭を下げる。
それでも、彼が『ロリアと紋章をだけを守ばいい』という任務から逸脱して、
自分達を助けようとしてくれている事は、今まで共に戦ってきたロリアには、よく分かっていた。
彼がどのような素性の人物であろうが、である。
だから…オリオールを責める気にはなれないし、責める資格も無いと思ってしまう。

「で、でもさ」

と、それまで聞くばかりだったアイネが口を挟んだ。

「その、王国騎士団って奴は、紋章を集めて具体的に何をしようってのさ?」
「それは…」

オリオールは、難しい顔をしながら答えた。

「…ロスト・エンブレムを集め、聖戦時代の騎士団をシュトラウトの下に再建する。
 そして、彼らは魔の者達に戦いを挑む気なのだ」
「わざわざ名前ばかりの騎士団を?そんな事して、意味あるの?」
「シュトラウトは、千年を待たずに…自分の手で、聖戦を起こすつもりなのだ」

その言に、一同が息を飲む。

「…実際に、どういう形で再建するのか、どう戦いを起こすのかは、まだ不明な点が多い。
 しかし、シュトラウトが冒険者ギルドという形で騎士団を再生・発足し、指揮下に置いているのは確かだ。
 既に8つの騎士団が彼の下にある」
「そんなに…!」
「仮に、聖戦を起こす為に集めたのではないとしても…あまりにも奴の手に戦力が、集中しすぎている。
 数はともかく、純粋な戦力ではそのギルド達だけで、騎士団ひとつの総戦力を上回るかもしれない。
 何せ、砦を長期間に渡って所持するほどの者達だからな…」
「現王国政権に対するクーデターへの布石、という考え方はできませんか…?」

フリーテに問いに、オリオールは首を振る。

「その可能性も、まったくゼロでは無いが…。
 現国王の治世は安定しているし、対魔戦争に対してやや弱腰な傾向はあるものの、
 だからこそシュトラウトのような軍属が重用される傾向にあり、その待遇に不満などある道理が無い。
 そもそも、わざわざロスト・エンブレムを諸冒険者ギルドの旗印にさせる意味は…?
 聖戦時代の騎士団、これを脅威として認識しうる相手…それは、魔属の者達しか考えられないのだ」
「で、でも、千年前の話でしょう?いくら魔物って言っても、まさかその頃の記憶なんて…」
「それが、あるのだ。高位の悪魔や魔人といった類は、それこそ数千数万、もしかしたら我々人類と戦い始めた頃から、
 魂が滅びること無く存在しつづけているらしい…私も、詳しい事は判らないのだが」
「そんな…」
「千年周期で聖戦が起こっているという事は誰もが知り得る事なのだが、
 実際どのような戦いが繰り広げられたかというと、ほとんど文献が無いのが事実だ。
 しかし…戦いの度に人類は滅びると言われ続けているのに、我々は今、こうして生きている。
 これが何を意味するのか…市井の人々が知る術は、皆無に近い」

一同は考え込むように、口を閉ざしてしまう。
想像以上の大事が、自らの身の上に降りて来た事に耐えているかのように。

「恐らくシュトラウトは、聖戦の…いや、この千年紀で繰り返す戦争の真実について、何かを知っている。
 もしかしたらそれは、この人類の脅威の螺旋を打破する為の、彼なりの手段なのかもしれない。
 しかし、一人の独断に任せて、大規模な戦争を起こして良い理屈も無い…。
 これは人類全体が向き合わなければならない問題で、極秘裏に画策する性質の物ではない。
 何より…犠牲になるのは、多くの力ない人々なのだ」

ロリアはぴくりと、その言葉に反応した。
…自分が何の為に冒険者になったのか。何の為に戦う側に身を投じたのか。
改めて、思い起こさせられる気持ちだった。

「…今はまだ話せない事を除き、全てを君たちに教えたつもりだ。
 私が今帯びている任務は…『アズライト・フォーチュン』をシュトラウト派の手に渡さない事。
 もし君らが今後、今回のクアト君のような禍を避けたいと願うのなら…。
 ロリア、その紋章を私に渡し、所持していた事を忘れて欲しい。
 私が持ち去った事を知れば、連中が君らを襲う理由も無くなる」

ロリアはずっと、お守り代わりに身に付けていた護符を、取り出した。
水面にたゆたう光のように、ぼうっと青く輝く。
思えば…自分をこんな旅に誘ったのが、この紋章だった。
今これを、オリオールに渡して…それで、何かが解決するのだろうか?
あの失意の日に、この紋章を手にしたのは…たったこの程度の『偶然』だったのだろうか?

自問自答を繰り返す中で…ロリアの決心は、固まりつつあった。

「…す、すみません」

と、不意にドアの方から聞こえた声に、全員が振り向いた。
そこからは王国行政府…いわゆる役人の制服を着た、ひ弱そうな青年が顔を覗かせていた。

「はい、何でしょう」

フリーテが機敏に立ち上がって応対をする。
同時にアイネも立ち上がって、怪訝な顔を向けた。

「あ…もしかして、また今朝の事件の話を聞きに来たとか?」

アイネの話が聞けなかった事から、再度聴取に訪れたのかと思った彼女だった。
が…何の事かという風に、青年は首をかしげた。

「いえ…あの、ここにロリアさん、フリーテさん、オリオールさんっていらっしゃいますよね?」
「ロリアとフリーテは彼女達、オリオールは私だが…一体何の用件だろうか」

いまいち要領を得ない青年の様子に、オリオールも立ち上がってそう答える。

「えっと…そのお三方のパーティが昨日、地下水道で黄金蟲を撃破したとの報告を受けたのですが…。
 一応、特別指定魔族を打倒したという事で、王国広報に掲載義務があるんですよ。
 それで、詳しいメンバーのお名前や所属ギルド等をお伺いに来たという訳です」

その言葉を聞くまで、倒したはずの張本人…三人全員がその事を忘れていた。
一方、驚きを隠せないクアトやアイネは目を輝かせる。

「すごーい!お姉ちゃん達、特定魔族なんか倒してたんだ!」
「下水でもしかしたら会えるかもなんて言ってたけど、まさか本当に倒してたなんて!
 そゆこと何で黙ってるかなあー!」
「いえ、その…色々あって、今の今まで忘れてました」

フリーテが苦笑いで、肩をすくめる。
そのまま青年の側まで近づき、書類を受け取った。
明日また回収に参ります、と一礼して去っていく。

その書類をロリアの方に向けてテーブルに置くフリーテ。
まだ混沌とした頭のまま、ロリアはその書類をなぞるように目を移していく。
参加冒険者名、職業、用いた戦術、使用装備、などなど…広報に載せる為の空欄が並ぶ中、ある一箇所で視点を止める。
…そこには『所属ギルド名』の欄がぽっかりと空いていた。

(ああ、そういう事なんだ…!)

ロリアは直感的に理解した。
仲間と戦ってきて、苦楽を、生死を共にして行く事に、漠然と欠けていたもの。
シュトラウトと王国騎士団という、今はまだ見たことさえ無い脅威に、対抗するべく手段。
そして、自分の意志を、世界中に表明するやり方…。
気持ちの持ち方や心構え、覚悟や勇気も確かに必要で、大切な物には違いない。
だが…今必要なのは、単純な『名称』であり、それを象徴する『物』であった。
ロリアずっと前から、それを手にしていたのだ。

「オリオールさん」

顔を上げ、まっすぐにオリオールを見るロリアの瞳は、力強い光に満ちていた。

「…ごめんなさい。この紋章は、あなたに渡せません」
「それで、良いのだな」

オリオールもまた、ロリアの決意の表情を見て、全てを理解していた。
いや、むしろ彼女がこの事を知れば、結果こうなるのではないかという予測があったからこそ、
無理に紋章を奪うような事をせず、戦士としての力量を上げる手助けをしてきたのだ…とさえ思える。

そういう決断が下せるほどに、ロリアが成長した事、その手伝いが出来たことに嬉しさを覚えつつも、
オリオールは彼女が選んだ決断の重さに、今後の苦難を思い、息を呑む思いだった。
ロリアは大きく頷くと、自分に言い聞かせるように宣言した。

「…私は、冒険者ギルドを作ります。ギルド名は…」

それは…シュトラウトと王国騎士団に対し、ロリアが初めて対抗の意思を表明した瞬間であり、
千年前に大きな運命の変革、その種火を生み出した『叛逆者』ロンテとその騎士団…『アズライト・フォーチュン』復活の時であった。

この、一人の少女の決意がミッドガルドの未来に大きな意味を持つ事を、今は誰も知らない。






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