HyperLolia:InnocentHeart
−さよなら−
023:Goodbye,Euniss


ロリアが自分をマスターとするギルド…『アズライト・フォーチュン』結成を宣言したとはいえ、
それを実現する為の障害がこうも早く露呈するとは、彼女自身予想外であった。

ギルドとして国に認可を受ける為には、そのメンバーが掲げるギルドエンブレムと、
固有のマナ循環係数を有するエンペリウム結晶の登録が必要になる。
そうして、『マスターストーン』と呼ばれる存在になったこの結晶の循環係数を、他のエンペリウム、
この場合小さなかけらでも良いのだが、これを同調させた物をメンバーが所持する事によって、
遠距離思念会話…通称、ウィスの使用も可能になる。

エンペリウムはこのミッドガルドでは貴重な鉱物と言えども、資源としての用途は皆無に等しく、
市場には余り気味な事から、メンバーが所持する為のかけらなどは捨て値で入手する事が出来た。
問題はマスターとなる、純度の高いエンペリウムの結晶の方である。
いくら入手に困らないとは言え、流通価格を軽く出せるほどには、ロリア達は潤っていなかった。
海底洞窟戦で壊れた装備の修復や新調で、只でさえ出費がかさんだ後である。

だが、設立を口にしたロリアには、ひとつの思惑があった。
自分の所持している護符…ロスト・エンブレム、そもそもこれ自身がエンペリウム結晶であるのだ。
いくら古いものとは言え、いまだ蒼い光を放ち続けるように、魔力は残っている。
ならば、マスターストーンとして使えないはずが無い…というのが、ロリアの主張であった。

オリオールはそれを肯定しつつも、敢えて懐疑的な意見を述べた。
…シュトラウトが再生した旧騎士団のギルドエンブレムも、確かに古い護符のエンペリウムが用いられていた。
だが、その輝きは煌々としたものであり、ロリアの所持するもののような鈍い光では無かった。
原因は判らないが、『アズライト・フォーチュン』は完全ではないと思える…と。

とは言え、それ自体はギルド登録に用いるのに躊躇うほどの理由にはならず、
ある意味、駄目で元々…そんな気持ちで、ギルド承認を申請してみる事を決定した。

それが先日の夜の事である。



ロリアはオリオールと、リハビリを兼ねてちょっと街を歩きたい…と言うクアトを連れて、
イズルードを離れ、ルーンミッドガッツ王国首都・プロンテラを訪れていた。
厳しい戦闘区域も無い事と、プロンテラが冒険者と民間人の入り混じった街である事から、
物々しい装備はせず、いずれも軽装である。

オリオールの案内で、行政府にある冒険者関連の施設へと入る。
中は大勢の冒険者でごった返していた。

「うわー、込んでるねえ。お役所仕事って奴?」

おどけて悪態をつくクアトに、ロリアは苦笑い。
あそこだ…とオリオールに指摘されたギルド登録受付窓口は、予想以上にがらんとしていた。

「殆どの冒険者は、既にギルドを結成するか、入団している者が多い。
 今では新規登録されること自体が、珍しいと言える」
「並ばなくてラッキーじゃん」
「ふふ、そうだね」

頷きつつ、ロリアはやや緊張した面持ちで、窓口に向かう。
向かい側では、事務服を着た四、五十代と思われるおばさんが会釈して迎えてくれた。

「あの、ギルドの登録をしたいのですが…」
「はいはい、じゃこの書類に必要事項を記入してね」

渡された書類には、ギルド名や活動様式、マスターのプロフィール等を書く欄があった。

「それと、書いている間にエンペリウムのチェックさせて貰うから。
 マスターストーンを渡してくれる?」
「あ、はい」

ロリアは慌てて、胸元に下げていた護符を取り出し、首から外して渡す。
その手から離れたエンペリウムからは、急速に蒼い光が消えていく。
受け取ったおばさんは、小さな目を丸くしながら、しげしげとそれを見詰めた。

「あらあ、また古いエンペリウムねぇ…」
「判りますか?」
「そりゃあね、おばさんくらいのベテランになればねぇ」

にっこりと笑いながら、不可思議な機械を取り出すと、そこから伸びた金属片をエンペリウムに当てる。
聴診器のようなものを耳にはめて、まるで音を聞くように叩いたり、押し付けたり。
時々首をかしげながら、機械のつまみを回したり、ボタンを押したりしている。

「何やってんの、あれ?」
「エンペリウムの中にある、マナの流れを計測しているのだろう。
 …どういう原理かは、私も理解しかねるがね」

クアトとオリオールは少し離れた所で、そんなひそひそ話をする。
ロリアは書類の項目を埋めながら、ギルドメンバーについて記入する欄が無い事に気付いた。
が、下部にメンバー関しては別様式の書類で申請するとの注意書きがあり、納得する。

…その瞬間、ロリアの胸に覚えの無い不安が過ぎった。
漠然とメンバーは…などと思ったが、今一緒に居る者全てが、自分のギルドに入ってくれるのだろうか?
ギルドを作り、そこに加わるという事は、今まで以上にロリア本位な旅を強要される事になるのだ。
それでもきっと、フリーテは入ってくれるだろうとは思う。
だが、他の者たちは…?
自分のせいで何度も辛い思いをしたクアトは、入ってくれるのだろうか?
アイネは…見守る為にも引き入れたいという気持ちはあるが、冒険者を続けさせて良いものだろうか。
そのアイネと一緒に居たシリーという娘は、そもそも入る理由が無い…。

そして…この旅は自分ものではなく、君達のものだと…何度も言い続けていた、オリオール。
『アズライト・フォーチュン』が明確なロリア自身の意思で掲げられるものになれば、
紋章を守る為に帯同していた彼が、一緒に居る理由も無くなる…。

と…ロリアは目を覚まそうとするかのように、首を小さく振った。

(自分で、決めたんだから…!)

今更、弱音や泣き言など口にしてしまったら…誰も自分を、ギルドマスターなどと認めないだろう。
ましてや、かつての聖戦の英雄と謳われる、弓騎士ロンテの紋章を使おうというのだ。
自分の先祖を、血統を汚すような真似は出来ない…シュトラウトと彼の親衛隊に、対抗の意思を示す為にも。

「…うーん」

書類を書き終えて、顔を上げたロリアの耳におばさんの不満げな唸り声が飛び込んだ。

「あの、書きましたけど…どうかしましたか?」
「え?あぁ…それがねぇ、変なのよ…このエンペリウム」
「変…なんですか?」

おばさんが金属片を当てて、何かを聞いては、いくつかの数字をメモしていくが、
その表情はどこか冴えない、困惑した色を見せる。
只ならぬ様子に、オリオールとクアトも近づいて、ロリアの背後から何事かと覗き込んだ。

「まさか、エンペリウムが古すぎたとか…?」
「うーん、古くて問題が起きた事なんて聞いたことないんだけどねぇ。
 内包マナは永久循環し続けるって言われているし…。
 わたしゃ二千年前の結晶だって、係数をはじき出した事あるんだけどね」

さすがにそれは眉唾くさい、と一同は思ったが…彼女が困惑しているのは確かなようだった。

「それで、結局…このエンペリウムじゃ駄目なんですか?」
「いやね、一応係数は出せたけど…ちょっと値の揺らぎ幅が大きいのと、
 そもそも循環マナの絶対量が少ないのが気に入らないのさ。
 いくら古いとは言え、こんなに衰弱したエンペリウムは見た事無いねぇ…」

おばさんはポケットから、小さなエンペリウムの欠片を取り出す。
それをロリアの紋章、その結晶部分に当てるが…何も変化は起きない。

「ほら、ご覧。マナが少ないのか、循環速度が足りないのか判らないけど…。
 普通なら起きるはずの係数同調がぴくりとも起きやしない。これじゃウィスも使えないよ?
 一応、値の振幅量は許容範囲内だから、マスターストーンとして登録はできるけどね。
 入手のアテがあるなら、他のエンペリウムを使った方がいいと思うねえ」

そう言って返してくれた護符を受け取り、ロリアはじっと見詰める。
クアトも一緒になって、不安そうな顔で覗き込んだ。

オリオールはやはり、何かが足りないのだ…と、一人考えていた。
聖戦時代に作られたこれらの紋章には、特殊な封印が施されている。
何故そんな必要があったのかは判らないが、その為に聖戦時代の騎士団の紋章であると判別できず、
レプリカの単なる骨董品扱いをされ、現在に至るまで本物を発見しにくい原因になっている。
…その封印を解くのにも、適格者の『血』が必要である。
しかも『適格者=英雄の血を引く者』ではない時があり、紋章の真贋をさらに混乱させた。
数少ない統計的には血筋が直結している方が、封印を解く可能性が高いらしいが、
まったく縁の無い、普通の冒険者が事故的に解いてしまった事もあったのだ。

ロリアもある意味、事故から封印を解いた一人であるのだが、
ロンテの子孫という事もあり、適格者としての要素は十分である。
だが、解かれた封印にはもうひとつの仕掛けが施されていた。
…血によって解かれた瞬間に、光と共に古代神聖文字が浮かび上がる。
この文字はかつての英雄からのメッセージであり、これを読み上げる事で、
初めて封印は完全に解かれ、エンペリウムは真の輝きを取り戻す。
紋章に認められるための、契約の儀式と言っていいだろう。

しかし、オリオールが聞いた話では…ロリアはこれを完了していない。
訳者の立会い無しで古代神聖文字が読める訳が無いし、当然と言えば当然なのだが、
にも関わらずエンペリウムはロリアが所持している時に限り、青く輝く胎動の光を見せる。
…そんな動き方を見せるロスト・エンブレムの話を、オリオールは聞いたことが無かった。
しかし、完全に輝きを取り戻していないという事は。
紋章自身にか、それともロリアにか、あるいは別の要因か。
何かが足りないという事は、間違いないのだろう。

「…これを、マスターストーンとして登録して下さい。
 このエンペリウムでなくちゃ、駄目なんです」

ロリアがそう言うと、おばさんは肩をすくめつつも、頷いた。
そう…ただ、ギルドを作るというのならば、紋章に固執する事は無い。
だが、これは設立そのものがシュトラウトに対する叛意の証なのだ。
全ての紋章騎士団が彼の元に集う事は無い…という、ロリアが突きつけた決別の刃、そのものなのである。

「了解、了解…ロリアーリュ・ガーランド・ヴィエントさん、と。
 今日からあなたがギルド、『アズライト・フォーチュン』のマスターって訳ね。
 色々大変だろうけど、がんばりなさいよっ」
「あ、は…はいっ!」

屈託の無い笑みでそう言うおばさんに、同じく笑顔で応えるロリア。
きっと、今まで何度もこうやって、新しいギルドマスターを送り出して来たのだろう。
だが…まさしく大変になるのはこれからなのだろうと、オリオールは思わず天を仰ぐ。
ほこりの舞う役所の中に、正午を告げる鐘が騒がしく響き始めた。



「へっこー、はんはんにふれはれぇ?」
「クアト君…口の中の物を飲み込んでから、喋りたまえ」

無事にギルドの認可を受けたロリア達は、イズルードに帰る前に昼食を済ませていこうと、
冒険者入店可能なカフェを探して店に入った。
ロリア達以外には2、3グループの冒険者達が居るだけで、店はどこかゆったりとした空気が流れている。

「…お昼時なのに、人あんまり居ませんね」
「平日だからだろうな。休日なら、市場巡りや砦戦を控えた者等で、賑わうだろう」
「なるほど…」

ロリアは頷きながら、手に持った饅頭を頬張る。
以前、天津フェアとして出していたものが好評だったらしく、今ではこの店のメニューに追加されたという。
初めて食べる肉まんは濃厚かつジューシーな味わいで、その美味しさにロリアも顔を綻ばせた。

「結構、簡単にくれたねぇ?」

エビチリまん一個を平らげたクアトが、改めて口を開く。

「何?ギルド認可の事?」
「そう、それそれ。もっと審査とか、色々めんどい手続きがあるのかと思ったよ」
「審査といっても、元々我々は王国に認められた冒険者であるからな。
 今更、素性を質されるような不明点は無いという事だ」

あなたはまだ謎ばかりですよ…とロリアは思ったが、敢えて口にしなかった。
と…クアトはちらっ、ちらっとロリアの前の饅頭に視線を投げかける。

「うーん!ロリアのも美味しそうだなぁ…。
 ね、ね、一個交換しない?こっちもピリ辛で美味しいよー?」
「あは、いいよ」

幸せそうな笑みを満面に湛えながら、クアトは肉まんにかじりつく。

「あ〜…食べるのっていいよねぇ、生きてるって実感するわぁ」

昨日までベッドで寝ていたとは思えない勢いで、食欲を全開にするクアト。
海底洞窟やイズルードの街で、倒れて身動きしないような彼女を何度も見たロリアとしては、
今こうやってクアトが元気で居てくれる事そのものが、嬉しく思えた。

「あ、オリオールさん。
 このお饅頭、宿で待ってるふーちゃんたちにも、お土産に買っていきませんか」
「うむ、それは良い所に気付いた。
 ああ…そこの君、ちょっと良いだろうか。テイクアウトを頼みたいのだが…」

オリオールが通りがかったウェイトレスを引き止める。
クアトはすっかり食べ終わって、満足そうにお茶を飲んでいる所だった。
ロリアも負けじと、交換したエビチリまんを口に運ぶ。

…と、その時、窓の外。
ふと、こちらを見詰めるような視線に気付いたクアトは、驚きに目を疑った。

(え…!?あれは…!)

そのまま、視線の主はゆっくりと路地へ消え去ろうとする。
がたん!と椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がったクアトは、傍らのスティレットを掴んだ。

「ど、どうしたの、クアトさん?」
「ご、ごめん、ちょっと野暮用!夜までには戻るから、先に帰ってて!」

病み上がりとは思えない、軽快な動きで店を飛び出し…オープンテラスの柵を乗り越え、走り出す。
やがて、人ごみの間にその姿は消えてしまった。
止める暇も無く、ロリアとオリオールは呆気にとられたままだ。

「…ど、どうしましょう、オリオールさん」
「うむ…まぁ、彼女の言ったとおりにするしか無いだろう」
「で、でも、もしまた…」

ロリアの瞳が不安に曇る。
一度は拉致されかけたクアトを、一人にする事を恐れているのだ…と、オリオールは直感した。

「大丈夫だ。連中も、このような大都市で昼間から仕掛けて来るほど愚かではない。
 クアト君もそれが判っているから、夜までに戻ると言ったのだろう」

実際には、クアトがそこまで気を回して言ったのかどうかは疑わしいのだが、
本人が状況を理解しているだろう、という理由付けはロリアに安心感を与えた。

「そう…ですね」
「それに、あまり遅くなるようだったら、私がもう一度来て探してもいい」
「あ…それなら、安心です。お願いできますか」
「任されよう」

オリオールの提案が決定打になって、ロリアはようやく微笑を取り戻した。
その時、テイクアウトを頼んだ饅頭を店員が持ってきた。
ほのかに温かい紙袋をロリアが受け取り、オリオールが代金を払うと、二人は席を立つ。

「じゃあ、イズルードに戻りましょうか」
「うむ」

頷きあって、店を出た。



クアトは息を切らせて、狭い路地を走っていく。
確かに、見覚えのある顔だった。
今更どんな顔をして会えばいいのか、分からない…しかし、聞かねばならない事があった。

「…あれ」

路地が十字に交差し、その姿を見失う。
どの方向にも、誰かが通ったような形跡を見つけることが出来ない。
見失ったかもしれない…とクアトが思った時、背後で人の気配がした。

「…久しぶりだな、クアトさんよ」

街路樹の陰から、薄い笑みを浮かべた…ウィザードの装束を身にした男が現れた。
振り返ったクアトの表情は、やや険しい。
だが男はそれを見て、予想通りの顔だという風に、また口の端を曲げた。

エルデ…!ディータは今、どこで何をしてるの!?」
「何だよ、久しぶりの再会だってのにいきなりそれかよ…」
「…待ってたって事は、私に用があるんでしょ?今更、何!?」

あからさまな敵意をむき出しにするクアトに、エルデは両手を挙げて見せる。

「おいおい、喧嘩腰はよそうぜ…まぁ、はっきり言えばアンタを見掛けたのは偶然さ。
 あれから色々あって、ディータとはパーティを解消してな…。
 元々、無愛想なアサシンもディータの連れだったし、今は一人気ままに放浪中って奴よ」
「…解消?なぜ?」
「アイツ、何だか知らんが王国親衛隊に抱きこまれたんだよ…。
 新しく出来る特殊部隊だか何だかって、詳しい事は判らねぇけど。
 俺は宮仕えなんかまっぴら御免だからな、その場でハイさよならって訳」

(あのディータが、人の下で働こうとする…?)

それ自体がクアトにとっては信じがたい事ではあったが、さらにそれが親衛隊となれば、
つい先日、自分がみまわれた災難を絡めずにおくことは出来なかった。
シュトラウトの配下になった…と考えてしまうには、あまりにも根拠がなさ過ぎる。
だが…その組み合わせ、このタイミングに、クアトは不安を覚えずにはいられなかった。

「それより、アンタ…店を建て直す、資金集めの旅に出たとは聞いたが…。
 まさか、あの時の騎士やアーチャーが一緒とはな」
「…エルデには、関係ない」

そう言い切ったクアトの肩に、エルデは手を乗せる。
そして、そのまま彼女の顔を引き寄せた。

「なぁ…俺と一緒に行かねぇか?あんな連中と居たって、全然儲からねえだろ?
 俺なら、もっと効率的で簡単な金儲けを知ってるぜ」
「…え?」
「俺がアンタの事気に入ってるって…昔から、知ってんだろ。
 クアトさんが俺のモノになるんならさ、金集めくらい手伝ってやるぜ?
 また、アルベルタで商売やりてーんだろ…?」
「………」
「そーだ、ついでにあの連中の装備も頂いて、おさらばしちまえばいい。
 アーチャーや剣士はいかにも貧乏臭かったけどよ、あのムカつく騎士は結構いい装備してたよな。
 露商ならアシも付かねぇし、売っぱらえば結構な額になるぜ?」

…不快感!
エルデの口から言葉が発せられる度に募る『それ』に、クアトは我慢出来なかった。

「…私から」
「あん?」
「離れろッ!!」

クアトが力を込めた拳が、エルデの頬へ直撃した。
砂埃を上げて、みっともなく転がる。

「くッ…てッ、てめえ…!」
「せっかくの提案だけど、丁重にお断りするよ…今のアンタの金儲けなんて、聞きたくも無い!」
「ふ、ふざけやがって!」

よろっ、と立ち上がるエルデが怒りの視線を向ける。
クアトも表情を険しくしながら…どこか、悲しげな色を瞳に湛えていた。

「エルデ…本当に、変わっちゃったね。
 昔、おじさんが生きていて、スマーク商会を手伝ってた頃のエルデは…そんなんじゃなかった」
「そッ…そんな、くだらない昔話、するんじゃねえッ!!」

スマーク商会は、モロク方面にパイプを持つ中堅貿易商だった。
全盛期の頃は古物商として、それなりに大きな商売を行なっていた。
が…モロクが商業都市として発展するに至り、次第に取引量が激減する。
その商業ルートが、実はメモクラムの父…ステムロに奪われたというのは奇異な縁と言えるかも知れないが、
二人がそれを知る訳が無かった。

「あのクソ親父は、いつまでも古い商売のやり方なんかに拘るからッ…!
 時代は俺たち、冒険者なんだよッ!力なんだよッ!
 偉そうな連中に頭下げまくって…それでも結局、全部無くしちまったじゃねぇか!」
「何も…何も手助けしなかったくせに、知った風な事を言うなぁッ!!」

クアトの一喝。
そのあまりの迫力に、エルデは息を呑んだ。

「おじさんが苦労して、一番助けて欲しい時に…アンタはディータと遊んでばかりで…!
 そもそも必死で工面したお金を勝手に持ち出して、マジシャンの試験を受けたんでしょうッ!?
 なのに、自分の力だけで…冒険者になったような顔をするッ!!」

クアトは泣きそうだった。
この、目の前の男がもっと周囲を見る事の出来る、気配りのできる人間だったら…。
…もしかしたら、クアト自身も…救われていたかもしれない。
しかし、それが只の妄想・悔恨の類であると分かっているだけに、泣いてはいけなかった。
自分がエルデに何かを期待していたなどと、今更教えてやる必要は…無いのだ。

「アンタはいつもそうだ…!
 おじさんが助けて欲しい時にも、私が一番…誰かに傍に居て欲しかった時も、
 必ず自分勝手に振舞って、期待を裏切る事をする…だから、嫌いなんだッ!!」

そう言い切ると、クアトは地べたに座り込んだエルデに背を向けた。
途端…大きな瞳からぼろっと、大粒の雫が落ちる。
この顔を見られたくなかったし、情けない旧友の姿も…もう、見たくなかった。

「エルデ…もう、アンタとは二度と会いたくない。
 アルベルタでの生活を、全て捨てたというなら…私の事も、忘れてよッ…!」

そのまま、駆け出すクアトにエルデは声を掛ける事も出来なかった。
すぐに路地を曲がって、姿は消えてしまう。
後にはただ、遠くから聞こえる表通りの賑わいだけが空虚に響くだけの空間だった。

「ちくしょう…ちくしょう、ちくしょうッ!!
 だったら、どうすれば良かったってんだよッ…!」

何度も、何度も地面を殴りつけるエルデ。
…どう考えても、どんな手を尽くしても、スマーク商会が潰れるのは目に見えていた。
そして…幸いな事に、自分にはちょっとした魔法の才能があった。
父親に商才が無いせいで、一緒に路頭に迷わされるくらいならば、
せっかく持って生まれた才能を力に変えて、冒険者として名を上げる。
もしこの道を選んでいなかったら、今頃商船の下足人夫辺りが関の山だったに違いない。

…言わば、自分が自分として生きる為に、全ては仕方の無い事だったのだ。
自分の全てを知るでもないクアトに、ああまで好きに言われる筋合いなど無い。
しかし…それでも言い返せなかったのは、やましいと感じる記憶が確かにあるからだ。
だが、生じた怒りを自戒へと向ける術を、エルデは知らない。

「…そうかよ…そんなに、俺が嫌いかよ…!
 俺を拒否するって言うんだな…クアトさんよッ…!」

やがて、その激情は歪んだ方角へと矛先を変えていく。
…彼自身が気付かぬうちに、彼の生き方そのものの様に。



「…どうかしたかね、さっきから黙りこくっているが」
「え?い、いえ、別に…」

プロンテラの正門へと向かう途中で、そうオリオールが聞いた。
ロリアはどこか落ち着き無く、作り笑顔で答える。

(オリオールさんと二人きりなんて、久しぶりだな…)

今更、特別に意識するような必要など無いはずなのに…と頭で思いつつも、
不思議と気が動転して、いつものように普通に接する事が出来ない。
何か喋らなければ…などと考えてしまうのがそもそも変だと、自分自身思う。

「あ、あの」

それでも、懸命に口を開いた。

「あの、今頃なんですけど…昨日、叩いたりして…すみませんでした」
「その事か…君の怒りは、当然だ。気に病む必要など無い。
 私も自分の未熟さを、身に染みて感じたよ」

まだ昨日の事なのに、どこか懐かしむように微笑むオリオールに、ロリアの表情も和らいだ。

「私こそ、様々な事を隠し続けて…君達には本当に申し訳無いと思っている」
「いえ…紋章の存在理由を知れば、仕方のなかった事だと判ります」
「そう言ってくれると、助かる」

オリオールは、オルオールなりに語らない事が苦悩を生んでいたのだろう。
任務という名目上、紋章を守る為に一緒に居たというのが事実だとしても、
彼がそれ以上に、自分やフリーテ…そのものを守ろうと戦ってくれた事は、一番知っている。
それは、言葉などより確かなものなのだ。

「オリオールさん、ひとつだけ…聞いていいですか」
「…何だろうか?」
「紋章の件で、まだ話せない事があるっていうのは、判りました」
「うむ、申し訳ない事だが」
「それはいいんです。でも…」
「…でも?」

オリオールは、口ごもったロリアの顔を見る。
…吸い込まれそうなほどに澄んだ瞳が、こちらをまっすぐに見詰めていた。
傾き始めた日の光を弾いて、きらきらと輝く。
どんなに凄惨な戦いをしても、穢れた血を浴び、醜い傷を増やそうとも…。
この少女の瞳はその心と同じく…曇る事の無い宝石の如く、価値のあるものに思えた。

「オリオールさん、もう…私に隠し事してませんよね…?
 私、信じてもいいんですよね…?」

縋るような、祈るような…確認というよりは、懇願に似た問いかけだった。

「…もちろん、だ」

オリオールは即答した。
まだ揺らぎの大きい彼女の精神を支える為にも、今は確信を与えなければと思った。
ここで辛辣な返答をして、何が生まれるでもない。
今、得る事が出来たかもしれない信頼は、次の戦場で、剣で示せばいいのだ…。
そう考えたからこその、オリオールの返事だった。
ロリアは嬉しそうに…本当に嬉しそうに、顔を綻ばせた。

「…きゃっ」

と、注意力散漫だったロリアの傍を、騎乗した騎士が駆け抜けていく。
プロンテラの正門に続くメインストリートは、多くの冒険者や民間人でごった返していた。
土産の饅頭を潰されないように、とロリアは大きな袋を抱え直す。

「丁度、賑わい始める時間に当たってしまったな。
 この込み具合では逸れるかもしれん…ロリア、手を」

オリオールが手を差し出す。
ロリアは少し驚き、戸惑いながらも…自分も手を伸ばす。
そして、彼の腕に縋るように絡め、身を寄せた。
逆に、驚いたのはオリオールである。

(わ、私は、手を繋ごうとしたのだが…)

とは言え、今更腕を組むんじゃなくて…などと、説明するのも間の抜けた話だ。
結果的に逸れなければそれで良い、と割り切った。
ロリアは頬を染めながら、それでもしっかりとオリオールの腕にしがみ付く。

「は、早く帰りましょう、オリオールさん!皆、待ってますよ」
「う、うむ。そうだな」

どこかぎこちなく、歩いていく二人。
ロリアは並ぶオリオールの顔を見上げて、少しだけ微笑んだ。



イズルード。
窓の外、日の沈みかけた夕暮れの港を背景に、一行が笑顔で並んでいる。

「…はい、もういいですよ。ありがとうございました」

手にした黒く、四角い箱を下ろしながら、役人がそう告げる。
黄金蟲を倒した事により、公報にその記録が載ると共に、一緒に掲載される写真を撮られていたのだ。
書類をまとめて鞄に入れると、その役人の青年も仕事を終えた満足感か、どこか嬉しそうだった。

「明日の新聞には、載りますので…皆さんの今後のご活躍、期待しています」

そう言い残し、会釈して部屋を後にした。

「…ったく、私は関係ないって言うのに…」

メモクラムが肩を竦める。
写真には参加してなかったクアトはもちろん、まったく無関係なはずのアイネとメモクラムまで、
ロリアを囲んでしっかりと写っていた。

「いいじゃん!こういうのは記念、縁起物だしさ!大勢の方が楽しいよ」
「まぁ、あの役人さんも構わないって言ってましたしね」

同意するフリーテに、アイネはうんうん…と頷く。

「さー!晩ごはんにしよ、晩ごはん!」

部屋の中央で、そう叫んだのはクアト。
結局、ロリアの心配をよそに、一時間ほど遅れてふらっと帰ってきたのだった。
アルベルタの古い友人を見掛けて、少し話しただけだ…と、屈託の無い笑みで告げる。
その言葉を誰も疑わず、それ以上に無事に帰ってきた事に胸を撫で下ろした。

「うんうん、お腹すいたよねー」
「あんた、2個も饅頭食べてたくせに…」

同意するアイネに、メモクラムは呆れて溜息をついた。
ロリアはそんな皆の様子に微笑みつつも、手に『アズライト・フォーチュン』の紋章を持ったまま、
時折、何かを考え込むかのように視線を落とした。

「…ろりあん、どうします?これから…」

フリーテが傍らに寄り添い、問い質すでもない、優しい口調でそう言った。
不完全な状態とは言え、ギルドの設立は成った。
明日、公報や新聞に掲載されれば、ロリアの決断は広く知れ渡る事になるだろう。
それが何の意味を持たない人々にも、それを対立の意思と捉える人々にも。
そういう意味では、形式的に用いられる『紋章』の役目は終わった、とも言える。

しかし…ロリアには、どこかすっきりしない気持ちが残っていた。
自分を運命的に冒険者へと導いたこの『紋章』が、たったこれだけの意味しか持たないのだろうか?

(そんなはず、ない…)

そう思える根拠を、自分自身の中に見出す事も出来なかった。
が…まるでもう一人の自分に急かされる様に、心の中に湧き上がる思い。

「この紋章を元通りに…完全な、元の形に戻せないかなって…思う。
 もちろん、ウィスが使えないとか、そういう不便さも理由だけど…。
 何だろう…かつて、これを持っていたロンテが、そう望んでいるような気がするんだ」
「そうですね…形だけの聖戦騎士団復活を謳うのなら、数多ある冒険者ギルドと同じです。
 正当な紋章継承者が、アルビオンへの反旗を示した…この意味を理解できる人に知らしめる為にも、
 紋章の完全復元はきっと、意味のある事になると思います。
 シュトウラウト卿配下の聖戦ギルドでは、再生出来ているのですから…方法はあるはずですよね」
「…だが、気がかりな事もある」

と、二人の話を聞いていたオリオールが口を開いた。

「気がかり…?」
「その『紋章』の特性が、他の旧聖戦騎士団の物と異なっている…という事だ。
 正直、いくつかの封印解除のケースを知っている私にも、理解しがたい部分がある。
 下手に手を出すと、予想もしない事態を引き起こすかもしれない。
 何せ、千年前の物なのだからな…」

…そう言いつつ、オリオールは一瞬閃いた考え方に、自分自身で驚いた。

(…これから手を出すと、『何か』が起きるかもしれない…?
 そうではなくて、もし…既に『何か』は起きてしまっているのだとしたら…?)

それは論理的な推考の裏打ちなど無い、彼らしくない直感的な発想だった。
よって、自分でも気の迷いのように感じられたこの見解は、すぐに思考の彼方へ消え去ってしまう。

「…つまり、だ。
 この『アズライト・フォーチュン』が何故、他の紋章と異なるのか?
 それは、作られた千年前に何か原因があるのか…?
 あるいは、もっと他の理由か…何にせよ、我々が知る『紋章』に関する情報は、少なすぎる」
「確かに、そうですね…」

フリーテが頷く。
ふと気付くと…クアトやアイネ、メモクラムも、真面目くさった顔で話を聞いていた。

「…私は、千年前の戦争も、紋章の事も、ロンテがどんな人かも…何も知らない…」

ロリアは見詰めていた紋章から、顔を上げる。

「オリオールさん!こういう昔の事って、何処に行けば判りますか!?
 聖戦時代に詳しい話を、聞ける所はありませんか?」
「そうだな…単純にマジックアイテムという事になれば、ゲフェンなのだが…。
 今回は、歴史的な資料を併せて調査する必要がある、となれば…」

一同が、黙ってオリオールの次の言葉を待った。
…きっと、それが次の旅の目的地になる…という、漠然とした思いが誰の心にもあった。

「賢者の街…浮遊都市、ジュノー。
 最古の叡智が眠るあの地で、手がかりを探すしかあるまい」



ミアンさん、起きてくださいよう。朝ごはんにしましょうよー」

下着一枚で毛布に絡まり、寝息を立て続けるミアンに、ユーニスは囁いた。
プロンテラから始まった長い旅を経て、二人はここゲフェンの地へ到達していた。
無頼の行軍は時に厳しさを二人に突きつけたが、万難を排しての冒険旅行は、とりあえず成功。
この間、二人の戦闘力や旅の経験も上がり、いっぱしの冒険者としての自覚が出来つつあった。
勝ち取った収集品の量も多く、それなりにまとまった額が手に入った事もあり、
二人は昨夜チェックインしたこの宿で、久々に柔らかい寝床を満喫したのだった。

「…ふあ…あー、おはよ…こんなに気持ち良く眠ったの、久しぶりだわ…」
「私は硬い地面に慣れすぎたせいか、なかなか寝付けませんでしたよ」
「あんたって、つくづく貧乏性ねぇ…」

呆れ口調のミアンだが、その顔は微笑んでいる。
ユーニスは彼女がそんな表情を見せてくれる事で、少しでも打ち解けられた事を実感するのが、
この旅の何よりの成果だと思っていた。
ミアンと自分、二人は良き冒険者仲間にして、パートナーである…と。
それが自己満足だと分かっていても、ユーニスは現状に満足感を覚えていた。

一方、ミアンは当たりこそ柔和になったものの、頑なにユーニスへの認識を変えようとはしなかった。
つまり…居なくても問題は無いが、居ればそれなりに役に立つ従者。
彼女が志願して付いて来ている以上、ミアンが気を回したり、遠慮する必要など無い。
事実、戦闘での前衛から荷物持ち、炊事から雑務まで、ミアンは様々な事を彼女に押し付け、
ユーニスもまた、その全てを笑顔で請け負った。

心で一線を引きつつも、ここまで言うがままに従われれば、ミアンとて悪い気はしない。
掛ける声くらいは、優しくしてもいいか…位は思う。何か損をする訳でもない。
無償の人助けなど性に合わないが、誰かに貸しを作っておくのも悪くない…とさえ思える。

微妙に、心の向きがずれている二人。
それでも交わす会話だけは、仲の良い冒険者同士のものに聞こえた。

「あの、ミアンさん。
 私、朝食が終わったら市場に行ってみようと思うんですけど…。
 冒険商人が露店を出しているそうなので、何か掘り出し物はないかなぁと思って」
「んー?いいんじゃないの?あんたの武器、買い換えた方がいいしね」
「ですよねっ!」

同意を得られた事に、ユーニスは微笑む。
今までの旅で、店売りの汎用装備なら、兜からブーツまでワンランク上に出来るくらいの所持金を得ていた。
ミアンは全ての収入を、ユーニスときっちり半分に分けたのである。
自分が彼女の事をどう思っていようが、それとは別に、労力に対する報酬は公平であるべきだ…。
そう思い実践できるのはミアンのプライドの高さの、良い側面であると言える。

ユーニスの使っていたファルシオンは刃がこぼれ、やや捻じれも生じて、
もはや斬れない鉄棒と呼んでも差し支えない状態にあった。
それは同時に、彼女がこの作りの良くない粗製濫造されている大量生産品の剣を壊す事なく、
しかし限界まで性能を使い切って戦ってきた事を証明していた。
だが、そんな自分自身の成長に、ユーニスは気付いていない。

「ミアンさんも一緒に行きませんか?」
「あたしは遠慮しとくわ…人多いの苦手だし、歩き回るの面倒くさいし」
「そうですか…」

ぱたん…と、ミアンはまたベッドに倒れこむように、身体を投げ出す。
ユーニスはそう言うだろうと思いながらも、少し残念に思う。

「あー…ついでに、矢筒買ってきといて。銀と火と…四個ずつ」
「はい、分かりました」

それでも、いつも通りに微笑むユーニスだった。



衝撃は、何気ない昼下がりに訪れた。

ようやく完全に目を覚ましたミアンは周囲を見回す。
が、市場に出かけたユーニスは、まだ帰って来ていなかった。
乱雑に放ったはずの装備が、壁際にきちんと並べられている。
世話苦労をかけてるな…などと、彼女らしくない事を思ったのは、
久々の快眠に心身が癒されたせいかもしれない。
と、朝食を抜いたままのお腹が、小さな悲鳴を上げる。
ミアンはひとり肩をすくめると、服を来て、食事を採る事にした。

宿の一階は広いレストランスペースになっていて、宿泊している者はもちろん、
冒険者入店可能な食事処として、それなりに繁盛しているようだった。
ゲフェンという土地柄、魔法系の職種が多いようだ。
カウンターの隅には一人、静かに酒を煽るウィザードの男性。
古ぼけたハットを深めにかぶり、表情は判らない。

窓際の二人掛け席では、真新しい装束に身を包んだマジシャンの少女が二人。
お互いの転職に、ささやかな祝杯を上げているようだ。
そのうち一人は、露出度の高い装束にやや恥ずかしげな顔をしている。

(あれは、恥ずかしいわよね…どういう理屈で、あんな格好しなきゃいけないのかしら)

魔術にゆかりの無いミアンには、想像も出来なかった。
少し離れた窓際の席に着くと、恰幅のいいウェイトレスが注文を取りに来る。
品数の少ないメニューから、ミアンはサンドウィッチとコーヒーを頼んだ。
店の中央のテーブル席では、4人の冒険者グループが楽しげに話をしている。
これから行く場所について、語り合っているらしい…。

(…次。次の場所、か…)

ミアンにとって、一介の冒険者などという現状は…通過点だ。
今は力を付けなくてはいけない時期だとは分かっている。
が、気が高ぶり、急かされる様な衝動に駆られる時が、何度もあった。
そして…その度に、ミアンの気性を受け止め、なだめ続けてきたのがユーニスである。

当初は鬱陶しい、自分の旅に邪魔なだけの存在だと思い続けてきた。
少なくとも冒険者として、自分のパートナーとして同格とは認めていなかったし、
旅の間、認めないなりの扱いをしてきた。
…それでも、常に笑顔で、可能な限り自分のフォローをしようと勤めていた事を、ミアンは分かっている。
命を助けられたから…という理由は、彼女にとって重いものなのだろう。
だが、それ以上に…ミアンの想像以上に、ユーニスは本質的に強いのだろうとも思う。
旅すがら、境遇は聞いた。親も兄弟も無く、冒険者になるしか生きる道が無かったという。
そんな過去を呪いもせず、前向きな笑顔で生きていこうとする…。

(…私とは、正反対ね。
 私は、過去の為に…お父様の無念の為だけに、戦っているのだもの)

別に、自分の戦う理由を貶める気も無ければ、ユーニスが羨ましい訳でもない。
人それぞれ、違う目標があって、当然だ。
だが…そういうユーニスと共に旅を続ける事は、はたして自分の為、
もしくは彼女の為になる事なのだろうか…?

『…ユーニスさん、悪いことは言いません。
 この方と一緒に旅をしてても、あなたに何も益はありませんよ。
 早々に別れて、もっと良い仲間を探すことをお勧めします…』

いつかのマジシャン…たしか、ラビティとか言ったか。
銀髪の少女が残した言葉を、ふと思い出す。

(…そう、かもね)

ユーニスを同行者、あるいは従者として扱い続けていたが、
冒険者仲間…などと認知した事は、一度も無い。
彼女は自分の事を、どう思って…今まで一緒に旅を続けてきたのだろうか…?

「はい、おまたせ!」

ウェイトレスの陽気な声に、ミアンの思索は解きほぐされた。
目の前に大きいサンドウィッチと、これまた大きいマグカップのコーヒーが、どんと置かれる。

「ウチはワンサイズ大きい料理が目玉!ごゆっくり!」

やや驚き顔のミアンにそう言って、ウェイトレスは大きなヒップを揺らしながら去っていく。

「店員の雇用規格も、ワンサイズ上なのかしらね…」

聞こえないように呟くと、早速一口、頬張る。
大きさに負けないくらい大味ではあったが、生野菜の歯応えが心地よくて、ミアンは顔を綻ばせた。
コーヒーを口につけながら、ふと…テーブルの脇にメニューと一緒に、新聞が挟んであるのに気付いた。
何気なくそれを取って、広げる。
…デイリー・ミッドガルド。冒険者向けの、代表的な新聞のひとつだ。

(そういえば、長い間山篭りしてたせいで世間の様子も分からなくなってたわねぇ…)

一面トップは、『十字軍、本格的に始動開始か!?騎士団との軋轢に懸念の声も』だった。
他、グラストヘイム方面の緊張を伝える記事にスペースを割いてはいたが、
冒険者の訃報や、職業ギルドの勧誘、出現モンスター情報など、代わり映えのしない紙面であった。

(…そりゃあ、大きな事変なんて、そう簡単には………!?)

…それは小さな記事だったが、ミアンの心を射手のように貫いた。
『今週のMVP』という、小さなコーナーの一部分。
地下水道の黄金蟲を討伐したという…ギルド名『アズライト・フォーチュン』のメンバー。
その、写真の中で…笑顔を見せていた、のは。

(ろ…ロリアッ…!?)

それだけではない。
あのフリーテも合流している上に…色味が変ながら、修道服らしき物を着たアイネまで居る!
さらに、仮面の騎士と赤毛のマジシャン。そして、商人らしき顔もある。
楽しそうな笑顔を浮かべた6人…その写真に、ミアンは歯軋りした。

(あの、冒険者の落ちこぼれが!訓練ですら、死にそうな勢いだったロリアが…!
 苦境に自らの運命を呪うどころか、笑顔を浮かべられるほど余裕で、冒険者を続けている…!
 しかも、MVP獲得に…ギルド設立ですって…!?)

冒険者になってからのミアンに、ひとつだけ確たる思いがあるとすれば。
少なくとも、ロリアよりは冒険者として『上』を行っている、という自負だった。
あの、お人好しの天然娘が自分を超えられる訳が無い、と。
それが、思い込みに過ぎない事は分かっているし、そう思う事でロリアを見下そうとする、
自分の心のさもしさにミアン自身も気付いている。

だが、この現実を突きつけられると…やはり、心穏やかでいられるはずがない。
かたや…MVPとして官報に載り、職業バランスの取れたギルドを統率する、ギルドマスター。
しかし自分は、ほんの少し山越えをしたというだけで…成長したと自己満足し、
一夜のベッドに喜びを見出す、そんな…只の、どこにでもいる冒険者だ…と。

実際…この時点での個人戦闘力で言えば、装備では劣っているものの、
やはりミアンの方が多少、上であった。だがこの時、両者を比較する術は無い。

仲間に囲まれ、笑顔のロリア…その写真がミアンの心に、火を点けた。

(そう…そうやって誰からも愛されて、いつのまにか人に囲まれているのが、
 ロリア…あなたの生き方だったわね…)

…それが、ロリアの『力』なら。

(私には、私のやり方がある…あの娘なんかにッ…!)

新聞を握り締める、ミアン。
その表情は、まるで魔物との戦闘に挑むかのように…張り詰め、そして…悦びに満ちていた。



「…え?ど、どういうこと、ですか?」

夕刻。
結局…明日、またミアンと一緒に市場に行こうと思ったユーニスは、
自分の分は何も買わずに、矢筒を手に宿に戻り…いきなり、ウェイトレスに詰め寄られていた。

「だからぁ、あなたのツレの娘が、お代払わずに出ていっちゃったのよ!
 呼び止めようとしても、なんか怖い顔で、黙ったままで…」
「………」

ユーニスは面食らったまま、しばらく理解に苦しんでいたが…。
はっ…と気付くと、慌てて階段を駆け上がった。
ばらばらと床に転がる、矢筒も構わずに。

「ちょっとー!お代ぃー!」

ウェイトレスの声を無視して、廊下を駆け…借りている部屋のドアを開けた。
しん、と静まった部屋に、人の気配は無い。
ベッドの上は、ミアンが寝ていた時のまま、乱れている。
こみ上げる感情が、自分を押しつぶそうとする感覚。それが何なのか、分からない。理解できない。
…いや、理解したくない。
だが、ユーニスが昨晩揃えたはずの、壁際に並べた二人の装備は…。

無かった。
ミアンの分だけが、全て。

「…や、やだ。
 ま、待って…待ってください…!」

呟くようにそう言いながら、ユーニスは慌てて、自分の装備を手にする。
オーバーベルトを腰に回し、ボロボロのファルシオンを取る。
ベルトのホルダーに、鞘を掛けようとするが…うまく、掛からない。

「な、何で…急がないと、ミアンさんが…!」

手が震える。視界が、鈍る。
この邪魔な涙は、どうして出るんだろう、と…ユーニスは苛立った。
がしゃん!と鈍い金属音を立てて、ファルシオンが床に落ちる。
それを拾おうと、動きの悪い手を伸ばした時…ようやく、ユーニスは気付いた。

「…うそ…うそ、ですよね…。
 ミアンさん…また私の事、からかって…!」

立て掛けられた盾に、紙が貼り付けてあったのだ。

「…なんで…何でですかぁ…!
 私たち、仲間じゃ…なかったんですかっ…!」

書き殴りの文字で…。

『さよなら、元気でね』

と、それだけの…ミアンらしい、簡潔な別れの言葉だった。

「…な、なん…で…ぇ!」

ユーニスは、泣いた。
床に頭を摩り付けて、自分がどんな声を上げているのかさえ分からないくらい、泣いた。
ミアンに冒険者仲間として、認められていなかった…という事実が、ただひたすらに悲しかった。
ゲフェンで野宿をしている時には、いつか置いていかれるのでは…という不安を憶えた時もあった。
だが、この旅を通じて…お互いの背を任せられるくらいには、信じあえたと思えていた。
そうなるようにと、ユーニスも自分なりに、努力を積み重ねたつもりだった。

…しかし、全ては無駄だったのだろうか。

ミアンという少女の中に、どこか立ち入れない、かたくなな心の扉があるとは感じていた。
自分がそこに踏み込めたとは、ユーニスも思えない。
だが…魔物と対峙し、共に命を掛けて戦った記憶は偽りでも、幻でもない。
次第に連携していく事に、喜びを覚えていたのは…自分だけだったのだろうか…?

ユーニスは、ただ…悲しかった。



「落ち着いた?」

恰幅のいいウェイトレスが、そう言って微笑む。
レストランを閉めた後の店内で、ユーニスはカウンターに座らされ、
出されたホットミルクをちびちびと飲んでいた。

「はい…その、す、すみません…」

申し訳無さそうに伏せる目は、真っ赤に腫れている。
カウンターの隅では、汚いハットをかぶったウィザードらしき男が、
しわくちゃの新聞を見ながら酒を飲んでいた。どうやら、宿泊客らしい。

「しかし、装備とかまで持ってかれなくて良かったよ。
 わりとあるのよ…一緒に居た冒険者に、持ち物盗まれて逃げられた!って。
 仲間だと思ってたら…ってやつね」
「み、ミアンさんは、そんな人じゃありませんっ!」

ユーニスはきっ、と表情を険しくするが…ウェイトレスは動じない。
それどころか、笑顔で頷いてみせる。
何故か隅のウィザードがぴくっと動いた気がした。

「あらら、元気になったじゃない…あんたがそう思うなら、そういう人なんでしょ?
 なら、何か事情があったのかもしれないじゃない。
 自分が捨てられた…なんて、思うもんじゃないわよ」

ウェイトレスの気遣いに気付いたユーニスは、恐縮して、また目を伏せる。
それくらい、今の自分は弱々しく、小さく見えているのだろう。
まさに、ミアンに捨てられたとしても、仕方の無いくらいに…。

「問題は、あんたの方だよ。これからどうするの?
 その、ミアン…って娘を探すにしたって、アテが無きゃね…。
 何か心当たりとか、無いの?」
「…分かりません。
 フェイヨン出身だって事以外は、あまり…」

うーん、とウェイトレスは首をひねる。
一人心細いこの時に、親身になってくれる彼女の存在が、ユーニスには有難かった。
…と、ばさばさと音を立てて、何かがカウンターを滑ってきた。
折り畳まれた、しわくちゃな新聞。
隅に居る、ウィザードの男が読んでいた物だ。

「…あの娘が、ココを出て行く寸前まで読んでたモノだ。
 この握り潰し方といい、何かきっかけになる記事があったのかもしれないぜ」

渋いながらも、凛とした声。
それを聞いて、ウェイトレスも手を叩く。

「あ、そう言えば…私が食事を運んだ時は、おかしな様子じゃなかったのに。
 その後、この新聞に目を通して…それから急に、席を立った気がするよ!」

ユーニスは、慌てて新聞を開いた。
ミアンに繋がりそうな見出しを、次々と拾い読んでいく。
これは違う…これは関係なさそう…と、読み進めるうちに、はたと目に留まる写真があった。

「あ…これ…!?」

そこには『今週のMVP』として…黄金蟲を倒したという、ある冒険者達が紹介されていた。
ギルド、『アズライト・フォーチュン』の面々の中心にいる、アーチャーの少女。
愛らしい微笑みを見せるその少女の名は、『ロリアーリュ・ガーランド・ヴィエント』と紹介されていた。

「ん?その冒険者たち、見知っているのかい?」
「いえ、私は知らないのですが…同郷で、同じ時期にアーチャーになった人が居るって、
 聞いたことがあるんです…」

さらに言えば…ミアンの寝言で、『ロリア』という名を聞いたことがあった。
恐らく間違いない。彼女はこの記事でロリアを見た事がきっかけになって、急に出立したのだ…。
だが…その、直接的な理由となると、分からない。
懐かしさで会いたいと思ったにしても、何も慌てて行く必要など無い。
無論、自分と離れる事そのものが目的で姿を消した…とも考えられるが、
冷静になってみれば、やはり最近のミアンにそんな刺々しさは無かったと思える。
自分が邪魔になったのなら、力不足だと思うのなら…むしろ、面と向かって口にするのがミアンという少女だ。
この唐突さは…ミアンにしか分からない、何かが働いたのではないか?
ユーニスはそう思うに至り、決心を新たにした。

「私…まだ、ミアンさんとパーティを組んでいるんです。そう、思いたいんです。
 何の説明も無く、勝手に解消するなんて…やっぱり、納得いきません。
 もう一度会って…話をしたいんです」
「…ふふ、新しい旅に出ようって時は、そういう顔をしなくちゃね」

ウェイトレスは嬉しげに微笑んだ。

「で、具体的にはどうするの?」
「ミアンさんが何処へ行って、何をしようとしているのか…見当もつきません。
 でも、この…ロリアさんという、恐らく同郷の方なら、ミアンさんの事を良く知ってるんじゃないかと…。
 幸いイズルードにいらっしゃるみたいですし、会いに行ってみます!」

ユーニスの目に、生き生きとした光が戻った。
同時に、何故か…隅に座ってる男の目も光った。

(そう…もう一度ミアンさんに会って、それで自分が要らないと言われれば、それでも構わない。
 でも、こんな唐突な別れだけは、絶対に嫌…!)

ミアンは追ってくるなとも、もう会わないとも、書き残していない。
それは、たとえ根拠が無いとしても…ユーニスとの再会を拒否していない、と解釈した。

「そうねー、あんたに立て替えさせた食事代も、返して貰わなきゃね」

そう言って笑うウェイトレスに、ユーニスもようやく笑顔を返す事ができた。
…と、隅で話を聞いていたウィザードが立ち上がり、近づいてくる。
帽子を取ったその顔は無精髭がやや目立ったものの、なかなか精悍な顔をしていた。
年の頃は二十台前半、といった所だろうか…。

「君…ユーニス、と言ったな。イズルードまで、護衛が必要なんじゃないか?
 良かったら、俺を雇わないか?」

あまりに唐突な申し出に、ユーニスは面食らう。
が…ウェイトレスは呆れた顔で、深い溜息をついた。

「…ちょっと、お止しよ。こんな若い娘にたかってさあ…」
「黙ってろっての…俺はまあ、見た通りのウィザードだ。
 風の魔法を使わせたら、そこらの魔術師連中よりウデが立つ。
 そんな俺に無いモノと言えば、手持ちの現金くらいだ」
「は、はぁ…」

ユーニスは返答に困って、ウェイトレスの顔を見た。

「こいつはカーヴィッシュって言って、地元出身のウィザード。一応、私の幼馴染。
 でもまあ、ボケてるというか…人がいいというかねぇ…。
 さっきも言ったろ…一緒に居た冒険者に、持ち物盗まれて逃げられたヤツがいるって」
「ほ、本当ですか」

今度はユーニスが驚きの顔を向けると、カーヴィッシュは気まずげに顔を伏せた。

「ま、まあ…確かな事実だ。商人とシーフの二人組でな、冒険中はそんな素振りなかったのだが…。
 俺としたことが、正体を見抜けなかった。情けない」
「ほーんと、情けないったらありゃしない!」

ウェイトレスは呆れ気味に言うが、カーヴィッシュの目は真剣だ。

「…実はイズルードに友人が居て、ちょっとした貸しがある。
 会えば、ある程度の装備を整えられるだけの金を、手にすることが出来るはずなんだ。
 だが…今は、イズルードを訪れるだけの手持ちも無い。
 魔物狩りをして稼ごうにも、回復剤や道具の用意すらできない状況なんだ…。
 …そこのウェイトレスは、びた一文貸してくれはしないしな」
「当たり前でしょ、こっちは商売人よ?」
「同郷のよしみ、情けというものがあっても良いだろうに」
「その台詞、聞き飽きたわよ…貸す先から騙し取られて、もう呆れ果てたって」
「わ…わかりました、わかりました!」

険悪になりかけた二人の空気を払うように…ユーニスは手をぶんぶん、と振る。

「えと…カーヴィッシュ、さんですね。一緒にイズルードに行きましょう!
カプラサービスでプロンテラまで行けば、一日の距離ですけど…その間、護衛して下さい!」

これはもう、ユーニスが勝手に折れた、と言ってよい。
プロンテラ周辺に、今の彼女が苦にするような魔物など居ないのだから、そもそも護衛が成り立たない。
単に、カーヴィッシュの境遇をユーニスが哀れんだが故の受諾である。

「すまない…恩に着る。移動経費と、食事代だけ出して貰えればいい。
 君がその、ロリアという娘に会えるまで、全ての脅威から全力で守る事を誓う」
「あ…は、はい。よろしく、お願いします、カーヴィッシュさん」

大仰な言い様に、ユーニスはたじろぐ。
だが、短い間とは言え、連れ合いが出来ることに安心感を感じたのも確かだったし、
この青年なら、何となく信じられそうな気がしたのだった。

「言い難い名前だろう?…カーシュ、と呼んでくれていい」
「…は、はい。カーシュさん、ですね」
「ま、この性格だから…あんたが騙されたり、危ない目に会う事は無いさ。あたしが保証するよ。
 せいぜいこき使ってやってよ、ここんとこ毎日酒ばっか飲んでボケーッとしてたからさ!」
「ふん、水で薄めた酒なんかで酔えるか」
「そういう事は、お代を払ってから言いなさいよね」
「ああっ、や、やめましょうよ…!」

ミアンが去り、ひとりになると思っていたユーニスに、意外な連れ合いが出来た。
冒険者である事は、出会いと別れの連続である…と、訓練場の講師が言っていたのを思い出す。
この場合の『別れ』には、二つの意味がある。
ひとつは再会する事の出来るもの…もうひとつは、もう二度と会うことの出来ない『別れ』だ。
だが、ユーニスはミアンとの別れを、永遠にするつもりなどは無い。

(きっと、この人に会えば…何か分かるに違いない…!)

ユーニスは写真の中で微笑む、若草色の髪の少女を見詰めた。
…目指すは、イズルード。






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