HyperLolia:InnocentHeart
−空中都市ジュノー−
025:Juno


岩陰に身を滑らせ、早鐘を打つ胸を手で抑える。
流し目で矢筒の中の残量を確認すると、すぐに視線は闇の彼方へと飛んだ。
木々の隙間から見えた空は薄白いグラデーションを描きつつあり、星の輝きを飲み込み始めている。
朝が来た、という状況を特別気に留める事もなく、少女は鋭い視線を崩そうとしない。
やがて、眼前に累々と転がった魔物の死骸…ポイズンスポアの更なる襲撃は無い、そう判断して深く息を吐く。
手に張り付いていた弓が地面に落ち、乾いた音を立てて横たわった。

フェイヨン南東…大きな台地が特徴的な深い森の中で、ミアンは一人、戦い続けていた。

携行したポーションを取り出しながら、もう残量が少ない事に舌打ちをする。
栓を片手で器用に開けると、両目を強く閉じたまま一気に飲み干した。
とても美味とは言えないが、肉体疲労には効果的な薬であり、冒険者御用達の必需品である。
しかし、夜半の戦闘開始から数時間…身体の疲れは誤魔化せても、睡眠不足の目や頭が機能低下しているのは明白だった。
そもそも単身この地を訪れて、自ら修練と冠した戦いを始めてから、満足な休養と呼べる時間など皆無に等しい。
きっと、今の自分の顔は相当酷いのだろうとミアンは思う。
鞄の中に手鏡はあったが、わざわざ取り出して確認するほどの興味は無い。
このまま倒れ込み、泥のように眠りたい衝動に駆られるが、そうしないだけの判断力くらいはまだ残っている。

以前、ミョルニールの森でも何度か戦った経験があるはずのポイズンスポア。
『雑魚』と認識していた相手にこうも苦戦する事で、今更ながらユーニスという前衛の存在の大きさを思い知らされる。
彼女と共に何度も魔物を蹴散らし、圧倒し、余裕さえ感じた戦いの中で、
ミアン自身の実力は、どれほどの役割を占めていたのだろうかと考えてしまう。
半分か…いや、それ以下かもしれない。
彼女はいつも傷を受け、泥をかぶり、それでも怯む事無く前に出て剣を振っていた。

(…甘えていたのは、私か)

ロリア、フリーテ…その仲間達、そしてユーニス。
その資質はもちろん実力においても自分が劣る訳が無いと、理由も無く確信していたミアンにとって、
ロリア一行のMVP獲得というショックを受け、発奮しての一人修練の旅であった。
だが、ユーニスの不在による予想以上の苦戦続きに、焦りと苛立ちを募らせるばかりの日々が続いている。

しかし、それでもユーニスと共に居れば良かった…という後悔だけは、皆無である。
共に居た時間の中で、薄々感じていた。
あの娘は、自分と共に歩んでいくような冒険者ではない、と。
殺気に乏しく、どこか穏やかで、素直で正直者すぎて…冒険者に似つかわしくないのだ。
彼女と居てしまえば…今までがそうだったように、あの穏やかさに自分が包まれてしまう。
それを拒否し、ミアンが自分を保ち続けようとすれば、今度はユーニスを自分の激情で染めるしかないのだ。

(…そんな事、出来るわけないじゃない)

ミアンは自分が、利己的な欲望と一方的な嫌悪を糧に冒険者をしていると自覚している。
それが『良くない』などと考えた事も無く、そういう者の方が偽善者よりよっぽど理解できるとさえ思える。
…だが、そんな性質の人間は、僅かでいい。
剥き出しの欲望と敵意を露に相争う世界より、偽善でも平穏であり続ける世界の方がよっぽどマシなのだから。
ただ、そんな安寧はミアンの性に合わないというだけだ。
そう考える自分に、たまたま知り合っただけのユーニスを付き合わせる権利も、理由も無い。

今頃、彼女はどうしているだろうか。
自分が黙って消えた事に、少なからずショックは受けた事だろう。
まさか、ミッドガルド全土を自分を探して訪ね歩くような真似はしないだろうが…。
装備を整えるだけのお金は残しておいたし、自分など忘れて、新たな旅に出ていると思いたい。
願わくば、彼女の素直さを真摯に受け止めてくれる仲間に巡り合えれば良いが。
そう、例えば…。

「…ふふッ」

ミアンは思わず、笑みを零した。
…まさか、『あの娘』の顔を思い浮かべるとは、自分でも予想外だったからだ。

その時。
耳に飛び込んできた、草を踏み分ける不自然なさざめきに、ミアンは反射的に弓を拾った。
この地に来てから、何度も聞いた…毒茸の魔物が迫る音。
左手を矢筒に突っ込み、二本を指の間に挟みこんで引き抜く。
舌なめずりをしながら、鈍い頭の中の思考を闘争心だけで塗りつぶしていく。
矢を番え、森の奥から姿を現した紫の魔物へと、先制攻撃の照準を向けた。

「見てなさいッ…」

無意識の呟きが、誰に向けられたものなのか、ミアン自身にも分からなかった。
孤独な戦いは、続く。




「うわぁ…」

ロリアは初めて立つ、隣国の首都…ジュノーの光景に、言葉を失っていた。
アルデバランに達した一行はカプラサービスを利用し、遥か北のこの地まで、転送でやって来たのだ。

その都市は広大で、整然としつつも、長い歴史を感じさせる彫刻や建造物が贅沢に立ち並び、
塵すら散見できないほど美しい街路は、まるでここが物語の中の異世界のようにすら感じさせる。
さらに、限りなく広がる空は、ただ純粋な『青』だけで染め上げられ、その深さは目に眩しい。
優雅にたなびく雲の群れは全て、この空中都市の下を流れているのだ。
そして、特に印象的なのは、街のあちこちに点在する魔法陣であった。
定期的に明滅し、空に負けないくらいの青く輝く粒子を吹き上げるそれは、幻想的な景色を形作っている。

美しい…青の街。
それが、ロリアのジュノーへの第一印象だった。

「どーしたの、ボーッとしちゃって」

クアトの上目遣いに覗き込まれ、ようやく我に返る。
苦笑いしながらも、ロリアはまだ、物珍しい光景から目を離せなかった。

「…いや、あはは…何だか、すごく綺麗な所だなあって…」
「まあ、ミッドガルドでも随一の美しい街だって言われてるしね。
 こうして目の当たりにすると、なるほど納得って感じ」
「ほらほら、この石造りの路なんかも、すごい綺麗だよ。
 こんなに大きい街なのに、掃除が行き届いているよねえ」
「誰かが清掃をしている訳では無いが、な」

荷物をまとめ、エクセリオンに積み込んでいたオリオールが横に並ぶ。
ジュノーは冒険者の装備状態での出入りも容認しているが、
街の中では軽装が良かろうという事で、各人の武器等は外し、彼がまとめていた。

「オリオールさん?」
「ジュノーは知っての通りの『浮遊都市』で、山や雲をも見下ろす高度に位置している。
 それはつまり、あらゆる風の通り道に晒されるという事でもある」
「なるほど、季節風とかの強い風が通るせいで、塵が飛ばされてるって事?」
「その通り…だが年に数人、風で地上へ飛ばされる事故が起きるほどの、強風も起きる。
 しかも発生時期等の正確な予測も難しい為、これはジュノーの慢性的な安全問題なのだが…。
 対策は難しい為、首都を冠している街の割に、あまり人が住みたがらない理由でもあるな」
「言われてみれば…街の大きさに対して、人が極端に少ないような…」
「常に空気が乾いており、降雨も無い為、古文書等の保管には最適な環境ではある。
 その為、歴史研究家達には好んで住む者も多い。
 ま…彼らは書斎に引き篭もって、外の風など気に病む暇も無いだろうしな」

そう言って口を尖らせたオリオールに、ロリアとクアトは顔を見合わせる。
研究家の居る街として、ジュノー行きを最初に提案したのはオリオールだが、
この口調を聞くに、そういう類の人物に、あまり良い印象は無いようだ…と、ロリアは思った。
ロリア自身も理由無く、研究家は偏屈で頑固…などというイメージを持ってはいるが、
こちらから話を伺う立場な以上、先入観から入るのは良くないと心の中で呟いた。

「あの…あそこの二人は、何をしているんですか?」

エクセリオンの手綱を引き、それまで黙って話に聞き入っていたフリーテの声。
一行の視線の向こう、立ち上っては消えていく、青い光。
まるで、不思議な泉のようにも思える魔方陣のほとりで、アイネとメモクラムはしゃがみ込んでいた。

「んー…やっぱりマナだよなぁ、この感じ。
 でも、何か違うかなぁ…」
「精霊の気配もないのに、これだけの量が放出されてるのって…。
 どういう仕組みなのかしら」

物珍しそうに、光に手をかざしたり、魔方陣を撫でてみたりする二人に、
ロリア達は呆れながら近づいていく。

「ちょっとアイネ、そんな地べたにくっついて…恥ずかしいから止めなさいって」
「誰も見てないからいいじゃん、別に…それよりコレ、何なの?」
「アコライトとマジシャンが分からない魔法の事を、私に聞かれても」
「そりゃそーだね。こういう時は…」

アイネがオリオールをじっと見詰める。
暗に解説をせがまれてると察するや、オリオールはひとつ咳払いをした。
期待通りの反応に、アイネもにっこりと笑う。

「…その魔方陣から放出されているのは、マナ『らしい』のだが、
 我々が知り、魔術師や神官が魔法に用いる物とは性質がかなり違うらしい。
 この余剰とも言える放出マナを有効利用しようとする学者も居るらしいが、
 まだ実用に足る成果は無いと聞く」
「らしい?余剰?…ど、どういうこと?」
「そもそも、精霊が生み出し、自然界の元素に依存して存在するのが、マナなのだが…。
 このジュノーの地下深くから湧き出してくるそれは、素性からして異なる。
 都市を空中に浮かべるだけは持て余し、こうして拡散させなければならないらしい。
 さらに数百、数千年…いや、もっと遥か昔から、尽きる事の無い魔力を放出し続けているとか」
「じゃ、もしこの魔方陣を封じていったら、この街は…」
「可能かどうかはともかく…恐らく、天高く昇って消えてしまうかもしれないな。
 今現在、マナを放出する『それ』が何なのかを知る人間は、この世に居ないとさえ言われているが、
 識者の間では『ユミルの心臓』と呼ばれている」
「ユミル…?太古の神話に出てくる、巨人ですね」

フリーテが頬に指を当てて、思い出すように呟いた。
ロリアやアイネも遠い昔、子供の頃に聞いた童話や御伽噺の中に、その名の覚えがあった。

「うむ…神話との関わりは、実際の所は分からない。
 だが、そんな物々しい名を冠するほどの、強大な魔力を含有する歴史の遺物がこの地下に有り、
 それをシュバルツバルドという国が永きに渡り独占し、争いの種になり続けている…それは、事実だ」
「そんなものが、ここに…」

…人知を超えたもの。
魔物の存在もそうだが、改めて世界には驚かされる事があるものだと、ロリアは思う。

(…そう考えると、これは、『たった千年』なのかもしれないね…)

胸元の蒼い紋章に、そっと服の上から触れる。
まだ十六年しか生きていないロリアに、千年という概念はあまりにも漠然としすぎていたが、
それだけの時を経た存在が目の前にあるという現実に、思いを馳せる事を止められなかった。

「…争い?って事は、やっぱココも昔は戦争に巻き込まれたの?
 空に浮いてるんだし、安全そうだけどなぁ」

アイネにしては珍しく、歴史に興味のある顔を見せた。
かつて、学校の授業では教科書を涎でふやかすばかりの彼女であったが、
ロリアと同じく、やはり実際に動く遺物を目の当たりにすると、好奇心が騒いで仕方が無いようだった。

「うむ…古い歴史は判らないが、少なくとも千年前頃…聖戦時代のジュノーは空中要塞と呼ばれ、
 難攻不落の名を欲しいままにした。
 それは浮遊都市という環境ならではの戦術と、セージと呼ばれる魔法戦士の存在が大きかったのだが…。
 …と、いい加減、講釈が長くなりすぎだな。
 興味があれば、また夜にでも話す事にして、そろそろ宿の確保に行くべきではないだろうか?」
「えー」

アイネは声で、黙って耳を傾けていたメモクラムは冷ややかな視線を向けたことで、
この二人は話を打ち切られた事を残念だ…という表明をした。
だが、オリオールの正論の前には道端説明会続行の空気は薄く、宿を求めることで意見の一致を見た。

「宿に着いて一息入れたら、私の知り合いの冒険者を尋ねてみようと思う。
 …まあ、放蕩癖があるので、居るかどうか分からないが…。
 上手くすれば、それなりの話を聞けるか、歴史に詳しい人物を紹介してくれるだろう」

オリオールの段取りに、一同は頷いた。
彼を先頭に、フリーテ、クアト、メモクラム、そしてロリアが続き、最後尾をアイネが付いてくる。
ロリアは物珍しそうにきょろきょろと、落ち着きの無い妹に並んだ。

「…アイネ、オリオールさんを『説明お兄さん』か何かだと思ってない?」
「あ、あはは。だって、聞いたら何でも答えてくれるしさ…」
「まあ、確かに私達の知らない事、いっぱい知っているけどね」
「私、分からない事はすぐに解消しないと気持ち悪いんだもん」

アイネらしいな…とロリアは思う。
もっとも、オリオールの『説明好き』は今までの同行で十分感じていたし、
むしろ積極的に謎をぶつけて来てくれる存在に、彼も喜んでいるのかもしれない。

「…うむ、ユミルは巨人という姿が定説だが、伝承によっては少女であったり、
 はたまた羽根の生えた獣であったりと、様々で…」

気付けば、先頭でフリーテに何かの説明をしているオリオールの声。

「あはっ、またやってる」

それを見て、意地悪そうに含み笑うアイネ。
ロリアは軽く彼女の頭を叩いてたしなめつつも、自分も頬が緩むのを止められなかった。




ユーニスは、踏み込んだ土地の色が今までと違うことに、反射的に歩みを止めた。
枯れ草ばかりが点在して生え、乾き、ひび割れた黒い地表。
それまで踏破してきたミョルニール山脈の、草木の匂いや湿気などは、微塵も感じられない。

「…おっと、もうこんな所か。
 何とか今日中には、アルデバランに入れそうだな」

その後ろから魔術師装束の男が現れ、ユーニスに並び、そう言って息をつくと、
水筒の栓を空け、中味を飲み干した。

…ロリア一行を追う、ユーニスとカーシュ。
二人は昼夜を問わない強行軍による、恐るべき速さにより、アルデバランまで半日の距離にあった。

カーシュが慌ててイズルードを出た夜、二人はプロンテラ北の迷いの森の近くで再会した。
ユーニスのキャンプの光を捉えられたこその幸運もあり、これが昼間ならすれ違っていた可能性もある。
彼女がカーシュの装備を進呈したのに深謀などある訳がなく、むしろ同行を申し出る彼に恐縮し、
頑なな遠慮を続ける彼女に、カーシュはその理由の半分以上を嘘で補完しなければならなかった。

「カーシュさん、この土地は…」
「ああ、見通しが良すぎるから気をつけろよ。
 最も…背高のカマキリ野郎だから、こっちが見つけるのも早いけどな」
「はい、分かりました。
 でも…この土地の色といい、何か変な雰囲気が漂っていますね、ここ…」
「ん…?あぁ、そっか…さすがに知らないか。
 三十年くらい前だかの、時計塔の地下から沸いた魔物をやっつけた…って戦いの話は、したよな?」
「はい、昨夜に」
「これは…その『傷跡』さ。
 塔を封印して退路を断ちつつ、一気に奴らを殲滅しようってんで、この盆地に化け物をご案内してな。
 名だたる魔術師が、一斉に高位攻撃魔法を浴びせた…って訳だ。
 事態の収拾には成功したが…膨大な魔力が交錯した影響で、ここはご覧の通りの不毛の地だ」

ユーニスは、思わず唇を噛んだ。
魔物が、人に仇名す宿敵であり、倒さねばならない存在だとは分かる。
だが…その為にこうして大地を、自然を破壊する事を、誰が許してくれるのだろうか…?
勿論、人が魔との戦いに勝利する事が、最優先事項なのだとは思う。
それでも…人が自らの生きる世界をこうも破壊してしまう力を持ち、それを行使するという事に、
ユーニスは不安にも似た、小さな懸念を抱かずにはいられないのだった。

「人が…世界を破壊するなんて」

そんな彼女の呟きに、カーシュは短く口笛を吹いた。

「ははッ…世界とは、また大きく出たな。
 奴らは手段を選ばない…空を飛ぶ、火を噴く、姿を消す、何でもアリだ。
 そんな異形に俺達、か弱い人間が立ち向かうには…こっちも手段なんか選んでいられんよ」
「それが、世界にどんな大きな傷跡を残そうとも…ですか?」
「ああ、そうだ。世界を癒す方法なんか、平和が訪れた時に誰かが考えればいい。
 ユーニス、今は戦いの時代だ。武器を、魔法を手にした俺達は、奴らを倒すことが生きる事なんだ。
 こんな時代に…生き延びる事以外を考えようとすると、命がいくつあっても足りやしない。
 …と、俺はそう思うけど…な」

カーシュの言う事は、正論だ。
一介の駆け出し冒険者であるユーニスが、憂えてどうにかなるような規模の話ではない。
見慣れぬ不毛の地の光景に中てられたにしても、考えすぎか…と彼女は頭を振った。

「…来たぜ」

彼の舌打ちと共に発せられた呟きに、顔を上げる。
ユーニスを遥かに見下ろす巨躯、両腕から弧を描いて伸びる鎌。
色の無い複眼はこちらを見ているかどうかさえ判らない。
しかし今、その四つの足は枯れ草を踏み分けながら、確実に近づいて来ていた。
その数、二体。

「先を取りますッ!」

ミョルニールの山中でも、二人が何度か戦った相手である。
ユーニスは腰の鞘からファルシオンを抜刀すると、気合の入った強い声でそう宣した。

「よしッ、俺は後ろの奴から仕留める!」
「了解です!」

実際の所、カーシュが想定していたより、このユーニスという少女は強かった。
剣術、攻防のひとつひとつを見れば、確かに未熟な部分は散見できたが、
後衛を置いての、前衛としての位置取りや状況判断には光るものがある。

そういえば、探している娘はアーチャーだったかと思いつつも、カーシュとの相性も決して悪くない。
また、主導権をこちらに渡し、指示に従って確実に動いてくれるのも戦い易い一因だった。
剣士や騎士にありがちな、自らの腕を頼むような傲慢さは、彼女には皆無なのである。
ユーニスの、自分が『弱い』事を知っているからこその謙虚さは、ある意味では強い武器とも言えた。

(だが…この娘は、一人で難局を迎えた時、戦えるのか?
 誰かの指示…依存するような関係下でしか、力を出せないとしたら、それは…)

「行きますッ!」

凛とした声に、カーシュの思索は遮られた。
そう…それは、自分が心配するような事ではない。
剣士として、冒険者として…ユーニス自身が乗り越えていくべき課題であろう。
そして、その成長を見届けるのは、自分ではなくミアンという少女なのだろう。
何故なら、俺は。

(さて…俺は、何故、この娘を追いかけて来てしまったんだ…?)

ふと、思いついた疑問はあまりにも『今更』過ぎて、
カーシュはスペルを唱えながら、そんな自分の可笑しさに、肩を上下させた。




閑古鳥が巣穴にしているような、埃っぽいロビーに、メモクラムが露骨に眉を顰めたものの、
その冒険者向けホテルの料金設定は彼女らにとって、何よりの選択条件だったと言える。
二つ取った部屋はいずれも簡素だが広く、当初の不安以上に上等な部屋だった為、
各人の荷物を部屋に運び込んだ後、落ち着く間もなく動き出しのは決して宿の環境のせいでは、無い。
ロリアのそわそわとした仕草に、オリオールはこっそり苦笑した。

結局、彼の旧知の知人を訪ねるのはロリア、オリオール、フリーテの三人。
クアトとアイネは、食料品や消耗品の調達の為、市場の立つ街の南東部へ。
メモクラムは疲れたからと、そっけない態度でベッドに身を投げ出した。
留守番は置いた方が良いと誰もが思っていたので、特に反対の声も無く、こうして人員配置は決まった。

…そして今、ロリア達三人はジュノー東部にある、古びた一軒の家の前に居た。
オリオールが手甲をぶつけるように、わざと大きなノックをしてみせる。
二度三度、白塗りのドアがほんの少しへこんだが、彼は気にする様子もなく、口を一文字に結んだ。

「………ふむ、居ないみたいだな。まあ、彼女がここに居る方が珍しいか…」
「こちらの方は、どういう方なんですか?」

後ろに控えるフリーテが、小首を傾げる。
諦めの息を漏らしながらドアを背にしたオリオールは、何故か苦笑いを浮かべた。

「一応、冒険者なんだが…ウィザードで、名をメイヤーと言う。
 魔術師としても一目置かれる才能があるのだが、いかんせん変わり者でな…。
 遺跡や古代のアイテムなどに目が無く、自称探検家を気取って方々を飛び回っている有様だ」
「へえ、面白い方ですね」

興味深げに微笑むロリアだが、実際の人物を知らないからそういう顔が出来る…と、オリオールは内心一人ごちた。
彼女に請われ、半ば警護の立場で何度か共に旅した事があるが、いずれも思い出したくない記憶だ。
とかく、目の前の発見に囚われ、危機管理がまるでなってない。
守られる側の心構え…というものを理解しない彼女は、いつか痛い目に遭うに違いない、とさえ思う。

「まあ………そういう訳で、その『紋章』について何かを知っているかもしれないし、
 知らなくとも見せれば、喜び勇んで調べてくれるものだと思っていたんだが。さすがに留守となれば、な」
「仕方ありませんね」
「それじゃ、どうしよう?何か、他に調べる方法って、ありますか?」
「そうだな…とりあえず、図書館にでも行ってみるか」
「と…図書館、ですかっ!?」

オリオールが口にした単語に、フリーテの瞳がみるみる輝きを増していく。
剣士として修羅場を何度も経験してきても、フェイヨンの田舎娘だった頃の本好きはそのままであった。

「ああ…持ち出し厳禁だが、閲覧なら一般人にも許可されているはずだ。
 あそこの膨大な書庫の中になら、何かしら参考になる文献があるに違いない。
 もっとも、それこそ人海戦術で調べる事になる…他の面子にも手伝って欲しい所だが、
 まずは様子見…歴史、聖戦、紋章、英雄関係の資料がある書架をチェックした上で、
 明日以降、皆で調べるというのはどうだろうか?」

あの図書館の蔵書規模を考えれば、たった三人で捗る調べ物とは思えないオリオールだったが、
ここはロリアやフリーテのやる気を尊重したい、と思っての提案だった。

「そうですね…何も無しで帰るのもアレだし。行ってみよっか、ふーちゃん?」
「はい!私、図書館なんて何年ぶりか…楽しみです!」
「おいおい、何をしに行くか分かっているのかね」
「も、もちろんですよ!さあ、早く行きましょう、ろりあん、オリオールさん!」
「急がなくても、本は逃げないよー」

すっかり舞い上がったフリーテの様子に、思わず顔を見合わせて笑う二人。
足取りも軽く、主の居ないメイヤー邸を後にした。




その頃、クアトとアイネはジュノーの市場街を落ち着き無く歩いていた。
この街特有の武器防具を、クアトは唸りながら眺め回していたし、
プロンテラに比べればはるかに少ない冒険商人の露店だったが、
やはりこの街向けの珍品を売る店が多く、その物珍しさはアイネをも楽しませていた。

「ふわー、すごいなコレ」

回転式レバーによる、矢の自動連続発射機構が付いたクロスボウを手にして、クアトの瞳は輝いていた。

「おっ!お譲ちゃん、お目が高い!
 我らがジュノーの輝かしい国防の歴史で語られる、伝統あるガトリング・クロスボウだよ。
 南部の人間は、連弩とも呼ぶがね。ここでしか製造販売されていない、逸品さ。
 お仲間にアーチャーやハンターが居るのなら、絶対お勧めだよ!」
「むむぅ、ロリアに買っていったら…いやいや、お金がなぁ…」

店主のセールストークに、悩むクアト。
イズルード出立時の装備調達と転送費用で、かなりの出費を強いられた彼女たちであったが、
ここに至るまでの戦闘で収集品を回収し、所持金は微増といったところだった。
ただ、クアトはロリア達の仲間になった時の『契約』により…いわゆるポケットマネー、
彼女が自由に出来る資金をそれなりに抱えている。
無論、これは将来的にスノウ商会を立て直すための種銭であり、彼女自身が必要でも、そう易々と手を出せるものではない。
しかし、六人のうち自分だけがこういう形で『益』を得ている事にやや後ろめたさもあり、
また、共に戦っているうちにパーティの装備の脆弱さに気付けば、それを見過ごせないクアトでもある。

各人が未熟さを抱えてはいるのだが、特にロリアの『突撃癖』は治る気配が無い。
矢が尽きたり、射線が取れないとなれば、相変わらず特注の短剣付きクロスボウで突撃する有様であった。
フリーテが二振りの剣を腰にし、万一落とした時などには素早くもう一方を抜刀するように、
ロリアにももう一つ、弓の用意が必要なのではないかと思っていた所だった。
この連弩は一度矢が切れると装填の手間はかかるが、緊急的に使用するに扱いやすく、
何より大型になりがちな弓の中でも、コンパクトな所がクアトの気に入った所である。

「…おっ、重いぃぃぃ!!」

隣では、試着用のグリーブを履いたアイネが、顔を赤くしながらのろのろと歩いていた。

「ちょっと、お嬢ちゃん!そいつは聖騎士特注品で、しかも男性用だ!あんたにゃ無理だよ!」

慌てて、そのまま倒れそうなアイネを支えに行く店主。
クアトはその様子に苦笑いしつつも、改めて手にした連弩を眺め回す。
(…ロリアが戦いに生き残る確立を上げるって事は、すなわち、私の利益になるって事だもんね)
そんな風に、自分自身に変に言い訳がましいのは自分らしくないと思いながらも、晴ればれとした笑顔で声を上げた。

「おじさん、これ買うよ!矢ぐらいはサービスしてくれるよね!?」




館内は少し寒さを感じるような、粛々とした空気に包まれており、ロリアは何となしに居心地の悪さを感じた。
そうそう閲覧者など居ないのだろう、棚のへりは厚い埃の堆積層が出来ており、所々に本が引き抜かれた後を残している。
実際、ロリア達を除いては受付に初老の男性が居るのみで、後は漂う埃と午後の光が館内を満たしていた。

「…すごい、ですねぇ」

フリーテは感想を言いながら、自分もありきたりな事を口にするものだと思ったが、それ以外の形容が無かった。
それはロリアも同じで、高い天井へ向かって塔のように書架が立ち並び、
そこにびっしりと古書が詰まっている様には圧倒され、積み重ねられた歴史の威圧感…のようなものも覚える。
同時に、それらは雑然と集められ『保管』されているだけに見える、言わば墓場のような空気をも漂わせていた。

『過去』とは、このような扱いを受けていいものなのだろうか、とロリアは思う。
千年前の、聖戦時代の記録はほとんど残っていないものだと聞いた。
それは大きな戦いの後の混乱もあっただろうし、戦火で失ったものも多いのだろう。
だからこそ…この貴重な資料の山の扱いを雑に感じたロリアであったが、
自らが持つ、英雄の名を残したミドルネームが廃れていくように、
ミッドガルドの人々が『過去』を急速に捨て去ろうという意思を、ここに来て初めて強く感じるのだった。

それは、忌まわしい戦いの傷跡から、必死で目を背けようとする弱さの表れなのか。
それとも、常に革新へと向かって前を見据えようとする強さ故なのか。
心に湧き上がった途方もない疑問に、ロリアは答えることが出来なかった。

「さて…こいつは、参ったな」

首を傾げるオリオールの声に、ロリアは我に返る。

「私も、自ら調べ物をするのは、初めてでね。
 件のメイヤーに付き添って来た事はあるのだが、どうやら彼女はここの構造を熟知していたようだな。
 自分の欲しい資料を難なく探し当てていたものだが…これは、そう簡単にはいかないようだ」
「表紙に何も書いてないものも、多いですし…これは、ちょっと骨が折れますね」

そう言うフリーテの声が、むしろ弾んでいることに、ロリアは苦笑いする。

「仕方ないですね、数撃ちゃ当たるって言いますし」
「とても、アーチャーの台詞ではないな。だが、やるしかなかろう」
「そうですね…あ…」
「ん?どうしたの、ふーちゃん」

視線を止めたままのフリーテに習うように、他の二人もその先を注視する。
窓からの柔らかい光の中に、数冊の本を抱えた人の姿があった。

まず、目を引いたのは繊細な輝きを振りまく銀髪だった。
それはフリーテのような青さの無い、銀糸と形容するのが似合う、豪奢なものだ。
肩で切りそろえられていた為、一瞬、少年のような印象を与えるが、
露出の多い装束のラインは、まだ未成熟ながらも、自らが少女である事を主張していた。
また、それはメモクラムとほぼ同一の意匠であり、彼女が何らかの魔法職であることを表してもいる。
そして、片眼鏡を掛けた瞳は真紅に輝き、美しさと共に異彩を放っていた。

フリーテは何時だったか読んだ、昔の新聞のコラム記事を思い出した。
シュバルツバルドの都市、アインブロックの急速な工業化による汚染廃棄物質が原因で、
二十年ほど前から北方で生まれる子供に、色素欠乏症を生じるケースが多いという話を。
結局、アインブロックは工業汚染の事実を認めなかったし、そういう子供たちは虚弱体質である事が多いので、
自然と人々が目にすることは少なく、この件そのものが世間から忘れられていった。
こうして冒険者然としている姿を見るのは、少なくともフリーテには初めてで、少々の驚きがあった。

「こんにちは…ここは、初めて方々ですか?」

不思議そうに三人を見詰めた銀髪の少女は、小首を傾げてみせる。

「あ…ご、ごめんなさい」

いの一番に我に返ったフリーテが、頭を下げる。
珍しいものを見るような態度は、たとえその気が無くても、気分の良いものでは無いだろう。
かつて、北方生まれ特有の容姿を揶揄された経験が、フリーテにもあるがゆえに、理解できる。

「いえ…皆さんは、何か調べ物ですか?」
「あ、ああ。そうなんだが、さすがに今は、お手上げ状態でね…君も、冒険者のようだが?」

近寄ってきた少女は硝子細工のように華奢で、ロリアはその雰囲気に目を奪われたままだった。
オリオールと会話しながら、ちらと視線を向けられた事も気付かないほどに。

「ご挨拶が遅れました…私はラビティ・グラン・オヴェリアスと申します。
 普段はいち冒険者として放浪と鍛錬の身なのですが、魔導研究家の助手などをしている者です。
 余暇には、この図書館で司書として臨時雇用して頂いてます」
「こちらこそ申し遅れた。私は自由騎士、オリオールと呼んで貰いたい」
「フリーテ・エルシュタインと申します」
「は、はじめまして…ロリアーリュ・ガーランド・ヴィエントです…」

ロリアの名を聞き、ラビティと名乗った少女は動きの少ない表情を、少しだけ綻ばせた。

「ガーランド…あの弓騎士、ロンテ・ガーランドの…。
 まさか、聖戦の英雄の末裔にお会いできるとは、嬉しいですね。
 私の祖先…アルタ・グランはロンテと共に、グラストヘイム城の門を一番に破ったと、古書にあります。
 こうして私たちがお会いするのも、何かの縁かもしれませんね」

しみじみと語るラビティに、全員が声を出せなかった。
グランという聖戦時代の人物についても、ロンテとの関係も、まるで初耳なのだから仕方が無い。
…だが同時に、このラビティという少女が歴史に精通していると、誰もが納得の一言だった。
そういう事なら…と、オリオールは話を切り出した。

「ラビティ君、だったな…君は、聖戦時代の歴史に詳しそうだが」
「いえ、それほどでも…普段は冒険者生活ですし…。
 何か、お調べしたい事があるなら、可能な範囲でお手伝いしますけど?」
「ああ、是非にお願いしたい。我々が求めているのは、聖戦時代…かつての皇帝が魔族との戦いの折、
 今は英雄と呼ばれている者達に授与したと伝えられる、紋章についての情報なのだ」
「ああ、あの『護符』ですか…聖戦の折、天の啓示を受けて戦いに参加したとされる者たち。
 勇戦と勝利を祈って、その者達を中心に編成された三十六の騎士団にのみ授与されたという…。
 そしてそれは、何か特別な力があったとも聞きます…興味深い話です」

予想以上の博識に、オリオールは舌をまいた。
同時に、それならば話は早い…とも思ったが、こと紋章の件はロリアの問題である。
シュトラウトの出方が分からない以上、できるだけ部外者に紋章を見せるのは避けるべきではないか…と思う。
と…同時に、既に『アズライト・フォーチュン』はギルドという体を借りて、再生を外に宣言したのだ。
今更隠して回るのも、逆に不自然とさえ思える。
結局、どうするかは全て、ロリアに委ねてしまったオリオールである。
彼女の決断が結果的に危険を招いてしまったのなら、自分は全力でそれを阻止するだけなのだから。
そう思い、オリオールは黙って傍らの少女を見詰めた。
その意を受けて、彼の意図をロリアも理解したのだろう。
大きく頷くと、胸元からそれを取り出した。

「…その『紋章』が、ここにあるんです」

目の前に出された、鈍く輝く古代の遺物に、ラビティは目を見張った。

「これは………驚きましたね…」
「私はこれを実家で見つけて、それ以来、導かれるようにして旅を続けています。
 ただ、この紋章は本来の輝きを取り戻していないようで…。
 ギルドのエンペリウムとして登録する際にも、力が弱いと診断されました。
 …私は、知りたいんです。この紋章と、ロンテの事。時代を超えて、今、私の手にある意味。
 そして、出来るのならば、本来の輝きを取り戻す方法を」
「…ふむ」

紋章を凝視したまま、手を口元にあてて唸るラビティ。
何を思っているのか、ロリアには想像する術も無かったが、その表情は真剣さを滲ませていた。

「…知って…再生して…どうするのです?」
「えっ?」

思わぬ問いかけに、ロリアは目を丸くした。

「世界中に魔物が頻発し、不穏な空気がそこかしこにある事を、冒険者の貴方ならご存知でしょう。
 ルーンミッドガッツ王国がパトロンの、あの砦を巡る醜い攻防の中にも、聖戦騎士団の紋章が散見される中、
 今、敢えて『アズライト・フォーチュン』を名乗り、マスターたらんとする、貴方の真意は何です?
 志の無い英雄主義は、混乱を招くだけと、私は思いますが」

ラビティの問いかけの真意は、簡単だ。
要するに…英雄の末裔であり、正当な紋章を持つという事。
それをこの時代に、どう利用する気なのだ…と問うているのだ。

「…忘れ去られていく過去を振りかざす事に、益があるとは考えていません」
「それでも、ですよ。聖戦終末論者の中には、かつての聖戦騎士団の再臨を語る者だって居ます。
 貴方はそう思わなくても、いずれ望まぬ災厄に巻き込まれる可能性があります。
 紋章をそのまま形骸的なものにしておけば、あるいは平穏な日々を送れるかもしれませんよ?」
「…そんなの、もう壊れちゃいました」

自嘲気味に笑ってそう言うロリア。
フリーテは親友の横顔を、黙って見詰めた。

「この紋章のせいにしたくないけど…ここに来るまで、色々あったんです。
 死ぬかもしれないって、何度も思って…友達の身体を傷つけて、妹まで巻き込んで…。
 私が冒険者を始めたことで、色々な人の生き方も、変わってしまった。
 ただ…今の自分を、自分がやってきた事を、後悔したくない。
 だから、前に進むしかない…ごめんなさい、今は理由を詳しくは言えないけど、
 『アズライト・フォーチュン』を立ち上げた事と、紋章の再生は、私にとって避けられない事なんです。
 戦いは…もう、始まっているのだから…」

ラビティが同志で無い以上、紋章をめぐるシュトラウト卿との対立を話す訳にはいかない。
それは、この小さな銀髪の魔術師を、巻き込みかねない危険もあるからだ。
思えば、なんと戦い辛い相手と睨み合っているものだろうと、ロリアは今更ながらに実感する。

「なんとも抽象的、かつ非論理的な説明ですね…。
 ですが、個々人の事情は、如何ともし難い…というのもまた、現実です。
 いいでしょう…私で宜しければ、お手伝いします」
「…え、ほ、ほんと?」
「嘘を言う理由などありません。
 それに、私もその紋章には興味がありますしね」
「ありがとう!ラビティさん!」
「ラビティ、と呼び捨てて下さい。皆さんの方が年上でしょう?」

意外な協力者の登場に、ロリアとフリーテは頬を緩めた。
ただ、オリオールだけが、無愛想な表情のラビティを見ながら、仮面の下で眉間を寄せていた。
何か…どうとは上手く言えないが、ラビティの語り口に不自然さを覚えたのだ。
歴史に詳しいのなら、今という時代の情勢に見識があるのもむしろ当然と言えるだろう。
しかし、その語り口の流暢さはまるで、幼さを残す少女に似つかわしくないものだった。
(…と、それが彼女の個性なら、違和感で批判する私は相当な性悪だな…)
そう思い、オリオールはひとつ息を吐く。

ともあれ、厄介な捜索になりそうなこの事態に、彼女の手助けが有り難いのは事実だ。
早速、ロリアとフリーテは必要な資料の説明をたどたどしく始め、それをメモするラビティ。
その様子を見ながら、オリオールは目を細めた。
そういえば…これは最初から、彼女達の旅だったな…と。




食料品に薬類、下着や細々とした消耗品。
その上のいくつかの包みは、いずれも装備品だった。
異郷の地で予想以上の散財だったが、クアトの表情に曇りは無い。
無論、彼女がポケットマネーから幾らかを出費した事を知らないアイネは、
露店で買った豆菓子をぱくぱくと口に放り込みながら、こちらも上機嫌だった。

「カート、重くない?何なら代わるよ?」
「ううん、大丈夫…いつも引っ張ってるしね。それにコレ、結構コツが入るんだよ」
「ぼりぼり…ふぉおゆうもんかねぇ」

幻想的な街の風景を見ながら、のんびり歩く。
アイネは性格や普段の行動からは想像しにくいが、こういう『散歩』が大好きだった。
もし冒険者にならなければ、ジュノーになんて来なかったかもしれない。
そう思うと今、目に映るもの全てが貴重に思えて、なんだか嬉しくなってしまうアイネであった。
クアトも、素直に楽しさを表現するアイネに釣られて、つい笑みを漏らす。
こんな事なら、無理してでもメモクラムも引っ張ってくれば良かったかな、とさえ思う。

(ふふ…ッ)

その瞬間、耳に入った『雑音』を、クアトは聞き逃さなかった。
もし、これがプロンテラの人込みの中でも、彼女は反応したことだろう。
それは、忘れる事の無い嘲笑が、空気を振るわせた音。
今、石畳の路地をすれ違った、そこの黒いフード…!
クアトはカートを止めると、表情を険しくし、息を呑んだ。

「…ディータッ!!」

突然の声に、アイネはただ驚き、目を瞬かせる。
背中に怒声をぶつけられたその人影は、立ち止まり、ゆっくりと被ったフードを下ろした。
振り返った顔、揺れる金髪…こちらを見据える、切れ長の瞳。
不敵な笑みで佇むのは、クアトの義妹…ディータ、その人であった。

「あは…あんまり緩んだ顔で歩いてるから、声掛ける気もなくなっちゃったわぁ。
 良く、気付いたわねぇ?」
「…どうして、こんな所に!?」
「あらら、それはこっちの台詞よぉ?
 元々、私の家はこの街にあるのだから…不思議は無いでしょお?」
「………」

笑みを浮かべたままのディータに対し、クアトは険しさを崩さない。
アイネはそんなクアトを見るのは初めてで、何とはなしに必要以上の緊張をし、
仲間であるクアトが敵対しているなら…と、自らも睨みをきかせるのだった。

「あらぁ…妹さんにまで睨まれるなんて、私何か悪い事したかしらぁ?」
「ディータ、質問に答えて。
 エルデから聞いた…王国騎士団に入ったってのは、本当なの!?」
「………」

おどけるディータの調子を無視する、クアトの『攻める』ような声色。
さらに、その内容が彼女の不愉快に拍車をかけ、つい舌打ちとなって飛び出した。
クアトにしても時間を置き、いずれ穏やかに話し合いたいと思っていた相手だったが、
こんな唐突な再会であり、さらに状況の変化があれば、これは厳しく対応せざるを得ない。

「…あいつ、余計な事をべらべらと…まったく、使えない男。
 ま、いいわ。義理の妹とは言え、就職先を知らないってのも不安ですものねぇ…?
 王国騎士団に入ったっていうのは、ちょっと違うわねぇ。
 騎士団付きのギルドに入った…っていうのが正解。
 実力を買われて、国の為の大きな仕事を任されてる、ってとこかしらぁ?
 この黒いマフラーも、そこの制服ってワ・ケ」
「…まさか、アルビオンと繋がってるんじゃないだろうね?」
「はて、さぁて…一介の冒険商人が、気にする事かしらぁ?
 一応、私にも守秘義務があるのよぉ…一般人には、これ以上はダ・メ」

黒いマフラーがあの時、クアトを襲った襲撃者を連想させ、
一時は払拭したはずのディータ関係説を、ついぶり返してしまったクアトだった。
が…のらりくらりの彼女からは、思うような答えが出てこないであろう事は良く知っていた。
根拠が薄すぎる以上、これ以上の問い詰めが無駄なことも。

「しかし、まぁ…相変わらずの貧乏旅のようねぇ。お似合いだわぁ」
「…余計なお世話だよ。ディータがどう思おうと、スノウ商会は再建する。
 これは、私の戦いなんだ」
「別にぃ、勝手にすればぁ?出来るものならね!
 この前見に行ったら、あの店の跡、更地になって売られてたわよ?
 新しく店を出すなら、せめてプロンテラにしてよね!たまに寄れるしさぁ」

そう言って笑うディータに、クアトは唇を噛んだ。
今にも詰め寄って、その頬を思いっきり張ってやりたい衝動にさえ駆られる。
…だが、そうして、どうなる。
スノウ商会が名実共に、この世から消えたのは事実だ。
それはディータのせいなのか…と問われれば、自分や父の責を隠すような真似は、クアトには出来ない。
結局、なるべくしてなった結果なのだ。
その憤りを、ディータにぶつけて発散するような、そんな安っぽい人間にはなりたくない。
いつかスノウ商会を再建した時、改めて笑い返してやればいいのだから。

「…それはそうと、たぶん知らないだろうから、教えてあげるけどぉ」
「え?」

唐突なディータからの切り出しに、クアトは一瞬、素に戻った。

「この先の通り…街門に直通する、石畳が途切れた所の南の端の地面に、黒くくすんだ所がある。
 …貴方の義父さん、そこで発見されたそうよぉ…?」
「…!!」

自分の義父でもあるのに、まるで他人のような物言いをするディータ。
それ以上に、ここが義父が最後に訪れた街であるとは認識していたものの、
その痕跡を探すことをしなかった自分に、クアトは強く殴られたようなショックを受けた。
…だが、遺体は戻り、葬儀も何も全てアルベルタで終わってしまった以上、
今更、この地で義父の足取りを探すような真似は、自己満足にもならない行為だとクアトは心のどこかで分かっていた。
同時に…その死因に対する疑問を、掘り起こしたくないという気持ちも。

ディータを尋ねてきた義父。
その時、ディータと共に居たエルデ。
エルデは炎系の魔法が得意な、ウィザード…。

こんな汚らわしい事を考えたくない…と思いながらも、何度も何度も頭の中で繰り返した。
そんなクアトの目の色が微妙に変わったことで、ディータも察したように、表情を固くした。

「…クアト。何度も言ったけど、私はあの人の死には一切関わっていないわ。
 エルデに聞いて、初めてジュノーを訪れていた事も知ったくらいなのよ?」

クアトとて、そうだろうと思いたい。
が…ディータの口から語られることで、それを言い訳と解釈してしまおうとする自分が居る。
冷静に、事実だけを、見極めなければと、クアトは騒がしい感情を心に沈めようと努めた。

「義父さんは、そこで…?」
「発見された時は全身に火傷を負って、虫の息だったらしいわ…。
 何なら、その時の事を知ってる守備隊の人にでも聞いてみればいいわ」
「………」

クアトは、大きく頭を振った。
これは、いけない。思考が、混乱しかけている。
振り切ったはずの義父の死と、ディータへの思いがぐちゃぐちゃになって、発する言葉も無い。
スノウ商会を再建する事が、何よりの供養だと思って、今日まで頑張ってきた。
その目的の前には、今更死因だの、ディータやエルデへの疑惑だのは、二の次で良かったはずだった。
だが…やはり、真実から目を背けることに、どこか無理していたのだ。
(知りたい…私は、知りたいんだ…!)
何故、あんなに優しく真面目な義父が、あんな死に方をしなければならなかったのか。
もっと穏やかな日々を送り、あの潮風が心地よい街で、天寿を全うするべき人だった。
そうあるように、自分も願っていた。
どうして、こんな事になったのか…やはり、知る必要があるのだと、クアトは確信した。

「さぁて…偶然の再会も名残惜しいけど、私はこれでも結構忙しいのよぉ…。
 ま、アナタもせいぜい頑張ることね。
 アルベルタで一太刀くれた借りは、また今度返させて貰うわよぉ…?」
「ま…待って、ディータ!あなたには、まだ聞きたいことがッ…!」
「ごめんなさぁい…またね、クアト。私は、逃げも隠れもしないわ。
 妹さんも、お元気でねぇ…フフッ」

エルデは薄い笑みを浮かべると、手のひらに握り締めた黒い物体を砕いた。
途端、光に包まれて消える姿。
アコライトの用いる、テレポートの魔法を触媒に詰めた…通称、蝿の羽と呼ばれるマジックアイテムだ。
クアトは、脱力したかのように俯いた。
アイネはその傍らに寄り添い、力ない肩を叩く。
彼女の出自をまだ詳しくは知らないが、それなりの事情があっての今だということは分かるつもりだった。

「…アイネ、ごめん。ちょっと、寄り道してもいいかな…?」

俯いたままの声に、アイネは頷いた。

「…その、お義父さんが、見つかったって所?」
「うん…今更行って、何の意味も無いかもしれないけど…やっぱ、見ておきたいんだ」
「意味が無いなんて事、無いよ…聖職者が言うんだ、間違いない」

どこかおどけた調子に、クアトは救われるような気がした。
こういう落ち込んだ時、沈んだ時に、傍に誰かが居てくれる喜びを、改めて感じる。
そういえば…それを最初に与えてくれたのは、彼女の姉だった。

「よし、行こっ」

頷きながらのそれは、無邪気さと幼さが残る、彼女ならではの極上の笑顔だったが、
まったく似ていないはずなのに、不思議とロリアと同じ温かさを覚えたクアトだった。




ごんごん!ごんごん!!

「…んー?」

ドアをノックする音で、メモクラムは目を覚ました。
ゆっくりと上半身を起し、壁掛けの時計を見る。
まだ日が沈むには早く、夕食を持ってきた訳でも無いらしい。
そういえば小腹が空いたなぁ…などと思っていると、再びドアがノックされた。

ロリアやクアトなら、合鍵を持っているのだからノックする訳が無い。
メモクラムは留守番中の来客には注意するよう、アイネやオリオールから諭されていたが、
肝心の紋章はロリアの手にあり、その他貴重品も各自が所持している訳であり、
特別な警戒感を持つ必要なんて無い…と、解釈していた。
たとえそれが暴漢の類の襲撃でも、自らの魔法で撃退するだけの自信もあった。
この場合、相手の規模や戦力は何も考慮されていないのが、いかにもメモクラム的であったが…。

「はい、はい…」

癖のある髪をかき上げながら、のろのろとドアへ歩いていく。

「どなたー?」
「…あ、ご在室の方が居ましたか。恐れ入ります。
 私、こちらでお世話になっているオリオールの知り合いで、シルバーと申します」

扉の向こうから聞こえるくぐもった声は、妙に丁寧だった。

「はぁ…えーと、今、オリオールさん居ないんですけど」
「あぁ、そうですか。これはタイミングが悪かったようですね…」
「何か、知り合いを尋ねるとか言ってましたけど」
「あ、なるほど、なるほど。
 ということは、恐らくメイヤーに遭いに行ったと…あー、たしか彼女は今、モロクの筈。
 これは、無駄足っぽいですねぇ」
「あんたもね」
「や、まさしくその通り。
 うーん…これは、出直して来ますかねえ」

唸るような声が聞こえた所で、メモクラムはがちゃりとドアを開けた。
と…目の前には、銀髪のウィザードが、文字通り腕を組んで唸っている最中だった。

「ま、中で待ってれば?そろそろ帰って来ると思うし」
「あれれ、構いませんか?」
「いーよいーよ、私も一人でヒマだし。なんか話そうよ」
「それじゃ、お邪魔して…私、シルバーと申します。宜しくです」
「うん、私はメモクラム。宜しく。
 あ、ついでにお茶とか貰ってくるから、ちょっと待っててよ」

そう言うと、メモクラムは素早く部屋を抜け出し、フロントの方へと駆けていった。
シルバーは部屋の中央で、周囲を見回す。
脱ぎ散らかされた衣服に、荷物、装備…。

「…しかし、オリオールもまた、警戒感の無い留守番を残しましたねぇ」

そう呟きながら、シルバーはベッドに腰を下ろし、手にした杖を立て掛けた。




それは風雨で、既に見分けが付かなくなりそうな、僅かな痕跡だった。
しかし、地面が薄黒くなった形跡は『く』の字を描き、当時の生々しさを今も伝えている。
その傍…通路の縁石と思わしき所に、まだ真新しい花が添えてある。

「これ…さっきの人かな?」
「さあね…」

簡素な野花の花束だったが、クアトはそれが義母の好きな花だと、知っていた。
しかし、ディータが弔った証拠にはならないし、今はそう思いたくない気分なので、曖昧に答えた。
クアトはカートを漁って、花を取り出す。
旅の最中、不幸にも倒れた冒険者を見つけた際に、手向ける用の花を常備してある。
それを同じように並べて、そのまま跪くと、両の掌を組んで祈った。

(…ここで、義父さんは息を引き取った)

どんな思いで、逝ったのだろう。こんな知らない土地で、炎に焼かれて。
誰よりもアルベルタを、お店を、お客を愛していた人だったのに。
私を、娘として愛してくれていたのに…。
クアトの閉じた両の瞳から、雫が頬を伝った。
あんなに流して、もう出ないと思った涙が…まだ出るなんて。
それでも拭う事無く、クアトは流れるままにただ、祈りを捧げ続ける。
ゆるやかな風に吹かれて、雫が頬を跳ねて飛んでいくのを感じる。
このまま風に乗って、空高く飛んでいけば、神の国に居る義父と義母に会えるのかもしれない…。
そんな幻想を抱かせるほど、クアトの心は締め付けられた。

「…聖なるかな、黄昏の時に…尊きものよ、愛しきものよ…」

ふと、耳に飛び込んだのは、歌声だった。

それは、アイネの唱歌の声。
いつの日か学校の授業で習った、魂の安らぎを願うという、名も無く短い、古い鎮魂歌。
当のアイネですら、今後口ずさむ事すら無いだろうと思っていたはずなのに、
今、クアトの鎮魂の祈りの前に、自分が出来る事は…と考えたアイネの口が、自然に動いたのだ。
目を瞑り、手を合わせ、背筋を伸ばして、天に響けとばかりに歌う。
おぼろげにも覚えていないと思っていた歌詞も、すらすらと脳裏を流れていく。


聖なるかな 黄昏の時に 尊きものよ 愛しきものよ

聖なるかな 悠久の時へ 別れしものよ 帰らぬものよ

風の囁きよ 明日を営む子らへ 彼の祈りを届けたまえ

星の輝きよ 月の無き夜に抗い 彼の願いを照らしたまえ

常若へ至るとも 我とありて共に生きる魂へ 永久の祝福を…


普段のアイネと、その語り口からは想像もできないような、穏やかなメロディー。
それは、決して美声とは言えなかったが、心を振るわせる力に満ちた歌声だった。
何より…義父の為にしてくれた事である。クアトは胸がいっぱいになる思いだった。
混濁した意識、殺伐とした感情が、涙と共に洗い流されていくのを感じる。

「…ありがと、アイネ」

懸命に涙を手で拭いながら、振り向いたクアトは確かに微笑んでいた。
それだけでも良かった…と思いながらも、その行動に自ら驚いていたアイネは、
上手い返事を返す事も出来ずに、ただ、照れ笑いをしただけだった。




王都、プロンテラ。
尖塔の執務室に騎士団・アルビオン団長、ディオー・シュトウラウト大佐が帰還したのは、
もう日の傾きかけた頃だった。

「久しぶりだな、中尉。本陣勤務は慣れたか」

トリエ中尉が紋章捜索の任を外れ、ディオーの副官を拝命したとき、
この豪気な大佐殿は、自らグラストヘイムへ出張中だった。
結局、この二週間ほどを引き継ぎ事項の確認や、現在進行中の作戦等の見直しに費やし、
ようやく今日、帰還したばかりの上官に会う事が出来たのである。

「お久しぶりです、大佐…改めて、自分は外勤向きだと実感する毎日です」
「ははは、そう愚痴るな。これでも、お前の事務処理能力を高く買っているのだ」

ディオーはご機嫌なようで、身体を守る装甲を千切るように剥がすと、
鎖帷子を着たままソファに腰を下ろし、ワインの瓶を握った。

「帰還の方が、予定より遅れたようですが…何か問題でも?」
「なに、コイツが騒いでな。この歳で、要らぬ立ち回りをさせられてしまったわ」

ぽん、と叩いた傍らの大剣。
トリエには鞘に収められたそれが、ディオーに応える様に、ぴくりと動いたかのように感ぜられた。
『あれ』の素性を知れば、隣に置くことすら常軌を逸している行為と感じるのが普通である。
だが…それもまた、この人にはお似合いかもしれないとも、トリエは思った。
とかく、危険な雰囲気を纏わせ、当人もそれを好む人である。

「今回のグラストヘイム閉鎖区域の捜索…死者、八名は少々多すぎませんか」
「何せ、深淵の騎士どもが五体と来る。むしろ、よくその数で済んだと言って欲しいもんだ。
 その上に、アレの捕獲だ…文字通り、骨を折ったとはこの事だな」

グラスを空けながら、肩で笑う。
とても、血なまぐさい死地から戻ってきたとは思えない、奇妙な陽気さだった。

「それより、ロスト・エンブレム集めの方はどうなっている。捗っているとも思えんが」
「…恐れ入ります。例の者達が、動きを争奪戦から情報戦にシフトしている様子です。
 各地の捜索担当者達にも混乱が大きく、一度、再編と人員増の必要があると考えます」
「ふむ…どうやら、連中も新規発見は難しいと見たか。
 我らの手に十七。恐らく連中に九、十という所か…この辺が手打ちかもしれんが…」
「…また、紋章捜索に関して、一部で司祭クラスの聖職者や聖騎士が動いてるとの情報もあります」
「ほぉ…正教会の連中も、今更動き始めたのか」
「あるいは、彼らを後押しする存在が現れた可能性もあります」
「噂の地上代行者か…?
 まだ風聞の域かと思っていたが、調べる必要がありそうだな。手配しておけ」
「了解しました」

頷いて、傍らのメモにペンを走らせるトリエ。
ワインを舌で転がしながら、ディオーは久しぶりに味わう酸味に目を細めた。

「…それと、レクジス特務大尉が立案し、特別予算を要求している計画の件なのですが…」
「ああ、帰還中にキャンプに乗り込んできてな…概要は聞かされた。
 いかにも奴らしいな…どうせもう、動き始めているのだろう?」
「はい。加入候補者を絞り、既に何名かを勧誘。偽装としてのギルドも設立するようです」
「奴のやろうとしている事は、大体判るさ。構わん、予算を回してやれ」
「了解しました…ですが、たったひとつのロスト・エンブレム確保に、
 ここまでの規模の計画が必要なのでしょうか…?」
「少なくとも、レクジスは必要だと感じているのだろうな。
 『アズライト・フォーチュン』には、それだけの何かがあると…まあ、好きにやらせてみるさ。
 奴が組んだ冒険者選抜の特務部隊となれば、後々無駄にもなるまいよ」

…アズライト・フォーチュン。
あれを奪取しようと性急に事を進めた事が、親友の失脚に繋がった。
割り切って考えようとしても、やはりその名称が耳に入れば、良い気はしないトリエである。

「それで、我らがアズライトの姫君は?」
「はい、ロリアーリュとその仲間は現在、ジュノーに滞在しているそうです」
「ふん…紋章が力を失っていると、行政府から回ってきた情報にあったな。
 ジュノーの文献を調べて、本来の力を回復させようとしているのかもしれん…。
 恐らく、『椋鳥』の口添えもあったのだろうが」
「特務大尉からの情報では、現在ジュノーに彼女らへの接触要員を置いているとか…。
 場合によっては、阻止工作も可能と考えますが」
「阻止?バカを言うな。やらせろ、やらせろ。紋章が復活するなら、それに越した事は無い。
 我らが復活させた十七個は、ある意味『死んで』いたのだからな。
 あるいは、再生の方法に何か条件がある可能性もある…せいぜい、試行錯誤して貰おうじゃないか」
「…了解しました。現状では動かず、情報収集に注力するよう伝えます。
 他に無ければ、私はこれで…」

一礼したトリエを見ながら、ディオーは肩をすくめた。
前の副官は少々短慮な性格だったものの、割と遠慮なく意見を述べる人物だったが、
トリエは与えられた任務、命令に忠実たらんとして、やや柔軟性に欠ける。
それもまだ副官としての日が浅いせいもあるか、と思う。

「待て、中尉。私にはもう用は無いが、お前にはあるのではないか」
「…はい?」

ディオーの意外な言葉に、トリエは大きな瞳を瞬かせた。

「…リブラの処遇について、何故聞かん?
 同期の友人として、気にはならないのか」
「これは…お戯れを。
 気にならないといえば嘘になりますが、彼女は任務に失敗したのです。
 しかも、今回はアルビオンそのものに政治的な危険を招く可能性がありました。
 私の目から見ても、降格を含む処罰は妥当かと」
「そうか…リブラは今、どうしてる」
「先のグラストヘイム遠征の戦死者名簿に、その名を入れておきました。
 形としては、リブラ少尉は戦死という処理になります。
 …彼女自身は、名を変え一兵士として、第8小隊に再配属されました。
 今は『ルウエン』と名乗っています」
「なるほどな…」

ディオーはグラスを撫でながら、何か考えるように沈黙した。
トリエはただじっと、彼が口を開くのを待つ。

「…レクジスに言って、奴の特殊部隊に入れるよう手配しろ。
 あれの能力を生かすためにも、独立戦隊で扱うべき人材だ」
「…は、はい。了解…しました」

トリエは驚きを隠せなかった。
これは、どう考えても明らかに、ディオーのリブラへの気遣い…である。
部下八人の死にも平然とする彼が、ましてや自らの作戦ミスで失脚した彼女の待遇を、
こうも気遣うとは…驚き以外の何物でもなかった。

「何だ、その顔は。驚きすぎだぞ、中尉」
「…これは、失礼しました」
「まあ、構わん…中尉、リブラの作戦はまず成功する…お前は、そう思っていただろう?」
「はい。相手は一次職の経験も浅い冒険者達で、唯一の障害となるであろう『椋鳥』も居ない、
 格好の襲撃タイミングだった事は間違いありません」
「しかし、失敗した。大失敗だ。
 手回しが遅ければ、我が騎士団員の関与すら、公になっていた可能性もあるほどの、な。
 だが…この帰結は予想できずとも、私はリブラの作戦は失敗するだろうと思っていた。
 何故だか、判るか?」
「…申し訳ありません。私には…」
「別に、謝る事などない。予測を立てた私にすら、実際、はっきりした理由など分からんのだ。
 だが要するに、あの千年前の遺物…ロスト・エンブレムの魔力とでも言うべきか。
 不可思議な力が、紋章とその所持者を守ろうとする、そういう力があるのではないかと、私は思っている。
 周囲の人間を巻き込み、協力者には勇気を与え、敵に動揺を与える…そう、そんな力だ」

普段の現実主義者らしからぬ、全てが憶測じみたディオーの物言いに、トリエは困惑した。
同時に、彼の言動にこれまで覚えの無い実直さを感じ、それもまた小さな戸惑いの要因でもあった。
ディオーが数多の者を欺き、権謀術数を駆使して、現在の地位に居る事は、トリエでも知っている。
そういう事実、あるいは類する風評に彼自身が反論をした事も無い。
他者に対する真面目さなどという善良な性質とは、明らかに別個のものであろう。

だが…それでも、ディオーという男の芯には、信念の如く疑いなく、かつ欺くことのできない何かがあり、
だからこそ今、アルビオン騎士団を動かして行う一連の作戦が淀みなく指揮できるのだ。
そして、そういう力強さ、迷いの無さを、自分も期待しているのだとトリエは思う。
よって…このディオーの問答に、彼女は小さな不満を感じていた。

「…トリエ、お前には判るか?この、理不尽な紋章の力の源が」
「いえ…私などには、想像も付かない事です」
「だろう、な…俺とて、地下で剣を振る方がよっぽど性にあっている。
 この話は忘れて構わんぞ、トリエ」
「了解です…それで、リブラ少尉の処遇も、それで宜しいのですか?」
「ははは、話の要点を逸らさんか。想像以上に有能だ」
「恐れ入ります」

その、作った笑いを見て、ようやくトリエは気付いた。
リブラの処遇について、積極的に話したがってはいない…という事に。

「…作戦は失敗だったが、結果的にあの娘が危機感を募らせた事が、そのまま本物だという証拠になった。
 『アズライト・フォーチュン』などと古い名をそのままギルドにしたのも、その現われだろう。
 あるいは、椋鳥の入れ知恵だろうが、何にせよギルド扱いになった事で、連中の監視もし易くなった。
 この状況推移は、ある意味、リブラの功績と考えても良いのではないか?
 だとすれば、その処遇にも温情の余地はあろうよ」
「そういう評価の向きもあるとは、思いますが…」
「何より」

ディオーは足を組み直す。

「リブラ程の使い手を、雑兵の一員として囲うほど、我が騎士団は人材に恵まれてはおるまい?」
「………」

確かに、優秀な新人は他の騎士団との取り合いである。
それ以外にも王国軍、自由騎士団、さらに十字軍と、戦上手な者は就職口に困らないご時世だ。
貴重な人材である、リブラを飼い殺しにするような余裕が無いとは、分かる話だが…。

「…話は、以上だ。他に報告が無いなら、退室して良い」

そう言い放つと、もう語る事は無いとばかりに立ち上がり、背を向け、自らの装備を外し始める。
除装するのも一苦労なものであったが、ディオーはこと自らの装備の着脱に、人の手を借りるのを嫌がった。
…トリエはもしかしたら、彼の口からリブラへの、優しい言葉が出るのではないかと期待していた。
彼女の件を話し辛そうに見えたのは、ともすれば個人の情が出てしまいそうだったからではないか、と。
それを伝えれば、今、地下の兵舎で自らの境遇をただ耐え忍ぶ彼女の心を、少しは軽くできるかもしれない。
だが、結局望んだような言葉は出ず、それもまたディオーらしいと、納得せざるを得なかった。

「…はい、失礼します」

トリエはその背中に一礼すると、静かな動作でドアを開き、退室する。
副官勤務も事務仕事ばかりと思っていたが、やはりディオーが帰還したなれば、事情は違う。
この短い間に指示された事も多く、明日からやらねばならないことは、一杯あった。

音のしない絨毯の廊下を歩きながら、まだ慣れないハイヒールの心地の悪さに、口を尖らせる。
誰も周囲に居ない事を確認すると、トリエは片方ずつ脱ぎ、ストッキングに包まれた足を絨毯にふわりと乗せた。
不思議と、少しだけ、自分の身体が軽くなったような気がした。







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