HyperLolia:InnocentHeart
−冒険者−
005:Adventurer


「お姉ちゃん、元気でね。またすぐ遊びに帰ってくるよ」

フェイヨン郊外、カプラサービスのフェイヨン支部前。
転送サービス員が用意した、首都プロンテラへのワープポータルが開く。
その魔光に飛び込む寸前、アイネは珍しくそんな優しげな言葉を口にした。
フリーテが傍に居てくれるとはいえ、やはり一人残される姉の身を案じていたのは疑いないが、
むしろ、ロリアは自分がそんなに頼りなさげに見えるのだろうか…と、憤慨含みの笑顔を返した。

かくして…アイネは以前どおりの寄宿舎生活に戻り、
ヴィエント家にはもう二度と母や、姉が居た頃のような賑わいが戻ることは無かった。
それでもロリアは、アイネという愛すべき妹が、同じ空の下で毎日を過ごしていると判っていたし、
遥か彼方の別天地では、姉達がその剣技で活躍をしているに違いない…と信じている。
父の消息だって判らないだけで、まだ死んだと決まったわけではないのだ。

(…本当の絶望なんて、きっとこんなものじゃない。
 私はまだ、幸せなままで居るよ…お母さん、お姉ちゃん…)

基本的に他人や物事を疑わない、純粋な心を持つが故に…。
逆境に遭って落ち込み、沈む勢いも凄いのがロリアなのだが、
また、そこから立ち直った時の前向きな姿勢の凛々しさも彼女ならではであった。

…だが同時に、薄々ながら気付き始めていた。
父が、母が、姉が…皆、このヴィエントの家から旅立っていく。
そして次は、自分の番なのではないかと。
鎖を通し、首に下げたアミュレットに視線を落とす。
これが理由も無くここにあるものだとしたら、人の言う『運命』は全て偶然の間違いではないのか…?
この蒼い輝きは、自分をどこか別の世界へ導こうとしているのではないのか…?
…何故か、そう思わずにはいられない自分自身が不思議であるほどだった。

かつて…一介の狩人の娘だったロンテは、魔物に蹂躙される世界の惨状に立ち上がり、
多くの仲間を集めて、騎士団を作って戦ったという。
その英雄の血を引く自分が…今、彼女と同じアミュレットを首に下げている…。
姉に倣って剣のひとつでも振っていれば、もっと早く、強くそう思ったのかもしれない。
だが、家事が得意なだけの箱入り娘には、それは途方も無い想像の翼に思えた。
しかし、恐らくは母の死から回り始めてしまったこの運命の流れに、
自分はきっと逆らえないのだろう…という事も感じていた。

今までの生活と決別すること…それは悲しく、寂しい事ではある。
だが、これが運命なら、きっとそれは自分にとって、そしてまだ見知らぬ誰かにとっても
もっと素晴らしい人生を歩むべく必要な、最初のステップに違いないのだ。
その為に…と、思えば思うほど、心がざわめく。

それは、戦え…と、鼓舞するような、湧き出す感情そのものであるから。
自分の心の中に、こんな気持ちが隠されていた事すら、驚きであった。
もうこれ以上、母のような、自分たちのような人を、そんな悲しみをこの世に増やさないために。
傷を持つ者こそ、その手に武器を取り、戦えと…!
まるで何かに突き動かされるかのように、気持ちだけが高まっていく。

(私は…私は、戦えるの?
 お父さん、お母さん、お姉ちゃん…)

今はまだ戸惑いながらも、心の中で静かに揺れる決意の炎。
それに呼応するかのように、アミュレットもより輝きを増しているように見えた。


…アイネがプロンテラに戻ってから、二週間が過ぎようとしていたある日。

「…はぁっ!」

ゆっくりとしたお昼の空気を切り裂くように、剣が一閃される。
ヴィエント家の庭に設置された木人に向かって、薙いだ剣を構えなおしたのはフリーテ。
ロリアはそれを、大きく開いたテラスに腰掛けて見ていた。
フリーテの剣技は素人のロリアから見ても、かなり雑に感じるもので、
それこそリーンファルの流れるような剣捌きを間近に見てきたせいで、物足りなさを感じる。
ただ、あの…白く細い腕のどこからこんなに力が出ているのだろう、と
その点に関してはロリアも驚くしか無かった。

「ふうっ…」
「お疲れ様」

一通りの型を終えて、フリーテは剣を鞘に収める。
ロリアが投げたタオルをキャッチすると、眼鏡を外して汗を拭った。

「ふーちゃん、剣が使えたんだね」
「昔、リーンネートさんにお願いして少しだけ型を教わりましたけど…だめですね、これじゃ」
「ううん、ちゃんと振れてたよ。私には真似できないよ」
「私がろりあんを守らないといけないから…頑張らないと、です」
「…ありがとう、ふーちゃん」

二人が顔を見合わせて、クスッと笑った時。

「…で、二人でどこにお出かけ?山草摘み?それとも魚捕り?」

そんな言葉を投げたのは、庭を囲った柵に肘を突いて…薄く笑っている少女。
振り向いたロリア達の驚いた顔を見て、その金髪が揺れる。
ロリアの友人、ミアンシア

「あれ、ミアン」
「それとも…勇敢なる剣士様を伴って敵討ち、かしら」

思わせぶりなミアンの台詞に、フリーテは眉を顰める。

「…ミアンシアさん、私が剣を振っているのがそんなに可笑しいですか?」
「誰もそんな事言ってないわよ。
 ま、戦ってる最中に眼鏡が落ちたら大変そうだなぁって思ったけどっ」
「剣技の真髄は視覚じゃありません、心で気配を読むんです」
「なーるほど…誰の受け売りか知らないけど、素人の台詞じゃないわね。
 ご立派、ご立派…あはは」

フリーテはミアンのこういう態度は好きになれない。
だが、今回は余計な挑発に乗って、要らぬ事を口にした自分を恥ずかしく思った。
素人同然の自分が、剣の扱いについて語れる事なんか何ひとつ無いはずだと、気付かされたからだ。

「もう、ミアンったら…ふーちゃんは私の為にやってくれているんだよ」
「はいはい、美しい友情に乾杯。私が悪かったわよ」
「わざわざウチに来たって事は、何か用事?」
「ま、そゆことね。入るわよ?」

柵の扉を押して、庭へと入ってくるミアン。
その挑戦的な笑顔を見たフリーテは『これは何か良くない話なのではないか…』と、
理由の無い不安感に包まれた。

…ミアンシア・V・バウアー。
「聖戦」時代に、ロンテと同じく英雄の一人に数えられるイスカという騎士の血筋らしいが、
その活躍に関してはほとんど記録が残っていない。

彼女の父はかつて王立軍大隊長の地位につき、いずれは将軍だろうと囁かれていた人物だった。
だが十一年前…彼の指揮する大隊が魔物の襲撃を受け戦った際、引き際を誤って
王国深くまでの侵攻を許してしまい、また、その時に疎開中だった北方からの避難民を巻き込み
多くの犠牲を出してしまった。
この件が元で軍の要職から失脚…周辺警備隊に左遷され、
それから一年と経たないうちに魔物との突発的な遭遇戦の最中、あっけなく命を落とした。

母を幼くして亡くしたミアンは父親を敬愛し、絶対的な存在として信じていた。
同じ軍人の娘としてロリアとは幼い頃から親しみ、学生時代の初期から友好を深めてきたが
その中でも、父は彼女の父…すなわちラスターより偉く、強いという認識は優越感として彼女を飾っていた。
だが…その心の支柱はたった一度の失敗で崩壊し、しかもミアンの心を傷つけたのは
指揮系統の失態をカムフラージュする為に、民間疎開団を守って奮闘した若き小隊長…。
ロリアの父、ラスターの勇戦が軍広報より大々的に宣伝された事である。
表向きには『指揮系統に多少の乱れがあった』で済まされてしまったこの一事が、
幼いミアンの人生観を大きく揺るがせてしまったのである。

それ以後、子供の頃に見せていたような表情の豊かさを押し殺し、
どこか皮肉めいた物言いと、周囲に対する敵愾心ばかりが目立つようになったミアンに
同じ年頃の友人はみな背を向けるようになってしまった。
…が、それでも彼女と親しく、まっすぐに話し続けたのがロリアである。
同情を買われたと思ったミアンの、ロリアに対する反発は凄いものがあった。
相手があのラスターの娘なのだから、尚更である。

現在の、例えば先のようなミアンから話し掛けてくるような状況になるまで
およそ八年の歳月の間、ロリアは一方的にミアンを友達『扱い』し続けた。
ミアンも心境の変化というよりは、しつこいロリアに頑なな自分がバカバカしくなってしまい、
口を開いて付き合うようになったと…いうのが実情である。

そしてフリーテは例の北方疎開民の生き残りで、言わばミアンの父の失敗で
自分の両親を殺された…とさえ言っても、誰を憚ることない立場であった。
だが、フリーテ自身はもうそんな事自体は気にしてないし、ミアンを責めてもどうにもならないという事はよく判っている。
むしろ、ミアンの方がその事を気にして、あまりフリーテと話をしようとはしなかった。

…と、数奇な因縁で結びついている三人が今、ヴィエント家のリビングで向かい合う。
紅茶をひと口含んだミアンは、カップを置くと口を開いた。

「私ね、冒険者になろうと思うのよ」


ミアンが去った頃には、既に夕日が傾き始めていた。
ロリアとフリーテは向かい合わせに座ったまま、沈黙していた。
ふと、ロリアが胸元からアミュレットを取り出す。
窓から差し込む赤い光を交えて、フリーテの瞳には紫色の光が溢れた。

「…ろりあん、駄目ですよ?
 ミアンシアさんは冗談で、あんな事を言ったんです。決まってます」
「うん…」

先に口を開き、クギを挿すような険しい表情をするフリーテ。
それにロリアは温い返事をしただけで、じっとアミュレットを見詰めていた。

確実に…ミアンの話は、ロリアにひとつの道を指し示したのだ。
つい先刻までの会話を、反復するように思い出す。


『私ね、冒険者になろうと思うのよ』
『冒険者!?』
『そうよ。
 お父様の遺族年金も、とっくに終了しちゃったしね。
 もうレストランのバイトで、ニコニコ愛想笑いするのにも飽きちゃったし…。
 こんな事を続けていても、ただ生きる為に働いてるだけ。
 そんなの、もう耐えられないわ』
『で、でも、いきなり冒険者って…』
『今や、街の商人ですらお宝探しに冒険に出るご時世よ?
 去年から王国認定冒険者の年齢も、十四歳以上に引き下げられたわ。
 私が打って出るのなんか、遅すぎるくらいよ』
『ミアンは、冒険者になって…何がしたいの?
 強くなりたいの?それとも、お金や名誉…?』
『…強いて言えば、名誉かしらね。
 高名な冒険者の世間に対する発言力は、そこらの富豪や諸侯の比じゃないもの。
 私は冒険者として名を上げて、お父様を切り捨てた事なかれ主義の王国軍を糾弾する。
 そして、お父様の名誉を取り戻すのよ!』
『あなたの個人的欲求の為に名誉を得て、死者を再び表舞台に上げるなんて…。
 そんなことをして、誰が喜ぶんですか!?』
『…私の気持ちを、他人が理解できるなんて思ってないわ。
 でも、私は私の利己の為に、命を賭ける…これほど自然な生き方はないと思うけど?』
『それはそうです、ミアンシアさんの勝手です…別に止めませんけど』
『ありがと。
 で、ロリア…あなたもやらない?冒険者』
『え!?わ、わたし!?』
『な、何を言ってるんですか!ろりあんに出来るわけ無いじゃないですか!!』
『はいはい、二人とも落ち着くの。
 別にホンモノの冒険者になれって訳じゃないわよ。
 ただ…その資格だけでも持っていれば、いざって時に便利じゃない?
 特に、私たちみたいな親の居ない、助けを求められる人も居ない者にとってはね』
『言いたい事は、判りますけど…』
『冒険者…か』
『明後日の早朝、街の門近くで初心者訓練場行きの臨時ポータルが開くわ。
 ま、それまでゆっくり…二人で仲良く考えて頂戴』
『ミアンシアさん…何か、企んでいませんか』
『人聞き悪いわねえ、フリーテちゃん…私がそんなに黒く見える?』
『申し訳ないですけど、見えます』
『あら、純粋な親切心なんだけどね…ま、好きに詮索するといいわ。
 あなたじゃなくて、ロリアに話したんだしね。
 んじゃ、私は準備があるからこれで帰るわ』


…会話というよりは、むしろミアンが一方的にまくしたてたという感じの時間だった。

「…ミアンシアさんの事です、きっと何か別に思う所があって!ろりあんを誘ったんです!」
「ふーちゃん、友達のことをそんな風に言っちゃいけないよ」
「………」

フリーテ的には、別にミアンは友人の範疇に無かったのだが、そう言われては黙らざるを得ない。
そして、ロリアは穏やかな表情で、言葉を並べ始めた。

「私ね、ずっと判らなかったんだ。
 お父さんやお母さん、お姉ちゃん達が、どうして私とアイネにだけ、剣を握らせてくれないのかなって。
 何で戦いから遠ざけようとしているのかなって…」
「ろりあん…」
「きっと、自分たちだけで充分だって思ったんだね。
 私とアイネには、安全で、平和な場所で生きていて欲しいから…。
 その場所を、自分たちが守るからって…だから、私達に武器は、戦う力は必要ないって思ったんだよ。
 うん、きっとそうだったんだと思う…」
「………」
「でも、私は知ってしまった…決して、平和な世界に居るんじゃないって事を。
 一歩外に踏み出せば、魔物に襲われて…大事な人を失うような、そんな悲劇が繰り返されているって…」
「…だから、冒険者になるって言うんですか!?」

不意に、フリーテが大声を出して立ち上がった。
彼女にしては珍しく、顔を紅潮させ声を荒げていた。
…それはそのまま、ロリアが今、何を言おうとしているのかを察知し、
そして、それを何としても引き止めねば…という心の表れだった。

「言ってる事は判ります!判りますよ!
 でも、ろりあんが冒険者になって、それで何だって言うんですか!?
 わざわざ血生臭い、危険な世界に飛び込むなんて、それこそご両親の思いを裏切りませんか!?
 やめましょうよ!ミアンシアさんに騙されないで下さい!」
「ふーちゃん…ミアンは関係ないよ。
 あ…でも、冒険者って選択はミアンが言ってくれないと思いつかなかったかな。
 何でだろ。ファルお姉ちゃん、あんまり冒険者らしくなかったからかな?」

あはは…と笑うロリアだが、フリーテはとても笑う気持ちになれない。
さんざん迷ったり、決めかねたりして人を困らせることが多いロリアだが…。
…これ、と決めた時の彼女の頑固さ、一途さも良く知っていたから。

「ふーちゃん…私、冒険者に挑戦してみようと思う。
 ミアンが言ってた、資格だけじゃなくて…本当の職業冒険者として、もっと世界を見て周って、
 そして、出来ることなら、私の力で助けられる人を全部助けたい。
 私が防ぐことの出来る悲劇なら、全部防ぎたい…今は本気で、そう思うの」
「ろりあん…!?」
「今は何の力も無いって、ただ理想を言ってるだけだって判ってる。
 でも、たとえ何も出来なくても、そう思う自分の心に素直に…前に向かわなきゃ、って。
 ここで一歩踏み出さないと、私が私でなくなるような…そんな予感が、するの」
「そんなの…そんなの、気のせいです!
 その決意は立派です!すばらしい考えです!でも、ろりあん一人の力で何が出来るんですか!?
 相手は猫や犬じゃないんです、恐ろしい魔物!悪魔達ですよ!?」
「判ってる…でも、恐れてばかりじゃ、本当に平和な世界は来ないままだよ…。
 魔族は滅びるどころか…いつのまにか、街を少し歩いて出ただけで、簡単に襲われる場所に居るんだよ?
 何故、こんな世界になっちゃったのか…私はヴィエントの家の中で皆に守られて、
 気付きもせず、考えた事すらなかった。
 皆、そう思ってるから…冒険者になろうって人は増え続けているんだよ、きっと」
 
その言葉にはフリーテでさえ、あぁ…ロリアは本当に甘い、箱入り娘なんだなあ…と、
心で嘆息するほど、能天気に思える見解だった。
 
「違いますよ!王国認定の籍と支援が貰えるからって理由だけで、
 沢山のならず者が気軽に冒険者を名乗っているんですよ!
 中にはそのまま、盗賊ギルドに駆け込む人だって居るって噂です!
 正義感や義務感で、魔物を相手にしている人なんて…!」
「だから、私は冒険者にならなくても…いい?」
「そ、そうです!」
「じゃあ、代わりに誰が戦ってくれるの…?」
「えっ…」

刹那、ロリアの瞳が悲しげな色に変わる。
…思い出したくも無い事を、無理に心に刻み付けて耐えているような、
そんな悲痛な瞳に、フリーテは言葉を失う。

「あの時の…狼に襲われた時の事、思い出すたびに考えるんだ。
 お姉ちゃんが、もっと強い剣士だったら…。
 たまたま出会った冒険者の人たちが、もっと強かったら…」
「………」
「これって、失礼で図々しくて勝手な想像でしょ?
 でも、結局…最後は決まって思うんだ…あの時私に、戦える力があったなら…って。
 ふーちゃん、代わりは誰も居なかったの。
 力を持っていなければならなかったのは…私だったの」
「ろりあん…」
「冒険者として上手くやっていける自信なんて、全然無い。
 でも、あの時…今の自分なら救えたと、思えるくらいの戦える力。
 同じような事が起きた時、同じような後悔をしないような、戦う力。
 それが手に入るかもしれないチャンスなら、自分を賭けてみたい」
「………」

沈黙してしまったフリーテ。
その前で、ロリアはアミュレットを両方の手のひらに包む。
不思議なあたたかさを感じる、蒼い光…。

「この前まで私、あんまり色々な事が起きすぎて…これからどうすればいいか、全然判らなかった。
 でも、このアミュレットを手にしてから、なんとなく思ったんだ。
 私はもう、ここで立ち止まってちゃいけないんじゃないか、
 お姉ちゃん達のように、私は私で旅立たなきゃいけないんじゃないか…って」
「そんなの…強引です」
「このアミュレットは、きっと家に誰も居なくなっちゃうのが寂しくて、『自分も連れて行け』って、出てきたような気がして。
 だからきっと…」
「ろりあん…」

ロリアはふと、フリーテを見る。
フリーテは泣いていた。
自ら危険な旅に出ようとする親友を、引き止められない自分の不甲斐なさに…泣くしか出来なかった。
ロリアはずきん、と胸が痛んだ。
(ああ、私はこうやって、何回ふーちゃんを悲しませているのだろう…)

「ごめん、ごめんね、ふーちゃん…。
 私、いつも困らせてばかりだよね…ごめんね…」
「いいえ、違います…違います」

フリーテはかぶりを振って否定したが、流れる涙を止めることは出来ず、
ロリアもまた、今は彼女の気持ちに報いる術を知らずに、ただ謝ることしか出来なかった。


『冒険者になる』
そう決意してからの、ロリアの行動はおよそ彼女らしからぬ速さを見せた。
初心者訓練場へ行く為の最低限の荷物をまとめ、家を留守にするに際しては
近所の知り合いに挨拶回りをきちんと行った。
もっとも、敢えて冒険者になるという事は伏せ、気分転換の長期旅行に行くと嘘をついた。
これは、本当の事を言えば余計な心配をかけてしまうかもしれない、という配慮と共に
一部の民間では、冒険者そのものの評判が良くない事に起因する。

そして、アイネに事の顛末を手短に書いた手紙を送ると、全ての準備は整った。

早朝。
荷物を抱えてドアを開けたロリアは、そのまま家の中を振り返る。
まだ陽の差さない、がらんとしたリビング。
いくつもの楽しい、暖かい思い出を生んできた、自分が最も幸せに包まれていた場所…。

「…お父さん」

(強く、逞しく、凛々しいお父さん。
 亡くなったなんて信じないけど…きっと、もう頼ることは出来ないんだよね。
 私が冒険者になるって言ったら、たぶん困った顔をするだろうね)

「お母さん」

(…限りなく優しく、惜しみない愛情を注いでくれて、ありがとう。
 お母さんに育てられた事は、生涯を通して…ずっと私の誇りであり続けます。
 安らかに、お眠りください)

「リーンお姉ちゃん」

(私たち姉妹が、いつも憧れ、敬愛していた…強いお姉ちゃん。
 私なんかじゃ、同じようには出来ないかもしれないけど、きっと自分の出来ることを探してみせます。
 いつか再び出会ったときに、胸を張れるように)

「ファルお姉ちゃん…」

(今ごろになって、旅立ちの時の気持ちが良く判るよ…。
 私もファルお姉ちゃんに負けないように、このミッドガルドで頑張ります。
 だから…リーンお姉ちゃんと一緒に、絶対帰ってきてね…)

「…いってきまーすっ!」

ロリアはまるで、どこかへ遊びに行くかのような明るい、いつもの調子で声をあげた。
ゆっくりと閉められるドア。
そして、胸元からアミュレットを取り出して…その内側に、家の鍵を収める。

(いつかきっと、帰ってきて…また、皆と一緒に、幸せな時間を過ごすために)

自分の心にゆっくりと頷くロリアに返事するように…蒼い紋章は静かに輝いた。


街の門までの道を一人歩く。
まだ薄暗く、人の居ない通りは寂しさばかりを増す光景に見える。

ふと、大きな池の前で足を止める。
自分が小さな頃から、姉妹達やフリーテ、ミアン達、もっと多くの友人と遊んだ場所。
池に飛び込んで、びっしょりになって帰ってくると、母はちょっとだけ怒って…。
その後、決まって甘いココアを作ってくれたものだ。

(ふーちゃん…)

一昨日の夜、別れてから…フリーテとは会っていなかった。
もちろんフリーテは自分が冒険者になるのを快く思っていないだろうし、
それを判ってて顔を合わせるのも何か、気まずく感じられたのだった。
恐らくフリーテもそう思っているからこそ、自分に会いにこないのだろうと思う。

(でも…やっぱり、最後にふーちゃんに会いたかったな)

姉妹達に次いで…いや、姉妹同然に仲の良かったフリーテ。
ずっと一緒に居て、悲しい時や寂しい時は励ましあって、いつも一緒に笑って…。
何故か、今だからこそ…その顔を見たくて、声を聞きたくてたまらなくなった。
自分が大好きな…でも、フリーテが時々しか見せてくれない、少し照れた笑顔を思い出す。

「ふーちゃん…」

ロリアが瞳を潤ませて、静かにその名を口にした時…。

「はい?何ですか、ろりあん?」

後ろから、まるで呼応したかのように返事が飛んでくる。
ロリアは考えるより先に、振り向いて、息を呑んだ。
両肩に荷物と剣をぶら下げたフリーテが、少しだけ笑って…。
そう、ロリアが大好きな、ちょっとだけ照れた笑い顔でそこに立っていたのだ。

「ふ、ふ…ふーちゃん…」
「あの、脅かそうとしたんじゃないんですよ?
 出発まで二日じゃ、準備に色々手間取りまして、その…申し訳ないです」
「え?え、ど、どういうこと…?」
「決まっているじゃないですか。私もなります、冒険者に」
「ええっ!?」

ロリアの驚きの悲鳴が、まだ眠ったままの街に響き渡る。

「だ、だってふーちゃん、あんなに反対してのに!」
「それは、反対しますよ」
「私一人が、冒険者になっても意味が無いって…」
「一般論で言ったまでです。
 ろりあんがどうしても冒険者になるって言うなら、是非もありません」
「せ、先生になるんじゃなかったの?ずっと、勉強してるのに…」
「冒険者になっても勉強は出来ます。
 今は、今しか出来ないこと…やらなければと思った事を、したい気分なんです」
「ええっ!?え、えっと…あの…」
「言ったじゃないですか…私が、ろりあんを守るって」
「ふ、ふーちゃん…」

…不意に泣き出してしまいそうになるロリアを、それを察知したフリーテが近づき、強く抱きしめる。

「…旅立ちに、涙は良くありませんよ」
「だって…だってぇ…私、嬉しくて…!」
「私も、ろりあんと一緒で嬉しいです」
「ありがと…ありがとう、ふーちゃん…」
「頑張って、冒険者になりましょう。
 そして…誰に対しても、自分自身に対しても…恥ずかしくない強さを、手に入れましょう」
「うん…うんっ!!」

不安を抱えたまま、歩みだしたロリアにとっては
もっとも大きな援護とも思える、フリーテの言葉だった。
フリーテ自身も、今までの生活を捨て、冒険者になるなんてつい先日まで想像もしなかった。
だが…その、今までの生活は、彼女…ロリアが居てこその幸せであったのだと思えば、
危険な旅に向かうその傍らに、自分以外の誰が付き添うべきだと言うのか?
その答えは、彼女の中にはたった一つしかない。

(…今度は、私が助ける番です)

彼女を救い、助ける事は…いつかの幼い日からの、自分の運命なのだとフリーテは信じていた。


「へぇっ」

ロリアとフリーテが並んで門近くに現れたのを見て、ミアンは意外そうな顔をする。

「ロリアが来たのも驚きなら、フリーテちゃんまで一緒なんてね」
「いけませんか?」
「結構じゃないの?
 ま、せいぜい頑張ってね、お二人とも」

クスクスと悪戯っぽく笑うその顔に、フリーテはやはり何か良くない予感を感じた。
この誘い自体が、そもそも彼女の仕掛けのようにしか思えてならない。
だいたい、無料の臨時ポータルが開くからとはいえ…別に今、この時期に
冒険者にならなくてはならない理由はどこにもない。
その気になれば、有料ではあるが、いつでも申し込みには行けるのだ。

(でも…もう、ろりあんは決心を固めたし、私もそれに従うことに決めました。
 ミアンシアさんだって、冒険者になるというのは本気なんだと思います…。
 だったら…個人の、ミアンシアさんなんかのつまらない考えに翻弄されることなく
 自分の出来ることをやって、その中でろりあんを守らないと…!)

フリーテがそう思い、一人気合を入れている間に…他に、四人ほどの若者が現れる。
皆、この機会に冒険者になろうと野心を募らせる者達だった。
そして、間を置かずに一人の男が現れた。

「…おはようございます。
 私は王国軍親衛隊所属、訓練場担当武官・レクジスと言う者です」
「お、おはようございますっ」

必要以上に恭しく挨拶をするレクジスに、返事をしたのはロリアだけだった。
そんな彼女を見て、にこりと笑う。

「さて、本日は冒険者を志す皆様の為に、王国より支援ポータルの提供をさせて頂きます。
 本来、プロンテラ行政庁までお越し頂き、申し込み必要手続きが必要なのですが、
 今回は直接バイラン諸島にある初心者訓練場まで皆さんをお送りし、
 そこで手続き、次いで試験とさせて頂きたいと思います。
 これは、地方からの出身冒険者が少ないことを鑑みた行政庁の政策でありまして…」
「なんでもいーけどオッサン、早く行かねーか?」

レクジスの話が長すぎたせいか、その場に居た一人の青年…。
髪を逆毛に持ち上げた、無骨な男が気分悪げにそう言い放った。

「おっと、これは失礼…。
 本政策の詳しい内容を聞きたい方は、各自訓練場の方でお聞き下さい。
 それでは、参加される皆さんのお名前の方を伺わせていただきましょう」

メモを取り出し、レクジスは先の男から、順に名前を述べて貰う。
ロリアはその名前、ひとつひとつに耳を傾けていたが、知っている名は無かった。
顔を知らないのだから当然とも言えるが、今更ながら自分の暮らしていたフェイヨンも
数多くの人が生活しているのだなぁ…などと、実感する。
そして、レクジスの視線がロリア達三人に向けられた。

「では、貴方」
「私?ミアンシア・ヴェリストゥール・バウアー」
「…ほぅ…」

その名を聞き、レクジスが一瞬、感嘆の声を上げる。
それは恐らく、ミアンが聖戦の英雄…イスカ・ヴェリストゥールの血筋であるという事に反応したのであろうが…。
今更、聖戦時代の伝承に拘る人間も居ないし、何せロリアやフリーテでさえ
ミアンのフルネームを聞くのは久しぶりなくらいだったので、このレクジスという人物は
きっと歴史に詳しいのだろう…という程度の認識を覚えたに過ぎなかった。
もちろん、そんな時代の知識など無い青年達はまったく無反応である。
ただ、ミドルネームがある事で、何か特別な祖先を持つのだなと…その程度の感慨である。

「では、次の方」
「フリーテ・エルシュタイン…です」

フリーテはフルネームを言う時、いつも言葉を詰まらせそうになる。
それは、彼女には…もう一つ、というより本当の名前…があるからなのだが。
今ではそれも、彼女自身とロリアしか知りえない事である。

「…はい、次の方」
「は、はい!ろ、ロリアーリュ・ガーランド・ヴィエント…で、です」
「…ほぉう…」

レクジスはミアンの時以上に、声を上げて肩をすくめる。
その態度に、思わずロリアは硬直してしまう。

「な、何か問題でも…」
「いえいえ…失礼しました。
 リーンネート嬢、ファルセンティア嬢のご姉妹様でいらっしゃいますか」
「え、は、はい…」

不意に姉の名を出されたことで、ロリアは面食らう。
先のミアンの反応からして、ロンテ・ガーランドの事を触れられるのかと思っていたからだ。

リーンネートの名を聞き、一瞬青年たちがざわめいた。
…それくらい、姉の剣士としての名声は知れ渡っているのだと、今更ながらに実感する。
そして、その妹である事自体は、何の意味もないと言う事も…。

「お二人とも素晴らしい資質を備えた剣士でありました。
 是非とも、王国の為にそのお力を貸して頂きたかったのですがねぇ…。
 ロリアーリュ嬢にもその秘めし力、是非見せて頂きたい物です」
「え、あ、いやその、私なんて…」

レクジスの台詞に、場の人間が一斉にロリアに視線を集める。
自分に力が無い事が判っているからこそ…恐縮しきりで、どんな態度をすればいいのか判らない。
ただ、ミアンだけがいつもの調子で、

「あはは…頑張って、素晴らしい資質をお見せしないとね」

などと言ったので、逆に気を落ち着かせることが出来た。
フリーテがミアンをきっと睨んだが、ロリアはそんな彼女に少しだけ感謝した。

「それでは皆さん、参りましょうか…ワープポータル!」

レクジスがそう言うや、片手をさっと振り上げる。
と、地面から光の柱が立ち上がり、その『魔法』の威力にロリアは目を見張る。
今まで民間に開放されているポータルと言えば、カプラサービスが提供している
展開魔方陣を使った場所限定の簡易ポータルのみで、このような『個人が行使する魔法』による
ポータルは、見るのも乗るのも初めてだった。

「いくわよ、ロリア」
「ろりあん、行きましょう」

二人に促され、ロリアは静かに頷く。
ポータルに飛び込む寸前。
慣れ親しんだ街を振り返った時、稜線の向こうから朝日が昇るのを見た。

(…次に、こんな街を見ることが出来るのはいつだろうな…)

その風景を心に焼き付けながら、ロリアの身体は魔法の光の中へと踊った。


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