HyperLolia:InnocentHeart
−聖職者と魔法使い−
015:Acolite and Magician


― 時は、ロリア一行がアルベルタへ向かって旅をしていた頃に戻る ―

首都・プロンテラ西門から、半日も歩いた草原地帯。
青草の匂いを嗅ぎながら、ミアンはゆっくりとした足取りで進んでいた。
明日からはミョルニール山脈へ入り、冒険者としての腕を磨くつもりである。
そのまま山を越え、ゲフェンまで修行を兼ねた旅をする予定であった。
その為、今までより多めの野外生活用品を抱えての旅になり、自然と移動速度も遅くなる。
準備を整えて出立したのが午後とは言え、山岳地帯に入る前に日が暮れかけるとは予想外だった。

「仕方ないわね…」

周囲に死角の無い広い草地に、荷物を降ろす。
魔物の生息域としては、今のミアンが苦戦するような相手は居ない地帯だった。
それでも常に用心深く、警戒を怠らないのは彼女の性格である。
携帯用のテントを広げながら…ふと思う。

(あの娘、どうしたかしら…)

ユーニス、と名乗った女剣士。
この山脈に入り、風の精霊石を取って来い…という無理難題に、嬉々として出掛けていった。
途中ですれ違わなかったという事は、予想より早く撤収したか…それとも、まだ山の中に居るのか。
あるいは…帰って来れない、状態にある…のか。

「ふん…私のせいじゃ、ないわよ」

一人、自分を擁護するかのように呟く。
冒険者としての、自分の力量を見誤ったのなら…それは全て、自己責任だ。
これからきっと…幾人もの、そんな冒険者との生死のすれ違いを経ていくのだ。
いちいち関わった者の身を案じていたら、そんな考え方に足を引っ張られかねない。

(でも…せめて、生き延びてくれているといいけど)

この程度ならば…と、自分自身に折り合いをつけつつ、ミアンはそう思った。
テントを張り終え、ランプを用意し、すっかり野宿の準備が整う。
もう何度となく繰り返したその手際は、鮮やかなものだ。
と…夕食の用意をしながら、幾つかの香草を補充するのを忘れていた事に気付いた。

(私とした事が…情けない)

そんなに大袈裟に悔いるほど、旅に重要な物では無いのだが…。
完璧を期する事が出来なかった事実に、ミアンは溜息をつく。
とりあえず、小さな鍋に材料を入れて弱火に掛けながら、周囲を見回した。
代替となる野草なら、この周囲でも探せば生えているはずだ…と。
これは、元々ロリアの家で聞きかじった知識だったが、ミアン自身はその事を忘れていた。
地面に生える草を注意深く確認しながら…大きな茂みの傍に近寄った時。

「…あっちゃあ…」

思わず天を仰いで、声を上げてしまった。
茂みの中から、伸びる物体…それは、傷だらけのブーツ。
ただ、その先に隠れた質量を感じ…それが動かないことから、ミアンは瞬時に判断をした。

冒険者の遺体だ…と。

こんなご時世だから、行き倒れのように死んでいく冒険者なんて、毎日のように居る。
だからとは言え、やはり人目に晒すような姿で終わりを迎えたがる者は居ない。
自らの死を悟れば、このように…人に見られない場所で、静かな眠りにつきたいと願うものである。

(って言っても、私が見つけちゃってるんだけどさぁ…)

亡くなった冒険者を見つけたら、丁重に埋葬するのが同じ冒険者の仁義である。
そして、許可証だけは持ち帰り王国へ報告する。
いくらミアンが自己中心派で無頼の冒険者とは言え、さすがにこの有様を無視する事は出来ない。
ただ…せっかくの休息・食事の時間が、なんとも鬱な時間に取って代わられた事には、
愚痴らずにいられなかった。

「ひどい傷とか、見せられませんよーに…」

埋葬の後、食欲が無くなるようなのは嫌だなぁ…と思いつつ、恐る恐る茂みを掻き分ける。
足から引っ張り出すのは躊躇われた為、上半身の様子を確認しようとしたのだ。
そして、沈みかけた西日に晒された遺体の顔…。
それは、多少戦闘の汚れにまみれているものの、流血の跡も無く綺麗なものだった。

「………え?」

綺麗なだけでは無い。
ミアンは、その顔に見覚えがあった。
さらに言えば…その遺体は、随分血色が良かった。

「ふぅーん…もう食べられませんよぉー…」

ついでに、すっとぼけた寝言まで飛び出す、元気の良い遺体だった。

「………」

ミアンは無言で、現在位置から後退する。
そして、改めて遺体の足をおもむろに掴むと…渾身の力でもって、茂みから引き抜いた。

ズザーーーーーー!!
「はわっ、はわわわわわぁー!?」

絶叫と共に姿を現した、一人の剣士…それはあの娘、ユーニスであった。

「なっ!、なな、何事ですかっ!?」
「聞・き・た・い・の・は・こっちよっ!」

きょろきょろと周囲を見回すユーニスの頭を抑え、むりやりこちらに向かせた上で
ミアンが恐ろしいほど怖い目で睨む。

「あっ、あはは、ミアンさん!」
「『あっ、あはは、ミアンさん!』じゃないわよ!
 あなた、二回も人に死んだと思わせて…何なのそれ!?芸風!?」
「はわわ…すっ、すみませーんっ!!」

実のところ、何故怒られなければならないのか…ユーニスは良く判ってなかったが、
ミアンの剣幕に、とりあえず自分が悪いのだろうと『謝る』しか選択肢が選べなかった。
はぁっ…と深い溜息をつきながら、ミアンは腕組みした。

「あなたねぇ…野宿するにも、それなりの仕方があるでしょう?
 獣じゃないんだから、そこらの茂みに突っ込んで寝るなんて…」
「あ、あのその…慌てて出立してしまったもので、キャンプ用品とか忘れてしまって…」

両手の指を絡ませて、バツが悪そうにうな垂れるユーニス。
初心者である以前に…根本的に『ドジ』なんじゃないか、とミアンは思う。

「でも、これ…ちゃんと、手に入れましたよっ!」

と…一転して笑顔になったユーニスが、ごそごそとポケットを探り、差し出したもの。
それは小さく、薄緑色に輝く風の精霊石のカケラ…。
冒険者達が呼称する所の『ウィンド・オブ・ヴェルデュール』である。
ミアンは驚き、目を見張った。
まさか、到底自分より強いとも思えない、装備も安物ばかりの駆け出し剣士が…。
麓とは言え、ミョルニール山脈の魔物を相手に互角に戦えた…と言うのだろうか、と。

「ほ、本当に…手に入れたのね…」
「はいっ!…あ、でも」

屈託の無い笑いから、一転気まずそうに視線を落す。

「…実は、私にはあそこの魔物、結構辛くって…。
 苦戦している時に、偶然出会った銀髪の魔法使いさんに、手助けして貰ったんです。
 その時に倒した敵からたまたま出たのが、この精霊石なんです。
 だから…厳密には、私が戦って手に入れたものとは、言えないかもしれません」
「………」
(そうよね…)

ミアンは内心、安堵した。
自分ですらまだ警戒を必要とする、ミョルニール山脈の魔物相手。
こんな駆け出し剣士が平然と、戦えるものではない。
それにしても…そんな必要などまったく無いのに、正直に話してしまうこの娘。
やっぱり『あの娘』に似てる…とミアンは思った。

「ま、そんな所じゃないかと思ったわ」
「は、はい…すみません…」

別にユーニスが謝る必要性は無いのだが、何となくそう言ってしまうのは彼女の性格。
そして、ミアンが常に高圧的な振る舞いをする為である。

「あ、あの。
 やっぱり、自力で手に入れたものでないと、ダメ…でしょうか」
「え…?」

ミアンは一瞬、素で聞き返しておいて…ああ、と今更ながらに思い出した。
風の精霊石を手に入れれば、実力を認めると…。
すなわち、一緒に旅をしてもいい…と、そういうことになる。

(確かに未熟だけど…単身、山から降りて来ただけのタフさは見事ね。
 それに、この性格は色々便利に使えそうだし。
 荷物も重かったし、少なくともこの山脈越えの間だけなら…)

相手が彼女なら、別れる理由のこじつけもどうとでもなるだろう。
馴れ合いは冗談じゃないが、相手を利用するのなら…それもまた、賢い冒険者というもの。
そう、自らの考えに折り合いをつけたミアンは改めて、ユーニスに向き直った。

「別に…私は精霊石を持って来い、って条件付けただけ。
 あなたがどう戦うか、誰かに助けられたかなんてのは関係ないわ」
「えっ…じゃ、じゃあ!」
「仕方ないわね…駆け出しでも、そう使えないって訳でもなさそうだし。
 いいわ、暫く一緒に行動しましょう」
「ほ、本当ですかっ!ありがとうございますっ!
 これから、宜しくお願いしますっ!!」

ぱぁっ…と喜びの表情を見せたユーニスは、地面を擦らんばかりに頭を下げる。
それを大袈裟に感じるミアンは、肩をすくめると…一人、キャンプへ足を向ける。

「ほら、行くわよ…その様子じゃ、お腹空いてるんでしょ?
 これから丁度、食事にする所だったから来なさいな」
「は、はいっ!昨日から何も食べてないんで…お腹、ペコペコですっ」
「あっきれた…いい?明日から荷物持ち、私の前衛、旅の雑用…。
 それなりに期待させて貰うから、そのつもりで」
「お任せくださいっ!」
「その、むやみに自信ありげな所が逆に心配だわ…」

小さく溜息をつく、ミアン。
逆に、にこにこと嬉しそうに…笑顔を絶やさないユーニス。
意思は違えど…今まで孤独に戦い続けていた冒険者が二人、共に旅をする事になった。
それが、これからどんな事態を…変化をもたらすのか。
今はまだ、想像もつかない二人だった。


ミアンとユーニスが一緒に旅を始めた頃。
首都を挟んで反対側のある場所で、一人の少女も旅立ちの時を迎えていた。

広大なミョルニール山脈と、切り立った崖下に広がる海に囲まれた聖カピトーリナ修道院。
ここでは、本日無事に基本的な修道士の訓練を終えた、冒険聖職者達…。
アコライト…と呼ばれる者たちの、ささやかな出立式が行なわれようとしていた。

心の清廉さを表すかのような、純白の修道衣。
中には淡いピンクやブルー、ベージュなどの修道衣を纏った者も居る。
聖職者の証であるクロスを欠かさなければ、ある程度の衣服の意匠は自由なのだった。
その為、なるべく清らかさ・落ち着きをかもし出す色合いのものに人気が集まる。
それは無論、『聖職者』のイメージを損ねないように…という理由もあるが、
概ね冒険者ではない、一般人への印象が『良い』為である事が大きい。
ちょっと立ち寄った村で『清く正しい修道士』が土地の繁栄を祈った祝詞のひとつでも謳えば…。
信仰心の強い集落なら一夜の宿くらい、簡単に手に入れられるものなのだ。

神聖魔法での支援力に加えて、パーティに居ることで一般人の応対も良くなる…。
今日、冒険聖職者の需要が特に増えている理由のひとつである。
そんな、人に愛されるであろうアコライト達が数十人。
おごそかな雰囲気の集会場で談笑しながら、出立式の開始を待っていた。
…だが。

がちゃん、がちゃん…。

謎の金属音を響かせながら現れた一人のアコライトが、瞬時に周囲の空気を凍らせた。
皆、一様に驚きの眼差しで…口を開くことが出来ない。

清楚さなど微塵も感じさせない、濃紺の修道衣。
同じく肩に纏ったマフラーに至っては、どす黒い灰色である。
両方とも表面に防滴加工されている『戦闘服』で、血糊がついてもすぐ洗い流せるものだ。
細い腰には無造作に二本のベルトが巻きつけられ、片方には無骨なメイスがぶら下がっている。
もう片方には小型のバッグが二つ、括り付けられていた。
背中にはいかめしい、傷だらけのバックラーと、大き目の荷物袋を背負っている。
頭に乗せたビレタも濃紺に染められ、しっかりコーディネイトされてはいたが…。
胸にクロスの輝きがなければ、まるで『悪魔の使者』のような出で立ち。
まるで、これから戦場に赴くかのような少女の登場に、誰もが面食らった。

だが、当の本人はそんな周囲の視線などお構いなしであった。
(やっと、やっと…お姉ちゃんに、会いにいける!)
只でさえ苦手な勉強、しかも神聖魔法の実戦授業…という苦行を乗り越えて、
それでも補修を受けつつ二週間。

アイネはようやく、一人の聖職冒険者として真に旅立つ日を迎えたのだった。


「…おっさぁーん!」

威勢のいい声に、海を見ながら煙草をくゆらせていたジスタスは振り向く。
がちゃがちゃと金属音を響かせながら、重装備をものともせずに走ってくるアイネ。
その顔は、この修道院からの開放感と旅立ちへの期待で満面の笑みだった。

「よおぅ、終わったらしいな」
「うん…あはは、やっぱ皆びっくりしてたよ。私のカッコ見て」
「そらまぁ、いきなり何だと思うだろうよ、そのなりじゃなぁ」
「アンタがくれた服だろっ」

悪態をつきながらも、笑顔は絶やさない。
ここで偶然知り合った無頼の放蕩僧侶、ジスタスとアイネはすっかり意気投合していた。
神聖魔法の講習が終わると、この断崖に面した空き地で毎日のように戦闘訓練。
元は軽い気持ちで請合ったジスタスだったが、アイネの運動能力に舌を巻くことになる。
自分が教える鈍器戦闘術の基礎を、真綿が水を吸うかのように身に付けていく。
そんなアイネに技を仕込む事に、ジスタス自身もつい、夢中になった。

「可愛げはねぇが、防御力は普通の修道衣よか上だ。
 おまえの旅にゃピッタリだろ…気に入ったか?」
「うん、着心地も思ったほど悪くないし…。
 …ってかさ、測ったようにサイズバッチリなのが何か嫌なんだけど」
「そりゃなぁ、俺くらいの高僧にもなると…チョット見ただけで、
 身長から体重からついでに3サイズまで神通力でお見通しよ」
「どーせ若い女だけだろ、罰当たり」

二人、にっと笑う。

「…でも、ホント色々ありがと」

と、アイネが改めて姿勢を正すと…殊勝にも、お礼の言葉を述べる。

「なんか…勢いだけで冒険者、なんて目指してたけど。
 心がどっかで、フワフワ浮わついてたかもって思う…でも今は、足が地に付いた気分」
「そか、そいつは良かった」
「戦い方も、本当に為になったよ…神聖魔法の勉強より、ね」
「おいおい…こんな破戒僧を持ち上げたってもう何も出ねーぞ」
「ちえっ、もうちっと旅費が欲しかったのに」
「これだよ…こんな貧乏僧侶捕まえて、恐ろしい奴」

また、二人で笑いあう。
アイネは素直になれないが…それでも、本当に言いたいことは伝わっていた。

「…これから、何処へ行くんだ?」
「うーん…とりあえず、ロリアお姉ちゃんを探して合流するつもり。
 怒るか、泣くか、はたまた呆れるか…反応が心配だけどね。
 プロンテラまで行って、アーチャーギルドに問い合わせてみるよ」
「そうか…」

ジスタスは煙草をひとつふかすと、まっすぐにアイネを見据えた。

「いよいよ、行くか」
「うん、行くよ」

アイネは思う。
性別も、歳も、境遇も、今まで生きてきた道のりも、きっとこれから生きていく道のりも…。
何もかもがかけ離れていて、接点が生まれるはずがない人。
出会いは偶然…そして、共有した時間、思い出…教えられた技、自分の中に残された強さ。
そういうものをお互いに分かち合っていく、これこそが旅…なのだ、と。
自分の冒険者としての旅は、もう始まっていたんだと…今更ながらに思う。
そして、感謝する。
出会えて良かった…と思える事、そしてジスタスに。

「ねぇ、オッサン…ひとつだけ、いいかな」
「あン?何だ?」
「私は…オッサンから、いろんなモノ貰ったよ。
 戦い方、武器の使い方、戦闘用の技、武器や盾、この服…。
 でも、私は…貰うばっかりで、オッサンに何かお返しができたのかな、って…」
「はぁ〜ん?」

ジスタスはアイネの言葉に、怪訝な顔になる。

「最後だからって…また、随分しおらしい事言うじゃねーか。
 フフフ…俺が本気で見返りを求めたら、お前凄い事になっちゃうぜ?」
「…な、何をさせる気だっ!」

一瞬…後ずさるアイネに、大笑いする。

「バーカ、駆け出しのガキが殊勝な事言ってんじゃねーよ。
 貰えるモンは貰って、貴重な知識と経験は拝聴して!
 先人なんて食いモノにして、若者はガンガン先に進めばいーんだよ」
「…むぅ…」

それでも、アイネはどこか釈然としない。
もしかしたら、最初はただの興味本位だったのかもしれないが…。
ジスタスが好意から色々してくれたという事は、良く判っている。
ただ、一方的に受ける恩義というものの存在に、アイネの精神は馴染まない。
ギブアンドテイク…なんて、ドライな物言いをしたい訳ではないが、
今の自分で返せる『何か』があれば…と、心から思うのだ。

「…ったく」

ジスタスも、そんなアイネの気持ちを判っていた。
彼女は思っている事顔や態度にもろに出る、判りやすい少女だった。

外面は、女に生まれたのが何かの間違いか…と思うくらい傍若無人で口も悪いくせに、
その実…人の心とまっすぐに向きあって、常に正直であろうとする。
だが、そんな他人には純粋に思える態度も、アイネにとっては何でもない…至極普通の事なのだ。
だから、ジスタスは信じられた。
アイネが真面目な顔で、武器を振るっている時は…本当に真剣なのであり、
大きく口を開き、お腹を押さえて笑っている時は…本当に楽しいからなのだ、と。
自然、ジスタスも含む事無く本心を開けっぴろげにして、語り合う事が出来た。

(そんな奴と、こういう時間を過ごせたのは…30年振りにもなるか)

かつては…ジスタスにも、そんな仲間が傍に居た頃があった。
全てを失ってからは、ただ各地を放浪するだけの日々。
生きている事に意義すら見出せないまま、いつか誰にも知られず朽ち果てるのみ…。

(終わりはそんなものだと、思っていたのだがな…)

「…なぁ、アイネ」

ジスタスは覗き込むような瞳で、アイネを見た。

「うぃ?」
「俺が教えたこと、与えたものに…少しでも恩を感じているなら、ひとつだけ…頼まれてくれねーか」
「えちーな事じゃなければね」
「バカ言うな」
「くふふっ」

アイネのジト目に、はぁっと溜息をつく。

「…一年後、もしかしたら二年、三年…五年や十年でもいい。
 いつか…聞かせてくれ。
 おまえがどんな旅を、冒険を、出会いを繰り返してきたのか…を」
「………」

ジスタスの冒険者としての旅は…唐突に、不本意に、理不尽に幕を閉じた。
だからこそ、この少女の為に願わずにはいられないのだ。
その旅路が、実り多きものである事を…。

「そんなの…」

アイネはまるで冗談を切り返すかのような、圧倒的な笑顔で言った。

「お安い御用っ!」

ジスタスは、自分の願いすら杞憂なのではないかと思う。
生きる事、戦う事、前に進む事…アイネの瞳には、何ら恐れるものは無い。
それは若さゆえ、無知ゆえの物であるかもしれないが…今は、それでいいのだ。
躊躇いの無い探究心こそが、この世界でもっとも必要なものなのだから。

「…それじゃ、行くね!」

アイネは、弾けるように飛び出した。
このまま別れをずるずると惜しむのは、性に合わないとばかりに。
ジスタスも立ち上がり、ゆっくりと頷く。

「元気で、な」
「オッサンも…次に会う時まで、くたばるなよーっ!」
「余計なお世話じゃ!」
「あははっ…じゃあねっ!」

アイネは笑顔のまま…手を振りつつ、駆けて行く。
その姿が森の向こうへ消えるまで、ジスタスは見送った。
残ったのは、断崖に打ち付ける波の音だけ。

新しい煙草に火をつけながら、海へと視線を泳がせる。
次に会えるのは、何時だろうか?
それまで、あの暴れ猪みたいな娘が…誰と、どんな冒険をするのか。
今はあんな小娘だが…もう五、六年もすれば、見違えるほどに変わるだろう。
誰もが振り向くような、美しい女になるに違いない。
その時のアイネの姿…そして、そんな彼女を射止める男は居るのだろうか。
若く逞しい冒険者の未来に、ジスタスは思いを馳せる。
『未来』を思い描く事に、こんなに楽しみを抱いたのは…幾年ぶりだろうと思いつつ。

「悪い…まだ当分、そっちへは行けそうに無いや」

一抹の寂しさを含ませつつ、そう呟く。
断崖の向こう…穏やかに輝く海を見ながら、ジスタスは微笑んでいた。


ミッドガルド大陸南西、モロク・コモド地方。

千年前、ここに独立王国が存在していた。
当時、中央ミッドガルドを支配していた『帝国』とは、敵対関係にあった。
北は常に嵐が吹きすさぶ『死の砂漠』を自然の防壁とし、東はサンダルマン要塞によって守られ、
独自の戦闘文化を持つ軍隊は強く、大陸南部を席巻しかねない勢いすらあった。

…だが、繁栄に転機が訪れる。
それは突如、侵略を開始した魔族の軍勢によるものだった。
異形の怪物たちの前に要塞は陥落し、国土は蹂躙され、歴王の墓は暴かれた。
このモロク・コモド地方に魔物の攻撃が集中し、戦力バランスが傾いている最中、
帝国は劣勢にあった軍勢の立て直しに成功したのだから、皮肉なものである。

『聖戦』が終わった時…モロク地方に残されたのは砂漠だけだった。
同時に…昼夜問わず吹き荒れ、ここを行く者を拒み続けた砂嵐が、嘘のように消滅した。
残された者たちは自活の道を探りつつ、厳しい時代を生きていく事になる。
その後、砂漠を通ってやって来た王国軍の進駐時代を経て、
モロク・コモドがそれぞれ王国直轄の自治区になったのは、そう古い話ではない。

今では…宝物狙いの冒険者と、珍品の交易で賑わうモロク。
リゾート地、ギャンブル都市として価値を高めつつあるコモド。
様相は変われど、人々は逞しく生活を続けているのであった。

…そんなモロクの街に、ひとつの『お屋敷』があった。
主人の名は、ステムロ・ヴィスア・ローゼンベルグ。
彼とその家族、そして数人の召使たちが居る、モロクでも随一の大きさを持つ屋敷である。

ステムロの父は王国の大臣職にまで登りつめた人物であり、
聖戦の英雄の血筋という事もあって、ローゼンベルグ家はいわゆる『名家』だった。
父の死後、ステムロは王国軍付きの補給担当官の職についた。
歳・経歴に不相応の抜擢だったが、彼自身は役職に不満を漏らしていた。
だがある日、突然の魔物の襲撃に際して、あるはずの装備が無い…という事態を起こしてしまう。
直接的な原因は納入業者の遅れであったが、監督する立場の人間が把握していない事に
軍上層部から責任を追及する声が上がった。
被害は少なかったものの、首都・プロンテラ周辺で魔物の襲撃があったのは今回初であり、
軍の反応はやや過剰だったと言えたかも知れない。

だが、この事件が契機となりステムロは王国を離れた。
元々望んでいた役目ではなく、居心地の悪さに逃げるしかなかったのである。
そして父の財産を全て持ち、遠く離れたモロクへと移り住んだ。
屋敷を買い、侍従を雇い、女をはべらせる毎日。
当初は財産を食いつぶすばかりの生活が続いた。
しかし、首都の裕福な層の人間にそれなりに顔の利く事が幸いしてか、
ピラミッドやスフィンクスから発掘される珍宝売買の中間業者で大当たり。
モロクでも有数の富豪へと成り上がった。

…しかし、常に脳裏にあるのは王国の大臣だった父の姿。
そして、自分をこの地に追い詰めた無能な軍上層部の面々。
いつかこの財力を後ろ盾に、王国の中心人物になる…そんな夢を見つつ、
ステムロは今日まで贅沢三昧をしながら生きてきた。
元々、才覚も能力もある男なのかもしれない。
だが…厳しく育てられたが故か、目前の欲望に簡単に屈する所があった。
そして、人の情に薄い所…好意と嫌悪が極端な面があり、付き合いづらい人物と言えた。

そんなステムロには、二人の娘が居た。
長女・セモリナ、そして次女・メモクラム

セモリナは病死した正妻との娘で、ステムロは彼女を溺愛していた。
死んだ妻に瓜二つの優しい瞳と物腰を持つ少女に、ステムロは惜しみなく愛を注いだ。
様々な稽古事から勉学まで、教育にはこれ以上無いと言うほど金を積み、
パーティや貴人との会合にも同席させ、優れた娘への賞賛に打ち震えるほど喜んだ。
セモリナもそんな父の期待によく応えた。

メモクラムは、そんな『出来た』姉とは腹違いの妹である。
正妻が病死した頃、この家に住み込みの召使として雇われていた娘が居た。
名を、ティセア・アードワインド。
この頃、妻を無くした事でやや正気を失っていたステムロは、彼女を衝動的に、強引に抱いた。
そこに恋愛感情などは無く、ただ一方的に寂しさを紛らわせ、欲求を満たすだけの行為。
一度、既成事実が出来てしまった関係はその後も断続的に続き、
またティセア自身も外に身寄りが無く、ただ黙って耐えるしか無いのだった。
…そんな歪んだ関係の成果が、メモクラムである。

ステムロはメモクラムを自分の子供にした。
ティセアの懇願もあったし、自らの行為の後ろめたさも多少はあったかもしれない。
だが、屋敷の人間はもちろん、多少ローゼンベルグ家に出入りするものならば
メモクラムが何故生まれたか…その経緯くらいは察しがついている。
隠すより、いっそ自分の子供にしてしまう方が世間体も良いだろう…という、打算的選択であった。

メモクラムが4歳の時、ティセアは流行病にかかってこの世を去った。
…この頃から、ステムロは彼女に対して疎んじる姿勢を隠さなくなる。
自分が召使を相手に、我侭な欲望を満たしていた…という、痴態の結晶。
メモクラムの存在そのものが、自分の卑しさを体現しているようにさえ思えた。
田舎娘だったティセアを思い出させる、癖毛の一本ですら憎々しい。
…いくら子供とは言え、自分に寄せられるそんな嫌悪を、メモクラムが感じない訳が無い。
自然と、二人の仲は親子とは思えないほどに冷めていった。

たまに会話があっても、ステムロは理由も無く高圧的な物言いをするばかりだったし、
メモクラムも黙って返事をするという事が、ここで暮らす処世術になりつつあった。
間にセモリナが居たからこそ、互いの存在が許容できた…と言えるかもしれない。
…そんな感じで、10年。
メモクラムは屋敷の人間に腫れ物のように扱われ…何ら、存在意義を為さないまま生きていた。

そんな彼女に、転機が訪れる。

ある日、ステムロは唐突に言った。
メモクラムに、縁談があると。
驚くセモリナを尻目に、ただ相手の素性などを機械的に話して聞かせる。
…そこには、メモクラムの選択権は皆無だった。

相手は、アルベルタで有力な武器商を営む商人の次男。
一度、家に招待されて来た時に会った事があり、尋常ならざる目で自分を見ていたのを思い出す。
…つまり、そういう事である。
ああ…自分はステムロの為に、貢物になるのだとメモクラムは悟った。
母のように、愛してもいない男に抱かれ、玩具のように生きることを望まれているのだと。
厄介払いに、恩着せ…全てはステムロの望む通りに動かされているのだと…。
セモリナが『いきなりそれは、あんまりだ』みたいな意見で非難したが、
全ての段取りが整えられ、もはや誰も拒否できない状況にあった。

事ここに至り…遂に、メモクラムは行動に移ったのである。


ボワァァァァッ!!

その夜、日没直後の事。
ローゼンベルグ邸の一角から、突然上がった火の手。
天を突かんばかりに吹き上がり、屋敷をオレンジ色に染める。

「バカもの!早く、早く消せッ!!」

慌てて叫ぶステムロの前を、バケツを持った数人の男たちが行き来する。
屋敷には彼の『私兵』として、数人のシーフが雇われていた。
街での『実力を伴った』市場争いはもちろん、情報収集にも欠かせない兵隊である。
モロクはシーフギルドにも近く、このような連中を雇うに労は少ない。

…そんな男たちが今、屋敷の火を消そうと右往左往していた。
が、火の手は収まるどころか、まるで意思を持っているかのように燃え上がる。

「な、何で消えんのじゃー!?」

ステムロの絶叫をあざ笑うかのように、炎は踊る。

…その頃、彼の私室に忍び込む影があった。
部屋を見回し、大きな机の上にあった紙袋を手にする。
中には古ぼけたアミュレットが入っていた。
炎と翼をモチーフにした古い護符…。

(売れば、ちょっとはお金の足しになるかもね)

侵入者はそう思いながら、それを腰のバッグに入れる。
ちら、とカーテンの隙間から外を見る。
火事に大騒ぎするステムロと数人の使用人を見ながら、上手い具合に気を逸らせてると思う。
…その瞬間、ドアの方に人の気配。

「…メモちゃん」

震えるセモリナの呟きに、ゆっくり振り向く影。
露出の多い、まるで水着のような姿。
それは、精霊が人工的な金属や繊維を嫌うが為の『魔法使い』の装束である。
晒された腹部には魔力を高める為の、自分の精霊名が描かれていた。
腰のベルトにナイフ、手にはロッドを持った『冒険者』…。
メモクラムは、すっかり旅立ちの準備を整えていた。

「お姉様…」

二人に、驚きは無い。
セモリナはもしかしたら、メモクラムがこうするのではないか…と思っていたし、
メモクラムも、セモリナには気付かれているかも…と思っていたから。

「…出て行くのね」

ゆっくりと頷くメモクラム。
かつて、ステムロに一度だけ…我侭を言った事があった。
『冒険者試験を受けてみたい、魔法使いの勉強をしてみたい』…と。
ステムロは当然、怪訝な顔をしたが…セモリナには無制限に習い事をさせている以上、
一つくらいはいいか…と、野良犬にエサをあげるような気持ちで許可した。
また、客人の前で魔法のひとつでも披露させるのも悪くない…となどとも、思いつつ。

だが、それは全てメモクラムがここを出て行く為の計画だった。

一人で出て行こうとしても、自分を『モノ』だと思ってるステムロは、
必ず連れ返そうと、あの私兵達を差し向けてくる。
たとえ剣術や弓矢の腕があっても、多数人を相手に渡り合うのは厳しい。
元々メモクラムは身体も小さく華奢で、武器を手にした技術を身につけるには向かない。
…そこで、魔法である。
半ば決死の思いで初心者訓練場を突破し、ゲフェンのマジックギルドを尋ねた。
そこで基本的な魔法原理を学んだ後、屋敷に戻った彼女は独学を続ける。
いつか、強大な魔法で…この家ごと、自分の嫌いな世界を全て、壊してしまえればと。
何より、力が欲しかったのだ。
…今はまだ、自分で納得できるほどの魔術を身に着けられた訳では無かった。
が…もう、時間が無かった。

ステムロの仕打ちがどんなに酷くても、ある程度は我慢できた。
…彼は本当の肉親、父親なのだから。
しかし…肉親以外の誰かに玩具にされるのを、我慢できるメモクラムでは無かった。

「お姉様」

メモクラムは、笑う。

「この屋敷での生活…この屋敷の人たち…。
 まるで、鳥篭の中で飼い殺しにされているような日々。
 何度も何度も…私は本当は、生まれてきちゃいけなかったんだって、思わされた…」
「メモちゃん…!そんな事…!」
「でも…でもね。
 私、この世界に生まれてきて…こうして息をしているから。今、ここに在るから…。
 だから、生きるね。
 このお屋敷とは、別の場所で…生き続けるから…!」

メモクラムの言葉の強さに、セモリナは頷くしかない。
そして…我慢できずに駆け寄り、その身体を抱きしめる。

「メモちゃん、離れていても…私たち、姉妹よね?
 私、メモちゃんのお姉さんだって…思ってても、いいわよね?」
「…うん。
 ここでは、辛い事ばっかりだったけど…。
 私…お姉様だけは、本当に…本当に、大好きだったよ」

暫く、抱き合ったままの二人。
涙目のセモリナがようやくメモクラムを離す。
と…同時に小さな皮袋を出し、その手に握らせた。

「お姉様…これは?」
「少ししかないけど…旅の足しにして。私、こんな事しか出来ないけど…」
「ううん、嬉しい…ありがとう」

元より、路銀の代わりになる物を物色しに、ステムロの部屋に忍び込んだメモクラムであった。
が…彼女を『盗人』にしたくないセモリナの心遣いに、今はただ感謝する。

「それじゃ、お姉様…また、いつか。
 南西の方は燃やさないから、そっちに避難して欲しいな」
「メモちゃん…!」

部屋を出ようとしたその姿に、セモリナが心配そうな顔で追いすがる。

「また、会えるわよね…?」
「…うん」

メモクラムはもう二度と、この屋敷に戻る気は無い。
…が、大好きな姉の心細そうな顔に、思わず頷く。
それでも…何時果されるかも知れない約束に、二人とも微笑んだ。

一転、メモクラムは駆け出す。

「…あ!」

セモリナの小さな叫びを残し、屋敷を駆け抜ける。
途中、小さく呟くように詠唱すると…その手から、光と熱が溢れた。
光は中空で炎となり、炎は剣へと変化する。
それが屋敷の壁、柱、カーテンに突き刺さり…また大きな炎のうねりへと変化する。

「メモちゃん…」

セモリナは目を見張った。
いつのまに、炎の魔法を…あれほど自由自在に使いこなせるようになったのか?
何もかもを燃やし尽くす為の、強大な力は…誰に向けられようとしていたのか。
セモリナは、今更ながらに思う。
もっと、自分が…メモクラムの事を、この家の事を考えて、行動していたら…。
あるいは、こんな結末を避けることが出来たのかもしれない…と。

…だが、時は既に遅く。
炎の向こうへ駆けて行くメモクラムが、セモリナの瞳に揺れて…そして、消えた。


「…何か、お力になれることは?」

消火活動に大わらわの庭先。
ステムロの背後から、そんな声が漏れた。

「あ、これはブロディア卿…。
 申し訳ない…こちらからお招きしておきながら、とんだ事に」
「いえ、お気になさらず」

落ち着いた様子で頷いたのは、ブロディア・ジクタールという名の初老の聖騎士。
先日、再編成が決定された『十字軍』の顧問として、モロクに所用で出張中の身だった。
ブロディア自身が高名なクルセイダーであり、彼を家に招待することはひとつの名誉である。
世間体を気にするステムロにとって、それは素晴らしく重要な接待であり、
ブロディアもかつて、王国に仕えた者同志の義理から歓待を受けることにした。
無理を言って泊めた手前、このような厄介に巻き込むことは非常な失態である。

だが…ブロディアはそんな事気にした風も無く、屋敷を見上げる。

「これは、魔法の火…ですな」
「魔法の火、ですと!?」
「うむ…見なさい。
 一見激しく炎上している部位ほど、何もしていないのに暫くすると勢いが弱くなる。
 火事の規模はそう大きくない…どころか、小火と言っても良いでしょう。
 恐らく…弱めのファイアーボルトで小規模火災を起こしつつ、
 ファイアーウォールで火の手を演出しているようですな」
「魔法…まさか、あいつ…!」

ステムロが歯軋りした瞬間だった。

ばりんっ!

二階の大きな窓が割れる音、次いでそこから飛び降りる姿。
細い、しなやかな肢体が風のように馳せる。
炎のように揺れる赤毛の隙間から、鋭い眼光がステムロを睨んだ。

「…さようなら、お父様」

そう呟いたメモクラムの声は、ステムロには届かなかった。
いや、今までも…これからも、自分の本当の声は父に届かないのだろうと思う。

…メモクラムには、母が居た。
他人に翻弄され続け、若くして病気で天に召された母親が。
ずっと考えている事がある。
母は、何のためにこの世に生まれてきたのだろうか…と。
人の食い物にされ続けた母は、死の縁で彼女にこう言った。

『メモクラム、幸せになりなさい…ね』

母の言う幸せが、どういう物か…何を意味するかは、判らない。
だが…この屋敷の中に無い事だけは、確かだと思った。
闇の中を走り出す。
暗くても、先が見えなくても…自分の足で蹴る大地の先は、希望に満ち溢れている。
…メモクラムは今、鳥篭から羽ばたいたのだった。

「…っ!!
 おいっ、お前ら!火はいいっ!
 アイツを追えっ!くそっ、バカにしやがって!!」

ステムロの怒声が響き渡り、数人のシーフ達が素早く屋敷を出る。
火はあっというまに沈静化し、先の炎上が嘘のように静まっていた。

「くそっ!くそっ!!
 育ててやった恩も忘れやがって、これだから下賎の女の血はッ!!
 ひっ捕らえたらどうしてくれるか…見てろよッ!!」

とても実の娘に吐く言葉とは思えない罵詈雑言を並べて、メモクラムを罵る。
と…ブロディアの視線に気付き、怒りを抑えて愛想笑いになった。

「ど、どうも、お騒がせして…。
 どうやら、ウチの下の娘がやらかした事のようで…」
「と言うと、メモクラム嬢…?
 確かに、魔法の初歩を学んでいるとは聞きましたが…」
「ええ、ええ!そうですとも!
 あいつは昔から、何を考えているんだか判らない所がありましてね。
 今回の事も気が触れたとしか…」
「………」

ブロディアはメモクラムの顔を思い出す。
どこか、自分を抑えているような固さはあったが…強い意志の宿った、いい瞳だった。
あのような娘が、伊達や酔狂でこのような事態を引き起こすわけが無い…と思う。
数瞬の思案の末、ブロディアはステムロに言った。

「私も、メモクラム嬢の追跡に向かいましょう。数は多いほうが良いでしょうしな」
「…え?そ、そりゃ助かりますが…卿にそこまでして頂くのは…」
「レベル自在のボルトに、ファイアーウォール。
 どういう手段で学んだのかは知りませんが、メモクラム嬢の魔法は初歩どころでは無い。
 あの傭兵達では、足元を掬われるかもしれませんぞ」
「な…!?」

ステムロの顔が、驚きに変わった。
と…いつのまにか傍に来ていたペコペコ、バーソロミューに飛び乗るブロディア。

「ステムロ殿は、火災の方を。
 メモクラム嬢の事は、私にお任せあれ」

そう言い残し、ブロディアは風のように駆けて行った。
ステムロは歯軋りし、鬼の形相でまだ燻る屋敷の火を見詰める。

「メモクラム…許さんぞ!恩を仇で返しおって…!」

そんな父親の様子を、セモリナは悲しげな瞳で見ている事しか出来なかった。


「…うおぉ、冷えてきたぬーん」

夜のソグラト砂漠。
岩場の陰でキャンプをする、一人の冒険者の姿があった。

「暑いんだか寒いんだか、どっちかにしろっつーの…」

意味もなく、横暴な独り言。
砂漠は日の高い昼間と、一気に熱の冷める夜間で激しい温度差がある。
その為、前準備無しでの旅は過酷なものになるのだった。

小さな鍋で煮られているのは、その辺で拾ったペコペコの物らしき卵。
ポケットに残った最後のリンゴをかじりながら、侘しい夕飯に小さく溜息を漏らした。

「うー…ロリアお姉ちゃんの作ってくれたゴハン、食べたいよー」

声の主、孤独な冒険者の名は…アイネリア・ガーランド・ヴィエント。
修道院からプロンテラに入り、アーチャーギルドで姉・ロリアの近況を調べ、
彼女が泊まっていた宿の女将から、陸路でアルベルタへ向かった…と聞いた。
そこまでは完璧だった。
だが…首都を南下し、周囲の景色に特徴の無くなる砂漠地帯に入った所で、
アイネの秘めたる能力が遺憾なく発揮される。

…すなわち、方向音痴。

東西南北、どちらに向かっているかも良く判らないまま…もう四日も砂漠を旅している。
ロクな砂漠用装備も持たないまま、ひたすら魔物と戦い、歩き続ける日々。
食料は殆ど現地調達、寒さ暑さも我慢と忍耐で、なんとか凌いできた。
そのタフさと無頓着さは、ある意味冒険者として優れている資質なのかもしれない。
…が、そろそろこんな放浪生活にもウンザリだった。

はぁ…と、再び溜息を漏らした瞬間。
鍋をかけていた携帯コンロの火が、急激に小さくなっていく。

「ちょ、ちょっと冗談じゃないぞっ!」

慌てるが、無常にも固形燃料は無くなろうとしていた。
只でさえ冷え込んで来た砂漠。
そんな中で、火の気が無くなった事に心細さを覚える。

「はぁ…私、このまま砂漠で一人、死んじゃうのかなぁ…」

やや大袈裟過ぎるが、思わずそんな事を口走ってしまうくらいアイネ弱っていた。
せめて火を何とか出来たら…と思いつつ、ごろんと砂地に横になる。

「…お?」

と、今更ながらに気付いた。
一方の空が、変に赤く焼けている事に。

(火事…?って事は、街が近いのかな…?)

慌てて立ち上がり、赤い空の方へと走り出す。
…なんと、砂丘の影で見えなかっただけで、モロクの街門が目と鼻の先にあった。

「うわぉ、ラッキー!
 信じるものは救われる、ってね…伊達に聖職者、やってないっての!」

砂、砂、砂だらけの世界に飽き飽きしていたアイネは歓声を上げる。
荷物をまとめるや、不必要なまでのダッシュでモロクへ向かって走り出した。


ローゼンベルグ邸の火事騒ぎで、モロクの北門前広場は賑わっていた。
アイネは屋台でジャンボ焼き鳥を二本買うと、それを口にしながら、火の手の方を見る。
激しい炎が踊っていた…が、不思議と煙の量が少ない。
燃えてしまった家の方々には不謹慎だが、あの火の手のお陰で自分がモロクに着く事が出来た。
そう思うと感謝、感謝である。
重ね重ね、不謹慎だが。

と…耳に入る噂に『放火』の二文字が多くなった事に気付く。
無頼の一人旅では、下手な疑いをかけられる可能性も高い。
そう思ったアイネは、早々に広場を立ち去る事にする。

(安い宿でいいから、とりあえずお風呂に入りたい…)

ゆっくり湯船に浸かる事を夢見ながら、宿街の方へ歩いていく。
…と、その時。
突然、目の前に…影が現れた!

「うわ!?」

ぶつかりそうな勢いで飛び出してきたそれを、アイネは間一髪避けた!
…避けたが、そのまま地面に倒れこんだ。
ふわふわの赤毛が優雅に揺れる、自分と同じ歳くらいの少女。
露出の多い、この服装は…確か、魔法使いのものだ。
全力疾走しているのであろう、汗を弾かせながら…アイネの目の前を、通り過ぎていく。
強張った視線だけが『ごめんなさい』と語り、そのまま路地の暗がりへと消えた。

「な、なに」

非難の声を上げかけたが、すぐに次の『気配』に身を固くした。
尻餅をついたアイネの頭上を、軽々と飛び越えて行く…いくつもの姿。
文字通り『影』のような姿に、戦慄を覚える。

アサシン…!?)

モロク地方にアサシンと呼ばれる、独自の暗殺戦闘術を持つ者たちが居る…。
冒険者の基礎情報として知ってはいたものの、実物を見るのは初めてだった。
実は、彼らは俗に『ニンジャスーツ』と呼ばれる黒衣を纏っているだけで、
本当はシーフの集団なのだが…当然、アイネにはその区別がつかない。

5、6人の暗殺者集団が、一人の魔法使いの少女を追っている…。
普通に考えれば、係わり合いにならないのが得策。
訳ありすぎる構図に、見なかった事にしたいくらいであろう。
…だが、残念な事にアイネは『普通』ではなかった。

(一人の女の子に、大人が寄って集って…!?)

街に着く事ができ、栄養を摂取した事で…要らん元気が沸いてきたのだ。
それが正義感に向けられる所は、さすがロリアの妹…と言いたい所であるが、
状況把握が何一つ出来ていないのに決めて掛かる所は、さすがアイネなのであった。

「待て待て待てぇーーーぃ!!」

とにかく…アイネは魔法使いの少女と、その追跡者を追って、走り出した。
その先に、どんな事態が待ち受けているのかも知らないままに。






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