HyperLolia:InnocentHeart
−真夜中の襲撃者−
021:Assailants in the night


「私が今更でしゃばる余地も無いでしょう…お手並みを、拝見させて頂きますよ」

その高位の僧服を着た男は、薄く笑みを浮かべながらそう言った。
目の前には、通称…ニンジャスーツを身に纏ったリブラが、表情を硬くしている。

「お好きに…元々、私が望んだ任務です」
「フフフ、その格好…なかなか似合ってますよ、少尉」

自分は面白がられているのだ、とリブラは不愉快な気持ちになった。

「極秘行動に加えて、このような任務となれば…。
 親衛隊の者である事が判明するような要素は、極力避けるべきでしょう」
「それは、もちろんですよ。
 略奪強盗ならお手のもののシーフに扮する…いい作戦じゃないですか」

リブラとて、好きでこんな格好をしている訳ではない。
古の紋章…アズライト・フォーチュン奪取任務の為の、装束である。
本来の『紋章の保護』という意図はともかく、形式的には立派な泥棒…犯罪である。
成功・失敗の是非に関わらず、親衛隊『アルビオン』の者が関わったと判るような跡だけは、
残すわけにはいかないのであった。

ロリア達が海底洞窟から生還した直後から、リブラは監視を付けている。
彼女らと同じ宿に泊まる騎士、毎日その前で露店を開く商人などは、全て偽装した部下だ。

よって、奪取計画はロリア一行の動きを見張りながら、綿密に立てられた。
まず、怪我をした商人の娘…彼女が一人になった所を襲撃し、荷の中に紋章を確認する。
ここで確保できなければ、ロリアもしくはオリオールが所持している可能性が濃厚な事から、
すぐさま別働隊が動き、地下水道より帰還途中の三人を襲撃する。
ここで無理な戦闘を行う必要は無く、ロリアが所持している事を確認できれば、
後は捕らえた商人の娘を人質に、譲渡を迫る…。

三段構えのこの作戦は、作戦部の提案であるらしい。
が、眼前の男の楽しそうな顔を見ていると…彼も一枚噛んでいるのは間違い無さそうだと、リブラは思う。
賊紛い…いや、そのまま『賊』行為を行なう内容には、どうにも気が乗らない。
とは言え、他にどんな策がある訳でもないリブラはシュトラウト卿に提案されるがままに、
この作戦を受け入れる以外の手段を持ち合わせても居ないのだった。

「でも、あの娘に付いている騎士…『椋鳥』は、容易い相手ではないですよ。
 実際、紋章の為ならその商人の娘も見殺しにしかねませんね」
「………」

苦い顔をするリブラの表情を満足そうに見ながら、男は頷いた。

「…しかし、彼が何と言おうと、あの娘は商人を助けようとするでしょう。
 たとえ紋章を手放そうと…間違いなく、ね」
「ロリアーリュは、紋章の価値…それを所持する意味を、理解してないと?」

ちちち、と指を振ってみせる男。

「違いますよ…『人間』だからです。紋章の価値など、関係ないのですよ!
 自分と繋がりのある人間。ただそれだけの理由で、彼女は自分の全てを犠牲に出来る…!
 いえ、たとえ繋がりが無くても救おうとするでしょうね…あの娘なら」
「…まるで、十字軍欲する所の『神々の地上代行者』ばりですね」
「それも違います。彼女は只の…そう、どこにでも居るような、普通の少女なのですよ」

男の顔が、さらに愉悦に歪んだ。
…こんな笑い方をする男だっただろうか、とリブラは思う。
親衛隊内で部下に訓示を与える時などには、もっと凛とした顔つきをしていた記憶があった。

「…だから私のお気に入りなのですよ、ロリアーリュ・ガーランド・ヴィエントはね。
 彼女と、その仲間を甘く見ないほうが良いでしょう…これは老婆心からの忠告、という奴ですが」

(…買いかぶりすぎだ。
 特務大尉殿は、ああいう子供っぽい娘がお好きなのかしらね!)

リブラは男の言葉を、心の中で一蹴した。
ロリア自身が半人前のアーチャーで、他の剣士と商人も凡庸な経歴の冒険者である。
あの『椋鳥』は厄介だが、他の三人を抑えればどうとでもなるだろう。
リブラは任務の成否よりも、『賊』を装う事への嫌悪感の方が気に障っていた。

「…大尉があの娘を、特に重要な人物として大佐にご報告している事は、存じています」
「卿もロリアーリュという娘の特殊性を、お認めになっているからこそ…。
 懐刀、とも言える貴女にこの任務を許可したのでしょう?」
「はっ…」

ここで、男の口から世辞が出るとは予想できず…失笑を抑えようと、リブラはつい頭を下げる。
下げつつも…シュトラウト大佐から、任務を命じられた時の事を思い出していた。

『少尉…ならば、奪取してみるがいい…』

まるで、試されているかのような物言いだった。
もっとも…大佐のそういう含むような、曖昧な言動はいつもの事で、別に今回に限った事ではない。

(…私は、ごちゃごちゃと気にしすぎなのだ)

元より自分はロリアーリュという娘にも、その仲間にも敵意など無い。
ただ…先の海底洞窟のような『仕掛け』で、悪戯に危険を煽るようなやり方は面白くなかった。
さっさと紋章を奪ってしまえば済むであろう事を、まるで神の視点から操るかのように、
冒険者の生死を弄ぶ様な真似をする…シュトラウト卿を、好きにはなれない。
紋章さえ奪取すれば…以後、彼女達は一介の冒険者として生きていくことが出来るだろう。

騎士である以上、物事には愚直であろうとも公明正大に当たりたいと願うし、
直属の上司もまた、尊敬できる人物であって欲しい。
それこそが…リブラがこの任務を行なう最大の理由であり、目的である。

だからこそ、賊…犯罪者紛いの作戦に、拒絶反応も出ようというものだった。
リブラは自分自身が思う以上に、『騎士』だったのである。

「…っと、そろそろ時間ですね。作戦の成功を祈っていますよ」
「ありがとうございます、レクジス大尉…では」

一礼すると、リブラは部屋の戸を開ける。
そこには、彼女と同じように黒衣を纏った騎士達が五人、整列していた。

「…行くぞ!」

彼女の号令と共に、全員がその後に続く。
僧衣の男…レクジス・ハノーティア特務大尉はその出陣を見送りながら、
一人含み笑いを漏らしていた。

「さてさて…私のロリアーリュが、本当の『叛逆者』なのかどうか…!
 試される娘達は可哀想かもしれませんが、楽しみなことです…フフフッ…」



ロリア達が、地下水道へ向かったその日の夜。
クアトは一人…宿のベッドに寝そべって、月を眺めていた。

灯りを点けないままの部屋に、青白い光が柔らかく差し込んでいる。
…三人共、帰って来る気配は無い。
いくら地下水道がこのイズルードから近いとは言え、ひと暴れして日帰りするには、
やはり無理のあるスケジュールだと言えなくも無い。
その為、時間が掛かりすぎた場合はその付近でキャンプをし、翌朝帰還するという予定も
互いに了解済みであった。

「ふぅ…」

怪我人宜しく、昼間は寝すぎたせいか…日付が変わろうとしても、一向に眠気が襲ってこない。
一人の夜なんて何日ぶりの事だろう、とふと気付く。
ロリア達と会って、一緒に旅をして…そう時間は経ってない筈なのだが、
それでも一人きりである事を特異に思ってしまうのは、今が充実しているせいなのだろうと思う。

半漁人の槍が足に突き刺さった時、その瞬間は何が起きているのか判らなかった。
痛み、と言うより熱を感じた事と、ぬらりとした液体の不快感は覚えている。
ただ、必死だった。
あの槍を何とかすれば勝機が見えるのだと信じて、食らいついた。
その後石柱に叩き付けられ、気を失って…誰かの声で一度、目を開けたような気がするが、
何を喋ったかは記憶に無い。
そして…再び意識を取り戻した時は、この宿のベッドの上だった。

あの後、どうやって半漁人を退け、撤収したかはロリアの口から聞いた。
まるで怯えきって…身動き一つもしなかったフリーテが、最後の止めを刺したと言う。
クアトの奮戦があったからこそ、最後は勝てたのだとロリアは真面目くさって頷いたし、
励ましのお陰で、勇気が沸きました…と、フリーテも頭を下げた。
最後まで見届けられなかったのは残念だが、それでも一応の『役割』は果たせたのかな…と、
クアトは今はこれで満足することにした。

(何はともあれ…全員、生還したんだから!)

クアトにとって、初めての『仲間』と共闘する戦場だったのである。
これで誰か一人でも命を失っていたりしたら、目も当てられなかったに違いない。
怪我をしたのが私で良かった…とさえ思う。

ただ、この怪我のお陰で収集品の売却手腕を見せることが出来なかったのは、商人として残念な所であった。
今回は、オリオールの知り合いに代売して貰ったらしい。
治療の為に多くのポーションを購入し、散財させてしまったのも申し訳無く思う。
無論、三人共に『気に病む必要は無い』と口を揃えた。
それが『仲間』である事なのだと理解は出来ても、まだ簡単に割り切れるようなクアトではない。
今後の活躍でなんとか挽回しなくては…と、心に思いを秘めるのであった。

「いちち…」

ゆっくりと立ち上がるが、まだ大腿部の違和感は治り切っていない。
実際にはもう殆ど痛みなど感じないのだが、つい口に出してしまう。
サイズの大きなシャツを寝間着代わりに、後は下着しか付けていないクアトは、
補修され、クリーニング済みの自分の商人服へと手を伸ばした。
青白い月光に浮かび上がる彼女の肢体は、普段の野暮ったい商人服からは想像できない程、
均整の取れたプロポーションをしている。
だが本人にその自覚は薄く、ましてや…常時ロリアの身体を目の前に晒されては、
自己主張しようとする気も失せようというものだった。

…その時。

僅かだが、ドアの外…床がきしむ音と共に、ぼそりと人の声が聞こえたような気がした。
一瞬、ロリア達が帰ってきたのかと思ったが…それにしては時間が遅すぎる。
裸足のまま、クアトはゆっくりとドアに近づき、耳を当てる。
…四、五人だろうか、低い声がいくつか聞こえた。

『…やはり中に居るのは、商人の娘だけのようです…』
『…二人は、その娘を抑えろ。紋章は残りの者で捜索…』
『…お前は、別働隊への連絡をして貰う…』

(…も、物取り!?それとも人さらいっ…!)

廊下の物騒な様子にクアトは生唾を飲み込み、はぁっと息を吐いた。
動きを外に悟られないように、ゆっくりと荷物の方へ歩き出す。
だが、すぐに…待てよ、と疑問が沸き上がる。

(宿泊施設の冒険者を狙う盗賊が居るっていうのは、良く聞く話だけど…。
 何で私が『商人の娘』だって、知ってるんだろ…?それに…紋章、って何…?)

宿帳には名前しか書いていないし、運ばれた時は装備の殆どを失った上に、
血みどろ状態でエクセリオンに負ぶわれて来たのだから、職業の判別も難しかったはずだ。
海底洞窟に向かう前から自分達をマークしていた可能性もあるが、
そう裕福でない事は装備を見れば簡単に判る訳で、わざわざ狙われるとは考えにくい。

(じゃあ、まさか…ディータが絡んでる…!?)

これも、クアトには納得できない。
彼女の実力なら、自分を打ちのめすのにわざわざ人を雇う必要はないし、
またその性格からしても、こんな夜討ちのような手段を選ぶとは思えない。
それ以前に、店の借金問題が片付いている以上…今、自分に絡む必要など無いはずだ。

(つまり…紋章、ってヤツを狙ってるって事だ)

と、言っても…クアトにはその『紋章』と言われる物に心当たりが無い。
強いて挙げれば、ロリアがいつも首に下げている護符がそんな感じではあったが、
アンティーク扱いにしても古びた物で、商人である彼女にも価値を見出せない程だった。
確か、アズ…何とかと言う、聖戦時代の騎士団のものだと言っていたが、
千年も前の物が残っているという事自体が非常識で、きっとレプリカなのだろうと思ったものだ。

実際に何が目的なのかは、推測の域を出ないが…迫りくる脅威だけは、現実である。
クアトは武器を探した。
自分のハンマーはあの海底洞窟で放棄、短剣類もカプラサービスに預けっぱなしである。
ひときわ目に付くのはオリオールのクレイモアだが…さすがに扱えるような代物ではない。
その脇に、鞘に納まったままの片手剣が立て掛けられていた。
…フリーテの、風の精霊石で鍛えられたブレイドである。
クアトはそれを掴むと、鞘を外さないまま構えてみる。
普段は斧や短剣が主力武器の彼女だが、片手剣もまったく心得が無い訳ではない。

そして…ドアの横に背中を貼り付け、『敵』の動きを待った。
外の賊は、きっと自分が眠りこけているとでも思っているのだろう。
随分と無警戒に、ぺらぺら喋っているものだ…と、クアトは鼻で笑いそうになる。

『…中の娘は、縛り上げろ。状況次第では、取引材料として使う…』
『…了解しました…』
『…よし、開けろ…』

(そう簡単に、泥棒如きの思うようにさせるかッ!)

かちゃかちゃと、ドアの留め金を外す音。
軽い金属音が響き…扉が勢い良く、蹴り開けられる!

ドカッ!!
「…ぅ…ぉ…!?」

真っ先に入って来た、黒装束の男は目を剥いた。
腹部に突き上げるような、強烈な痛みを感じ…一瞬、意識が混濁する。
さらに、顎へと鋭い一撃!
…剣の柄で、アッパーを喰らった男はそのまま、意識を飛ばして崩れ落ちる。
次々と部屋になだれ込むはずだったはずの後続の男達が、突然の異常事態にどよめく。

クアトは不意打ちでのした男を廊下へと蹴り倒しつつ、自ら躍り出る。
廊下の右に二人、左に一人…同じように黒衣を纏った者たちが、鋭い目つきで彼女を凝視していた。

「…寝てる女の子の部屋に入るには、随分と失礼なやり方じゃないの?
 もっと優しく起こして欲しいなぁ」

クスッと笑いかけて見せるが、当然のごとく賊の表情はぴくりとも緩まない。
…ちなみに着替える暇も無かった為、いまだにシャツと下着のみである。

「…随分と勇敢だな。剣術に覚えがあるとも思えんが」

二人居るほうの、後ろに居た黒衣が前に出る。
その声色、目つきで…クアトは『女』だとすぐに判った。

「…一つだけ、聞く。
 紋章…アズライト・フォーチュンは、何処にある」

この時クアトは、やはり…ロリアの持っていた護符の事だ、と合点がいった。

「あー、アレね。はいはい…何で、あんなもの欲しいのさ?
 只の古ぼけた護符でしょ?価値があるとも思えないけどなー」
「…もう一度だけ、聞く。何処にある」
「うーん、どーしよっかなー?教えてあげてもいいんだけどなー…?
 …やっぱ、教えてあーげないッ!」

話すだけ無駄だ、と両者が思ったが…クアトの方が若干、早かった。
賊たちが動くより早く、一足飛びに部屋の中へ飛び込む。

「捕えろ!」

女の号令に、慌てて一人が部屋に入った…が。

ヒュンッ!!
鞘をかぶったままの剣が、目の前で振り下ろされた!
男はすんでの所で直撃を免れたが、これは避けたというより、クアトが目測を誤ったのである。

「ちっ!」

舌打ちをしながら、急いで構えを直そうとするクアト。

「この、大人しくしろ…!」

男は腰から短剣を抜く。
暗くてよく判らないが…両刃で幅広な所から見ると、スティレットだとクアトは思った。
つまり、そう思う余裕があるほど、クアトの動きのほうが早かったのだ。

ドウッ!!
「ぐ…っ!」

ブレイドが男の腹部へと、深々と突き刺さる!
もちろん、鞘を付けたままの為、出血するような事は無い。
だが、鳩尾をしたたかに撃ち込まれた男は、涎を垂らしながらその場に膝をつく。
もう一人が部屋に入ってくる前に、クアトはバックステップしてベッドの上に飛び乗った。
足が、本調子ではないと訴えていたが…贅沢を言っていられる場合ではない。

もう一人の黒衣の男と、命令を出していた女が…倒れた二人を押しのけるようにして姿を現した。
月光に晒された賊は、漆黒のニンジャスーツで全身を覆っており、
顔には同じく黒い頭巾をして、目線以外を隠していた。

「馬鹿な娘めッ!窓から逃げようとしても無駄だぞ!我らの仲間が、下にも居るのだからなッ!」

女はこの時…任務に忠実で下手な詮索の危険が無いという理由で、
入隊期間の短い騎士達が作戦に集められた事を嘆いた。
彼らの想像以上の練度の低さに、眩暈すら覚えそうになる。

(娘が窓から逃げようとすれば、待機中の者が労せず捕えるというのに!
 それを、ペラペラ喋るとは…!)

…実際、クアトは隙を突いて窓から外へ出ようと思っていたのだが、
男の余計な言葉に、考えを改めさせられる事になる。

(二人を倒すしかない…か!)

先は奇襲、不意打ちで何とかなったが…。
今度はそれも無し、しかも二人同時に相手となれば、話は大きく変わってくる。
…だが、クアトには一つの計算があった。
少なくとも、女の賊は自分を捕えようとしている事。
立ち聞いた話を総合すれば…その『紋章』の在り処を吐かせたいのだろうし、
仮に自分が知らなくても、ロリアに対しての取引材料として扱う気なのだろう。

(…怪我で迷惑かけたばっかなのに、またそんな役回りなんて御免だッ…!)

自分を捕えるつもりなら…『殺す』気での攻撃は無いだろう。
あのオリオールに言わせれば、戦闘は何が起きるか判らない、
そんな判断は無策であり、無謀だ…などと言われてしまいそうな所だが。
クアトは、抜刀する。
鞘から現れた青白い刀身は、月の光を反射しながら、緑の精霊力を浮かび上がらせる。
周囲の色とは異質に輝くブレイドに、賊の男はたじろいだ。

「こ、この…本気か、小娘ッ」

男達は、任務の本当の意味を知らされていない。
『王国に反逆の意図のある冒険者連中が、とある貴族のアイテムを不法な手段で所持している』
『シュトラウト卿と誼の深い貴族の名誉を守り、極秘裏に解決する為の作戦である』
…かいつまめば、その程度の情報しか与えられていない。
だが、若い彼らは『親衛隊員による極秘任務』に選抜されたという事自体に喜びを覚え、
その計画の本来の意図に気を払うような、心の余裕は無かった。

相手の冒険者集団には強力な自由騎士が一人居るものの、他は全て駆け出し者だと聞いていた。
万全を尽くして、その騎士の留守を狙ったというのに…不意を突かれたとは言え、
こんな装備もロクに無い少女に、されるがままに二人も倒された。
それは、男達にとっては…屈辱だと言えるだろう。

今はこんな盗賊紛いの格好をしているが…彼らとて、王国親衛隊に名を連ねる正騎士なのだから。

「どうする?ここで斬り合うッ!?…盗賊とは言え、王国法くらいは知ってるよね?
 余計な罪状を重ねてもいいって言うなら、来なよッ!!」

クアトの怒気を孕んだ叫びに、黒装束の女は舌打ちする。
武器による戦闘の末、殺してしまったりすれば…特定場所以外での冒険者の私闘を禁じた、
王国法に違反することになり、軍による調査は免れなくなる。
シュトラウト卿の号令で極秘裏に動いている以上、偽装するのも厄介な手段が必要だ。
そういう事態を招かない為にも、この娘を手早く拘束しておきたかったのだ。
誤算だったのは、残った一人は怪我をして動けない…という情報の精度が低かったこと、
そして、想像以上に『賢しい』娘だったという事だ。

(何だというのだ、この状況は…?
 私は、お前達の為を思って、こんな任務に就いているのだというのに…!
 これでは、まるで本物の賊ではないか…)

女は不意に、嫌な焦燥感を覚えた。
自分と部下は、目の前の商人のペースに飲まれている。
このまま成り行きを許したら…何か、思いもしない過ちへと展開しそうな、不安。
それは予感でしかなかったが、まるで焼印を押されたかのように、脳裏をちりちりと焦がす。
しかし、このまま何も為さずに撤収する訳にもいかない…。

「舐めるな!冒険商人ごときがッ!」

…その時まで気付かなかったのは、女が先の考えに気を取られていたせいだ。
もう一人の黒衣の男は、手に持った短剣に力を入れ…気を漲らせていた。
その右手が、ぼんやりと赤味を増していく。

「馬鹿者、こんな屋内で…止めろッ!」
「口を割らせるにも、人質として使うにも…生きていりゃいいでしょう!
 反乱因子の小娘に舐められっぱなしで、我ら親衛隊が黙っていられますかッ!」

(…し、親衛隊?この賊たちが!?)

その意外な言葉に驚いたクアトは、防御に入るのが遅れた。
次の瞬間、視界は真っ白な光に包まれ、熱気と衝撃が全身を襲う。
爆発音が聴覚を麻痺させたのはともかく、不思議と四肢から安定感が失われている。
それが…宿の壁もろとも吹っ飛ばされ、空中に浮かんでいるが為だ…と、気付いた瞬間。
街灯の鉄柱にしたたかに身体を打ちつけ、激痛を認識する間も無く地面に転がる。

…クアトはそのまま、意識を失った。



「…今、何か聞こえたッ!」

イズルード、街門前広場。
宿に泊まるだけの手持ちが無い…主に駆け出しの『貧乏』冒険者が、キャンプを張る場所である。
冒険者に寛容なこの街を好む者達も多く、時間や季節を問わず、常に人影が絶える事が無い。
今夜も三、四つほどのグループが明かりを囲み、冒険談などに花を咲かせていた。

…そのうちの一つ。
痛みの激しい、灰色の修道服を身にしたアコライトの少女。
それまで眠たげに船を漕いでいた彼女は、突然叫ぶなり…立ち上がって、街の方を凝視していた。

「メ…じゃなかった、シリーは聞こえなかった!?」

彼女の旅仲間らしき、シリーと呼ばれたマジシャンの装束の娘。
つまらなさそうな顔で、何も答えないまま…火に掛けた小さな鍋の中身をかき回していた。

「あれ、何かの爆発音みたいだったよ!」

アコライトはもう一度、街の方を見る。
小柄な背丈には意味の無い背伸びを繰り返す。
火の手などは上がっていないようだった。

「何も聞こえなかったわよぉ…夢でも見てたんじゃないの?
 ア…じゃなかった、テッサ…頼むから、もう余計な騒ぎは止めてよね。
 せっかく、街の入り口まで辿り着けたっていうのに…」

シリーは疲れた声でそう言いながら、鍋をかき回す手を止めない。
ちなみに、ついに食料が尽きた二人の夕食は…その辺に生えていた柔らかい草、である。
これを煮込んで灰汁を取って、香辛料を効かせれば食べられない事は無いと言う…テッサ提唱の苦肉の策。
勿論、シリーはこんな状況にうんざりしていた。

(明朝まで、我慢我慢…イズルードの市が開いたら、旅に必要な装備を売ってでも、
 ちゃんとした宿と食事を手に入れるんだからっ…!)

そんな、悲壮な決心を固めている彼女である。
ふと、声がしなくなったのを不審に思い…テッサ、と呼んだ少女の方を見る。
街の方を見ていたと思っていた彼女は、つい先刻外したばかりの装備を身体に着け始めていた。

「ちょ!ちょちょ、ちょっと!」

驚きに舌の回らないシリーに、テッサはウィンクして笑顔を見せる。

「大丈夫、ちょーっと見てくるだけだから」
「あ、あなたの『大丈夫』が、大丈夫だった事無いでしょ!?」
「街の入り口はココしかないんだし…迷わずに帰ってくるから、待っててよん」

軽やかに説き伏せながら、盾を背負い、長いチェインを身体に巻きつけるようにする。
腰のベルトにメイスを刺した所で、シリーが立ち上がった。

「ま、待ちなさいよっ!私も行くってば!」
「心配性だなー」
「あなたのせいでしょっ!」

シリーは慌ててシューズを履きながら、薬草の入ったポーチ付きのオーバーベルトを手にする。
鍋を吊るすのに使っていた杖をテッサが手に取り、シリーが今までかき回していた鍋の中身を、
思いっきりぶちまけて火を消した。

「ああっ!私の手間隙がぁ!」
「諦め、諦め。あんな草なんか食えるわけないじゃん」
「な、何て言った!?」

ばたばたと騒ぐ様子に、周囲でキャンプ中の冒険者達も何事かと首を向けた。
可能な限りの戦闘装備を身に付けた二人は、頷きあって準備完了を確認する。

「すんませーん!ちょーっと街の方に行って来ますんでー!
 この荷物、良かったら見張っててくださーい!」

テッサが愛想笑いをしながら、一番近い冒険者達にそう呼びかける。
そして、返事も待たずに…街へ向かって駆け出した。
シリーも遅れじと、すぐ後を離れず着いてくる。

「あんな事言って、全部盗られちゃっても知らないから!」
「どーせボロばっかだ、そんなに欲しけりゃ持ってけっての」
「だいたい、こんな急ぐ必要あるの!?」
「わかんなーい!」

判らないけど…何故だか、胸がドキドキする。
何かが街の中で起こっているという、不思議な予感があった。
それを確かめずに居られるほど、テッサは自制の効く大人ではない。

「ま…もう、あなたのこういうのには、慣れたけど」

シリーはもう、心の底から呆れていた。
同時に、こうでなくては彼女ではない…とも、思っている。
結局…走り出してしまえば、一蓮托生。
彼女はどこか吹っ切れた顔で、テッサの背中を追いかけた。



「中に、二人程倒れているから、運び出せ。
 他の者は紋章の捜索が最優先だ」

賊達は宿屋の影、大通りからは死角となる路地に身を潜めていた。
その指揮官…女騎士・リブラ少尉は頭を抱えたくなる衝動に耐えている。

度重なる想定外の展開、そのトドメに…同行の騎士がまさか『マグナムブレイク』を放つなど、
何をどうすれば予期できただろうか?
その衝撃に吹っ飛ばされた商人の娘は、今は自分の足元でぐったりとしたまま、気を失っている。
焦がされ、破れたシャツの合間から下着が見えるのを不憫に思い、
リブラは自分の身にしていた漆黒のマフラーを外し、その身体に被せた。

(勇敢で仲間思いな、いい娘ではないか…)

二人を倒した戦闘技術も見事だったし、王国法を持ち出す機転の良さも悪くない。
しかし、先の様子からすると…恐らくこの商人の娘は、紋章の事をまったく知らないか、
あるいはそれらしい存在を知っていても、どういう物かまでは理解していないのだろう。

「少尉殿、宿の荷物の中にそれらしい物はありません」
「了解だ。隠蔽工作を手伝え…敬礼はするな、極秘任務中だぞ」
「ハッ」 

再び敬礼し、走って行く若い騎士。
レクジス特務大尉が妙に楽しそうだったのは、この質の低い部下の手綱をどう引くのか。
四苦八苦する自分を想像していたからではないのか…などと、悪態をつきたくなる。

(…あの『椋鳥』が居るのだ、そう易々と奪取は出来ないか)

『椋鳥』ことオリオールとの直接衝突を避けつつ、紋章を奪うのが第一目標だったが…。
やはり彼か、ロリアーリュが所持しているというのが妥当な所なのだろう。
と、すれば…。

(気は引けるが、仕方あるまい…)

商人の娘の身柄を人質に、紋章の譲渡を要求する。
オリオールは拒否するだろうが、ロリアという娘に働きかければ動揺は見えよう。
命の価値を見誤るほど、愚かな娘ではないとレクジスには聞いている。

「…紋章を手放すのが、冒険者として生きるためにも一番なのだ」

思わず声に出た呟きは、リブラが自分自身に言い聞かせる為のものである。

「よし、娘を抱えあげろ…怪我をしている、丁寧にな。
 我らはこのまま『椋鳥』達との交渉に向かう。隠蔽班は収拾つき次第、先に帰還して良い」

隠蔽工作。
今日のために昨日、一昨日と時間をずらして、自由騎士を装った部下が宿に宿泊している。
万一の時は奪取作戦のサポートをさせる予定だったが、思わぬ役どころが巡って来た。
すなわち『マグナムブレイク』を放った犯人として…である。

酔っ払った二人の自由騎士が、廊下で些細なことから口論を始める。
勢いあまってロリアの部屋のドアを壊し、中で暴れ始める。
その末に、『つい』マグナムブレイクを使ってしまった…という筋書きだ。
もちろん無理はあるが、身柄が軍預かりになれば、どうとでも圧力を掛けて事件をもみ消せる。
中に居た商人の娘など、知らぬ存ぜぬで押し通せばいい。
冒険者の失踪など、このミッドガルドでは日常茶飯事なのだから…。

物陰からちら、と通りを伺う。
今頃やってきた治安維持軍の警ら隊が二人、部下の騎士達に事情を聞いている。
その横に居るのは宿の女将だろうか、そわそわと落ち着きの無い様子だ。
恐らく、そこに居たはずの商人の娘の事が、気になっているに違いない。
他…十人にも満たない野次馬が遠巻きに、破壊された宿を見ていた。
自分達の存在は、誰にも知られていない。

「行くぞ」

リブラの小声の合図に…娘を抱えた二人と、先導する一人の計四人が、
足音を消しつつ路地を進み始めた。



路地が切れ、通りへと繋がる一歩前で、黒衣の騎士は周辺を見回した。
街灯が頼りなげに明滅し、薄明かりの空間を作り出している。
その近辺に人影は無い。

「大丈夫です、少尉」
「よし、今のうちに娘を隠せ」

二人の男はベンチにクアトを下ろすと、背中のバッグから巨大な袋を取り出し始めた。
これは商人が精肉運搬用に用いる、簡単な保温・保冷機能のある特殊な袋である。
もちろんこの場合、クアトを新鮮に保とうというのではない。
ここから先、他の冒険者に見られた時の為の偽装である。
特に、街門のすぐ外には、キャンプを張っている冒険者が多数居るだろう。
そんな中、気絶している娘を運んでいる姿など見られたら…面倒ごとになる可能性は高い。

袋にすっぽりと入ったクアトの上に、適当に布を詰める。
閉じた袋の上部に棒を通して、これを二人で運べばいい。
後は、姿格好を商人らしく着替えるだけだ。

「急げよ」

リブラは、多少の狂いがあったものの…作戦は上手く進んでいる、と実感していた。
後はイズズードから無事抜け出すだけであり、障害は無い。
だが…リブラの心中では重く、痞えたままの感情が消えなかった。

(盗賊…人攫いのような真似までして…紋章は、そこまでしてでも手に入れなければならないのか)

紋章を使って古の騎士団を騙る、賊軍の発生を未然に防ぐ…。
だからといって、若い冒険者が悪戯に危機だけを与えられている情況を見過ごせない…。
それらは、リブラが騎士として正しいと思う心に従ったからこその思いであるはずなのに、
実際にやっている事とのギャップに、自分で自分を斬り付けたくなる思いだった。

(私は、何をしているのだろう…)

…そんな事を、思った時だった。

「…フフッ」

風に乗るように…確かに、笑い声…が聞こえたのだ。

(…誰だ、こんな時に笑っている者は!?)

リブラはきっ…と視線を鋭くして、全員を睨む。
だが、その部下達も皆、困惑の表情で周囲を見回していた。

「…へーぇ、人攫いってそーゆーふうにやるんだ?」

今度は声。
どこか、調子っぱずれた若い女のものらしき声が響いた。
海から流れて来る潮騒と共に、通りを隔てた路地に反射して、何処から聞こえているのか判らない。

「…何者だッ!」

リブラは腰からスティレットを抜いた。
視線をゆっくりと回す…。
海に面した、漆黒の空が広がる塀の上に、星の光が人型にくり抜かれている所があった。
その異変に気付いたリブラと男達は、懸命に目を凝らす。
…深い灰色と紺色を基調にした、修道服の少女。
腕組みをしながら、まるで炎のような真紅の瞳だけが、こちらを睨んでいる。
潮風がマフラーと若草色の髪を揺らし、その表情までは読みきれない。

(だが…この娘、笑っている!)

まるでレクジスに笑われた時のような不快感に、リブラは歯を軋ませた。

「賊ごときに語る名など無いッ!」

そう吐き捨てた少女は、塀から勢い良く飛び降りた。
着地と同時に、じゃらり…と金属音が響く。
街灯の明かりが差し込み、その輪郭がはっきりと浮かび上がった。
同じ高さに立つと、意外なほどに小柄な事にリブラは驚く。
右手にはメイス、異彩を放つ修道服には絡みつくような鎖を纏い、
まるで戦場から抜け出してきたかのような、生々しい存在感があった。

「我々を、賊などと呼ぶかッ!」
「はん、イズルードってのはそんな格好した一般市民が居るワケ?
 気絶した女の子を袋に詰め込むって、どんな慈善事業なのさ」
「ふざけるな!見たからには、只で済むと思うなよッ!」

クアトを運んでいた二人が、ずいとリブラの前に出る。
最初こそ当惑していた男達も、その容姿を目の当たりにして、正気を取り戻したようだった。
…しかし、リブラは直感的に、彼らを止めなければと思った。
見た目こそ、まだ十三・四歳ほどの小娘であるのは間違いないが、
複数の賊を前に脅えるどころか前に出て、笑みまで浮かべるこの度胸は、只者ではない。
拘束具のように身に纏う鎖と煤けた灰色の服に、リブラは形容できない悪寒を覚える。
拭いがたい不安が、心に沸き立つのを抑えられない。

(この娘に、関わってはいけない―!)

それは、リブラなりの今までの経験からくる直感でもあったし、
あるいは騎士として、女としての勘と言い換えてもいいだろう。
とにかく…彼女の全身全霊が、たった一人のアコライトを危険と断じたのだ。

だが、部下達はつくづく未熟すぎた。
一人がずかずかと前に出て、彼女の胸元をわし掴む。

「ガキはとっとと帰って寝…ッ!」

男のセリフは、鳩尾に入ったアコライトの膝によって遮られた。
少女は表情すら変えず、さらに右頬に拳を入れる。
手を離し、ふらりと揺れた男の腹部に…追い討ちのように、回した踵が入った。
そのまま勢い良く、壁に衝突して気を失ってしまう。
…一瞬の出来事だった。

(ほら見ろッ、相手を甘く見るから…!)

リブラはそう思いはするものの、やはり驚きは隠せない。
どう見ても修道服を着た…アコライトであろうはずのこの少女、
今の部下への一連の攻撃に、魔法はおろか武器すら使っていない。
容姿からはまったく予想も出来なかったが…対『人間』向けの戦闘術を知っている。

「…どういう娘なのだ…!?」

狼狽するリブラを尻目に、もう一人の男が飛び掛って行く!
手にはスティレットをぎらつかせ、ここが街中である事などはもう忘れていた。

「調子に乗るなぁッ!灰色のアコライトなんて、見た事無いんだよォッ!!」

その手に力が漲る!
短刀では威力が落ちるとは言え、剣技『バッシュ』は使うことが出来るのだ。
たったの一撃で目の前の小娘を吹っ飛ばすべく、気合と共に一閃しようと…肘が動いた。
…だが。

ヒュ…ヒュンッ!!

「何だ!?」

何処からともなく飛来する、白い輝き。
マナが物質化した、高速の弾撃が男の身体へと襲い掛かる!
光の尾を曳くそれは、さながら生き物の様に獲物へと喰らい付いた。
音の無い衝撃!
しかし、男は耐える術もないまま吹き飛ばされ…街路を無様に転がった。

「まったく…美味しい所、全部テッサに持ってかれるのかと思ったわ」

そうぼやきながら、街灯の下から現れる影。
豪奢と言って良い位の、豊かな赤毛を揺らした…マジシャンの装束を身にした少女。
杖を片手で弄びながらも、挑発的な瞳をリブラから逸らさない。

「あのくらい避けられたって…シリーも大概、目立ちたがり屋だよねぇ」

くるり…とメイスを回して肩に乗せ、テッサと呼ばれたアコライトが微笑む。

「で、どーすんの?人攫いのおねーさんッ!
 なんかもう一人逃げちゃったし、ここは手を引いたほうがいいんじゃないのー?」

リブラが言われて、気付くと…もう一人居たはずの部下の姿が、忽然と消えていた。
彼女は決定的なまでに、一人きりだった。

(ば、馬鹿な…馬鹿なッ!
 何故、こうもおかしな事態が次から次へと…!)

宿に残っていた商人の娘の、意外な反撃。
愚かしい部下の暴走。
そして今、謎の冒険者二人組の登場…。
紋章奪取にもっとも大きな障害になるであろう、オリオールを避けた作戦。
人数もタイミングも、仕掛けも全て予定通りで、上手く行くはずだった。
なのに、何故こうも計画が狂うのかと、リブラは困惑した。
このまま退いては…レクジスもシュトラウトも、自分の責任を追及するだろう。

(…自分自身が納得していない作戦で動くから、こうなる…!)

今更ながら、リブラは嫌悪した。
手駒として動くことに、慣れすぎた自分自身を。

「…この娘を置いて行けば、見逃すとでも言うのか…?」
「魔物ならまだしも、人とやり合うのはあんまし気分いいもんじゃないしねぇ」
「私達も王国法だ軍の取調べだって、面倒なのは遠慮願いたいの」

リブラの思考が巡る。
(残った部下が軍に拘束されたとて、圧力を掛けて釈放する事は出来る。
 叙勲間もない騎士達だ…謹慎期間を置けば、また第一線に戻る機会も来よう。
 だが…卿の副官である自分が捕らえられては、事情説明も難しくなる。
 ひいては、アルビオンの立場を悪くする事も…!)

加えて二対一、しかも見た目によらずそれなりの技量がある少女達だ。
ここは黙って退くのが、どう考えても得策だと思えたのだが…。

(仮にも王国親衛隊アルビオンを統べる、シュトラウト大佐の副官であるこの私が!
 叙勲を受けて以来、誠実に任務を勤め上げてきたこの私が…!
 こんな事で、こんな者達のせいで、経歴に汚点を残すのか…!?)

名誉ある騎士としてのプライド。
それを傷つけられる事を、リブラは臆病なまでに恐れたのだ。
…その躊躇が結果として、全てを失う事になるとも知らずに。

彼女の思索は、ほんの数瞬だった。
その間にテッサは袋から顔だけ見えている、ぐったりとした娘に駆け寄る。
気を失っているだけだという事を確認し、安堵の息を漏らす。
しかし、その二人を狙う影があった。

「舐めやがってぇぇ!!」

先のソウルストライクに弾かれた男が、身体の鈍痛を押さえながら迫る!
迂闊にもテッサは膝をつき、メイスを手放していた。
男は彼女を身体ごと貫く勢いで、スティレットを前面に構えている。

「や…止めろッ!」

リブラが叫ぶより早く…シリーの両手とその杖に、マナの光が踊った。

ドォォォォォンッ!!

突如、地を割ったかのように現れる炎の塔!
テッサ達の前にそびえ立ち、壁のように男の行く手を阻む。

「ぐあッ!?」

勢いのまま飛び込んでしまった男は全身に熱波を浴びて、弾かれるように倒れこむ。
魔法の炎が身体にまとわりつき、慌てて消そうと地を転がった。
衝撃と熱が圧力を生み、リブラの全身を襲う。
顔を隠していた覆面が吹き飛ばされ…その表情が炎の輝きに、露になった。

「炎の障壁…ファイアーウォールで、壁を作ったのか!?」

リブラは覆面が飛んだ事にも気付かず、歯軋りした。
相当弱いレベルで放ったのだろう…飛び込んだ男のダメージも、そう深いものではない。
炎に中てられて、という訳ではないが…リブラは自分の不利をはっきりと自覚した。
こんな魔法まで使われ、騒ぎが拡大すれば脱出こそ至難の業となる。

「…ちっ」

リブラは跳ぶように、影の中に姿を隠した。
後に残ったのは…気絶した男一人。
それと、転がって呻いている、少し焦げた男が一人。

「やっと、退いてくれたわね…」

シリーは周囲を見回す。
ファイアーウォールの炎は、もう消えそうなほどに小さくなっていた。
他に賊の仲間が居ないのを確認すると、彼女は彼らが身につけていたマフラーを取り上げ、
それで手と足を縛って逃げられないようにする。
テッサはヒールの神聖魔法で、袋詰めされたままの少女の回復を試みた。
外傷はそれほどでも無いものの、その顔には疲労が色濃く出ていた為である。
ちなみに、袋から出そうとしたのだが…彼女がほとんど裸なのを見て、慌てて戻してしまった。

「冒険者の街で人攫いって…物騒な世の中になったねぇ。
 この娘も、冒険者なのかな?」

頭を膝に乗せ、胸に重ねた手から魔力を注ぎ込む。
どこか子供っぽさを残す顔にアンバランスな膨らみが、テッサに姉を思い起こさせた。

「さぁ?…ま、良家のお嬢様には見えないけど」
「あんたに言われたか無いでしょー」
「う、うっさいわねぇ!」

その時…街路の向こうから、がやがやと人の動く音が聞こえた。
先の爆発音に端を発する街の異変に、軍が動き出したようだった。

「あーあ、面倒な事になりそうねぇ…」

シリーははぁ、と溜息をつく。

「ここまで関わっちゃったんだし、今更知らぬ存ぜぬも出来ないっしょ。
 逃げたら逃げたで、変な疑い掛けられかねないしさー」
「誰のせいで関わったと思ってるのよ!」
「だから、来なくていいって言ったのに…でも、取り調べでカツ丼食べさせてくれるかもよ?」
「ま…いち冒険者として、治安維持に協力するくらいは当然よね」
「うは、現金なの」

その時、二人を見つけた数人の兵士が、何事かと駆け寄ってくる。
…いつのまにか、東の空が白み始めていた。



「…な、何があったんでしょう?」

フリーテは、驚きの表情でそう呟いた。
地下水道入り口前でキャンプを行い、日の出前から出立したロリア達は、
まだ朝食を取れる時間にイズルードへ帰還する事が出来た。

ところが…そのイズルードの街路が、なにやら大変な混雑になっているのだ。
野次馬とおぼしき冒険者の群れが顔を向ける方へと、三人は人を掻き分けて進む。
ロリアが首を伸ばすと、その先に大勢の兵士の姿が見えた。
中心では、長い赤毛が印象的な魔術師の少女が、身振り手振りを交えて兵士と会話をしている。
少し離れて…灰色と紺色の、やたら暗めな修道服を着た若草色の髪の少女が、こちらに背を向けて何か話していた。
その側には担架が置いてあり、膨らみからして誰かがそこに寝ているようだった。

「…何か、事件か事故があったみたいだけど」

背中に手を載せて、付いて来ていたフリーテに向かって言う。

「ちょ、ちょっと、待て…!?」

と…さらにその後ろに居たオリオールが、彼らしくない驚声を上げた。

「あそこの担架に横たわっているのは、クアト君ではないのか!?」
「えッ…!?」

唐突な指摘に、二人は改めてその寝姿を凝視する。
顔は見えないが…ちらりと見える頭髪は、確かにクアトと同じ髪の色である。

「ま、まさかっ…!」

否定するような言葉を吐きながら、ロリアは人ごみの中を進み始める。
人を掻き分け、無理矢理前に進む彼女に罵声が飛ぶが…もはや、構ってはいられる余裕は無い。

「ちょっと、ろりあん…!」

フリーテの声も無視して、ロリアは突き進んだ。
やがて目の前が開け…遠巻きにしか見えなかった姿が、はっきりと見えた。
髪の色に加えて、見覚えのある髪留め。
不安がざわざわと込み上げてくる感触に、息を呑んだ。

「お、おいっ!関係者以外は…」

周囲を囲っている兵士の足元をすり抜け、ロリアは飛び出した。
転びそうになりながら担架に駆け寄り、膝をついて確認する。
目を閉じているその顔は、まぎれもなく…宿で待っているはずのクアトだった。

「…クアトさん、ど、どうして…!?」

ロリアは一瞬、頭の中が真っ白になった。
訳が判らない…たった一日離れていただけなのに、何故…こんな事になっているのか。
目の前で動かないクアトを、とても現実と受け入れられない。
四肢の力は緩み、息すら止まりそうになる…。

「クアトさんっ!」

だが…ロリアは全身の力を振り絞って、正常な認識力を保とうとする。
落ち着け、落ち着けと心の中で繰り返す。

「クアトさんっ、クアトさんっ!!」

顔を近づけ、頬に触れる…土や埃で汚れていたが、暖かかさがあった。
彼女が生きているという実感を得るに、ロリアの心に安堵が広がる。

「あー、もしかして…彼女の知り合いなのかな?」

と…ロリアの頭上で、声がした。
先ほどまでこちらに背を向けていた、灰色のアコライトの足が視界に入った。

「なんか、怪我とかは大したこと無さそうだから大丈夫、大丈夫!
 さっきまでヒールかけてたから、じき目が覚めるよ」

元気付けるような、明るい声。
どこかで聞いた覚えがあるような、懐かしさがある。

「…はい、ありがとうございます!」

ロリアは頭を上げて、笑顔で応える。
だが、その刹那…二人の思考が、止まった。

…お互いにとって、とてつもなく長い一瞬に感じられたに違いない。

笑顔で向き合ったままの、二人の少女の顔が…次第に変化していく。
それを形容するに似合う言葉が見つからないほどに、複雑な驚きが両者の心を占めた。

「おっ、おおお、お姉ちゃんッ!?」
「ま、まさか…あ…アイネ…なの!?」

衝撃に言葉の出ないフリーテ。
困惑の表情を隠せないオリオール。
何事か判らず、訝しげな視線を向けるシリー…こと、メモクラム。

誰もがまったく予期しない形で…姉妹は久方ぶりの再会を果たしたのだった。






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